プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 7月 2013

少し早いですが・・・

夏の終わり(?)の9月のことですが・・・・

「のどごし生バンド」のライブをやります。

9月7日(土)17:00開場、18:00開演

横浜の新子安という場所に「グレコ」というライブ・バーがあって、毎回そこでライブを行っているのですが、都内や埼玉から来て下さる方々も多く、帰りの時間が遅くなるので、もう少し早く始めて欲しいとのご要望にお応えし、今回から1時間早めて演奏を開始することにしました。どうぞ、お間違えのないようにお越し下さい。

2013.9.7ライブチラシ

7月 25, 2013   No Comments

通夜

  都知事当選の時のインタビュー 隣がゆり子夫人

  都知事当選の時のインタビュー 隣がゆり子夫人

  昨夜、通夜に行って来た。物凄い人数。会場は青山斎場だった

  猪瀬が式の最初に挨拶したのだけれど、珍しく何ヵ所も涙声。思わず貰い泣きしそうだった。いつも超強気の猪瀬のそんな姿初めて見た。

  猪瀬によると、奥様の声がもつれるので病院に連れて行ったら、レベル4の脳腫瘍で余命数ヶ月と言われしまった。5月26日のことだ。即入院。猪瀬は翌日オリンピック招致プレゼンのためにロシアに出発したとのこと。

  それまでオリンピック招致に関して、ロンドンやニューヨークに飛んだ時は必ず奥様同伴だったのに、この時からは単独行となった。ついこの前のローザンヌ(スイス)でのプレゼンの時は、日本に帰るまで何としても生きていてくれと必死に祈ったという。

  それにしても、都知事選勝利演説の時や、2月の集いの時、マイクの前に立たれて「これからも精一杯猪瀬を支えて参ります」と話されていた奥様の元気な姿を思い出すと、つくづく人の命の儚さを感じてしまう。

  猪瀬19歳の時、18歳の奥様と目と目が合って以来一心同体で47年間共に生きて来たと言ってた。

  大学卒業後、両親(相手の?)の承諾が得られず、駆け落ち同然で上京したらしい。その時、彼等の面倒をみたという友人(同期)がフェースブックにそう書いていた。夫妻の絆は相当固かったんだろうと思う。

  また、彼は、天皇皇后から直接お悔やみの電話を頂戴したことを明かしたが、高校時代の悪友が途轍もない人間になったことを実感させられた。

  挨拶の最後で、「妻の分までオリンピック招致、頑張ります」と宣言していたのが、何とも痛々しかったものの、それだけ招致成功を墓前に報告したいとの思いが強まった猪瀬を感じ勝手に感動してしまった。

  安倍首相・小泉純一郎・石原慎太郎・伸晃ほか政界人含め、千人は優に越える弔問客だったけど、焼香を終わった客のために立礼していた猪瀬が、僕の番になった時、少しだけ笑顔を見せて、「よく来てくれたな」と言ってくれたのは正直嬉しかった。こんな大勢が次々と目礼して通り過ぎる中、よく見分けられたなと。

  「元気出して頑張ってくれ」としか僕は言えなかったけれど。  (合掌)

7月 24, 2013   No Comments

ハナ肇論

   全盛期のクレージーキャッツ  (左から2人目が安田伸) ネットより

     全盛期のクレージーキャッツ    ネットより

  かれこれ17~18年ほど前になるだろうか。知人から誘われた2組のゴルフ・コンペで、安田伸という男と同じ組で回らせて貰ったことがある。彼は、クレージー・キャッツの一員のあの安田伸だ。彼が亡くなる前年だったと思う。

  東京芸大出の筋金入りのサックス奏者なのに、テレビで見る通りの謙虚で優しい人だった。そんな彼が、ゴルフ終了後の懇親会で、同時代の別のバンド、「フランキー堺とシティー・スリッカーズ」との対比で、ハナ肇論を語り始めたのだった。「ハナ肇とフランキー堺では、人間の質が月とスッポンほど違います」。何を言い出すのだろうと全員興味津々。

  「フランキー堺は自分が売れ始めたら、さっさとバンドを解散して、自分だけ芸能界に行ってしまいました。当然、メンバー達は即失業に追い込まれた訳ですから、たまったもんじゃない。彼等の堺に対する恨みはハンパじゃなかったですよ。

  「そこ行くとハナは、堺と同じように早くから芸能界にマークされていた男ですが、いくら誘われても、バンド全員一緒でなければ断わるという態度でした。ですから、世に出るまで、かなりフランキー堺に遅れを取りましたよね。でもその辺りが、親分肌のハナと、自己中の堺の決定的な違いですね。

  「それに、ハナは堺のように自分をスターだとは、最後まで思っていなかったと思います。クレージー・キャッツがテレビに打って出る時、ハナは全員集めて言いましたもの。このチームの4番バッターは植木等だ。俺でも谷でもないから、みんなそこを間違えるなよ、って」。

  安田伸の話は含蓄に富んでいた。お山の大将だったら、自分が一番と思うのは当り前なのに、自分じゃないと言えるのが凄い。そしてそのことを貫いたからこそ、クレージー・キャッツのあの面白くて温かい独特の空気を醸し出せたのだろうし、死亡による脱退以外一人として中途脱退者の出ない、息の長いグループでいられたのだと思う。

  ハナと過ごせた人生の幸せを隠そうともせず、手下を守るハナ肇論を熱く語った安田伸に僕は瞬く間に引き込まれた。

  「(事務局のしたことで)私は知らなかった」と言って、選手会から罷免要求された何処ぞのコミッショナーを、テレビを通じて情けない気持で見てた時、ふと、この時の安田伸の話が思い浮かんだのだった。

  プロ野球のコミッショナーだったら、或いは、柔道界のトップなら選手達を守ることが最優先すべきことだろうに、どうして自分の保身を優先するのか? 家長のような、ハナ肇のような指導者はどこへ行ってしまったのだろう?

7月 23, 2013   No Comments

吉田所長の戦死

 

   ご冥福を祈ります   写真はYahooより転載

      ご冥福を祈ります   写真はYahooより転載   

  吉田昌朗氏が亡くなった。あの福島第一原発の建屋爆発当時、所長として現場の指揮を執った人物だ。今日の朝刊やテレビを見る限り、賞賛の嵐といった状況だった。

  しかし、そのマスコミも、当時は吉田所長を戦犯の重要人物の一人と捉えたインタビューも多かった。何故予備電源の確保が出来ていなかったのか? 東電の安全対策は杜撰だったと思うか? 地元の人々に対して謝罪の気持はあるか? などなど、現場の命懸けの事故対応に当る吉田氏を非難するような質問が多かった。

  オーバーに言えば、東京も含めた東日本全体が避難地域になるかも知れない重大な危機を彼と彼のチームが何とか食い止めていた頃の話だ。彼等以外にそれを救える人達がいないのに、吉田所長をテレビ・カメラの前で被告席に座らせようとするマスコミに腹が立ち、当ブログでも何回か取り上げた。

  東電非難の気持は東電経営陣に向けるべきで、原発の最悪事故(原子炉爆発)を防ぐために死を覚悟して対応している者への質問ではない。何故マスコミは彼等を応援しないのかと述べた。

  その後様々な角度から吉田所長の対応の中身が分かって来て、未曾有の重大事故に直面した時の強くて頼れる現場指揮官であったことが証明された。

  海水注入に関して、官邸と東電本社の間で揺れる中、中止命令に背いて注入し続けた胆力は並みのものではない。死に直面する場面のど真ん中にいると、本社の命令がどうであれ、自分の信ずる道を選ぶものかも知れない。そうは思うものの、果たして自分だったら、命令を無視出来たろうかと自問した人も多かったのではないだろうか。

  亡くなった吉田昌朗氏の元部下だった人がコメントを載せている。「あの最悪の事態の中、現地に踏み止まって頑張れたのは吉田さんが所長だったから。彼になら命を預けてもいいと思った」。

  2011年3月11日の大震災大津波で電源が喪失して以来、次々と起こる大事故に対して、半年、不眠不休で原子炉と戦い、食道癌が見付かって今度は病気と闘い、遂に帰らぬ人となってしまった。東日本を救った男の壮絶な戦死だったと思う。享年58歳。冥福を祈る。

7月 10, 2013   4 Comments

茂木健一郎さん

   釈迦さん

   釈迦さん

その夜、TAKAと2人で新宿のインド・レストラン「パペラ」に出向いた。この店は、昨年6月に、高校同期の者だけで2年半前に立ち上げたバンド、「タペストリー」のライブを行なった場所である。その前の年の11月に長野市のホテルで行われた同期同窓会での演奏が1回目だったから、「パペラ」での演奏は「タペストリー」2回目のライブだった。

その後、年2回のライブを目標に、昨年12月は六本木の小さなライブハウスで、今年の6月は経堂のライブ・バーで夫々ライブを敢行して来た。インド・レストラン「パペラ」に出向いたのは、次の第5回ライブの候補場所の一つとして現地調査のためだ。

午後7時、約束の時間に、「パペラ」に到着。既にTAKAが来ていて店長の釈迦さん(インド人)と話をしていた。僕はTAKAの向かいに座り、早速釈迦さんに生ビールとカレー&ナンのセットを頼んだ。ここのカレーとナンがかなり美味しかった記憶がある。

その時は、東京で初めてのライブだったから、東京在住の高校の同期達が物珍しさで集まってくれたのだが、お店のスタッフ全員が盛り上げてくれたこともあって、大成功と言えるライブだったと思う。

ただ、最大の難点は店に置いてあるドラムが、特にシンバルが超安物なので(小中学生でも使わないオモチャ以下のシロモノ)、全く気分が乗らなかったことが悪い印象として強烈に残っていて、僕としては、ここ「パペラ」でのライブは避けたいと思っていた。

ところが、TAKAが店の関係者から、「その後、ドラムは入れ替えた」との情報を仕入れたと言うので、そのドラムをこの目で確認するのが目的で伺ったのだ。

釈迦さんに促されて、ステージに置いてあるドラムセットを見てみた。スネアやタムタムなど太鼓の方は、安物でも何とか我慢出来るが、シンバルは最低許容レベルというのがある。ライド・クラッシュ共ジルジャンになっていたから、オモチャから置き換わっていた。OKだ。

しかし、残念なことにハイハットだけは、前回のままオモチャが鎮座していた。「ライブが出来るインド・レストラン」で売っている店なのだから、ハイハット・シンバルは中古(1万5千円程度)で充分なので購入すべきだと釈迦さんに言った

釈迦さんは、ハイハット・シンバルを購入するか、借りるかすることを約束してくれたので、「ザ・タペストリー」の5回目のライブを、ここ「パペラ」で11月に行なうことを決めた。

今日の用件が済んだところで、ふと隣席を見たら、見たことのある人が食事を終えて、丁度帰り支度をしているところだった。そう、テレビに良く出ている脳学者の茂木健一郎氏だ。勿論、向こうはこちらを知らない。2人連れだった。

僕はつい最近、フェースブックで彼の書き込みを2~3度見掛けていた。少しミーハーな気分も含んで、彼に声を掛けた。

「茂木さん、ですよね?」。
「はい。そうですけど・・・」と、少し警戒するような気配。
「僕等、猪瀬直樹の高校時代の仲間なんです。オリンピック招致に全力を尽くしている猪瀬にフェースブックで度々激励して頂きまして、ありがとうございます」。
「あぁ、そうでしたか。今知事はローザンヌですよね。プレゼンも上々の首尾だったようで何よりです。猪瀬さんに宜しくお伝え下さい」

そんなことがあって、翌日その件を猪瀬にメールした。珍しく本人から返信があった。「ありがとう」。スイスからのようだった。

  前回のライブ イン パペラ    Photo  by  Nakazawa & 

  前回のライブ イン パペラ    Photo by Nakazawa & Taka

7月 7, 2013   No Comments