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Posts from — 11月 2013

スペイン (5)

        セビリア  スペイン広場          Photo by Shindou   

        セビリア  スペイン広場       Photo by Shindou   

  4日目、午前中セビリア市内を観光した後、地中海に面した高級リゾート地(コルタ・デル・ソル=太陽海岸とミハス)に立ち寄り、その日の宿泊地グラナダに向かう。

  セビリアは、カルメンの他にも、オペラ「セビリアの理髪師」(ロッシーニ作曲)や、イザベル女王(イザベルⅠ世)の援助を受けて、コロンブスがこの地から、大西洋を西に航路を取りアジア東端を目指してたことでも有名だ。

  また、カルメンは闘牛士に恋をするのだが、そう、セビリアは闘牛のメッカとしても有名なのだ。マエストランサ闘牛場が、昨夜見たフラメンコの店の直ぐ近くにあった。だが、11月からは闘牛のシーズン・オフだそうで、これからの季節、闘牛士達の活躍の場は、夏を迎える南米に移される。

    ケネディー駐日大使の乗った馬車、ではない (スペイン広場)

    ケネディー駐日大使の乗った馬車、ではない (スペイン広場)

  朝一番にツアー一行が訪れたのは、市街地の中心部にあるスペイン広場だった。マドリードにもあったが、何故、スペインの町はスペイン広場という名の公園を作りたがるのだろう? しかし、セビリアのスペイン広場は、庭園や噴水がメインでなく、建築物が主役だった。

  入口から広場の淵を巡るように両翼に半円形に延びる回廊と、スペイン各県の歴史的出来事を描写した壁面タイル絵が特徴的である。回廊はかなり手の込んだ建築で見応えのあるものだった。

          スペイン広場   回廊       Photo  by  Shindou

          スペイン広場   回廊       Photo by Shindou

  スペイン広場は、元々1929年にセビリアで開催された「イベロ・アメリカ博覧会」の会場であり、回廊はスペインのパビリオンとして建てられたもの。映画「アラビアのローレンス」や「スターウォーズ」のロケにも使われた回廊だ。

  セビリアを後にしてバスで2時間半、広々とした地中海が見えて来た。コルタ・デル・ソル(太陽海岸海水浴場)である。11月というのに砂浜では水着姿で日光浴している人が何人もいる。昼食のためにバスから降りると、そこは初夏のような陽気だった。半袖のTシャツで充分な気温。

     セビリア市内を走る路面電車     Photo  by  Shindou

     セビリア市内を走る路面電車     Photo by Shindou

  昼食後は直ぐ近くの山の中腹に展開されたリゾート地ミハスを訪れた。車窓から見える沢山の白い家は、何かお伽の国を思わせる。観光地としても有名らしく、中国や日本のツアー客だけでなく、ヨーロッパやスペイン国内のツアー客なども大勢来ていた。

  コルタ・デル・ソルや地中海を一望に見渡せる展望台から写真などを撮った後、土産物店や一般の商店などが建ち並ぶ繁華街でみやげ物など物色した。カミサンは展望台へ行く時に店頭で見掛けた皮のジャケットが気になったらしく、その店に付き合わされた。

       ミハス (白い家々)         Photo  by  Shindou

       ミハスの白い家々          Photo by Shindou

  イタリアやトルコもそうだったが、スペインも皮製品が有名なのだそうだ。カミサンは、バックでも靴でも着る物でも何か一つ、気に入ったものがあれば買おうと思っていたらしい。

  お目当てのジャケットを見ていると直ぐに、店主のスペイン人(40~50歳くらい)が愛想良くやって来て、「ヤスクテ、ゴメンネ。カッテヨ」と片言の日本語を発する。「コレ、ピダリ、ピダリ」(これ、ピッタリお似合いです)。値札を見たが250ユーロ(約34,000円)だった。

  カミサンは皮質が気に入らなかったようだ。彼女の目は、店の奥に飾ってあるジャケットに注がれた。「あれを取って」と店主に言う。「OK、OK。ピダリピダリ」(かしこまりました。あれもお似合いです)。カミサンはそれを試着したがサイズが大き過ぎたようで、「モア・スモール」と彼に伝えた。

  店主は「OK、OK」と言って奥に消えた。そのジャケットは羊の皮で柔らかく、全体は黒だが襟とかポケットの蓋(フラップ)がベージュでなかなかセンスが良い品と思えた。名札は350ユーロ。「で、どうなんだよ」「皮とかデザインとか良いよね。ただ、350の価値があるかどうかよね」。

  店主はなかなか戻ってこない。倉庫で一生懸命探しているのだろう。バスの出発時間が迫って来た。カミサンが「もういいよ。バスに戻ろう」と言って店から出た時、店主がジャケットを持って小走りにやって来た。「コレ、ピダリ、ピダリ」。カミサン、「ノータイム。イラナイ」と差し出されたジャケットを手で押し返す。「ビンボー、ビンボー、250ユーロ」(私貧乏なのでどうか買って、250ユーロで良いから)。

  団体ツアーなので皆を待たせてはいけないという思いが強いカミサンは「ごめんね。やっぱり、要らないから」と行こうとする。店主が粘る粘る。「200ユーロ、200ユーロ」。カミサンの心が動いた。着てみた。今度はサイズもピダリ。

  即、現金払い。定価47,250円が27,000円になったのだから、カミサンやるな~。

  小走りでバスに戻った。間に合った。バスは一路今日の宿泊地グラナダに向かう。

        スペインの路地裏        Photo  by   Shindou

        スペインの路地裏        Photo by Shindou

11月 29, 2013   No Comments

スペイン (4)

    ラ・マンチャにある風車群の一つ        Photo by Shindou

    ラ・マンチャにある風車群の一つ        Photo by Shindou

  3日目はトレドを発って、ラ・マンチャ地方を南下し、アンダルシア地方セビリアまで行く行程だ。

  「ラ・マンチャの男」というミュージカルは、松本幸四郎が1,200回以上も公演しているので有名だ。初演は僕が大学を卒業した頃だと言うから、もう44年も続く長寿ミュージカルである。松本幸四郎は、「ドンキホーテ」の作者セルバンティスと、劇中劇の中の主人公キハーナ、そして、遍歴の騎士=ラ・マンチャの男=ドン・キホーテの3役を演ずる。

  僕は「ドンキホーテ」を読んでいないから詳しくはないけれど、ラ・マンチャ地方は、有名な小説になるくらいだから、さぞや、山や谷、川や森で囲まれた絵になる素晴らしい風景なんだろうと想像していたが、どこまでも平らで、オリーブ畑が一面に広がるだけの、直ぐ見飽きるような風景が果てしなく続く。

   ラ・マンチャ地方には稀な集落   地平線までオリーブ畑が続く

     ラ・マンチャ地方には稀な集落   地平線まで畑が続く

  見るべきものと言えば、途中現れた丘の上に、幾つも古い風車が立っていたところくらいなものだ。今流の風力発電用ではなく、豆を挽いて粉にするための風車だ。今は稼働しておらず、観光用にのみ保存されていた。ドンキホーテが、山の上から大男達の軍隊が攻めて来ると見立てた巨人達とは、この水車群のことだという。

    コルドバの観光名所メスキータ         Photo  by  Shindou

    コルドバの観光名所メスキータ         Photo by Shindou

  そして、バスはやっとアンダルシア地方に入り、コルドバに到着。コルドバには「メスキータ」という、イスラムが支配していた時代にはモスクとして、その後キリスト教の世界になってからは教会として使われている建物がある。「メスキータ」とはスペイン語でモスクという意味である。

  そのような歴史を持つ建物なので、中に入るとアラベスク模様(アラビア風模様)の沢山の柱があり、他の聖堂とは全く違う雰囲気がある。

  メスキータの内部 イスラム文化が色濃く残る柱群  by  Shindou

  メスキータの内部 イスラム文化が色濃く残る柱群  by Shindou

  見学と自由散策の時間を終えて、集合場所で待っていたら、まだうら若き女性(見た感じ16~17歳くらいかな)、それもかなりの美人が、「マニー、マニー」と言って、次々と人々に声を掛けている。最初、何だろうと意味が分からなかったのだが、外人が(あっ、スペインではこっちが外人だ!)彼女に小銭を渡して、手で追い払ったのを目撃してしまった。

  物乞いだ。あんなに若くて美しい物乞いって、嘘だろ? 何とも言いようのない気分を味わってしまった。ガイドが言っていた。スペインは今、物凄く経済が不調で、失業率が26~27%、20代の若者だけで言うと実に55%を超えるそうだ。

  この日の最後は、セビリアである。この町はカルメン発祥の地で、彼女が働いていたタバコ工場の建物はそのまま残り、現在はセビリア大学法学部として使われていた。だが、カルメンはオペラの中の主人公であって実在の人物ではないが、モデルとなったタバコ工場がツアーの車窓観光資源となっているのが面白い。

  夕方、セビリアに到着し、僕ら一行は、現地語で「タブラオ」と呼ばれるフラメンコ・ショーが見られる店に入った。ここで食事をしながらフラメンコを見ようという趣向らしい。フラメンコとスパニッシュ・ダンスが交互に行われると言うが、フラメンコそのものを生で見るのが初めてなので、どれがフラメンコでどれがスパニッシュ・ダンスか僕には区別が付かなかった。

  「エル・パティオ・セビリアーノ」という有名なタブラオ   by Shindou

  「エル・パティオ・セビリアーノ」という有名なタブラオ   by Shindou

  ただ、凄いと思ったのは、どのダンサーも靴で床を踏み鳴らすタップ・ダンスが素晴らしかった。リズムが8ビート・16ビート・32ビート、それに、1拍3連・2拍3連も自由自在。足だけでやるのだから脱帽だ。ドラムは手でやるが、未だにそう簡単ではないから、彼らの凄さが良く分かる。

  カルメンのドラマ仕立てのフラメンコの時、カミサンが言った。「スペインに来たんだね」。

        「カルメン」の一場面           Photo  by  Shindou

        「カルメン」の一場面           Photo by Shindou

      セビリアで宿泊したホテル         Photo  by  Shindou

      セビリアで宿泊したホテル         Photo by Shindou

11月 28, 2013   No Comments

スペイン (3)

   トレドの町の全景 (展望スポットにて撮影)   Photo by Shindou

  トレドの町の全景 (展望スポットにて撮影)   Photo by Shindou

  翌朝(現地の2日目)からは文字通りバス・ツアーが始まる。ツアーの行程は次の如くとなっている。

1日目、空港→マドリード(泊)
2日目、マドリード→アランフェス→トレド(泊)
3日目、トレド→ラ・マンチャ州→アンダリシア州・コルドバ→セビリア(泊)
4日目、セビリア→コルタ・デル・ソル(海水浴場)→ミハス→グラナダ(泊)
5日目、グラナダ→バレンシア(泊、グラナダ→バレンシア約500km)
6日目、バレンシア→バルセロナ(泊、バレンシア→バルセロナ500km)
7日目、バルセロナ→モンセラ(奇岩の山)→空港

  これらの前後に成田・スペイン間の機上泊が1日ずつあるから、日本時間では合計9日間の旅行となる。上記の通り沢山の観光地を巡ったので、僕が強い印象を受けた場所に絞って書こうと思う。

  まずは2日目のトレド。マドリードから70kmほど南と思われる場所に現れた中世の町並み、それがトレドだ。大きな川を隔てた小高い場所でバスを止めてくれた。そこからは、おとぎ話のような趣の古都トレドが一望出来るので、早速バスから降りて写真撮影。

  この町は、紀元前からローマ人が住んでいたと言われ、古くから栄えていた町だ。8世紀初頭には、それまでキリスト教の世界だったのが、イスラム教徒に征服され、11世紀にレコンキスタ(再征服運動)の中で、再びキリスト教徒がトレドを奪還したという歴史を持っている。

  1561年にマドリードへ遷都されるまで、トレドは政治・経済の中心だったトレドは、丁度スペインに於ける京都のような存在かも知れない。

  しかし、今でもスペイン・カトリックの総本山としての地位を保っている。その象徴がカテドラル(大聖堂)だ。1227年に着工され、1493年に完成したという気の遠くなるような長い時間掛かって建てられたもの。ヨーロッパの大聖堂の建築はどれも何世紀かの長い時間が掛かっているが、それは、必要な資金が簡単には集まらず、度々工事が中断するからだという。

        大聖堂カテドラル         Photo   by   Shindou        

     カテドラル(大聖堂)          Photo by Shindou        

    旧市街の路地裏から見える大聖堂     Photo  by  Shindou

 旧市街の路地裏から見える大聖堂  Photo by Shindou

  また、エル・グレコがこの町を大変気に入って40年間も住み着いた場所としても知られている。サントトメ教会には彼の代表作「オルガス伯の埋葬」が所蔵されており、僕らも見ることが出来た。

  「オルガス伯の埋葬」 左から3人目がグレコ本人  ネットより拝借

 「オルガス伯の埋葬」 左から3人目がグレコ  ネットより拝借

  この絵の面白いのところは、埋葬列席者の中にちゃっかりエル・グレコ自身を書き込んでいる点だ。エル・グレコの時代より前に一時代を築いた画家ベラスケスも同じように、大作の中に己自身を書き込んでいるが、エル・グレコもそれに倣ったのだろう。

  ガイドに案内されて旧市街の狭い路地を何本も歩いた。土産店を除けば、時計が何百年も前に止まったままのような世界だが、人々は今もそこで生活している。世界遺産に指定されているため、住居建物の内部だけは改修可能だが外壁は一切の変更が禁じられているので、住民にとっては決して生活し易くないとのこと。

   トレド旧市街地の中心の広場        Photo  by  Shindou

   トレド旧市街地の中心にある広場       Photo by Shindou

 

    広場の一角にあるキオスク        Photo  by  Shindou

 広場の一角にあるキオスク  Photo by Shindou

  でも、僕ら訪問者には、中世のヨーロッパを体感し、その時代に迷い込んだような錯覚を感じる、ファンタジーに富んだ町であることは間違いない。

 トレドで宿泊したホテル 奥は中世風の建物     Photo  by  Shindou

 トレドで宿泊したホテル 奥は中世風の建物     Photo by Shindou

   同じ日に訪れたアランフェスの旧王宮    Photo  by  Shindou

   同じ日に訪れたアランフェスの旧王宮    Photo by Shindou

   アランフェス 王宮の庭園内の並木道     Photo  by  Shindou

   アランフェス 王宮の庭園内の並木道     Photo by Shindou

11月 27, 2013   No Comments

高幡不動尊金剛寺

   高幡不動尊 五重塔     Photo  by  Shindou

  高幡不動尊 五重塔     Photo by Shindou

  先週土曜日、高幡不動尊を訪れた友人のFacebook に、高幡不動商店街の道路一面に小さな灯篭が沢山並べられ、暗闇の中に長い光の列が何列も出来ている写真が載っていた。そして、もう一枚、五重の搭がライトアップされてとても幻想的な写真も掲載されていた。

  高幡不動尊では、この土日、「萬灯会」という五重の塔の各階に沢山の提灯を取り付けて照らす行事が行なわれ、それに合わせて商店街を挙げて「もみじ祭り」が行なわれていることをネットで調べて分かった。勝手な理解だが、商店街の道路に並べられた灯篭の列は、「萬灯会」に誘なう灯りなのだろう。

  友人のFacebook を見ていてあることが閃いた。

  翌日、カミサンに言った。「高幡不動が夜、ライトアップされてとても綺麗らしい。もみじも赤く染まって来ていて、ライトに映えるようだから、今日、行ってみようか?」。

  「運動のために往復歩くなら、行ってもいいよ」。これが彼女の答えだ。週3~4回ジムに通ってエアロビクスやマシンで鍛えている彼女らしい。確かに、我が家から高幡不動までは、片道3km弱だから往復歩けないことはない。それにしても、何の義理があって夜の運動をさせられなくちゃいけないのか?

  「そうじゃなくて、ライトアップを見てから、どこかで旨いものでも食べて帰ろうという提案だよ」「なんだ。だったら、食事済ませてから出掛けてもいいよ?」「そうじゃなくてぇ、君の誕生日だから美味しい食事をご馳走するって言ってるの!」「あぁ、そういうこと? でも、行きだけでも歩こうよ」。

  という訳で、日曜の夕方、薄暮の中を黙々と高幡不動尊金剛寺まで歩かされたのである。夕方になって冷え込んで来て歩き始めは肌寒かったが、途中から身体が熱くなり、コートを脱いで手に持って歩く程だった。

   一つ裏の通りにも同じく灯りの列が    Photo  by  Shindou

   一つ裏の通りにも同じく灯りの列が    Photo by Shindou

 円形にくり抜かれた黒い板から見えるもみじ by  Shindou

 円形にくり抜かれた黒い板から見えるもみじ Photo by Shindou

  現地に着いた頃はもう完全に夜の帳が降りていた。駅前から不動尊に続く商店街の道路に並べられた沢山の小さな灯篭は、友人の写真の通りだった。寺に近付きまず目に飛び込んだのは、五重の搭が明るく輝いていたことだ。そして、不動尊の直ぐ裏の小山が札所八十八箇所巡りの小道が続くのだが、そこも所々ライトアップされていて、暗闇の中に真っ赤なもみじが鮮やかに浮かび上がっていた。

     ライトアップされたもみじ       Photo  by  Shindou

     ライトアップされたもみじ       Photo by Shindou

  デート・コースに最適とかで、確かに若いカップルを多く見掛けたが、僕らのような年配者の二人連れも少なくなかったので、場違いの感じもせず、そのファンタジックな風景を楽しんでから、電車で最寄り駅まで戻り、和食の店でカミサンの誕生祝をして帰宅した。

  9月に京都観光をした時、お寺にお参りすると、必ず500円程度の拝観料を取られるので、ここ高幡不動尊金剛寺のこういう大イベントの時は当然、入場料が要るものと思ったが無料だった。とても良心的と思ってしまったが、京都以外ではこれが当たり前なんだよね。

 境内にある土方歳三像(日野の英雄) 夜

境内にある土方歳三像(日野の英雄) 夜

        土方歳三像             昼 

   土方歳三像             昼 

11月 26, 2013   No Comments

スペイン (2)

          ネットより拝借

     プラド美術館         ネットより拝借

  今回のツアーの旅行社はJTB、航空会社はカタール航空だ。スペインへの直行便は殆んど無いらしい。なので、カタールのドーハで乗り継ぎとなる。成田からドーハまで12時間、乗り換えの待ち時間3時間強、ドーハ・マドリード間8時間弱掛かるので、合計23時間。スペインまではほぼ一日掛かりの長旅だ。

  事前に予習を全くしていなかったから、このことを前日知った時は気が遠くなった。ヨーロッパには長くても飛行機で12時間で行くものとばかり思っていたからだ。更に、旅行社がくれた日程表を見ると、後半は1日500kmのバス移動が続く。先が思いやられる。

  とは言え、日暮里からスカイライナーに乗り込み成田に向かうと、気分は完全に海外旅行モードになり、心が弾むから不思議なものだ。日常から非日常へのトラバーユ。これだけは毎回変わらず味わう好ましい気分である。

  さて、成田を夜飛び立って、ドーハ経由でマドリードに着いたのが、現地の午後1時過ぎだった。飛行機の中で眠ったものの、それ程深い眠りは出来なかったから、何か徹夜明けの昼間の感覚だった。カミサンも早くホテルに行って眠りたいとか言うが、午後はマドリード観光になっている。

      プラド美術館入口            Photo by Shindou

      プラド美術館入口            Photo by Shindou

  この辺りが団体旅行の辛いところだ。事前に良くチェックしなかったのがいけないのだが、やはり、地球の裏側に行くには、着いたその日は、まずホテルでゆっくり休めるように現地に夕方到着する便が良い。

  マドリード観光では、最初にプラド美術館を訪ねた。ゴヤの有名な「裸のマヤ」やベラスケスの「女官たち(ラス・メニーナス)」、或いは、エル・グレコの数多くの作品が展示されていた。

  特にベラスケスの「女官たち(ラス・メニーナス)」は、近くで見た時はそんなに感じなかった奥行きや天井の高さが、遠く離れて見ると空間の広がりがハッキリと分かり、3次元の立体的な絵となるとても不思議な絵だった。

  また、エル・グレコは気になる存在ながら、昨年東京で展覧会が行なわれた時僕は残念ながら観に行けなかった。宗教画が多いから、実は彼の絵はそれ程好きでない。なのに気になる画家と言うのは、何を隠そうその名前なのだ。

   エル グレコ 自画像    ネットより拝借

   エル グレコ 自画像    ネットより拝借

  僕達「のどごし生バンド」がライブ拠点としているのが、大木先生のライブ・バー「グレコ」。その名前繋がりで気になっていただけなのだ。ガイドの説明によると「エル・グレコ」というのは本名ではなく(本名ドメニコス・テオトコプーロス)、彼がギリシャ人だったことに由来するとのことだった。つまり「エル・グレコ」とはギリシャ人という意味だったのだ。

  プラド美術館を後にして、スペイン広場に立ち寄った。スペインに来て「スペイン広場」という名前の公園があるというのも妙だが(スペイン広場と言えばローマだよね)、ドンキホーテとサンチョ・パンサの像と、その上方には作者のセルバンテスの像があった。

  ドンキホーテとサンチョ 上は作者セルバンテス by Shindou

  マドリードのスペイン広場  Photo by Shindou

  その後昔の宮廷跡を訪ねて、やっと午後6時頃ホテルに着いた。しかし、夕食は8時半だと言う。さっさと食事してシャワー浴びて寝たいのだが食事が遅過ぎ。しかし、スペインの夕食時間は9時~11時ごろが一般的だという。旅行社が無理言って30分早めさせたらしい。

  スペイン人は宵っ張りなんだそうだ。昼食も午後2時~3時ごろという。僕は夕食の時間までベッドで横になったつもりが、直ぐに眠りに落ちてしまったらしい。カミサンに起こされる迄ぐっすり眠り込んでしまった。10分遅れてレストランに行ったら、もう、ツアー一行はバイキングの料理を取り終えて、全員が着席して食事していた。

     マドリードの宮廷           Photo  by  Shindou

    マドリードの宮廷         Photo by Shindou

11月 25, 2013   No Comments

スペイン (1)

    アルハンブラ宮殿中庭  止水明鏡    Photo by Shindou

アルハンブラ宮殿中庭 止水明鏡 Photo by Shindou

  5年前現役引退した時、これからは、お互い夫々の世界を尊重して、自由に生きることを申し合わせ、その代わり、せめて年一回の海外旅行だけは共にすることをカミサンから提案され、僕は即座に賛成したのだった。

  これまで、カナダ・イタリア・中欧・トルコ・ベトナムと旅行し、今回はスペインである。いつもそうであるように、行き先も手続き等も全部カミサン主導である。僕自身はのんびり温泉旅行でもして、美味しい日本料理を食する方が遥かに嬉しいのだが。

  それでも海外旅行さえ付き合えば、後は完全に自由が保証されるのだから、それはそれで大きなメリットなのだ。

  さて、スペインと聞いても、僕にはあまり知識がない。思い浮かぶのは、闘牛とフラメンコとガウディーのサグラダ・ファミリア、それとアルハンブラ宮殿くらいなのだ。

  何故アルハンブラ宮殿かと言えば、高校一年の時、文化祭で見た映画「禁じられた遊び」のテーマ曲を弾けるようになりたくて、ナルシソ・イエペスのドーナツ版レコードとギターを買ったのがキッカケだった。

       映画 「禁じられた遊び」 の1コマ

       映画 「禁じられた遊び」 の1コマ

  猛練習の結果、やっと「禁じられた遊び」はマスター出来たのだった。そうなると、折角買ったレコードのB面の曲にもチャレンジしたくなった。その曲が「アルハンブラ宮殿の思い出」だった。

  しかし、この曲はギターなのに実に不思議な音がした。当時は、映像がなく、どうやって演奏しているのか分からなかった。そのうち、同じ高校にクラシック・ギターを弾く人がいることを聞き付け、勇気出してこの点を聞いてみた。

  トレモロ奏法と言うのだそうだ。一本の弦を薬指・中指・人差し指で繰り返し素早く弾くのだ。成る程、レコードの音と同じような音が出る。それから自己流で特訓した。が、僕にはとても無理だった。指が短く、手のひらが小さいので、離れたフレットを同時には押せないのだ。

  「アルハンブラの思い出」 演奏中のイエペス   ネットより

  「アルハンブラの思い出」 演奏中のイエペス   ネットより

  つまり、フランシスコ・タレガ作曲のこの名曲は、後に僕がギターを断念するキッカケを与えた曲である。「アルハンブラ宮殿」は、チャレンジして見事に跳ね返された「挫折の思い出」として、以来ずっと僕の記憶に止まり続けた。

  ツアーの日程にはしっかり「アルハンブラ宮殿」も入っていた。場所はスペイン南部アンダルシア州の中のグラナダという町だ。そこを訪れることが、スペイン旅行の僕のささやかな目的になった。

  因みに、トレモロ奏法を僕に教えてくれたのは、高3の時マンドリン・クラブのギター班を一緒にやることになるA君だった。

    アルハンブラ宮殿全景     Photo  by  Shindou

    アルハンブラ宮殿全景    Photo by Shindou

11月 22, 2013   No Comments

ポール・マッカートニー

   ネットから拝借  (Photo by Shannon Higgins)

   ネットから拝借  (Photo by Shannon Higgins)

  昨夜、東京ドームでポール・マッカートニー のコンサートを観た。71歳の若々しいステージに感動しっ放しだった。何せ40曲近い曲を、休憩時間もなく、ずっと歌いっ放しの2時間45分だったのだから。2回のアンコールで7曲もサービスして。

  あれだけ高いキーで一昨日も昨日も東京ドームで歌っていて、よく声が枯れないものだと感心する。声帯が本当に強いのだろうな。日本人の若い歌手でも考えられないことだ。それが70過ぎの爺さんがやってのけるのだから感動もんだよ。

  開演前までは、ポールは今は爺さんでも、全盛期の頃のビートルズを懐かしんで聴こうと思っていたが、そんな予想がものの見事に覆された。遠目だからかも知れないが、スタイルは抜群だし、声の艶も昔とそんなに変わらないし、何よりエネルギッシュで、何の何の現役バリバリの売れっ子スーパースターのライブそのものだった。

  彼の超人的なステージと、観客を楽しませるサービス精神は、「これぞプロフェッショナル」を感じさせないではおかない。僕等「のどごし生バンド」も、30分3ステージで途中2回も休憩を入れて「疲れた」なんて言っているが、ポールを見習わなければいけないね。

  全体の内、8割がビートルズの曲で、知っている曲ばかりだったのも、僕をのめり込ませた理由だった。オープニングの「8デイズ・ア・ウィーク」に始まり「オール・マイ・ラヴィング」「エリナー・リグビー」「アンド・アイ・ラブ・ハー」「バック・イン・ザ・USSR」「ペーパーバック・ライター」「デイ・トリッパー」など挙げれば切がない。

  ただね、僕の後ろの席は4人組のオジサン達で、これらの曲が始まると、皆で声を張り上げて歌うんだよ。「君達の歌を聴きに来たんじゃない」と言いたかったけど、会場のあちこちでポールと一緒に歌うから、仕方ないので僕も歌いましたよ・・・

  僕が本当に聞きたい曲は「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」、そして「イエスタデイ」。そのどれか1~2曲でも聴けたらなと事前に期待していたのだが、ポールはその全てを歌ってくれたから、もう感激しない訳には行かない。

  途中、ポールがウクレレを抱えた。このウクレレはジョージ・ハリスンの物だと言う。彼に捧げると言ってソロで歌い出した曲が、何と「サムシング」だ。ポールがジョージの曲を歌ってる。何故か僕は目頭が熱くなった。2コーラス目からはバンドが加わって原曲に忠実な「サムシング」となった。ポールが歌っているのに、ジョージが歌っているのと全く変わらない。

  ジョンへの追悼の曲もあり、「イエスタデイ」は福島の人々に捧げられたし、ウィングス時代のヒット曲「ジェット」「ハイ・ハイ・ハイ」「007死ぬのは奴等だ」も聞けたから、僕としては、このライブに来て本当に良かったと娘に感謝した。

  実は、このコンサートのチケットは娘が我々夫婦に結婚記念日のプレゼントとして入手してくれたものだ。ところが、カミサンは10年前に、同じ東京ドームでポール・マッカートニーのコンサートを観ており、あんなに混み合う場所に行きたくないとかで、仕方無しに娘が僕に付き合ってくれたのである。

   娘は黒人ドラマーを気に入った模様 (by  Shannon Higgins)

 娘は黒人ドラマーを気に入った模様 (by Shannon Higgins)

  娘と一緒にライブに行くなんて、これが初めてだった。僕がポールの歌に感激しているのを見てか、彼女自身が感動しているのか、僕に「来て良かったね」と言う。僕は「ありがとう」と返した。

  ライブが終って、水道橋駅まで辿り着くのに30分ほど掛かる混雑振りで、駅にも人が溢れていたため、近くの居酒屋で少し時間を潰すことにした。娘と2人で居酒屋で飲むのも初めてで、記憶に残る良い一日となった。

  余談ながら、僕が贔屓にしている、ビートルズのコピー・バンド「アップル・ビーツ」については、何度かこのブログで書いている。ポール・マッカートニーの声や語り、振る舞いを見ていて、ポールはポッツにソックリなんだなぁと思ってしまった(笑)。

 東京ドーム内 センター後方がステージ  by 携帯

 東京ドーム内 センター後方がステージ  by 携帯

11月 20, 2013   5 Comments

ペコロスの母に会いに行く

無題

  昨日封切りの映画「ペコロスの母に会いに行く」を見た。この映画は長崎在住の岡野雄一氏が自費出版した同名の漫画がある男の関心を呼び、彼が何とかこれを映画化したいと強く思い、フェースブックで何度も何度も支援を呼び掛けた。1年半ほど前のことだ。

  男の名前は村岡克彦(50歳)という。彼は福岡を拠点とする音楽プロデューサーだ。歌手のYUIを世に出したことでも知られる。今は的場祥子というシンガーのプロデュースを手掛けている。

  だが、村岡氏は最初から映画化を狙っていた訳ではないと思う。岡野雄一氏の出した自費出版漫画の面白さをフェースブックで広く伝えたいと思ったのでないかと思う。友人の岡野氏を支援するつもりだったかも知れない。

  村岡氏は、フェースブックを使って、漫画「ペコロスの母に会いに行く」を何度も何度もフェースブックで紹介した。僕はその最初の頃から彼の記事をフォローしていた。

  いつしか彼の努力が報われ、漫画「ペコロスの母に会いに行く」は、アンゾンの漫画部門売り上げのベスト3に名を連ねるようになった。そして、遂に映画化の話が村岡氏の元に舞い込んだのだった。そのことは即日フェースブックで報告している。

  しかし、こと映画化を個人で進めると言うことは、掛かる費用を考えたら無謀以外の何物でもない。その頃から、彼のフェースブックは個人には寄付を、会社や団体にはスポンサー支援をお願いする記事に変わって行った。

  彼自身も東京・大阪・名古屋を頻繁に訪れ1社ずつ訪問して地道に資金を集め、支援組織を獲得する活動に全力を挙げる様子がフェースブックに鮮明に映し出されていた。

  そんな村岡克彦氏の1年半の戦い振りを目の当たりにしていたし、度々フェースブックのメールを使ってメッセージの遣り取りもしていたので、人ごととは思えず、昨日の封切りを迎えた日は、嬉しさで一杯だった。僕は上映初日やぼ用があり、最終上映に何とか間に合ったのだった。

  ペコロスとは子玉葱のこと。主人公はそんな具合に頭が禿げ上がっているバツ一の中年男。その母が徐々に認知症になって行く。テーマ自体はシリアスなもの。だが、映画はこれを、認知症の人の多くがそうであるように、過去と現在が区別なく行きつ戻りつする意識を旨く映像化し、ペコロスの母の人生を映し出し、何とも心温まる物語にしているのだ。

  そして、赤木春江や岩松了、竹中直人、温水洋一など味のある俳優陣が、悲しさ・辛さ・嬉しさ・可笑しさを存分に伝えてくれる。

  最後に主人公が言う。「ボケるのも悪くないかな」、そんなことを思わせる映画だ。認知症をこんな風に扱ったのは日本で最初の映画ではないか。そして、フェースブックから誕生した日本初の映画ではなかろうか。その意義は特筆して良い。

  思い入れが過ぎるかも知れないが、僕は今年最高の日本映画と思う。お勧めの映画だ。 (新宿 武蔵野館にて)

  そして、村岡克彦氏には、もう一つ注文がある。「ペコロスの母に会いに行く」という漫画に出会ってから映画化が実現、封切りを迎えるまでの1年半のもう一つのドラマを是非とも、来年の今ごろロードショーで観てみたい。

11月 17, 2013   No Comments