プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 12月 2013

永遠の0

 

☆                ネットより拝借

☆                ネットより拝借

昨年、本屋で文庫本の表紙の大きな「0」(ゼロ)に目が止まり、買ったのが百田尚樹著「永遠のゼロ」だった。通勤電車の往復で文庫本を読むことが多いのだが、この本は、買ったのが土曜日だったこともあり、家で読み始めて一晩で読み終えたことを覚えている。

そして、この本を電車の往復で読まなくて良かったと思った。何度も涙が滲んだからだ。家だと誰に遠慮することもないから、涙を堪える必要もなかったのだが。常に何らかの文庫本はバッグに入れて通勤しているが、これ程泣かされた本は久しくなかった。

その小説が映画になった。大みそかの前の日だったが、家の大掃除や買い物は全てカミサンが既に終えていて僕の出る幕は無かった。何となく手持ちぶさたの僕は、思い立って映画館に出掛けることにした。

主演は「V6」の岡田准一。「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズを手がけてきた山崎貴監督の作品だ。司法試験に落ち続け、人生の目標を失いかけた青年・佐伯健太郎(三浦春馬)と、フリーライターの姉・慶子(吹石一恵)は、実の祖父だと思っていた賢一郎(夏八木勲)とは血のつながりがなく、本当の祖父は太平洋戦争で特攻により戦死した宮部久蔵(岡田准一)という人物であることを知る。

久蔵について調べ始めた2人は、最初、当時のゼロ戦パイロット達から、久蔵は卑怯者とか臆病者と伝えられ、健太郎はもうそれ以上の調査を嫌がるが、姉に説得されて最後にもう一人だけ宮部久蔵を知る人物に会う。彼の口から、祖父が凄腕のパイロットであり、生きて帰ることに強く執着した人物であったことを知る。その執着は愛する妻松乃(井上真央)と生まれたばかりの娘清子のためだった。

そんな祖父がなぜ特攻に志願したのか。それほど生還することに執着していたのなら、志願しなければ良いのに。この最後の、且つ、最大の疑問が残った。その疑問を健太郎はある元戦友にぶつけ彼の証言から祖父の実像が徐々に明らかになっていき、やがて戦後60年に亘り封印されてきた驚きの事実に辿り着く。

映画を見た感想としては、原作にかなり忠実に描かれているなぁ、と感じたこと。そして、小説で涙した場面と同じ場面でやはり涙が滲んでしまったこと。特攻作戦などという末期症状の犬死作戦を考えた、或いは、許可した人物が軍部に必ずいた筈だが、それは一体誰だったのかという疑問が再び湧き上がったこと、などだった。

ところで、今夏上映された「風立ちぬ」の宮崎駿がこの「永遠の0」を猛烈に批判したということをネットで知っている。それは、映画雑誌「CUT」9月号掲載のインタビューで、宮崎監督は3万字にわたって「風立ちぬ」について語っている中に次のような一節が載っているのだ。

「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記をもとにして、零戦の物語を作ろうとしているんです。神話の捏造をまだ続けようとしている。『零戦で誇りを持とう』とかね。それには僕は頭にきてたんです。子どものころからずーっと!」
「相変わらずバカがいっぱい出てきて、零戦がどうのこうのって幻影を撒き散らしたりね。戦艦大和もそうです。負けた戦争なのに」

宮崎駿以外にも、「右翼エンタメ」と論評した朝日新聞を始め、「永遠の0」を「戦争賛美」だと批判する声が存在するが、僕が映画を見た限り、戦争賛歌の映画には思えなかった。時代の空気に対して態度でノーを示し、特攻で部下を犬死させてしまうことに憤怒を爆発させる主人公に、戦争肯定の意思は全く伺えなかった。宮崎駿は、もしかしたら、タイトルの「永遠」からゼロ戦賛歌(ゼロ戦よ永遠なれのような)物語をイメージして批判したのかなとも思うが穿ち過ぎか。

尤も宮崎駿の「風立ちぬ」も、封切り当時韓国辺りから戦争賛美のアニメと批判されたのだから、内容の如何よりも日本が先の戦争をテーマに映画にすること、それ自体が「右翼エンタメ」と見做されてしまうということかも知れない。

☆           ネットより拝借

☆                 ネットより拝借

12月 30, 2013   No Comments

10周年記念ライブ 続報

  既にお伝えしました、「のどごし生バンド」の10周年記念ライブですが、2月15日(土)でご案内致しましたが、嬉しいことに、10年に1度のことなら行ってやろうという方が多く、1回では席が足りない状況が想定されますので、急遽、1月25日(土)も記念ライブとすることに致しました。

  1月25日の方にも、どうかお越し下さいますようお願い申上げます。

2014.01.25    10周年ライブ チラシ

2014.02.15    10周年ライブ チラシ

 

12月 27, 2013   No Comments

年末の贈り物

世の中明るい話しが少ないですが、笑い飛ばしましょう、年末くらい。

 

【お題1 君の笑顔】                                       

「君が笑うと周囲がパッと明るくなるよ。正に105万ドルの笑顔だ」
「何ですか、その端数の5万ドルは?」
「消費税!」

          (4月からは108万ドル さんより)

 

【お題2 晩年の結婚】 

小金持ちの70歳 「先月結婚したんだ」
友人           「30歳だという例の彼女か?」
小金持ちの70歳 「うん」
友人           「どうやって口説いたんだ?」
小金持ちの70歳 「別段なにも」
友人           「年齢、かなりサバ読んだんじゃないのか?」
小金持ちの70歳 「うん、来年米寿になると言った」

          (加藤茶はどう口説いたんだろ さんより)

 

【お題3 美人スパイ】 

「FBIが美人のスパイを捕まえたんだってねぇ」
「FBIは、彼女に全部ゲロさせられるかな?」
「いや、無理だろうな。美人ハクメエって言うから」

          (駄洒落オヤジ さんより)

 

【お題4 採用面接】 

 とある会社の中途採用面接。

面接官 「当社は『責任の重い仕事』に適う人材を求めています。貴方は自信
      ありますか?」
受験者 「それなら私が一番相応しいと思います。何故なら、前職でも仕事上
      トラブるといつも『お前の責任』と言われましたから」

           (責任=無責任 さんより)

 

【お題5 子沢山】 

7人の子宝に恵まれた夫婦。
だが妻は重篤の病。余命幾ばくもない妻に夫が聞く。

夫 「最後に本当のことを教えておくれ。他の子は器量も頭も良いのに、3番目
   の子だけはどちらも良くない。あれは本当にオレの子か?」
妻 「最期に本当のことを言います。 あの子だけが貴方の子です」

          (疑問と納得 さんより)

 

  皆様良いお年を。来年も「プレミアムエイジ」を宜しくお願い致します。

 

12月 26, 2013   No Comments

久し振りのコーラス隊

無題 

  コーラス隊「TSUBASA」のコンサートを聴くのは3月以来だった。多摩郊外の市営図書館のサロンで行なわれたクリスマス・コンサート。この場所で「TSUBASA」は過去何回かコンサートを行なっている。

  クリスマス・ソングを中心に、ディズニー音楽や、日米の冬の代表曲など10曲ほど歌ってくれた。若かった頃と違って、クリスマスだからと言っても何の感慨も特別な行事もなく、ただ過ぎて行くだけのものになってしまっているが、こうして、我が愛しのコーラス隊のクリスマス・コンサートを聞いていると自然と心が弾む。

  嘗て、日比谷野音や国際フォーラムやNHKホールで、クーペ&Shifoのバックで共にステージに立ち、従って我々おじさんバンドもとても仲良かったコーラス隊。その彼らがクーペ&Shifoから独立して独自の活動に入ってかれこれ5~6年経つ。因みに「のどごし生バンド」の38階佐藤さんは「TSUBASA」の男声の部の責任者でもある。

  その頃のメンバーで今も活躍している人は少なくなったようだが、人が入れ替わりつつ更に進化を遂げていた。歌っている皆さんの顔付きが、兎に角、良いのだ。クリスマス・ソングやディズニーの曲では、皆さんとても良い笑顔。

  慣れないうちは、大勢の客席の前で笑顔を作ろうとしても、ぎこちなくなったりするものだが、コンサートの回数を重ねて、メンバー一人ひとりが自信と歌う喜びに満ちているからだろうな。笑顔と共に気持ちが前に出ているから、明るい曲が更に楽しくなる。静かな曲はよりしっとりと聞こえる。聞く方が楽しいのだから、歌っている方はもっと楽しいのだろうなと感じる。

  8ビートの曲になると、皆が身体を動かし踊りながら歌う。前列中ほどにいるマミちゃん(当時からのメンバーの一人)は、アフター・ビートの実に乗りの良いダンスを披露してくれたが、前列左端のノグさん(男性)の踊りはなんか変。でもこれが微笑ましくて良いのだ。

  ノグさんの名誉のために。この日彼はMCを務めた。僕が彼のMCを聞いたのはこれが初めてだが、なかなか落ち着いた話し方で良かった。くどくなく縮め過ぎない説明も、また、話す声の質もMC向きだと感じた。

  僕の勝手な希望だが、「TSUBASA」には、アップテンポの4ビート・ジャズナンバーにも是非挑戦して欲しいなと思う。彼女達のスキャットで「Take the A train」とか「シング・シング・シング」とかね。或いは、「ルパンⅢ世」でもいい。彼女達の曲を聴いていたら、その力は充分あると思った。

  この日、会場に亜希さんが来ていた。彼女は「のどごし生バンド」の女性シンガーであると同時に、「TSUBASA」のメンバーでもあるから、てっきり今日出演するのかと思っていた。だが、彼女は入院以来一度も練習に参加出来ていないので、今日は応援に来たのだと言う。「のどごし生バンド」からは他にアンディーも来ていた。

  普通だと、この「TSUBASA」のコンサート後は、近くの居酒屋で打上げとなり、僕等「のどごし生バンド」のメンバーもそこに加えて貰ってる。だが、まだ病気から回復途上にある亜希さんはコンサート終了後は、帰るとのことなので、佐藤さんとアンディーに断って打上げ会には出ず、僕が彼女を最寄駅まで送ることにした。

  何せ、10ヶ月振りにライブに復帰してくれた、僕等にとってとても大事なボーカリストの亜希さんだから、「のどごし生バンド」の責任者としては、それはそれは大切に扱わないといけないからね。

12月 24, 2013   2 Comments

猪瀬直樹 都知事を辞任

    テレビ朝日ニュースより

    テレビ朝日ニュースより

  猪瀬が遂に都知事辞任に追い込まれた。

  昨年の12月18日は、434万票という史上最高得票で当選を果たした猪瀬が、意気揚々と都知事として初登庁した日だ。その同じ日に辞任を決意せざるを得なかったという何という皮肉。高校同期の仲間達と猪瀬知事誕生を喜び、酒席も大いに盛り上がったものだ。その時誰も1年後に辞任するとは思ってもいなかった。

  僕達は、都知事選に向けて、「猪瀬を応援する高校同期有志の会」を立ち上げ、僕は副幹事長としていろいろ対応(新聞社などから取材されたり)したのだが、ここに来てしつこく、猪瀬についてどう思うか、5,000万のことはどう感じているか聞きたいと、同じ記者から取材申し込み攻勢を受けて、些か迷惑していた。

  また、僕は昔の親友が都知事になったことが嬉しくて、ついつい周囲に「都知事とは友人なんだ」と言ってしまうことも一度や二度ではなかった。今、そのツケが回って来た。12月に入って、「猪瀬さん、大丈夫ですか?」「猪瀬さん、危ないですよね?」「折角オリンピック取って来たのにねぇ」「猪瀬さんは辞任考えてるんですか?」等々、何人からも質問攻めに遭った。

  そういう意味で、「猪瀬、やってくれたよな」と少し恨みがましい気持ちは正直あった。だが、彼を追及する無名の都議は、テレビに映り名を挙げるチャンスとばかりに、正義の騎士が巨悪を成敗するかの如く演じるが、5,000万円は政治資金か否かの本質を突く追求でなく、発言が二転三転したことを攻めているだけで、本陣に攻め込めず末節をあげつらう田舎芝居のようにも感じた。

  猪瀬が糾弾する側だったらもっと厳しく理詰めでやるよ、猪瀬を見習え! なんてブラック・ジョークが脳裏に浮かんだものだ。

  しかし、あれだけ強気の猪瀬が、冷や汗だくだくの姿を公に晒す図は、友人として見るに忍びなかった。僕を含め高校同期の仲間が、秘かに抱いていた心配は、道路公団民営化の時以来、攻めることでは当代随一の論客だったが、守りは全く経験のないまま都知事になってしまったことだ。

  個人的には、ドン詰まりに追い込まれるよりもっと前に、「都知事になると、作家としての活動が出来なくなるので、自分の事務所維持費やスタッフ雇用の費用が些か心配だった。そのために安易に大金を借りてしまったのは不徳の致すところ。深く反省している。全額返したことで皆様のお許しが頂けないのなら、身の処し方を考えます」と大見得を切って欲しかった。

  それにしても、この1年は猪瀬にとって天国と地獄の繰り返しではなかったか。自ら言うように「人生設計になかった」都知事に登り詰めたかと思ったら、4月にはオリンピック招致に関してトルコ批判の失言問題で、招致活動に暗雲。5月には奥様が急性脳腫瘍を発症し7月に遂に帰らぬ人となってしまった。

  それでも奥様の弔い合戦の心で臨んで、東京有利で推移したオリンピック招致運動が、最後の最後で原発汚染水漏れで東京は最早無理と各国で報道されピンチに。しかし、蓋を開けてみたら、開催地は「Tokyo」だった。彼自身も、また、日本中も沸き上がった。

  そして11月、5,000万円借用問題が突如浮上して遂に辞任。これだけの天国と地獄の入れ替わりの激しい1年を経験した都知事は過去に誰一人ない。これだけでも作家猪瀬には何冊も本が書ける体験だろうと思う。

  猪瀬は、副知事以来東京のために誰も考えなかった東京の地下鉄一元化や、都の水道インフラ事業の外国への進出・販売など様々な企画を手掛け、遂には東京にオリンピックを持って来た。

  都知事辞任で一件落着となるのだろうけど、5,000万円受領問題は、東京都民に損失や不利益を与えた事件ではない。それどころか、東京に幾つもの利益をもたらした知事だった。「都知事を辞めさせるほどの事件か」という疑問が僕にはどうしても拭えない。

 昨年の都知事選勝利インタビュー

       昨年の都知事選勝利インタビュー

 

12月 19, 2013   No Comments

10周年記念

       のどごし生バンド       Photo   by   Hara

          のどごし生バンド           Photo by Hara

  僕等のバンド「のどごし生バンド」は年明け2月に、結成から丁度満10年を迎える。それまで全く触れ合うこともなかった夫々の50余年の人生。それが10年前のある日ある場所で突然交差した。ある場所とは東京郊外のとあるライブ・バーである。そこに偶然居合わせた校長先生・税理士・会社社長・役員・商工会局長達。

  その店のマスターに促されて、音楽を愛するこの7人の中年男達がバンドを組んだ。1~2回練習を兼ねて店で演奏させて貰っただけで、2004年2月に伊豆のホテルで宿泊客を前に演奏したのだから驚きだね。と言うより、図々しかったねぇ。

  外は横殴りの吹雪という伊豆では珍しい大荒れの夜、僕等は、「クーペ&Shifo」というプロのユニットのバック・バンドとしてデビューを果たしたのだった。僕等の奇跡の物語は、思えば伊豆の嵐のこの夜のライブから全ては始ったと言って良い。

  クーペとはそのライブ・バーのマスターの名前で、Shifoは店の女性ピアニスト兼シンガー・ソング・ライターだ。彼等2人のプロにリードされながら、僕等ド素人の中年バンドが度々一緒にステージに上がるようになって行った。

  同じ年の5月には日比谷野音、その年の秋には有楽町のよみうりホールに出演。翌年は東京国際フォーラム、埼玉芸術劇場で演奏している。この頃バンド名は「Oh!爺さんズ」を名乗っていた。

  以降、2回目の東京国際フォーラム、NHKホール、オペラ・シティーなどのステージに立った。ド素人のバンドがこれほどのビッグ・ネームのホールで演奏することって、普通有り得ないでしょ? だから奇跡のオッサン・バンドと言われている。

                    コーラス隊と共にNHKホールに出演

          コーラス隊と共にNHKホールに出演

  東京以外でも、演奏旅行の気分で福岡の西鉄ホール、イムズホール、或いはブルーノート福岡、名古屋のホテル・アソシア、長野のメルパルク、沖縄のレストランなどで演奏させて貰った。いつしかバンド名は、「年取った白雪姫(Shifo)と7人のジジイ達」に変わって行ったが・・・

                   年取った白雪姫と7人のジジイ達

          年取った白雪姫と7人のジジイ達

  3年前、僕等は、「クーペ&Shifo」から自立独立した。その時バンド名を決めようと話していたテーブルに沢山のビールや発泡酒があった。名前は直ぐに決まった。「のどごし生バンド」、これが現在の名前だ。

  今は、マエマエと亜希さんという2人の女性ボーカルに加わって貰って、独自の活動に入っている。特に、メンバーの一人である校長先生だった大木さんが、退職後ライブ・バー「グレコ」を始めてからは、隔月でライブを定例開催し今日に至っている。

  僕等のバンドの目標は、有名になることや、昔のように大舞台で演奏することではない。演奏する側も聴く側も心から楽しいと思える時間と空間を作り出すことだ。プロのように観客を感動させることは出来なくても、アマチュアでも観客に心から楽しいと思わせることは努力次第で出来る筈と信じている。

  耳の肥えた音楽ファンの多い京浜地区(グレコは新子安にある)で、僕等のライブのリピーターがいてくれるのはとても大きな励みとなっている。誠に有り難い。

  71歳のポール・マッカートニー。先月東京ドームのコンサートに行った。彼の休憩なし2時間45分のバイタリティー溢れる若々しいステージを見て思った。僕等もまだまだ当分、今のハチ切れるようなステージを遠慮なくやっていいんだと。

  1月25日(土)と2月15日(土)の2日間、ここまで支えて下さった皆さんへの感謝の気持ちと、僕達の10年間の思いとを込めて、これまでにない最高にハチ切れた記念ライブを行なうつもりです。皆様のお越しをお待ちしています。

   10周年記念ライブのご案内

             10周年記念ライブのご案内

12月 17, 2013   No Comments

16度目の正直

   涙の兄を祝福する宮里藍    写真はネットから拝借

  涙の兄を祝福する宮里藍  写真は全てネットから拝借

  最終日最終組が今回で16回目。だがこれまで一度も優勝がない。2位フィニッシュが6回。そんな男が遂に遂に16回目の正直を叶えた。プロゴルファー、宮里優作33歳だ。実にプロ入り11年目の初優勝だった。男子プロゴルフ・日本シリーズJTカップを制覇したのだ。

  今週、損保業界のOB達(システム部門が多い)の定例ゴルフ・コンペがあるので、僕は2ヶ月振りにゴルフクラブに触れるためにゴルフ練習場に足を運び、1時間半の打ち放しを終えてロビーに戻った。そこで偶然テレビ中継を見たのだ。正に宮里が3打差のトップで最終18番ホールの打席に立ったところだった。

  観客もテレビの前のファンも、彼の初優勝を確信してその瞬間を待っていただけだった。打った。しかし、彼のショットは力が入ったのか、グリーン左奥に外してしまった。

  ここ、よみうりカントリークラブの18番は、僕も嘗て2度ほど経験しているが、距離が200ヤード近くある上に、グリーンが手前に物凄く傾斜しているので奥に付けると頗る速い。僕等素人がマグレで近くに乗ったとしても、3パット・4パットが珍しくない厄介なホールなのだ。パーを取るのが至難の18番。

  その速さはプロのトーナメントともなると想像を絶することだろう。3打差あっても、その場所から宮里が優勝を決めるのはそう簡単なことではないと、僕は固唾を呑んでテレビを見詰めていた。

  彼が打った瞬間、「あー!」という観衆のどよめき。宮里がミスショットしてトップしたようだ。ボールはカップより上(奥)2~3mを通過して、それでもグリーン止まるかと思われたが、無情にも反対側の斜面を勢い付けて駆け下りてしまった。

  少しでも強い当りだと、このグリーンは外にこぼれる様に出来ている。テレビの中の観客がざわめいている。次の1打を上手く寄せられず、グリーン上で3パットでもしようものなら(18番はプロでも3パットの多いグリーンなのだ)、たちまち同点プレーオフとなるのを心配してのざわつきだ。

  3打目。軽く打った。今度は柔らかくフワッと上がった。おぉ、これは良いショットだと直ぐ分かった。少なくても20cm以内には寄りそうだ。見ていると、そのボールは着地した後ゆっくり転がって、そのままカップに消えた。優勝だ。何というドラマチックな最後だろう。

           優勝を決めたチップイン

           優勝を決めたチップイン

 

            優勝のガッツポーズ

            優勝のガッツポーズ

  画面に宮里優作が映る。雄叫びのようなガッツポーズ。その直後、腰から崩れるように四つん這いになり、そのまま頭を下げ顔を隠すように号泣している。印象としては数分間も同じ姿勢のままだったように感じたが、他のプレーヤーのパッティングが残っているので、精々何十秒かだったのだろが、彼の心中が分かるので、見ている僕も目頭が熱くなった。

              暫く立ち上がれない優作

           暫く立ち上がれない優作

  グリーンの外では、妹の藍が喜びの涙で兄を見詰めている。その隣ではお父さんも泣いている。それは普通の選手の11年目の初優勝とは訳が違うからだ。宮里優作は、学生の当時、アマチュアや学生チャンピオンのタイトルを総なめにし、プロのオープン大会でも準優勝を3回も記録する大物選手だったからだ。

  今をときめく松山英樹や石川遼よりも当時大物新人と大きな期待をされてプロになった人物なのだ。誰もが優勝は時間の問題と思っていたのに11年も掛かったのだから、プロで1勝するということはこんなにも過酷なことなのかと思わせた。本人のここまでの辛さと家族の悲願達成への思いは、あの溢れる涙が物語っている。

  同じ東北福祉大の後輩、池田勇太や松山英樹が宮里優作をドンドン追い抜いて今や日本を代表するゴルファーになって行っても、腐らずに大半の時間を練習に費やす努力が実を結んだ瞬間だった。

  彼はインタビューで、「これから2勝、3勝と積み重ね、本当に強いゴルファーになりたい」と言い切った。日本シリーズ王者となったのだから、宮里優作には是非とも更なる高みを目指して欲しいと願う。

5

12月 10, 2013   No Comments

スペイン (8) ― 完 ―

           バレンシアからバルセロナへ 500km   

           バレンシアからバルセロナへ 500km   

  スペイン6日目。バレンシアから500kmの最後の訪問地バルセロナに、午後2時ごろ到着した。平均的スペイン人の昼食時間は、午後2か3時くらいに始まるらしい。僕等もそれに合わせて、ここまで大体午後2時からの昼食が多かった。バルセロナも例外ではなかった。

  バルセロナの昼食は初めて僕の口に合った。地元の日本人ガイド達が「スペイン焼きそば」と呼ぶパスタの料理だ。5cmほどに短くカットされたパスタに魚介類や野菜が一緒に、ソース状のもので炒められたものだった。スペインのB級グルメと言ったところか。

    サグラダ・ファミリア(設計ガウディー)      Photo by Shindou

 サグラダ・ファミリア(設計ガウディー) Photo by Shindou

  昼食後、早速、今次旅行の目玉である、サグラダ・ファミリア(聖家族教会、ガウディー設計)を見学した。テレビで何度もお目に掛かっているが、こうして、直接見るとやはり特別な感慨が込み上げる。実物は「思ったより大きい」が、最初の印象だった。

  1882年の着工から130年経っても、未だに建築中の建物だ。数年前までは、あと100年は掛かるだろうと言われていたが、最近、13年後に完成すると正式に発表された。最終的に、建物のど真ん中に、今より70mも高いキリストの搭が聳え建つという。完成に向けて工事は急ピッチで進んでいるようだった。屋上のクレーンが盛んに動いていた。

      完成予想図  現在より70m高いキリストの搭が見える

  完成予想図  現在より70m高いキリストの搭が見える

  中に入ると、この教会が、他と全く違うことを感じる。スペインに限らずヨーロッパの大聖堂は、ゴシック建築の荘厳で中は薄暗い建物が多い中、ここサグラダ・ファミリアの内部は明るく近代的な空間であった。ガウディーのイマジネーションのまま、林立する木々を思わせる沢山の背の高い柱が天井に向かって伸びていた。

  サグラダ・ファミリアの内部  Photo by Shindou

  サグラダ・ファミリアの内部  Photo by Shindou

  完成までの年数が半端でないのは、資金のこともあるだろうが、教会建築に革命をもたらす建物だからそんな簡単に出来上がる物じゃない、ということではないかと僕は思った。

  そして、7日目の朝を迎えた。スペインの最終日だ。この日は午前中にバルセロナからバスで40~50分の所にある、「モンセラート」(Mont Serrat)という1,000m級の奇岩山に行った後、午後、バルセロナ空港に向かうことになっている。

      元闘牛場で現在はモール バルセロナでは闘牛は禁止

  元闘牛場で現在はショッピング・モール バルセロナでは闘牛は禁止

  旅行日程もここまで来ると疲れもピークになり、そんな山行かなくていいから早く空港に行って、中で寛ぎたいとか思うようになる。しかし、団体旅行じゃそんな我が儘も通じないから、黙って付いて行くしかない。

  朝のバスに揺られてウトウトしていたところに、「見えて来ましたねぇ。正面に見える妙義山のような山々、あれが、モンセラートです」と添乗員が言うので、瞼を開けて運転席の方を見た。

        のこぎり山、モンセラート      Photo   by   Shindou

        のこぎり山、モンセラート      Photo by Shindou

  おぉ、これは凄い。一瞬で目が覚めた。ガイドの説明では、日本人が一度は行ってみたいと思う富士山と同じように、スペイン人が一度は行ってみたいと思うのが、このモンセラートだそうだ。確かにそれだけの存在感があるし、大きい山なのに殆んど全てが岩肌剥き出しの山だから恐れ入る。モンセラートとは「のこぎり山」という意味だとのこと。

    この山のどこを見ても、奇岩、奇岩、奇岩・・・  Photo   by   Shindou

 この山のどこを見ても、奇岩、奇岩、奇岩・・・  Photo by Shindou

   標高1235mの山の中腹に建つベネディクト会の修道院がある。そこまでは、バスで上がることが出来る。この修道院付属の大聖堂に「黒いマリア像」が置かれている。この「黒いマリア像」は、その昔、山の洞窟で羊飼いたちが発見し麓まで降ろそうとしたところ動かなかったので、その場に聖堂を建てた、或いは、8世紀のイスラム教徒の侵略の時は、偶像破壊から守るために秘かに隠されていた、との言い伝えが残っている。

 黒いマリア像  by Shindou

 黒いマリア像  by Shindou

  写真のように建物の直ぐ後ろに岩山が迫る図は、何とも異様な迫力を感じてしまう。この山の観光を最終日ではなく、初日に持って来たら、驚きを含めてスペインの印象はもっともっと鮮烈になっていたのになぁと思った。

      建物の直ぐ後ろに迫る岩山       Photo   by   Shindou

      建物の直ぐ後ろに迫る岩山       Photo by Shindou

      モンセラート 「山上の十字架」    Photo   by   Shindou

      モンセラート 「山上の十字架」    Photo by Shindou

   この自然を超越したような、奇妙な岩山の写真を沢山撮って最後のスペイン観光が終了した。ツアー一向は帰国のために一路空港に向かった。 

  かなり快適なカタール航空  帰国の途に    Photo   by   Shindou

  かなり快適なカタール航空  帰国の途に    Photo by Shindou

   トランジットのため降りたドーハ空港内      Photo   by   Shindou

   トランジット ドーハ空港内のテレビ    Photo by Shindou

                                スペイン  - 完 -

12月 6, 2013   No Comments

スペイン (7)

               グラナダ から バレンシア へ  約400km

             グラナダ から バレンシア へ 約400km

  アルハンブラ宮殿(グラナダ市)を出発してからは、途中のドライブインに2度立ち寄るだけで、バスは一路この日の宿泊予定地バレンシアへ。約400kmの長距離ドライブとなる。

  この旅行中、僕達より少しだけ若いと思われる夫妻と何度か食事で同席することがあり、かなり親しくなった。名前はKさんご夫妻だ。ある時趣味の話になった。奥様はお茶の先生で、旦那様はバンド活動をしているとのこと。どんな音楽をやるのかとお聞きすると、ベンチャーズだと言う。そのリードギターを若い時からずっとやっておられるとのこと。

  そうなるとこちらも正直に言わないといけない。カミサンは週3~4回ジムで汗を流すのが趣味で、僕はバンドでドラムをやっていると告げた。そこからは旦那同士、どんなところでライブをやってるのか聞けば、僕等の音楽ジャンルを聞かれたりと、音楽の話題で大いに盛り上がった。

  バンド名は「緑ベンチャーズ」。横浜市緑区の人達でやっているベンチャーズ・バンドだからだそうだ。緑区と聞いて、新子安と近いと直ぐに思った。「実は、我々のバンドが定期ライブを行なっている場所が横浜の新子安なんですよ。一緒にライブやれたらいいですねぇ」と僕。「いやー、僕等下手ですから」とKさんは謙遜する。

             緑ベンチャーズ              Youtube より

             緑ベンチャーズ        Youtube より

  バレンシアに向かうバスの中では、Kさんご夫妻は僕等の直ぐ前の座席だった。とっ、Kさんが「これ、先日老人ホームで演奏した時の録音なんですが、聞いて貰えますか?」と言って後の座席の僕にi-Pod を渡してくれた。早速聴いてみた。

  なかなか上手い。KさんがMCもやっている。リードギターもやるからきっと「緑ベンチャーズ」のバンマスなのだろう。二部制のライブだったようだが、第一部の演奏を聴き終わって機械を返しながら「素晴らしいです。いい音出してるし、アドリブもバッチリですね」と社交辞令でなく本当に思った通りに伝えた。「いや、お恥ずかしい次第です」との答えが返って来た。

      左が友達になったKさん 右はリズムが素晴らしいドラマー

   左が友達になったKさん 右はリズムが素晴らしいドラマー

  僕はどうしてもドラムに関心が行くのだが、ドラムも大したものだ。8ビートは勿論16分音符の連打も、3連も2泊3連も共に正確で心地良い。バンドとしてかなりハイクラスなことを確認すると、話を次に展開したくなった。

  「新子安の『グレコ』というライブハウスなのですが、一緒にライブやりませんか? 次は12月7日なんですが如何です?」と僕。「あぁ、その日は別のライブが入っているので残念ながら」というような会話になり、結局、4月か6月の僕等のライブにゲスト出演してくれることで纏まった。

  更に、Kさん夫妻は2月15日の「のどごし生バンド」の10周年記念ライブに来てくれることになった。不思議な縁がまた出来た。

          バレンシアのホテル       Photo   by   Shindou     

          バレンシアのホテル       Photo by Shindou     

  長距離のバス・ドライブを終えて、やっとのことでバレンシアのホテルに到着すると、ホテルの夕食は「パエリア」だった。ここまでツアーの食事はあてがい扶持なので美味しいと思ったことは一度もなかったが、やっと「パエリア」にありつけると思った。

  調理が終ったばかりの40人分のパエリア   Photo by   Shindou

  調理が終ったばかりの40人分のパエリア   Photo by Shindou

  しか~し、これがどうにも頂けない。魚介類も何だか貧弱な感じの物しか入っていないし、コメが外米(タイ米?)で、硬い芯がある。日本で食べたような旨い「パエリア」を期待した僕が悪かった。イカ墨をまぶした方も結局コメが同じで、炊き方がなっていないから超マズイ。

      バレンシアの市場  売り場にはバレンシア・オレンジが一杯 

      バレンシアの市場  売り場にはバレンシア・オレンジが一杯 

      市場で「ふじ」を発見   1個400円もするが良く売れるらしい

      市場で「ふじ」を発見   1個400円もするが良く売れるらしい

  バレンシアのマンホール(撮影した記憶なし)  Photo   by   Shindou    

 バレンシアのマンホール?(撮影した記憶なし)  Photo by Shindou    

12月 5, 2013   No Comments

高校同期バンドのライブ

     タペストリー ライブ     All Photo by Taka & friends    

     タペストリー ライブ     All Photo by Taka & friends    

  先週土曜日に、新宿のインド料理レストランで、高校同期のバンド「ザ・タペストリー」のライブを行なった。3年前に東京で行なわれた同期同窓会(4年に1回東京で開催、他の年は毎年長野で開催)で、偶然にもバンドでも組んでみようかという話になり、その後とんとん拍子で話が決まって、スタジオ練習が始まったのだった。

  当初立てた目標は、4年後の東京開催の会場で演奏しよう、というものであった。年齢的にも、何とかこの4年間音楽活動を続けて、第2の人生の良いスタートを切ろうという思いで一致したように思う。

  当初は6人でスタートし、最初のステージは結成から1年後の長野での同期同窓会の席上だった。幹事団に頼み込んで、50分間、演奏させて貰ったのがこのバンドのデビューだった。

   6人のうちの一人 バンジョー・ボーカル・MC担当 ヨッシー

 6人のうちの一人 バンジョー・ボーカル・MC担当 ヨッシー

  それからは年2回のライブを東京で定例開催して来た。徐々にメンバーも増え、今ではテンポラリー・メンバーを含めて13人の大所帯になっている。同期の中に音楽の輪が、これほど拡がるとは思っていなかったから、大変嬉しいことである。

           ベース・ウクレレ・ボーカル  AYA

           ベース・ウクレレ・ボーカル  AYA

      高校時代ブラスバンドの指揮者  フルート担当 シロー

      高校時代ブラスバンドの指揮者  フルート担当 シロー

        ギター・ボーカル  タペストリーのバンマス  TAKA

        ギター・ボーカル  タペストリーのバンマス  TAKA

  上手いか下手かと聞かれれば、下手の部類に入るのは間違いないが、毎回の練習後やライブ後のミニ同窓会が格別に楽しいのである。今回は通算5回目のライブである。因みに、これまでの開催地は長野・新宿・六本木・経堂の順で、今回は再び新宿となった。

  高校時代ブラバンのメイン・サックス  現コンマス マッキー

  高校時代ブラバンのメイン・サックス  現コンマス マッキー

  さて、今回は3部構成を採り、第1部を初期のメンバー中心の曲にして、これまでも演奏した自信作をぶつけることにした。第2部は、新入メンバーのトランペッター2人のデビューや、1曲に勝負を賭けて歌うメンバー達のお披露目のステージにした。第3部は、再び、当初メンバー中心に新曲の演奏や意欲的曲の演奏に当てた。

    今回デビューした2人のトランペッター  左松木、右ナッケン

    今回デビューした2人のトランペッター  左松木、右ナッケン

     TAKA の右はコーラスの2人   原ちゃん(左)とHIROKO

     TAKA の右はコーラスの2人  原ちゃん(左)とHIROKO

  当日は、高校時代の吹奏楽部の先輩達が来てくれていた。僕等のバンドに4人も吹奏楽出身者がいるので、先輩が応援に駆け付けてくれたのだ。僕はマンドリン・クラブなので、面識はなかったが、実は、彼らがタペストリーの演奏をどう評価してくれるか大変気になっていた。

   左タケちゃん(ハモニカ・荒城の月)、右トオルちゃん(さらば青春)

   左タケちゃん(ハモニカ・荒城の月)、右トオルちゃん(さらば青春)

  会場が満員だったので気分が乗ったこともあり、当初メンバーの演奏はこれまでのライブでは一番と言って良い出来だったし、僕自身は、「キャラバン」の3分間のフリーのドラムソロが気持ち良かった。

  アンコール曲も終わり、全ての演奏が終わった時、全日空のパイロットだったという吹奏楽部の先輩が、わざわざ僕の方に(ドラムの方に)向かって来た。「うわ、何だろう。厳しいこと言われるのかなぁ?」と思って少し身構えた。

   高校時代の吹奏楽部の先輩の方々  左が元パイロット

   高校時代の吹奏楽部の先輩の方々  左が元パイロット

  「正確なリズムと迫力・魅力的な歌声・豊かな表現力、全てが申し分なかった。良かった。ありがとう」と言ってくれたのだ。これまで僕のドラムを褒めてくれた人など皆無だったから、意表を突かれてまともに返答が出来なかった。「いっ、いえ、とんでもないです。煩いばかりで大変失礼しました」。

  とは言え、僕等も客席も、かなり盛り上がったことは確かだった。この日のライブには、同期よりもそれ以外の人達の方が多く来てくれたのだが、皆さん、楽しんで帰って頂けた様に思えたのが何よりだった。

             ライブ終了後の打上げ

             ライブ終了後の打上げ

12月 4, 2013   No Comments