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Posts from — 6月 2014

銀座タクト出演の巻 (4)

    のどごし生バンド @銀座タクト      Photo by Bella

.     のどごし生バンド @銀座タクト      Photo by Bella


.  第1部の最後はKeiさんの「星影のバラード」(ベン・セイヤー)で締めくくった。Keiさんにとっては、とても思い出深い曲だという。小柄なのにパワフルな歌声を披露した第1部の前半と異なり、情感のこもったしっとりした歌い方だ。当時の何事かの場面を胸に歌っているのだろう。

この曲のドラムの出来栄えは自分で言うのも憚れるが完璧だったと思う。そして第1部16曲が全て終了した。終わり良ければ全て良し、としておこう。

  さて、第2部はいよいよ、僕ら「のどごし生バンド」の出番だ。前々日に亜希さんから、「義母が緊急入院となってしまい、家を離れる訳に行かないので、残念ですが今回のライブは欠席させて下さい」との緊急連絡が入った。

  亜希さんとマエマエのデュオで、美しいハーモニーを聞かせる予定の曲が2曲ある。「テイクファイブ」と「恋のフーガ」であるが、それを他の曲と差し替えなければいけない。まず「テイクファイブ」は通常、亜希さん・マエマエ・アンディーの3人で歌っているので、マエマエとアンディー2人でも大丈夫か確認した。2人の答えは「OK」だった。

  「恋のフーガ」は仮に亜希さんの代役をアンディーが務められたとしても、あの「ザ・ピーナッツ」のイメージにはならないので、ここは、アンディーとマエマエの持ち歌である「真夜中のボサノバ」に差し替えることに決めて当日を迎えた。

  第1部と第2部の間も、また第2部と3部の間も休憩時間はない。32曲を2時間半で納めるにはそうなる。音の調整など簡単なチェックだけで演奏を開始した。

  「テイクファイブ」はこの半年間、ライブの度(5回)にいつもラスト・ナンバーとして演奏して来た曲だ。でも今回は初めて1曲目に持って来た。それは、第1部のアメリカン・ポップスの世界をガラリと変える意図だった。

  僕の5拍子のドラム(タンタカタン・ツッチャ)から入る。そして、マエマエとアンディーのデュオのコーラスが続く。いつもの調子だ。なかなかいい。ただ、やはりいつもと違うのは亜希さん不在で、三重唱が二重唱のためハーモニーが薄く感じるのは致し方ない。

  続いて、浜ちゃんの緊張気味のサックス・ソロ、大木先生の柔らかい感じのピアノ・アドリブと同時のフッ君の激しいコンガ・アドリブ。コンガが店にないため、フッ君はわざわざ新子安「グレコ」まで車で取りに行って銀座タクトに持ち込んだのだった。それだけの意気込みを表すように、激しいコンガ・アドリブは、とてもいい音がしていた。

  そして、僕のドラムソロの番だ。1月からのライブで毎回「テイクファイブ」のドラムソロをやって来ているから、慣れていると言えば慣れているのだが、今回、もう少し挑戦してみようと思っていた。

  4拍目5泊目を2拍3連のドラムソロを新たに加えることと、5拍全てを連打(16分音符)シンバル入り(1拍目+4拍目)のドラムで締めるつもりでソロをスタートした。「テイクファイブ」のドラムソロは他の曲と違って、ピアノとベースがずっとリズムを刻む珍しいスタイルだ。

  それは、4拍子は体が覚えているから無意識でドラムソロ可能だが、やはり5拍子となると、無意識という訳に行かないからだろうと思う。その時、他の楽器が伴奏してくれていれば小節の単位が分かるのでドラマーとしては非常に助かる。

  ドラムソロ前半はいつもの通りに進行させて、いよいよ3連を試そうと思った。その瞬間、大木先生がピアノを止めてしまった。僕は3連で全体リズムを壊す危険を感じ通常のソロで続行した。が、それでも、ピアノ伴奏がないと不安なのは変わらないので、ドラムソロをやりながら「ピアノ!」と声を出してしまった。

  そしたら大木先生がピアノ伴奏を再開してくれたので、3連と最後の連打を何とかこなしてドラムソロを終了、再びアンディーとマエマエのコーラスに戻ってエンディングも決まり1曲目を終えた。

  後で大木さんに聞いたら、「晴れ舞台だから、神童さんには思い切り自由にドラムソロをやって貰おうと思って、邪魔しないように」ピアノの音を止めたのだそうだ。でも自由どころか、ピアノに頼らないと5拍子のソロが出来ない僕は、やっぱり大木先生のピアノがないとダメなんだなぁー(笑)。

6月 27, 2014   No Comments

銀座タクト出演の巻 (3)

      ゲスト シンガー の部       Photo by Yamane

.           ゲスト シンガー の部       Photo by Yamane

.   その後、Keiさんのお弟子さんやゲストが次々に1~2曲歌を披露した。勿論、そのバックも僕ら「シャープ・ファイブ」が務めた。まずお弟子さん2人が2曲ずつ歌った。

  60代の男性と70代の女性だ。2人ともこういうライブのステージで歌うのは初めてのようだった。僕には、こういう熟年の方々が歌の勉強をしてライブにチャレンジするというのはとても良いことと思ったが、後に聞えて来た観客の反応は全く逆だった。

  それはそうなんだろうな。飲み放題付きとは言え1人5千円の入場料を払って来ているライブなのだから、素人の歌を聞かせるなよ、という気持ちは分る。Keiさんにすればお弟子さんも夫々10人の観客動員をしてくれているし、その殆どはお友達なので、ステージで歌わせてあげようという親心だったと思う。でも、この辺りはしっかり考える必要があるようだ。

  その次に、3名のゲスト・シンガーが歌った。最初はA。2曲を歌った。声量といい、声のかすれ具合といい、音程といい悪くないのだけれど、このオジサン、実は超問題人物なのだ。

  事前のスタジオ練習で、バックのピアノ演奏が気に入らない、と言って出演キャンセルすると怒鳴って出て行ってしまったのだ。それも、楽譜通りでなく、彼が聴いて練習しているCDと全く同じにやれの、歌い出しの合図の音を出せの、キーボードの小田切さんにいろいろイチャモン付けた挙句にだ。

  彼が出演しなくなって良かったと思っていたら、30分後に戻って来て、「俺は外車の販売をやってて毎日4~5千万円動かしている人間だよ(だから何?)。昔は店で歌って金取ってたんだ(だから何?)。俺が出ないとKeiさんが困ると思って戻って来たけど(困らない!)、ピアノもっと練習しとけよ! プロだろうが!」と賜って、また出て行ってしまったのだった。

  ライブ当日は彼が来ないことを願っていたが、本音は歌いたいと思っているから銀座タクトには来ちゃうんだよね。小田切さんはさすがプロのキーボード奏者だ。何事もなかったように淡々と、しかしメリハリの良く利いた伴奏をして2曲をやり過ごした。ステージ上では、何があっても最高の演奏を心掛ける。プロ達は、幾つも嫌な場面を乗り越えて来ているのだろうなと、何となく思った。

  プロでない僕の方は、最終リハで、あんな態度を取った男のために、一生懸命演奏してあげようなんて気は更々なく、気持ちの全く入らない適当なドラミングで終えた。当たり前だ!

  続いてはYさんの「ロコモーション」。5人のゲストの部では最も若い30歳前後の女性で、実は僕の今の会社の同僚で、向かい合わせの席に座っているY氏のお嬢様なのだ。昨年、彼女がジャズ・ナンバーのCDを出した時、お父様からそれを購入した縁がある。

  音大声楽科出身だけあって、発声も音程もリズム感も申し分ない。今日はジャズでなくポップスの日ということで「ロコモーション」だったが、前の3人に比べれば別の次元だ。そして何より若くて美しいからステージ映えがする。お父さんも来ているが、その友達も結構来ているので、Yさんには一段と大きな声援が送られた。

  ゲストの部の締めは、Kさん。英語の女性教師だ。この人の声の張りとリズム感は抜群なのだ。曲はスティビー・ワンダーの「イズント・シー・ラブリー」。英語の先生だけあって発音はネイティブだし、裏ノリのリズム感は正に女スティービーだ。 

  この曲、実は僕が課題を抱えた曲だった。夫々のコーラスの終わりに、ドラムもギターもベースもシンクロして3連4拍を刻むところがあるのだが、最初の音だけ休符になるのが厄介で、旨く行くことが少なかった。

  そこで、ライブの前日にスタジオで個人練習をやって本番に臨んだのだが残念ながら6ヶ所中3勝3敗という結果だった。スタジオでは100%出来るのに、本番で出来るようになる迄には、見えない壁があるということか。まっ、3敗の方も何とか最後の3連を合わせて、全体のリズムを壊さないようにはしたが・・・。Kさん、ゴメンナサイ。 

6月 27, 2014   No Comments

銀座タクト出演の巻 (2)

       Kei さんのステージ      Photo by Yamane

.        Kei さんのステージ      Photo by Yamane

.  この日、辛かったのは、4時半がバンド・メンバーの会場入り時刻だったが、5時開場、5時半開演なので、リハーサルの時間が取れなかったことだ。それでも、Keiさんの歌2曲は音響テストを兼ねてリハが出来たが、「のどごし生バンド」は全く練習する時間がなかった。

  昼間のイベントが入っていたのと、リハ1時間で3万円という金額がネックで已む無くリハ無しでライブを行うことになった訳である。初めての会場で、且つ、素人の「のどごし生バンド」には物凄く敷居が高い会場だから、その点は非常に不安であった。

  5時、観客がどんどん会場に入って来た。最初受付近くで僕のお客様を迎えたが、すぐ出番ということで、控室に戻り、ユニホームに着替えて5時半を待った。ユニホームはKeiさんが、バックバンドのために用意してくれた黄色のポロシャツだ。派手な分舞台ではスポット・ライトに映えるだろう。

  時間が来た。ステージに上がって客席を見ると、スポット・ライトだけなので前の方は見えるが後ろの方は暗い。それでも、最後列までぎっしり、立錐の余地もないのが分かる。80~90人が限界という場所に120人も入ったのだからそうなるのは当然だ。僕は会場の皆さんに本当に申し訳ないと思った。せめて僕が一生懸命演奏しなければと改めて思った。

  まずは、バンドだけの演奏でベンチャーズ2曲。バンドの構成はリード・ギター保山さん、キーボード小田切さん、ベース竹原さん、それにドラムの僕の4人だ。「ブルドッグ」と「朝日の当たる家」を演奏した。最初だけに緊張したが、さすがはプロ3人。息はピッタリだ。僕はただ合わせれば良いだけなので、妙なプレッシャーはすっかり消えた。

  でも気を抜いた瞬間、その次の曲で客席には分からないミスを犯した。Keiさんの登場だ。僕はKeiさんが何か話すのだろうと勝手に思ってしまった。ギターが曲のキー音を出したたら、すかさずカウントを入れて、Keiさんが「バケーション」を歌う手筈だった。

  僕がカウントを入れないので、保山さんがもう一度音を出した。今度はちゃんとカウントいれることが出来た。その間少し妙な空白の時間が5~6秒出来てしまったが、許容範囲内だったと思おう(冷や汗)。

  終わって、Keiさんが挨拶し、次は僕がカウントを出す曲が3曲続くのだ(カラーに口紅、素敵な16歳、オー・キャロル)。僕の課題の一つは、正しいカウントを出すために、次の曲のメロディーが咄嗟に頭に浮ぶかどうかなのだ。曲と曲との間にMCが入れば、その間に思い出してカウントの準備が出来るのだが、前の曲が終わった瞬間に次の曲のカウントを出さないといけないのだ。

  ただ救いは3曲ともアップ・テンポの曲だから、最悪は同じテンポのカウントでも許容範囲内(3曲目はスピードが少し遅くなるが)ということだった。そして案の定、3曲目はメロディーが浮かばなかったので同じテンポやらせて貰った。まあ、何とかセーフだった。

  その後は、スロー・バラードのブレンダ・リー風の「ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド」。この辺りで僕もやっと落ち着きを取り戻したような気がする。

 

6月 26, 2014   3 Comments

銀座タクト出演の巻 (1)

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  銀座タクトと言えば、ライブハウスの草分け、老舗中の老舗だ。戦後間もなく名曲喫茶としてスタートし、昭和33年には早くもコーヒー一杯で生演奏が聴ける店と進化して、現在の銀座タクトの原型となった、とウェブサイトに書いてある。

  過去の出演者のリストを見ると、昭和40年代中頃までは、淡谷のり子、南里文雄、平岡精二、小野満、アントニオ古賀、バッキー白片、大橋節夫、山口銀次、ジミー時田など、歌謡曲中心の日本の音楽界に、ブルース・ジャズ・ハワイアン・カントリーなどの洋楽を広めた正に、大御所と言われる人達が連日出演していた店だ。

  そして、40年代後半から50年代に掛けては、J-フォークやニューミュージックと言われる人達が銀座タクトのステージに数多く登場する。パープルシャドウズ、フォーセインツ、ザ・サベージ、ダカーポ、ブレッド&バター、RCサクセション、尾崎紀世彦、高橋まり子、宇崎竜童、森田公一達である。      

  今も連日、ビッグネームが出演する戦後の音楽の聖地のような場所なのだ。そんな聖地に、我が「のどごし生バンド」が出演することになったのだから、驚き以外の何物でもない。

  6月22日(日)の夜、それは現実になった。Keiさん(プロ・シンガー)主催のライブ「懐かしのアメリカン・ポップスの夕べ」に、「のどごし生バンド」がゲスト出演したのだ。演奏曲は7曲。

  それだけでも充分緊張するのだが、この日は、Keiさんのステージのドラムも僕がやることになっているので、その緊張感は半端でない。

  そうなった顛末は、Keiさんのバックバンド「シャープ・ファイブ」のドラマーが、同じ日に別のライブが決まっていて出られないとのことで、Keiさんから「神童さん、代わりにお願い」と頼まれて、安請け合いしてしまったのだ。 

  その心は、決して僕が抜擢されたというのではなく、高いギャラが浮くという、専ら収支の問題からだ。と、自覚しているのが神童君の偉いところ(笑)。

  ところが、プロのミュージシャン(シャープ・ファイブ)との最初の音合せの時、Keiから、ライブで演奏する曲の全貌を聞かされて驚いた。Keiさんと彼女のお弟子さんたちの曲は全部で25曲もあった。「のどごし生バンド」の7曲と合わせてなんと32曲も僕一人でドラムをやらなければならないとは、全くの想定外。

  引受けてしまった以上、今更勘弁とは言えない。Keiさんは僕の体力を心配してくれるが、僕の心配は別のところにある。それは、全部の曲の構成とイントロ・エンディングを完璧に把握しなくてはいけないが、これだけ多くの曲を記憶出来るのかという点。勿論、その場で混乱しないようにメモを作るのだが・・・

  それともう一つ、ドラム(リズム担当)だけに、イントロのカウントを出すことを彼ら(シャープ・ファイブ)から指示されてしまったことだ。その時々に、次の曲のメロディーが浮かばないとカウントは打てるものではない。メロディーが咄嗟に思い浮かぶのかという不安が大きい。しっかり記憶はしているが、最近、それを取り出すのに時間が掛かるのだ。

    ボーカルの Kei さん    Photo by Yamane

.     ボーカルの Kei さん    Photo by Yamane

6月 24, 2014   No Comments

今週末ライブ

今週末、新子安のグレコで、ライブをやります。

のどごし生バンド と、 MJxというハモニカ主体のバンドとのジョイント・ライブです。

お時間のある方は是非お越し頂きたく、ご案内致します。

2014.06.14 グレコ ライブ チラシ

 

 

6月 9, 2014   No Comments

下町ロケット

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.  2~3年前、職場近くの書店で、「祝直木賞 池井戸潤 下町ロケット」の文字と一緒に沢山平積みされたこの本を買うかどうか迷い、結局、買うのを控えた記憶がある。僕の読書は会社との往復の通勤電車の中なので、ハード・カバーの大きな本は重くて不便なのだ。いずれ文庫本が出るだろうから、その時に買おうと一旦諦めたのである。

  しかし、迷った理由は、下町の中小企業がその技術力をもって大企業を出し抜いて宇宙にロケットを飛ばすという、何とも痛快で気宇壮大な物語のようだからだった。それは、多分に僕自身が技術系の仕事に40年も従事して来たことと無縁ではなかったと思う。

  その頃からすると、「池井戸潤」は今や超有名人になってしまった。昨年テレビドラマ「半沢直樹」で連発した「倍返し」は流行語大賞になったほど高視聴率の番組だったから、「下町ロケット」も多くの人が既に読まれていることだろう。

  先週、書店を覘いたら、あの「下町ロケット」の文庫本があった。昨年の暮れに初版が出されたようだ。早速、買い求めて読んでみた。「池井戸潤」を読むのは初めてである。

  最初、僕はこの小説は、昔NHKの人気番組だった「プロジェクトX」の様な、一企業の中で、熱い夢を抱き部下を叱咤激励しコツコツとその実現に向かって努力して遂に、目的を達した男達の物語・・・、みたいな内容を想像していた。

  勿論、ロケット・エンジンの最もキモとなる重要部品「バルブシステム」を作り上げた技術力のある中小企業の物語である。

  しかし、この小説が僕をして一気に読ませてしまったのは、誰も成功していなかった「バルブシステム」を大企業に先んじて成功させ、特許を取得してしまうだけの物語ではなかったからだ。

  膨大な国家予算を使って行ったロケット打ち上げに失敗して、責任を取って宇宙科学開発機構の研究員を辞めた主人公は、父の町工場を継ぎ、様々な用途に適する小型エンジンの生産販売をメイン事業にして、会社を8年間で4倍の大きさにする。だが、その儲けの殆どは「バルブシステム」の研究開発に注ぎ込んでしまうので、快く思わない従業員も少なからずいる。

  ロケット・エンジンの開発・生産を宇宙科学開発機構から委託されている大企業から、「バルブシステム」の特許を売って欲しいとの依頼があった時、特許を売るのではなくて、自分達で「バルブシステム」を製造してその企業に納めたい主人公と、特許を売ってその金で従業員に報いるべきだとする従業員達と対立する。

  宇宙科学開発機構辞職を契機に、自分の元を去った元妻との微妙な会話、難しい年頃を迎えた一人娘との気持ちと会話のすれ違い、などなど、タテ・ヨコ・ナナメの糸が主人公の苦悩に絶妙な奥深さを与え、しかし、その苦悩の中に解決策を見出して行く「池井戸潤」の作家としての見事さを感じざるを得ない。

  そして、彼らの「バルブシステム」を搭載したロケットが種子島から打ち上げられ、遂に成功した時の、主人公の部下達の止まらぬ涙に、読んでいる僕も満員電車の中で目がしばたいて往生したことを告白しておこう。

 

6月 8, 2014   No Comments

シンガポールの攻防


.  安倍首相は5月30日、シンガポールで行われたアジア安全保障会議での基調講演で、南シナ海でのベトナムやフィリピンと中国の領有権争いに「力による現状変更の試み」があると述べ、名指しを避けながら中国に国際法順守を求めた。その翌日はヘーゲル米国防長官が明確に中国を名指しで非難した。

  これを受け中国人民解放軍の王冠中・副総参謀長は、日米双方が「調整して互いに促し、先に演説する立場を利用して中国に挑戦を仕掛けた」と主張。「安倍氏は間接的に中国を攻撃した。ヘーゲル氏は直接公然と批判したが根拠がない。ヘーゲル氏の方が直接的でまだ好ましい」と、安倍首相を名指しで批判し苛立ちを顕わにした。

  国際会議で、名指しせずにある国を批判することは、名指し批判より一定の配慮を含みながら、しかし、しっかり当事国に批判を伝える外交スピーチ上のレベル選択の問題なのである。名指し批判を避けたことは相手国も一定の配慮が分かるので、通常は、その反論も名指しで行われることはない。

  中国を名指ししなかった安倍首相に対して、「安部氏は~」と苛立ち紛れに名指しして非難し、中国を名指しで批判したヘーゲル米国防長官の方が良いというのだから、もう滅茶苦茶。誰か中国に国際常識を教えてやって欲しい。米国に並ぶ大国になったという意識は強いらしいが、この辺りは田舎者のままだ。

 演説後には各国の有識者らから王氏に質問が集中した。中国が批准する国連海洋法条約の順守を問われた際には、「南シナ海での中国の主権と管轄権は2千年前から確立し、条約発効のはるか前だ」と述べたが、その根拠は示さなかった。

  小野寺防衛相は1日、安倍首相を名指し非難した王氏について、「首相は常識的な発言をした。中国に対話を求めている。中国の反応は理解できない」と反論した。菅官房長官も2日午前の記者会見で、「事実誤認に基づく主張や我が国に対する中傷だ」と王氏の発言を批判し、シンガポールで、日本側の代表団が中国側に抗議したことを明らかにした。

  遡れば、小泉内閣の頃、名古屋万博会場に視察に来ていた中国の女性副首相が、翌日、小泉首相との会談が予定されていたにも拘らずドタキャンして帰国して以降、中国の日本に対する外交上の非礼は数えきれない。

  日本が行なって来た中国へのODAの額は3兆円を優に超える(円借款約3兆1,331億円、無償資金協力1,457億円、技術協力1,446億)。鉄道・道路・橋・港など重要インフラは日本の資金と日本の技術で構築したものだ。それらがあって初めて、その後の経済発展が可能になったのにも拘らず、その恩というものを、習近平主席を初めとする現執行部は全く感じていないように見える。

  ODAの原資は、日本国民一人一人の血税であり、国民の総意として援助したことを、恩を忘れた中国に再度伝えるべきである。

 

6月 4, 2014   No Comments

集団的自衛権

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.  安部首相の私的諮問機関「安保法制懇」の座長を務める柳井俊二さんとはチョッとした知り合いだ。10年ほど前、僕等が演奏していたお店に、中央大学の学生を大勢引き連れて飲みに来てくれたことがあって、以来、いろいろな話をさせて頂くようになった。

  この方が、中央大学の先生であることは分かるが、まさか元外務次官・元駐米大使とは思いもしなかった。

  歴代外務次官の中では唯一、田中真紀子外務大臣から頼りにされていた柳井さんは、田中外務大臣の外務省の役人への無茶苦茶な非難と攻撃に腹を立て、さっさと辞任し帰国、中央大学法学部教授に転身したのであった。それでたまに学生達と店に飲みに来てくれたのである。

  その後、2005年から国際海洋法裁判所の判事も兼任し、2011年には日本人として初めて、同裁判所の裁判長に就任した。

  東大法学部を卒業し外務省入省以来、日本の外交を背負って来た日本の超大物エリートと言える人物なのに、店ではとても気さくな小父様として振る舞ってくれていたから、そんな凄い人とも思わず楽しく会話させて頂いたのだ。

  ご自身は趣味としてカンツォーネのレッスンを受けていて、興に乗ると学生達を前に、よく通る声で「オーソレミヨ」を歌ったりしてくれた。人間の声とも思えない大ボリュームなのだ。世界のテノールもびっくりではないか。

  そんな柳井さんが奥様を、場末同然のその店に連れて来たことがあった。その時も奥様の前でカンツォーネを歌ったのだが、後日柳井さんが言うには、どうも柳井さんのカンツォーネとその店がお気に召さなかったらしい。

  確かに、世界的な音楽家や芸術家と懇意にし、仕事上、超一流のレストランなどに出入りすることが多い大使経験者が、行き付けにする店ではない。というより、そこは普通の人でもどちらかと言えば避けたいような貧乏な店なのだ。奥様の不興を買ったことを悄然と話す柳井さんに僕は何だか可愛らしさと親しみを感じたのだった。

  その柳井さんがテレビ・ニュースに頻繁にその姿が映ったのは、第一次安倍内閣(2006年6月~2007年9月)の時だった。「安保法制懇」の座長として集団的自衛権を正面から取り上げて注目されたからだ。

  そういう最中でも柳井氏はたまに足を運んでくれた。店の娘(こ)が彼に聞いた。「先生、集団的自衛権って、私達にも分かるように易しく説明してくれませんか?」。これぞ庶民の質問。柳井さんも、学生からこれほど素直で基本的な質問を受けたことはないだろうと思うくらいに良い質問だ。

  さて、柳井さん、これに対してどのように答えるのかなと、僕は興味津々だ。

  「友達と2人で歩いていた時、暴漢が友達を襲ったとしよう。友達に加勢して一緒に暴漢を撃退することが集団的自衛権の行使に当たるね」「ついでに、個別的自衛権というのは、自分が暴漢に襲われた時に戦う権利のことです」。さすが柳井さん、子供にも分かる端的な説明だと感嘆したのを覚えている。

  この例え話を聞けば、友達を放って逃げたら男じゃないよね、人間じゃないよねと思わせるから、その点でも、さすがは柳井さん。でもね、友達が酔って繁華街で喧嘩している時も、遠くから駆け付けて友達を助けるために喧嘩に加わるのも集団的自衛権と言われちゃうと、えー、となるよね。

  さて、その集団的自衛権、今また柳井さんの答申により国を挙げての議論になって行く。

 

6月 3, 2014   2 Comments

やったね! 松山

無題

.  松山英樹がアメリカン・ツアーで初優勝した。先週も優勝争いに加わったし、いよいよ、彼の才能と勝負強さがアメリカで通用し始めたと言って良いだろう。アメリカン・ツアーでの日本人男子の優勝者は、青木功、丸山茂樹、今田竜二に続いて4人目で、22歳での優勝は最年少だ。

.  昨年左手手首を痛めて、一時調子を落としたものの、ここに来てかなり復活の兆しが出ていた。だが、今も左手首は本調子でなく、テーピングをしてのプレーが続いているのに、3位スタートの最終日、逆転優勝を飾ったのだった。

  最終日に逆転するということ自体、勝負師の面目躍如だが、僕が彼の勝負強さを感じるのは、優勝へのプレッシャーが掛かる終盤の最も大事な3ホールの松山のプレーだ。

  松山は15番でバーディーを奪い、15アンダーで単独首位に立った。2位は13アンダーだから、松山は優勝を意識しない筈はなかった。そして迎えるは最後の3ホール。

  アメリカン・ツアー初優勝のプレッシャーからだろうか、松山と雖も平常心を保つのは難しかったのかも知れない。16番のティーショットを池に入れてしまった。ドロップ・エリアから第3打を打ち、このホールはダブルボギーとし、13アンダーでケビン・ナと並び首位タイとなった。

そして17番は、ラフからのパットがショート。ボギーとなり、トップタイから落ちた。

  普通、初優勝のチャンスを逃すケースは、優勝の掛かるプレッシャーから、正にこういった終盤のドタバタを演じる場合だ。しかも、18番ではティーショットでクラブが折れるハプニング。それでも幸運だったのは、ラフに落ちたボールが転がってフェアウエーに戻って来たことだろう。

  松山の凄さはここからなのだ。第2打はピンに1メートル半に着けるスーパー・ショット。バーディーパットを決めて13アンダーでプレーオフに持ち込んだことだ。誰しもが優勝を逃したと思った終盤のバタバタを、最後の最後のショットで食い止め、バーディーでプレーオフに持ち込んだ勝負強さは半端でない。プレーオフは、その勢いのまま松山が勝ったのだった。

  サッカーも野球もゴルフも、有力日本人選手はみんなより上を目指してヨーロッパやアメリカを目指す。サッカーでは長友・岡崎・本田・香川などが注目され、野球では、マー君・ダルビッシュがメジャーリーグを代表する投手になった。他にも岩隈・黒田・上原・イチロー等の活躍は日本人ファンの心を明るくしてくれる。

  それに引き替え、ゴルフだけは日本人選手の優勝のニュースが絶えてなかった。だが、松山の優勝で、今年は期待が大きく膨らむ。同い年の松山が優勝出来るならオレだって、と石川遼も頑張ってくれるといい。今年は、日本人による複数回の優勝を心待ちにしたい。

 

6月 2, 2014   No Comments