プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 9月 2014

ある休日(後編)

無題5

「オルセー美術館展」の後は、友人と六本木の中華料理店で遅い昼食を共にしたが、広い美術館を観て歩いた後だけにビールがとても旨かった。3時過ぎに友人と別れ、僕は日本橋へ。この日は「川柳句楽部」の例会(月1回)の日であるのだ。

川柳句楽部と言うのは、出身会社のOB会の中に幾つもある同好会の一つで、今年4月に立ち上がったばかりの新しい同好会なのだ。現在はメンバーが9名、あと1名で正式な同好会として認定される(幾ばくかの補助金が頂ける)。

この会のキツイのは、毎月10作品を作って持ち寄らないといけないことだ。昔から夏休みの宿題でも試験勉強でも、一夜漬けの天才だったから、この川柳の宿題も、毎月大体前日か前々日にでっちあげることが多い。

午後4時から1時間~1時間半程度会議室で、各自が発表し皆が感想や批評を言い合って、各々のベスト2・ベスト3を決める。それは翌日のOB会のホームページに掲載される方式で毎月行なっている。先生やコーチがいる訳ではないが、素人同士の議論が結構楽しい。

それが終ると、全員で居酒屋に繰り出して、品評会の続きという寸法だ。どちらかと言えば、川柳そのものより、飲み会によりウェイトが掛かっている同好会だな。この日、僕はその後横浜に行かなくてはならないので飲み会は中座した。

「のどごし生バンド」の20日のライブに始めて来てくれたK君(昔、僕等を埼玉芸術劇場に3回も呼んでくれた)と、関内駅で午後7時に待ち合わせて2人で「アドリブ」という名のライブ・バーに向かった。それにしてもラグビーしか知らないK君が、何故僕に付き合って関内までライブを聞きに行くのか? 20日にそう決めたらしいが2人共その経緯は記憶にない。まっ、いいや。

この日、私の3年先輩のWさんが5年前から習い出したクラリネット(ジャズ)でライブ・デビューするのを応援するために駆け付けるのだ。

「アドリブ」に着いた時、既にライブは始っていた。この日は、後藤雅広(CL)・後藤千香(Pf)・小林真人(Bs)という3人のプロの日のようだ。入口にそう書かれている。Wさんが手招きするのでその傍らに2人で座った。

Wさんの出番は第2ステージの2曲目だそうだ。Wさんによれば、何回か今日のミュージシャンの後藤雅広氏から指導を受けた縁で、一緒に演奏させて貰えることになったのだと言う。この後藤雅広というクラリネット奏者は、鈴木章二、北村英治の跡を継ぐ、今や日本を代表するジャズ・クラリネット奏者なのだ。

遂にWさんの出番だ。後藤氏に僕も呼ばれた。Wさんがそう仕組んだのだ。3人のプロとWさん(クラリネット)、神童(ドラム)の演奏が始まった。曲は「You took advantage of me」。知らない曲だ。僕はブラシで何とか無難に納めた感じだったが、Wさん、想像してたより上手いよ。途中1~2ヶ所、「ピー」という音が出ちゃったけど、その他は全く問題なし。大したものです。

席に帰ろうとしたら、後藤さんに呼び止められ、「キャラバンをやりましょう」と言われた。Wさん、20日のライブで聞いて、神童にこれやらせようと思ったに違いない。いきなり「キャラバン」って普通言わないでしょ。こういう場合、拒まないタイプなのでやることにしたのは良いけど、ブラシしか置いていない店らしい。スティックが見当たらない。

仕方ないから少し固い音が出せるように、ブラシの長さを半分くらいして「キャラバン」をやり切った。ブラシでこの曲をやったの初めて。途中のドラムソロも全てやったが、これはこれで、またいつもと違うフィーリングで悪くないと思った。

2部が終ってから、Wさんに家が遠いのでと断ってK君と2人帰路に付いた。筈だった。彼が横浜駅の近くの店に一寸だけ付き合ってよと言うので、まだ9時半前だし1時間だけと言って承諾。何十年も通っている焼鳥屋さんだ。K君はママさんや従業員ととても親しそう。

そして、何と、レバサシが堂々と出て来たのには驚いた。いやー、何年振りの味か。レバサシが禁止になる最終日に新橋の焼肉屋で食べたのが最後だったから、K君に付いて来て良かった。

マネの「笛を吹く少年」で始まり、最後はレバサシで締めることが出来てとても素晴らしい一日となった。

無題4

9月 28, 2014   No Comments

ある休日(前編)

無題1.
昨日は、7月から僕に適用された平日1日休暇制度(週4日勤務)を利用して、昼間、友人に誘われて国立新美術館(六本木)に「オルセー美術館展」を観に行き、夕方はOB会の中にある同好会の一つである「川柳句楽部」の例会に出席し(日本橋)、最後は横浜(関内)のライブハウスで行われる先輩の演奏のお手伝いに行って来た。自分にとっては、なかなか行動半径が広い一日だった。

まずは「オルセー美術館展」。

20年数年ほど前だったが、僕は、当時の副社長を団長とする10名からなる会社の欧州海外研修ツアーに参加した(させられた)。僕が最も若い新米の部長だったので、何かと使い走りもさせられた一週間だった。

訪問地もロンドン・パリ・ミュンヘンの3都市限定である。保険会社や銀行・証券会社など訪問したが、僕の分野であるシステム部門のレクチャーが無く、僕にとってはあまり有益な研修旅行ではなかったが、観光という観点で言えば、満足の行くものだった。

尤も、大英博物館とかルーブル美術館、ノイシュヴァンシュタイン城など、所謂観光名所よりも、普通の街並みにえらく感動したのを覚えている。ロンドン郊外の庶民が暮すアパートメントが、外観は白い博物館のような伝統ある重厚な建物であることに、感嘆の声を上げざるを得なかった。建物自体は100年、150年前の建物などザラなのだそうだが、朝日や夕日によく映える街並みは喩え様もなく美しかった。

10名の中で若手4人は、自由時間を使って兎に角あちこち歩き回った。そんな中の一つにオルセー美術館があった。入ってみると1階の直ぐの所にミレーの「落穂拾い」が4枚並べて飾られていた。思わず僕は「どれが本物?」と声を出してしまったが、全部本物だった。「落穂拾い」の本物が複数存在するなんて知らなかった。

また、階を上がって行くに連れ、教科書で見た印象派の有名な絵が何枚も何枚も現れて、驚くと共にもったいないような、困ってしまうような妙な贅沢さを感じたものである。それも絵の前に柵などなく、絵に触れようとすれば簡単に触れられるような塩梅だから、日本では考えられない近しさだった。

マネ、モネ、セザンヌ、ルノアール、そしてゴッホやピカソなどが、これでもかと言うほど沢山あって短時間ではとても見切れない。そこで、僕ら4人は翌日もオルセー美術館を訪れたほどの入れ込み様だった。

さて、国立新美術館。友人は7年前に来たので2度目だそうだが僕は初めてだ。建物が曲線の強調された素晴らしい外観だった。黒川紀章設計のこの美術館は2007年にオープンしたと説明書きがあったから、友人はオープンした年に来たということか。

.                                   国立新美術館

.                       国立新美術館

国立新美術館の中は、かなり広いらしく、「オルセー美術館展」の他にも「チューリッヒ美術館展」や幾つかの公募展も同時に開催されていた。

2階が「オルセー美術館展」の会場だった。会場に入るとすぐの所に、今回の目玉商品のマネ「笛を吹く少年」が掲げられていた。写真その他で良く見掛ける絵だが、実際は思っていたよりも大作で、描かれた少年の実物大の絵かと思われるサイズだった。100年以上前の作品なのに、色が劣化せずとても鮮明だったことが嬉しかった。

無題2

ミレーの「落穂拾い」はなかったが、もう一つの名作「晩鐘」に再び会えた。出店件数はそんなに多くはないだろうと予想していたのだが、何の何の、じっくり観て回ると1時間以上は優に掛かるほど多くの作品が来日していた。

ただ、僕は本当の意味で絵画が分からないから、有名な作者や作品に出合うと、そこに立ち止まってじっくり観てしまう。本当は、先入観なく観て感じて自分の嗜好を確立して行くのが良いらしいのだが・・・

2日続けてオルセー訪れて観ている筈の作品群だが、有名な作品以外はどれも初めてお目に掛かる作品のように感じたのは、美術鑑賞者としてのスキルが全くないことを証明している。それでも、美術館訪問は僕にとって普通あり得ないくらい珍しいことなので、非日常を体験させてくれた友人に感謝したい。

9月 28, 2014   No Comments

ラストライブに向けて

.        ザ・タペストリー        Photo by TAKA

.        ザ・タペストリー        Photo by TAKA

高校同期の連中で結成したバンド「ザ・タペストリー」が大詰めを迎えている。そもそものキッカケは、4年前、高校の同期同窓会が東京で開催された時、たまたま同じテーブルになったTAKAと話していて、彼が今ボサノバ・バンドをやっているのが分かり、僕もバンド活動をしていることから同期バンドを組もうかと、2人で話が盛り上がったこと。

僕とTAKAは高校時代、マンドリンクラブで一緒だった間柄だ。早速当日の参加者の中で、音楽をやりそうな人を探した。まず、当時吹奏楽部でサックスを吹いていたマッキーに声を掛けた。即、OK。次に、大学の時ニューオリンズ・ジャズ・クラブでバンジョーを弾いていたヨッシー。彼も乗り気だった。

最後は、当日の同期同窓会を盛り上げるために、女性ハワイアン・バンドを率いてスティール・ギターを演奏していたAYA。彼女もまた快く参加を表明してくれた。そして、その5人が集まった第1回の練習兼ミーティングに於いて、バンド名を「ザ・タペストリー」と命名し、次回の東京開催に出演するまでの4年間の活動とすることが決まった(同期同窓会は毎年秋に開催されるが、3回を地元で、4年に1回東京で開催される)。

また、バンドの信条はサミュエル・ウルマンの詩を借りて、「青春とは、人生の一時期を指すのではない。心の若さを言うのだ」と決まった。

そして、今年4年目を迎えた。だが、今年は東京開催でなく地元(長野)開催にして、来年高校卒業50周年を迎えるので、その記念大会を東京で大々的に行うと変更されてしまった。

来年のことはその時決めれば良いとして、タペストリーは満4年を記念して、今回一応のラストライブを開催することにしたのだった。肩肘張ったライブは今回最後にして、今後はミニ同期会をメインに興が乗ったら余興として演奏もするといった形になったらいいなと思う。

当初のメンバーに加え、その後、このバンドで歌いたい人やトランペットで参加したい人達が現れ、現在の登録メンバー数は12人にまでに増えている。

毎月1回のスタジオ練習を重ねて来たが、一昨日、何時もの新宿の貸しスタジオで3時間の練習を行った。10月はライブ(10月25日)の前に2回の練習日を設定しているが、ライブが近付き、この日を入れて練習はあと3回しかないことを全員が感じて、いつになく気合の入った練習にはなった。

だが、完成には近づいたものの、人様の前で演奏するにはまだまだ一段の努力が必要だ。僕自身も、同じ曲を他のバンドでも演奏するが、そちらと、曲の進行や構成・テンポなどが違うことで混乱することがある。しっかり把握し記憶する必要を痛感している。

まっ、それでも、苔の一念と言うか石の上にも4年と言うか、稚拙ながらも月1練習を継続して来たから、4年前に比べればタペストリーはかなり上手くなったと思う。自分で言うのもなんだけど。

高校同期の皆様、タペストリーのライブに是非お越し下さい。楽しい時間をお過ごし頂けること受け合います。タペストリーのラスト・ライブをお見逃しなく。

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.                    記

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日時  10月25日、 開場12:30、開演13:00
場所  「レストランパペラ」 東京都新宿区新宿2-8-1セブンビル2F
.     Tel:03-3350-0208 東京メトロ丸の内線・新宿御苑駅1番出口前
.     http://currypapera.moo.jp/
費用  4,000円 本格インド料理・フリードリンク、ミュージック・フィー:無料
出演  ザ・タペストリー
曲目  ケサラ、朝日楼、サマータイム、スターダスト、Wave、
.      セイビング・オール・マイ・ラブ~、キャラバン他

9月 27, 2014   No Comments

セプテンバー・バレンタイン


.  9月14日を「セプテンバー・バレンタイン」というのだそうだ。皆さんはご存じだっただろうか。2月14日のバレンタイン・デイは、女性から愛を告白する日だが、「セプテンバー・バレンタイン」は、女性から別れ話を切り出す日なのだそうだ。カーラジオで聞いた。知らなかった。

  また、菓子業界の新たな戦略かなと疑いたくなるが、確かに、昔から真夏の恋は秋風と共に冷め行くことが多いらしい。そう言えば、雑誌にこんな川柳が載っていた。「夏の恋 秋の気配に 冷め始め」。

  昔、僕等夫婦が媒酌人をした甥っ子がいる。彼は数年の結婚生活の後離婚した。それから長いこと独身を続けていたが、3年ほど前に親戚の集まりがあった時、「どうなんだ? 彼女は出来たか?」と聞いてみたら、「はい。今度は旨くやれると思います」という返事が返って来た。当時、40歳目前だったから、良かった良かったと思ったものだ。

  因みに僕等夫婦は5組の媒酌人を務めたが、離婚したのは甥っ子のカップルだけだ。離婚率20%は高い方なのか、低い方なのか?  

  その時以来、なかなか甥っ子から結婚したという報告が無いなと思っていたら、先週、メールで「2人で話し合って結論を出しました。伯父さんの期待に応えられず、申し訳ありません」と言って来た。勿論詳しい理由など書いてないから分からないが、婚約解消を話し合いで決めたということだろう。

  これはたまたまだろうが、「セプテンバー・バレンタイン」を知った今、別れ話を切り出したのは彼女の方かな、なんて勝手に想像してしまったが、9月は恋の「終わりの始まり」の季節なのかも知れない。

  甥っ子頑張れ! 罰一だからと卑屈になるな! 前を向いて堂々と生きよ! 君との巡り合いを待ってくれている人は必ずいる!

9月 26, 2014   No Comments

ブルースアレイに向けて

.  ここのところ毎年、夏が終わって秋になる季節の変り目の時期、体調と気分が今一スッキリしない(かったるい)のを感じるようになった。こんな時は、何もしたくないのだが、家に引き篭もってだらだらしていても何も解決しないし、逆に不調が長引くから、無理やり行事を作って埋めることにしている。

.  今年も9月・10月は無理やり盛り沢山にした。と言っても他律的に埋められたのもかなり多いが。この1週間を見ても、24日「タペストリー」練習、25日川柳の会・先輩のライブお手伝い、26日業務上の会食、27日大学同期会、29日・30日高校同期の軽井沢ゴルフコンペといった状況だ。

.  10月は、ゴルフに、大学のバンドで一緒だったAのライブに、今の会社の社長(31歳)の結婚式、タペストリーのラスト・ライブと土曜日は全て埋まっている。10月からREJAN(3年前のバンド)が復活して、地元の店で定期的に演奏するような話が具体化し始めた。

  そんな中で、昨日、長く活動休止状態だった「ダンディー・クイーン」が再び動き出した。一昨年・昨年と2年連続で1月上旬に、目黒「ブルースアレイ」で「AD音楽祭」を開催したが、今年の1月は、諸事情により見送りとなったため、いつもは「AD音楽祭」に照準を合わせて、9月・10月頃からスタジオ練習などをみっちりこなして当日を迎えるのだが、そのような活動が昨秋は出来なかった。

  それが、来年の2月8日(日)に、同じブルースアレイで、「みずすまし」主催のライブが行われることになった。そして、そのゲストバンドとして「ダンディー・クイーン」に出演の打診があったのだ。もしこの申し出を受けるとしたら、「ダンディー・クイーン」としては2年振りの活動となる。

  「みずすまし」は、当ブログで何度も取り上げているが、僕と同じ会社出身のK君が所属する、京都の高校・大学時代から続いているフォーク・バンド(4人組)のことである。毎回の「AD音楽祭」に出演してくれて、謂わば、メーン・イベンターを務めてくれている。

  ところでこの「みずすまし」、K君を除いて京都在住なので、夫々が事情を抱え東京に4人が揃うことが難しくなっている模様。昨年の「AD音楽祭」でもK君と宮原氏の2人だけで演奏して貰った。バックでベースとドラムが加わり別の4人組とはなったが・・・

  2人の時は名前が「サブウェイ」となる。「みずすましライブ」となるか「サブウェイ・ライブ」となるかは今後決まる。

  さて、何を置いても、まずは「ダンディー・クイーン」の再結集だ。ところが、2年前のメンバー7人中今回参加OKなのは4人のみだった。特に、キーボード奏者とベース奏者を新たに見付けないことには、話にならない。

  そこで「ダンディー・クイーン」の前身のバンドだった「オー・ジー・サウンズ」の時のメンバー(同社システム子会社のバンド)に当り、また個人的伝手を頼って探した結果、「オー・ジー・サウンズ」で一緒だったY君がキーボード&ギターを担当してくれることになり、バンマスのO君の別のバンドのベース奏者Kuさんが参加することになった。  

  余談ながら、このKuさん、実はあのピンクレディーのケイちゃんの旦那様なのだ。O君はKuさんと同じ高校の同級生で親友の間柄ということで、Kuさんとケイちゃんの結婚披露宴では、O君が司会をやったというから驚いた。

Kuさんは幾つかのアマチュア・バンド(セミプロ・バンド)で活躍しているベースマンだから、ライブ経験も豊富だ。そういう時奥様は会場に来るのか聞いてみた。来ることはたまにあるが、演奏が始まって会場が暗くなってから現れ、演奏終了前(ラスト・ソングの前)に退場するとのことだった。

  それは観客の目がケイちゃんに集中して、ライブを台無しにする可能性が高いためのケイちゃん流の配慮だとのこと。僕はKuさんに、ライブ当日必ずケイちゃんにも出席して貰うよう頼んだ。演奏するのは僕等だから、観客がライブよりケイちゃんに注目が移っても何の問題もないことを付け加えて。

  話を戻す。メンバー募集の結果、最終的に、①女性ボーカル(H)、②ギター&ボーカル(O)、③サックス&ギター&ボーカル(Ko)、④キーボード&ギター&ボーカル(Y)、⑤ベース(Ku)、⑥ドラム(僕)の6人編成となった。

  そのメンバーで第1回目のスタジオ練習を昨日(秋分の日)午後実施した。スタジオは、高校同期のバンド、タペストリーのいつもの練習場所である、西新宿の貸しスタジオだ。

 この日は、5曲練習した。ブルージーでジャージーな曲が多い。前回の「ダンディー・クイーン」はディスコ・ミュージック中心だったから、えらい違いだ。練習初日からとても良い雰囲気で、曲の方も仕上がりとは言えないまでも、かなり聞き答えのあるレベルまで一気に到達したと思う。

  これは2月8日が楽しみなって来た。10月1日には、目黒「ブルースアレイ」にK君と2人で訪ねて、店側と詳細の打合せ予定だ。

 

【第1回練習曲】

①    ユール・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カムホーム・トゥ(歌:H)
②    バードランドの子守歌(歌:H)
③    横浜 ホンキー・トンク・ブルース(歌:Ko)
④    スリルズ・ゴーン(歌:Ko)
⑤    青い影(歌:O)

9月 24, 2014   No Comments

35年ぶりのアメリカ(あとがき)

.   現在も使われている国道標識(但し、HISTORIC)

.       現在も使われている国道標識(但し、HISTORIC)

35年前50日もアメリカにいた時はアメリカ人と夜バーに飲みに行っても、日常会話やジョークが普通に通じたのに、今回、全くヒヤリングがダメになっていたことに愕然とした。物を買うのに「ハウ マッチ イズ ジス?」と聞いても答えが分からない。

スーパーで水を買う時、炭酸入りは嫌だと思い、「イズ ジス ノー ガス ウォーター?」と聞いたが直ぐに分かってくれない。「ブクブク ブクブク」とか言いながら手振りで伝えたら、「オー、イッツ ノー ギャス ウォーター」、やっと言ってくれた。ガスでなくてギャスか・・・

英語が母国語でない欧州の方が、僕の英語が通じる不思議を思った。

ついでに、有名なジャズ・スタンダード曲「ルート66」について触れておく。1946年(僕の生まれる1年前か)にナット・キング・コールの歌で有名になり、60年代に入ってルート66を旅する若者2人のテレビドラマ・シリーズのテーマ曲に使われ世界的ヒットを記録したのだった。2人のうちの一人、ジョージ・マハリスが8ビートのリズムに変えて歌ったものだ。

そのルート66は、シカゴからロスアンジェルスの隣町サンタモニカまで続く国道だったが、古い国道だから片側1車線だった。そのため、その後の車社会に適さず、新しい高速道路が出来、ルート66はその側道扱いになったりして徐々に廃れ、今は、ところどころ残っているだけで、市街地では拡幅されて今もルート66として使われている場所が稀にある程度になっている。

そういうルート66の残る沿道では、それを売り物にしたみやげ物店が建ち並び結構繁盛しているようだ。特にアリゾナ州はルート66を観光資源にする意欲が高く、いたる所で看板を見掛た。

.   ルート66沿いの町 セリグマンの入り口 土産を買った  

.         ルート66沿いの町 セリグマンの入り口 土産を買った

その終点のサンタモニカは、誰か(日本人アイドル)の歌にあるように綺麗な海辺のリゾート地だった。その町のルート66の終点にはその看板が立っていた。

.       ルート66の終点 サンタモニカ

.           ルート66の終点 サンタモニカ

帰国した今、さぁ、また、あと一年、僕は完全自由を手に入れたぞ。(家のことも何もしない・・・これは僕が勝手に思っていること、悪い亭主です、ハイ)

 

【参考写真集】

.  ヨセミテ ハーフドーム(ノースフェースのマーク)

.         ヨセミテ ハーフドーム(ノースフェースのマーク)

 

.           ヨセミテ 沢山ある岩山の1つ(白いが雪ではない)

.          ヨセミテ 沢山ある岩山の1つ(白いが雪ではない)

 

.   モニュメント・バレー  ジョン・ウェイン駅馬車の世界

.        モニュメント・バレー  ジョン・ウェイン駅馬車の世界

.    一人の女性が馬を駆っていた カッコいい

.          一人の女性が馬を駆っていた カッコいい

.     セドナ   ベル・マウンテン(ベルの形をした岩)

.         セドナ   ベル・マウンテン(ベルの形をした岩)

 

.    うわっ、足元に!  実は公園にある置物

.        うわっ、足元に!  実は公園にある置物

.      有名人の手形  ジョニー・デップ

.        ロスアンジェルス  有名人の手形  ジョニー・デップ

 

.         

.                  スティーブ・マクイーン

 

.          マイケル・ジャクソン

.             マイケル・ジャクソン

.              ハリウッド

.                    ハリウッド

.     サンフランシスコ  ゴールデン・ゲート・ブリッジ

.     サンフランシスコ  ゴールデン・ゲート・ブリッジ

 

. 近くの公園には、見る角度によって建設経過が分かるパネルがあった

.     近くの公園には、見る角度によって建設経過が分かるパネルがあった

.               同  完成時

.                   同  完成時

 

.                    35年ぶりのアメリカ  ― 完 ―

 

9月 19, 2014   No Comments

35年ぶりのアメリカ(後編)

.                    ラフリンの町  ネットより拝借

.            ラフリンの街  ネットより拝借

もう一つ、事前には全く分らなかったカジノの街に泊まったことだ。正直言うと、カミサンの選んだツアーの行程にラスベガスが入っていなくて少しがっかりしたものだ。アメリカの超自然だけを訪れる、「清く正しく美しく」だけの旅行かと覚悟を決めていた。カミサンが選ぶツアーだから仕方ない。

ところがである、5日目、セドナの奇岩を訪れたあと、バスはその日の宿泊地ラフリンという街に到着した。そこはネバダ州の一番南に位置するリゾート地で、何とラスベガスに次ぐ規模のカジノ・タウンだった。因みにネバダ州は州全体がカジノOKなのだ。

ここラフリンはカリフォルニア州とアリゾナ州と隣接している。カジノが禁じられているそれらの州の人々が簡単に来られる所なので一年中賑わっているのだそうだ。この3州を繋ぐ国道沿いのドライブイン(ネバダ側)内にも、必ずと言って良いほどスロットマシーンが並んでいて、人々が機械と格闘していた。

宿泊したホテルは1階のだだっ広いフロアが全部カジノになっていたし、そういうホテルが林立していた。

夕食後、ツアーの一行は、市内を流れるコロラド川の夜のクルーズに出掛ける者と、早速カジノに挑戦するものに分かれた。僕はこの旅行で初めて自己主張をしてカジノを選んだから、カミサンも珍しくそれに従った。

.       カジノ   ネットより拝借

.              カジノ   ネットより拝借

そうは言っても、ディーラーのいるルーレットやカードゲームは、日本語でないから遠慮して、スロットマシーンにした。カミサンにピタリと横に付かれるとなかなか自分のペースでは勝負出来ないもの。最初、10ドル札を差し込もうとしたら、ダメと言われ、仕方ないから1ドル札を突っ込んだ。スロットを回すと1回で終わってしまう。確か、1セントからプレイできると聞いていたのに。

試行錯誤しながらやっと賭け方が分かって来た。カミサンの手前試行錯誤を誤魔化しながら、あまりに簡単に1ドル札が消えていくのも旨くないと、彼女に気付かれないように1セントで遊ぶ方法を見付けた。その途端だった。

画面がやたらと派手に「BONUS! BONUS! BONUS!」という文字が躍り、炎が燃え盛る。多分、フィーバーしたのだ。これがなかなか終わらない。10分程して漸く終わった。

その時、カウンターを見たら180倍とあった。大当たりだ。しかししかしである。1セントでなく1ドルを賭けてもう1~2度プレイを続けていたら、180ドル(1万8千円)になったのに、1セントだから1ドル80セント(180円)にしかならない。もう既に7~8ドルは使っていたから到底元にも及ばない。

でも、カミサンの監視下でやってるのだから、次々にお金をつぎ込む訳には行かない。千円(10ドル)以内でどれだけ長く遊べるかが大事。これでいいのだ。機械内の残金と合わせて270セントで遊べば良いのだ。

暫くしてもう1回「BONUS!」が来た。良し今度は200倍以上にするぞと力んだが、フィーバー中にどういう目が出ればフィーバーが継続するのか分らない。分らないうちに70倍ほどで終わってしまった。

その後3回目のフィバーが来ないまま、カウンターがゼロになって試合終了となった。その間40分以上は持ったのだ。たった7~8ドルで。やりながら、昔箱根の旅館に今は亡き母を連れって行った時、夜、旅館の遊技場でパチンコに興じた母を思い出した。

.       カジノ   ネットより拝借

.       カジノ   ネットより拝借

翌朝の朝食の時、添乗員(42歳女性)が、「昨晩は勝ちましたか?」と聞くので、「いえ、8ドル負けました」と答えた。「じゃぁ、トントンでしたね。良かったじゃないですか。幾ら投資したんですか?」と更に聞く。「8ドル」。「え!?」だって。普通は、予算を100ドルとか200ドルとか決めてやる人が多いとのこと。

ところで、この添乗員さんがとても素晴らしかった。話し方も説明の内容も的を射ていて簡潔、ツアー客をより喜ばせようと様々な企画をしてくれるし、気配りの仕方は超一流だ。過去の旅行の中で、この人が断トツのナンバー・ワン添乗員だと思う。

知り合いの女性に仕草や雰囲気がとても良く似ているので、親しみを覚え話し掛けてみした。出身は信州の上田で上田高校卒業だと言う。僕も長野高校だと伝えた。「極く近い土地柄同士が遠くアメリカで話をしていることも不思議ですねぇ」と仰る。正にその通り。

.     ラフリン夜景  ネットより拝借

.             ラフリン夜景  ネットより拝借

9月 18, 2014   2 Comments

35年ぶりのアメリカ(前編)

.    アンテロープ・キャニオン

.      アンテロープ・キャニオン  all photo by Shindou

 .  現役引退の時、カミサンから、年1海外旅行だけ一緒に行くことを条件に、あとはそれぞれの趣味に干渉せず自由に人生を楽しもうと申し渡された。

  僕は趣味がさほど広い訳ではないが、下手でも大好きなゴルフと、幾つかのバンドに参加して音楽を楽しむこと、並びに、仲間との飲み会など意外と多く遊びのスケジュールが埋まるので、海外旅行さえ付き合えば、遊んでばかりいると文句を言われないのだから、この申し出は渡りに船だった。僕はこれを称して「義務&テイク」と言っている。  

  今年は、6泊8日でアメリカ西海岸に行って来た。勿論、海外旅行の行先に僕の選択権はない。カミサンが決めた所に付いて行くだけなのだ。アメリカは、昔、F君と2人で50日間の海外研修(各地の保険会社訪問。日本人は僕等2人だけ)に行って以来35年振りだ。僕等夫婦は面倒な計画や手配をするつもりは全くないから、旅行社のツアー参加である。

  行程は、深夜に羽田を立ち、前日の夕方5時ごろサンフランシスコに到着(約9時間)。  翌日から毎日1ヶ所ずつ自然公園を訪れた。

.  ヨセミテ国立公園 ハーフドームを望む

.         ヨセミテ国立公園 ハーフドームを望む

  初日ヨセミテからスタートしバス移動で、グランド・キャニオン、モニュメント・バレー、アンテロープ・キャニオン、セドナ、と雄大且つユニークな超自然を満喫した後、最終宿泊地ロスアンジェルスではサンタモニカの夕日を見ながら海辺のレストランで夕食。

  最終日は飛行機でサンフランシスコに飛び観光後空港から帰国の途についた。帰りはアゲンストの偏西風の影響で10時間強掛かった。

  ざっとこんな旅だったが、僕が事前に期待したのは、ヨセミテ(ここがルートに入っている旅行ツアーは少ない)とグランド・キャニオンだった。期待に胸膨らませてヨセミテに来てみたら、何となく印象が上高地に似ていて、想像とのギャップが大きかった。

.           グランド・キャニオン

.               グランド・キャニオン

  次の日のグランド・キャニオンは、最初に見渡した時こそ、さすがにその規模と雄大さは世界一かと感動したが、30分も見ていると飽きて来る。年齢と共に感動するセンサーが鈍って来ているのかも知れない。

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  そんな中で、予想外に気に入った場所が2か所ある。その一つはアンテロープ・キャニオンだ。砂が固まったような台地を、長い長い時間を掛けて小川が侵食して深い細い溝を作った場所だ。

.         アンテロープ・キャニオン

.              アンテロープ・キャニオン

  その底を歩くと、両側の壁が何層もの砂が固まった跡が横縞模様になっていて、何とも不思議な現代アートの中に迷い込んだかのような感覚だ。壁の高さは14~15mはあるだろうか。光も弱く薄暗いから何とも幻想的なのである。通路も人がやっとすれ違えるほど狭い。

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  地元の先住民の末裔がガイドをしてくれたのだが、彼が僕らにシャッター・ポイントをその都度教えてくれる。下から見上げるとクマの形に見える岩(僕にはクマと言うよりベールを被ったマリア像に見えたが)とか、コヨーテの形の岩とか、婦人服雑誌の表紙に使われた砂漠の波模様に見える壁とか見どころがいっぱいだ。

.              波模様

.                    波模様

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  そんな中で、彼が「ここから真上に向かって写真を取れ」と言う場所があった。見上げても何が良いのか分らない。撮って見ても何が良いのか分らない。ガイドは僕のカメラを取って、真上に向けてシャッターを押した。

  その写真を見てみたら、あーら不思議。上からの光が周囲の壁に縁取られて綺麗なハート型に映っている。僕は同じ場所からもう一度見上げてみたが、ハート形には見えなかった。なんで?

.             ハート形

.                     ハート形

  中にいたのは、精々40~50分程だったが、このアンテロープは一日いても飽きないと思った。神が作った芸術という以外ない。

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9月 17, 2014   No Comments

20周年を目指します

のどごし生バンドの一連の10周年記念ライブには皆様にお越し頂き、誠にありがとうございました。6月の銀座タクトでは、気持ち良く10周年を締めくくることが出来ました。 暫くお休みを頂いておりましたが、来週20日の土曜日に、ライブを再開致します。20周年を目指していよいよ活動開始です。

2014.09.20 グレコ ライブ チラシ

 

9月 13, 2014   No Comments

FISという会社


.  現役引退の年から満6年が経過し7年目に突入した。現役引退後暫くは毎日が日曜日を謳歌していたが、数か月後、JTに誘われて、彼が創設したばかりのある少額短期保険会社の顧問としてお手伝いをすることになり今日に至っている。尤もこの6月からは、顧問という気楽な立場から、常勤監査役などという仰々しい立場にさせられてしまってはいるが。

  この会社、名前を「株式会社FIS」という。最初は60歳過ぎのプレミアムエイジ(40年間の現役時代に培ったノウハウと経験の豊富な世代)により運営される保険会社を目指したが、今や、同い年の創業者JTも、彼が見込んだ31歳の若き社長に今後の会社発展を託して、保険とは全く別のビジネスに移ってしまった。

  この若き社長、IT業界などで成功した経営者にありがちな「俺の力だ」「俺がこの会社の総て」みたいなワンマン経営者ではなく、「神童さんね、僕は、従業員が自分の家族や親戚の子に対して、就職するならFISだ、と言って貰えるような会社にしたいんですよ」と言う。ベテランの経営者でもなかなか言えないセリフだ。

  彼が率いる今の(株)FISは、当時のプレミアムエイジ組数人の例外はいるが、20代・30代の若者を中心とする現役バリバリの保険会社に生まれ変わっている。そして、その若者達の熱意やバイタリティーの素晴らしさを目の当りにして、今更ながら、「若さは勢い」ということを実感している次第だ。  

  と言うのも、若返った昨年度の会社業績が、その前の年の4倍という想定外の伸びを示したのだから。目標必達の厳しさは、僕の出身会社を髣髴とさせるものがあるが、大会社と違い社員30名にも満たない小さな会社だから、一人一人にとって会社の全体像が手に取るように分かり、自分の頑張りが挙積の何割を占めているかも直ぐに分かるのが良いらしい。

兎に角皆良く働く。今の急成長過程にある会社の姿は、社員の頑張り甲斐と楽しみの源となっているようだ。そのような世界に身を置いていると、こちらまで彼等から若さを貰えているように感じる。

  とは言え、彼らの頑張りぶりを見るに付け、自分の20代・30代の頃と重ね合わせることは出来ても、今はそれはとても出来ないことも当たり前に認識せざるを得ない。プレミアムエイジ組の知識ノウハウが頼りにされるのも、せいぜいあと1~2年か。

  その間に、顧問として僕とF君、並びに、Wさんで取り組んで来たFISのシステム体制の次世代への移行と、出来たばかりの監査役会の実効性を上げて次の人に引き継げるよう全力を挙げなければならない。

  こんな小さな会社に何故監査役会が必要か? 

  会社法では、中小企業では監査役1人以上置けば良いのだが、大会社の範疇に入ると、監査役は3名以上(常勤監査役が最低1名)必要となり、その半数以上は社外監査役が占めなければならない。そして、監査役会の設置が義務付けられる。

  大会社とは、資本金の額が5億円以上または負債の総額が200億円以上の株式会社と定義されている。なのに、資本金3億の我が「(株)FIS」が、大会社と同じ扱いがされてしまうのは、保険法に、資本金3億以上は、会社法の大会社に準じるという規程があるからだ。当社はこの春、資本金が3億円を超えたのだった。

  6月の株主総会で、税理士と司法書士のお2人の先生に社外監査役をお願いし、僕が常勤監査役となって、3名による監査役会がスタートしたばかりである。これを、早急に実のあるものにして後進に引き継ぐのが目下の使命だ。

9月 11, 2014   No Comments