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清澄庭園

 

.       清澄庭園     写真はネットより拝借  

.       清澄庭園     写真はネットより拝借


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  澄み渡る青空。水色ではなく濃い青の空。東京でもこんなに綺麗な空があるのかとつい思ってしまうくらいに透き通った空。雲が一つも見当たりません。今日は貴重な平日週休日。こんな日は都内散策でしょう。多摩地域に住む僕としては、思い切って東京の反対側くらいまで足を延ばして、まだ行ったことのない公園などを散策したいもの。

  友達から聞いていたんです、「清澄庭園」(きよすみていえん)のことは。新宿に出て、地下鉄大江戸線に乗り込む。下車駅は清澄白河駅。何だか清らかで高貴な感じの名前ですねぇ。清く澄んだ白い河。庭園には持って来いじゃないですか。白河天皇に由来する地名かも知れず、高貴な響きを感じる。

  新宿駅と清澄白河駅とは、東京を東西に長く循環する大江戸線のその両端に位置する。僕の家から東京の反対側というと、月島だの門前仲町だの、そして清澄白河など東京の東側を指すのでこれで良いのです。

  自宅から1時間強掛かって到着。地下鉄の駅を出て外に出たら、直ぐに「清澄庭園」入口の案内が目に入った。道路に面して長い塀に囲まれているその中が庭園なのだろう。庭園入口まで2分くらい掛かったが、分かり易い。

  さて、入場料。一般(中学生以上)150円、65歳以上70円とある。僕は70円払ったが、何だか中学生に申し訳ない気分。勤務先に近い新宿御苑なんかは、一般200円で小・中学生は50円、シルバー割引無しだから。

  紀伊国屋文左衛門の別邸とも伝えられているらしいけど、確かなのは明治以降岩崎弥太郎の別邸として、迎賓館の役割や三菱の社員保養所として使われた歴史を持つということ。中に入ると敷地一杯に大きな池が張り出しているのが見えます。庭園にはご同輩と思しき人々が個人で、或いは団体で散策中。平日だから若い人は殆ど見掛ないのは無理もないですね。

  入り口近くから、池の反対側に池に張り出した和風の建物が見えます。これがどうも「涼亭」という名の数寄屋造りの家屋のようですねぇ。明治42年に建てられた木造建築というから驚きますよね。メンテナンスは常時行われて来たんだろうけど。

  池の周囲をゆっくり歩く。池には、カモと亀がゆっくり水面を泳いでいます。この庭園は時間もゆっくり回っているみたい。水の中には大きな鯉やフナの外、メダカのような小さい魚も沢山。中の島に目を転ずれば、アオサギやコサギが何羽も木の枝に止まっている。10羽くらいが止まっているんだけど、1匹を除いて、他の鳥は首を真っ直ぐ上に伸ばしたまま動かないから、木の天辺から上に白い枝が伸びているよう。

  ふと足元を見ると、コサギが水辺で獲物を狙っているところです。直ぐ下の池の淵を見たきり動かない。それも僕の足元から1メートルほどの所で。一瞬僕は良く出来た鳥の置物かと思ったくらい。その時です、縮めていた首を水面に向けて目一杯伸ばしたかと思うと、次に頭を上に向けた。嘴でしっかり小魚を挟んでいます。僕は思わず拍手しちゃいました。そして、コサギは一気にそれを飲み込んで悠々と飛び立って行きました。

  我が家は多摩地区の大栗川という川に面しているので、シラサギやカモや他の種類の鳥が川にやって来て餌を取る場面は何度も目撃していますが、それは堤防から見ているので20mは離れていると思いますが、今日は1m先で目撃しました。初体験。

  それにしても、ここの動物たち、人間を少しも怖がらない。ベンチに腰掛けていると、泳いでいたカモが、陸地に上がって来て、僕の直ぐ近くまで来るんですねぇ。そして僕の顔を見るのです。「ご免な。君にあげるもの何も持ってないんだ」と言っても、まだ何か与えてくれるのではないかと僕を様子見。

  帰りに分かったのですが、入り口の売店で魚にやる「ふ」だとか、鳥にやる餌だとかを売っているということは、動物たちは人間たちによく餌を貰うので、人を怖がらないのだと分かりました。

  この庭園、新宿御苑や井の頭公園に比べてしまえばかなり狭いけれど、池に向かって小振りの松の木が沢山植わっており、小さな山も作られていて花鳥風月を愛でる日本庭園としては、寧ろ一番の落ち着きを感じます。加えて、紀伊や伊予から取り寄せた大きな青岩(石)があちこちに配置され、風情ある日本庭園らしさを決定付けていますね。

  初めて来てみましたが、大変気に入りました。まだ来たことのない人には、絶好のスポットとしてお勧めします。 

 

10月 31, 2014   No Comments

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  出身会社のOB会の常任幹事にさせられた時、僕はOB会の会長さんから、「兎に角、神童君には、OB会のホームページ(以下HP)を作って欲しいんだ」と依頼された。と言うより、それが僕を幹事にした目的だったようだ。

  それは、単純に僕が会社で長いシステム経験があると言うだけで、「HP作成は神童に」となったのだろう。しかし、僕が携わって来たのは、サーバーやPCのソフト開発ではなく、IBMや日立・富士通と言ったメイン・フレーム(大型コンピューター)の世界だ。

  だから、HPを作れと言われても作れる訳がない。自分で作るには一から勉強し直さなくてはいけないし、それでいつか出来上がるという保証もない。常任幹事の皆さんは直ぐにも作って欲しいと言う。

  そこで、今の会社でシステム作りに協力してくれている協力会社のA社の社長に、OB会がHPを作りたいと言っているが提案してみないかと打診した。A社は今の会社のWebサイト(保険募集)も格安でやって貰った実績がある。

  今の会社がスタートする前から社長同士が知り合いだったこともあり、ボランティアに近い形でシステム作りに参加してくれている。しかし、仕事振りはしっかりしているのは分っている。

  A社の提案書に基づき、常任幹事会で審議。この日のためにA社が作ってくれたHPのプロタイプが(特にHPトップページが)大好評で、即日採用が決まり、具体開発に入って貰った経緯がある。

  HPのカットオーバーから2年半、年一回の大幅なイメージ・チェンジも行って、最初の1年の月間アクセス数が1,000件台だったものが、今では8,000~10,000件台に増加している。会員が全国で2,400人いるが、年配の会員が多くを占めるこのOB会としてはまずまずの利用率かなと思っている。

  さて、音楽活動の同志のようなK君(「みずしまし」のリードボーカルの一人)から、前に、「大学のOB会の幹事をやっています。担当はHP作成なので、神童さんいろいろ教えてください」みたいなことを言われていた。

  その彼が、僕が使ったA社と是非話をしてみたいと言うので、一昨日の夕方、2人で虎ノ門にあるA社を訪問した。K君の説明では既にHPはあるのだが、会員からの投稿はまず、K君が受け取って、それを業者に頼んでHPにアップして貰うやり方なので、直接会員がアップするやり方に変えたいのだそうだ。

  僕の方のやり方も、当初は似たようなものだったが、同好会や各支部のHPの係り(世話人)にチョッと指導するだけで、自分達で出来るようになって行った。それには訳があって、HPのベースソフトが投稿用の入力機能をWordに準拠しているからなのだ。

  Wordさえ使えれば、文字も写真も同じように扱える。また、K君の大学のHPデザインが、こちらのHPデザインに見劣りがするので、会社OB会のHPと全く同じようにして欲しいのだ、ということも言っていた。(A社には優秀なWebデザイナーがいる)

  僕は、A社に頗る安く作って貰ったので、新たな顧客紹介をして会社OB会の格安費用をこの先も続けて貰おうという思惑もあったのだが、K君の持ち込んだ大学OB会のHPの資料の中に、入社年次は1年下だが、出身会社(損保)の社長だったKO氏の写真が載っていて驚いた。KO氏はK君と同じ大学のOB会の会長さんになっていたのだ。

  急遽方針変更。A社の社長に、「この人は、我がOB会の母体会社の社長だったKOさんです。大学OB会なので、全く同じ費用でお願いしますね」と頭を下げたのだった。10日後くらいにA社から提案書(紙及びプロトタイプ)がK君に上がることとなった。

  打合せを終えて外に出ると、既に、虎ノ門界隈は暗くなっていた。居酒屋を探して2人で飲みながら、音楽談議になったことは言うまでもない。乾杯前に、K君はこんなことを言った。

「今日はこうして神童さんと飲めるのを一番楽しみにしていました。考えてみると、私が部下として仕えた3K(出身会社の社長・専務・常務になったイニシャルがKの3人)は、全員濃過ぎる人でした。でも、その癖が付いちゃったのか、濃くない人は物足りなくて。今飲みたいと思うのはやはり3Kとか神童さんなんですよね」。オイ、一緒にするな! でも君も「濃い人(こいびと)達」の4人目のKだよ。

 

10月 30, 2014   No Comments

ラストライブを終えて

 

.   ザ・タペストリーのラストライブ  Photo by Takeuchi

.       ザ・タペストリーのラストライブ  Photo by Takeuchi

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  いろんな思いを込めたラストライブだった。もう結成から4年が経ったのだ。最初のライブは長野市のメルパルク長野の大ホールだった。高校同期会の途中1時間演奏させて貰ったのが始まりだった。

  当初設定した4年という期間は実に絶妙な歳月であった。6人でスタートした一回目の緊張感と高揚感一杯のライブ。演奏は下手だったが、これまでにない新趣向の同期会になったと感謝され評判が高かったことに、バンドを始めて良かったねとメンバー同士で喜び合ったライブだった。

  2回目のライブは長野でなく東京でと決めて新宿のインド・レストランで行ったのだが、首都圏在住の同期が40名ばかり駆け付けてくれた。高校当時流行っていた「高校三年生」(舟木一男)なども演奏曲にしたから、会場と一緒になって歌い演奏側も観客側も一体となった楽しいライブだった。バンド・メンバーも間違いなく一体感・連帯感で満ちていたと思う

  3回目は、同期の猪瀬が都知事選に出馬した時に、六本木で同期の決起集会を兼ねたライブとなり、女性コーラス2人、男声陣からハモニカやボーカルが加わり、一時13人のメンバーを擁するまでになった。正にサミュエル・ウルマンの「青春とは人生の一時期を指すのではない。心のあり様を言うのだ」(バンド信条)を良しとして集まって来てくれた人々だ。

. 曲は「朝日楼」 マッキーと原ちゃん  Photo by Takeuchi

.      曲は「朝日楼」 マッキーと原ちゃん  Photo by Takeuchi

  最初にバンド結成の話をTAKAに持ち掛け、タペストリー結成に漕ぎ着けた僕としては、嬉しい限りだ。バンドが活況を呈した最高の瞬間だったかも知れない。だが、その後、4回目(世田谷区経堂)、5回目(新宿インド・レストラン)と進むに連れて、去って行くメンバーも出て、また、観客も同期の連中が前ほど集まってくれなくなって来た。

  今回を最終回とするのは良いタイミングだと思う。今回(3回目の新宿インド・レストラン)は、1年掛けて練習(月1回)して、最後の舞台を飾ろうと、それまでの半年毎のライブのペースを1回飛ばして、昨日その日を迎えたのだ。会場はそこそこ席は埋まったが、残念ながら高校同期はその中の1/3にも満たない。

  あるメンバーは、高校同期の連中があまり来てくれないから、代わりにメンバーの友人知人に来て貰うより他になかったと言うが、僕としては残念でならない。タペストリーは、一般の観客の前で演奏出来るレベルにないのはメンバー全員が自覚している。仲間内のライブが許される範囲だろう。高校同期のバンドの仲間と言えば、高校同期の連中だと思って来たのだが。

  それはさて置き、皆ラスト・ライブに気合が入っており、一人ひとりの出来栄えは、練習を通じて最後の本番が最高と言えるパフォーマンスを見せてくれたと思う。タペストリーは今出来得る最高の演奏をしたと思う。最後を飾るに相応しいライブと言える。

  この日、僕が嬉しかったのは、会場に来てくれた人の中で3組の人達が、僕の別のバンド「のどごし生バンド」の新子安ライブに来てくれることになったことだ。僕が誘った訳ではない。

「ドラム素晴らしかったです。他のバンドでもやられているんですか?」
「『のどごし生バンド』という名前のバンドで、隔月のペースでライブやっています」
「それはどちらの方で?」
「横浜の新子安という所です」
「横浜なら近いので、行きたいです。案内頂けますか?」

  といった具合だ。この日の僕のドラムはそんなに良いノリでもなかったと思っているのだが、そのドラムを褒めて貰った上に、ライブに是非伺いたいと仰ってくれる人がいることに心から感謝した。「のどごし生バンド」のライブに初めて来て頂けそうな3組の方々は同期の連中ではないので、観客動員を同期以外に広げたことは、僕にとっては正解だったみたい(笑)。

  なお、ラスト・ライブが終り、今後どうするか(何らかの形で続ける、当初の予定通り解散する、再び機運が盛り上がるまで休憩に入るなどなど)は、来月メンバーで話し合って結論を出すことになった。

 

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第一部

1.オープニング・テーマ (ATrain)
2、Wave
3、Summer Time
4、Saving All My Love for You
5、ケ・サラ
6、朝日楼
7、What A Wonderful World
8、Caravan

飛び入りタイム

1.花は咲く
2.幸せはここに
3.バリバリの浜辺で

第二部

1.恋のバカンス
2.スター・ダスト
3.さらば青春
4.Sweet Memories
5.Unchain My Heart
6.聖者の行進

アンコール

1.恋のバカンス
2.闘牛士のマンボ
3.エンディング・テーマ (ATrain)

. シロー、タカオ、ナッケン 「花は咲く」 Photo by Takeuchi

.     シロー、タカオ、ナッケン 「花は咲く」   Photo by Takeuchi

10月 26, 2014   No Comments

川柳句楽部

昨日は、日本橋のOB会事務所で、月一の川柳の会が開催された。メンバーは9人。10句が宿題として義務付けられているのでそれがキツイ。直前まで頭を捻って何とか間に合わせた。社会風刺でも笑える句でも微笑ましい句でも何でも良いのだが、駄洒落ではなくセンスのいい掛け言葉の句はまだ一句も出来ていない。年内には1句何としても作りたいもの。

恥かしながら、今回の句会に提出した僕の作品を掲載させて頂く。まだ、初心者のレベル(ゴルフで言えばHC36)を脱していないことを断って。

 

.           川柳 宿題

 

【共通テーマ】     ― 10月 ―

神々が      出雲に集まる    神無月
出雲では     神々集まり     神在月

台風が      律義に毎週     いらっしゃる
欠け初め     笑った目をした   お月様

 

【サリーマン川柳】

監査役        自分の仕事は   どう監査?
ノーベル賞    発明の母は     怒りなり

輝ける       部長の額は      ダイオード?
朝帰り       妻はもう直ぐ     御嶽山

 

【自由テーマ】

北朝鮮      調査はこれから?  ラチ開かねー
かすかなる    効果も一瞬      ダイエット

ジイジイが    あれ食えこれ食え  それも食え

 

半年も続けていると皆はかなり上達している。他のメンバーの作品を無断で幾つか掲載しちゃおう。

 

何だろな     ママの弁当       和・華・蘭・洋
暴妻の      罵声に耐えて     40年

杯(ハイ)注ぐ  皆既月食       吞みほして
国会の      質疑応答       うちわもめ
目覚ましを    かけても鳴る前   目が覚める
我が評価     昔上司で         今女房

 

会が終わってからは恒例の飲み会。こちらは宿題がないから気楽だし、飲み会をメインと考えるメンバーも多く、楽しい時間を過ごせた。その後京王線組は明大前でもう一軒寄り、この日の予定は全て終了。

10月 24, 2014   No Comments

最近の車内事情 その2

.  前回、電車内のモラルの低下を嘆くブログを書いてしまったが、それとは反対に、先月フェース・ブックに誠に心温まる話が載っていた。世の中捨てたもんじゃないと思った。かなり拡散されていたので、ご存じの方も多いと思うが、私の記憶から再現してみたい。

  そのお母さんはダウン症のお子さんとバスに乗り座席に座っていた。近くにいた数人のおばさんグループが何か言い出した。

「バスは人間の乗り物よ。遠慮して貰いたわねぇ」
「見るだけで不快になる」
「本当にキモいわねぇ」

  などなど。お母さんは、自分たちに向けられた罵詈雑言だと気が付いて、そのおばさん達に何か言おうとしたら、その子に止められ、「お母さん、次で降りよう」と囁かれた。なおも彼女らからの非難は続く。

「良く平気で乗っていられるものね」
「同じ空気を吸いたくない」

  そして、遂に、その母子に向かって、

「あんた達、次で降りなさいよ!」と言った。

  その瞬間、バスが急停車した。運転手は「ここで降りて下さい」とマイク越しに言った。お母さんは自分たちのことだと思って立ち上がろうとしたら、運転手は、「あっ、いえ、あなた方ではありません」と伝えて、「そちらのご婦人達、ここで降りなさい!」と命じた。

「何で、私たちが降りなきゃいけなのよ」
「迷惑なのはこの人達でしょ!」

  それまで黙っていた若者が言った。「早く降りろよ、おばさん! うるせーんだよ」。それを合図に他の乗客たちも口々に「迷惑なのは、あんた達よ」「さっさと降りろ」と降りろ降りろコールの合唱となった。おばさんグループは捨て台詞を吐きながら降りて行った。

「とんでもない運転手ね。何よ客に対して降りろとは」
「運転手さん、あなたの会社に訴えるからね!」

  これに対して運転手も負けていない。

「どうぞ、ご自由に」

  運転手に拍手喝采が起きた。

  お母さんは、それまで、おばさんグループだけでなく他の人も、言わないだけで同じように思っているのだろうと孤立感の中にいたが、この状況に胸が一杯になり熱いものが込み上げて来たと言う。

10月 22, 2014   2 Comments

結婚式

.        若き社長夫妻   Photo by W’s friend

.         若き社長夫妻      Photo by W’s friend

 

結婚披露宴は4時半からだが、僕が会場に着いたのは15分前だ。何とか間に合った。場所は東京駅八重洲口の「シャングリラ・ホテル東京」の最上階(27階)のボール・ルーム。

  ホテルの結婚式なんて、いつ以来だろう? 最近は披露宴に金掛けるのは流行らないから、今時かなり珍しいのではないかと思う。それもこんな高級ホテルで。2009年3月オープンだそうなので、まだ全てが真新しい。

  最上階に上がったら、ボール・ルームの前の広間にはあらかた来賓は到着しているようで、大勢がウェルカム・ドリンクを片手に談笑している。どうやら最上階には、披露宴会場はこのボール・ルーム1つだけのようである。

  時間になり会場のドアが開けられたので中に入った。とても広い。南側は窓が広く、丸の内側の高いビルが見える。黄昏時を迎える頃だったから、それが一枚の大きな絵画のように見えた。室内は至る所に高価そうな装飾が施されていて、天井も高い。ボールルームというから、贅を尽くした舞踏会用のホールなのだろうか。聞くところに寄れば、招待客150人、1千万円超の披露宴だとか。ワオ!

  さて、新郎新婦入場。新婦新郎が腕を組みながら登場した。会場は割れんばかりの拍手。結婚披露宴はこの瞬間が一番好きだ。新郎の緊張の中にも、照れ隠しか、自然と湧き上がるのか、最高の笑顔。そして新婦の初々しさが微笑ましい。初めて見る新婦は彫が深くてとても美しい女性だった。長野県飯田市の出身だと言うから、同じ信州出身として頷ける(え?)。

  最初は司会者の新郎新婦の略歴紹介だろうと思っていたら、まず、ウェルカム・スピーチとのことで、新郎からの挨拶。来客への感謝の言葉の後「飲み過ぎ、飲ませ過ぎにはくれぐれもご注意ください」と言った。彼らしい。

  その後は、通常の進行で、主賓挨拶・乾杯・ケーキ入刀と進み、ファースト・バイト。因みにファースト・バイトとは、新郎・新婦が夫々交代でケーキをフォークで相手の口元に運び食べさせる儀式のことだ。

  新婦お色直しとなり、フランス料理が振る舞われた。最初の方で、フォアグラとトリュフに白いソースの掛かった高級料理が出た。僕の隣のM君は、「これがフォアグラですか? 慣れない物食べるとお腹がビックリしちゃいそう」と笑う。ダチョウの肝臓というが、僕にはレバサシ(大好物)とさして変らないように思った。

  僕らのテーブルは、W君が社長を務める保険会社の役員・部長(計5名)や監査役(3名)のテーブルである。僕の右隣が取締役のM君、左隣は執行役員のR子さん。この3人は会社でもシニア組と言われていて、平均年齢26~27歳の若い会社にあっては飛び抜けて年齢が高い(R子さんはまだ40代ので可哀そうだが、若者達からみればそうなる)。 

.  この日は銀座のママになったR子さん  Photo by MUKAI

.  この日は銀座のママのR子さん  Photo by Mukai

  そんな、R子さんがこの日は髪をアップにして和服でバシッと決めて来た。元、舞台女優だっただけのことはある。銀座の美人ママの雰囲気だ。M君に言わせると若い時はモデルさんみたいだったそうな。モデルが銀座のクラブにスカウトされたことにして、2人でさんざん彼女をからかっていたら、美味しいお酒が思いの外進んだ。ビールに始まりワイン、そして升酒。

  かなりの時間飲んで食べていたが、まだお色直しから新婦が戻らない。そのうち新郎も消えた。記念写真の時間なんだろう。まぁ、ホテルの、それも夜の披露宴は時間を気にせず長時間に及ぶもの。通常2時間強なのが4時間コースにはなるだろうと思っていた。このペースで飲んでたら完全に酔っぱらうなと思い、ロビーのように広い喫煙室に。

  若い社員を含めて大勢が喫煙している。招待客も休憩を取りながらの披露宴って珍しい。お色直し後も、寸劇ありW君の元の会社(MS損保)の職場の人達が出演作成した歌とダンスのリレー映像などの披露もあり、大いに笑い大いに楽しめた。

  そう言えば、不思議に思ったことがある。入社8年で辞めたW君の元上司で現在営業部長が主賓挨拶をしたし、辞めた時上司だった人が乾杯の音頭を取ったり、職場の仲間が大勢駆け付けたり。辞めて行った部下や仲間のためにこんなに大勢結婚披露宴に駆け付けるものだろうかと思ったのだ。さぞや当時、W君が営業数字を伸ばして職場を救ったのだろう。

  宴会はゆったりと進み、新郎新婦への花束贈呈ならぬ、両親への思いを込めた詩の額縁プレゼント。お父様の挨拶の後、再び新郎からの感謝の言葉で披露宴は終了した。

  ホテルを出たのは、9時前だった。実に4時間半。長かったが日常と違うハイクラスの場所で、高級料理と美味しい酒に大満足。千鳥足で帰った。その途中、新子安でミニライブをやっているバンド・メンバーから、地元に戻ったら合流して飲みましょう、との連絡が入った。持つかなぁ? ・・・ 持たなかった。

渡邊社長結婚式2

.      若き社長夫妻   Photo by W’s friend

10月 21, 2014   No Comments

Aの6回目のリサイタル

先週の土曜日は、暇な筈の僕に同時に3つのスケジュールが入っていた。1つは現在僕が勤めている会社の若き社長W氏(32歳)の結婚式だ。2つ目が「のどごし生バンド」の練習を兼ねたセッション・デー。3つ目は、大学で一緒にバンドをやっていたAのリサイタル。

場所は夫々、東京駅八重洲口、横浜は新子安、そして東中野である。時間も午後から夜に掛けて全てが重なる。どうやっても3つともこなすのは不可能だ。結婚式は最優先せざるを得ない。そこで時間帯が少しずれていて移動時間も短いAのリサイタルと結婚式の2つに出席することにして、新子安は勘弁して貰った。

まずはAのリサイタル。東中野の「DRUM」というライブハウスで6年連続6回目のリサイタルだという。2時半から5時の予定だが、僕は前半のステージだけ聞いて東京駅に向かうことにした。「DRUM」に行ってみると既に超満員。僕の座る場所がない。とっ、直ぐにAの奥様が僕に気付き、自分の席を空けてくれた。申し訳ありません。ありがとうございました。

Aは学生時代、僕らバンドでスタープレーヤーとしてロックやR&Bのサックスをやっていたのだが、退職後はジャズ・サックスを猛特訓して、毎回見事なアドリブを聞かせてくる。オープニングは「マイ・ファニー・バレンタイン」。当時はロックだから当然尖がった音でブイブイ鳴らしていたAが、えも言えぬ柔らかい音を奏でる。

毎年、僕も参加しているが、本当に上手くなったと思う。上手いという表現は当たらないな。聞く人の心を優しくする音色、アフタービートのゆったりしたノリだ。女性ならうっとりするのではないかと思った。

2曲目はガラッと変わって「ウォーター・メロン・マン」。どちらも懐かしい曲だ。バックのピアノ・ベース・ドラムが全員ベテランのミュージシャン(知る人ぞ知る有名プロ)だから、とても心地良い。

毎年ゲストとして呼ばれるシンガーの曜子さんが2曲歌ったが、彼女も年々進化している、いつものジャズではなく、なんと「島唄」を歌った。憲法9条がノーベル平和賞にならなかったのは残念と言いながら、「今の平和がこれからも長く続きますように」とのMC後歌い出した。

この歌が反戦歌だとは知っていたが、大好きな沖縄の島々が思い浮かぶような情感豊かな歌い方に酔った。その後、何曲かAの曲が続き、その中に「ソング・フォー・マイ・ファーザー」が入っていた。この曲は学生時代に僕らと同じ軽音楽部に属していた「ファイブ・スポット」という先輩のジャズバンドがよく演奏していた曲で、僕の大好きな曲だ。

ピアニストのホレス・シルバーの曲である。残念ながら今年の6月、85歳で生涯を閉じてしまったが、当時、ジャズロックという8ビートジャズの新分野(それ以前のジャズは4ビート中心)を切り開いた曲の一つだ。

プログラムによれば、あと1曲で前半のステージが終わる。僕は時計を見てそろそろ結婚式に向かわないといけないなと思ったところで、ステージのAから呼ばれた。実は、今日、前半で帰っちゃうのは申し訳ないので(Aも僕らの銀座タクトのライブには来てくれた)、「学生の頃のAに纏わるエピソードを挨拶代わりに喋ってから中座するよ」と伝えてあったのだ。

僕は、彼と一緒にやっていた学生バンド「ザ・ストレンジャーズ」の話をした。「何でストレンジャーズって名前になったんだっけ?」と僕。「ストレンジャーズ いいんじゃない? ってなことで決まった」(〈シナトラ〉ストレンジャー・イン・ザ・ナイトの洒落)とのAの返し。当時、良く使った駄洒落だが、今回の観客には通じなかったみたい。

そして、最近のブログでも書いた、レコード大賞から1ヶ月強のブルーコメッツの公演の前座を務めたこと、前座で、緞帳が上がった瞬間、キャーキャー、ワーワーの大騒ぎに迎えられたが、幕が上がり切るまでの精々10秒間も持たず、後はシーンとなったことなどをAと掛け合いで話した。これは受けた。

その後僕は急いでW君の結婚披露宴に向かった。

.     Aの熱演     ガラ系の写真で見難くてすみません

.     Aの熱演   ガラ系の写真で見難くてすみません

10月 21, 2014   No Comments

最近の車内事情

.  通勤は毎日電車を使っているので車内でのモラルについて、如何かと思うことが度々ある。腹に溜めて置くのも健康に悪いから書いてしまおう。

  満席の車内。優先席のドア側の隅に座って若者(と言ってもサラリーマン風)がスマホのゲームに熱中している。当然優先席は携帯禁止区域である。次の駅で80歳過ぎと思しきお婆さんが杖をつきながらゆっくりゆっくり歩いてその若者の前に立った。

  気付いてか、気付かずにか、彼は相変わらずゲームに熱中している。その時、彼の直ぐ隣のお年寄り(お婆さんよりは若いと思われるお爺さん)がサッと立ち上がって、お婆さんに席を譲った。「これはこれは、ありがとうございます」と言ってお婆さんは若者の隣に座った。

  その間、若者は全く意に介さずゲームをしている。席を替わったお爺さんも、流石に腹がったのか「オイ君! ここは携帯禁止だぞ!」と注意した。若者はジーとお爺さんを睨んだが何も言わず、再びゲームに戻った。

  僕は、彼の直ぐ隣のドアと座席の角に立っていた。この間の成り行きは全て見ていたのだが、注意されたにも関わらず、年寄を立たせたままいい若者が座り続けてゲームをしているこの態度にはかなりムカついた。「ここは優先席だ。君の座る場所じゃない!」と言ってしまった。

  「うっせーんだよ、ジジイ。こんな年寄くせー場所、こっちから願い下げだぁ!」と僕に凄んでスタスタと車両の反対方向に行ってしまった。お婆さんに席を譲ったお年寄りは、僕に「本当に困ったもんですね」と声を掛け一礼して空いた席に座られたのだった。

  大半の若者は、疲れていたり体調が悪くない限り、空いていても優先席は避けるのが普通だから、この若者をして全体がそうだとは思わないが、最近の日本人のモラルは一体どうなっているのかと思ってしまう。

  優先席のことで言えば、問題は決して若者だけではない。60過ぎの人達の中にも、携帯メールを一生懸命に見て、返信している者も多い。車内放送で「優先席付近での携帯電話はご遠慮ください」と流しても全く気にせずメールを続ける人。酷い時は、電話をしている人もいる。

  掛かって来た電話に出て、「今電車の中だから、後で電話する」と言って切るならまだしも、こちらから電話を掛けるのだからとんでもない。

  子供の靴を脱がせないで座席に座らせ、隣の人に靴底が当たっても平気な母親。「ちゃんと真っ直ぐ座りなさい」と言って足を前に揃わせはするが、靴は脱がせない。だからまた直ぐに足を横に投げ出して隣の人に土足が当たる。隣の人も我慢しているから偉い。

  僕が座ってうつらうつらした時足を蹴られた。駅に止まる電車のブレーキで隣の人に少し凭れたらしい。次に途中で電車が減速した時も同じように蹴られた。薄目で隣の人を確認した。若いOLだった。流石に僕はもう眠気が冷めた。次に駅に着く時、もう一度ブレーキの時に少し凭れ掛かってみた。蹴られた。

  眠った僕が悪い。だけど、ブレーキで体重が少し隣の人を押した程度だ。慣性の法則で仕方ないではないか。その都度蹴飛ばすOLの底意地の悪さを感じた。周りに聞こえるような声で言えば、彼女も恥じるだろうと思って「ごめんなさいね、凭れちゃったみたいで。でも3回も蹴飛ばさなくたっていいでしょう? 注意すれば済むんだから」と謝罪とも抗議とも付かない言い方をした。案の定周囲はこちらに注目したのが分かる。

  「ちゃんと座っていて下さい!」かな切り声に近い。3回も蹴飛ばされた上に注意までされてしまった。おお怖! 各々方、座席ではゆめゆめ、まどろみ召さるな!

 

10月 17, 2014   No Comments

俺のラブソング

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昔、皆からマドンナと目されていた女性を見事射止めた友達がいた。彼はその夜僕の部屋に酒を片手に現れて、「やったよ、神童!」と言って彼女とのなれ初めを滔々と語り、結婚の約束をしたと興奮の面持ちで話した。

彼はそのマドンナと同じサークルのメンバーだからお互い話もするので全く知らない仲ではない。だが、彼女は皆が注目するマドンナだ。チャンスはそうない。

彼によると、3ヶ月ほど前、ダメ元でデートに誘ったら、以外にも素直に応じてくれたのだそうだ。100%断られると思っていたので、その時の驚きは半端じゃなかった。

2回目のデートの時に、「本当に好きになってしまいそうだけど、いいか?」と聞いた。その時彼女は「貴方のこと前から好きでした」と答えた。それを聞いた彼は、もうセルフ・コントロール不能になり、初めての口づけを交わした。

それから、何回もデートを重ねて、この日、結婚を約束したと言うことのようだった。深夜まで僕の部屋で酒を酌み交わし、彼はその晩とうとう帰らず僕の部屋に泊って行った。彼は誰かに自分の喜びを話したかったのだろうと思う。僕はその晩何度「おめでとう」と言ったか分からない。

残念ながら、その友人は10年ほど前、病に倒れ亡くなってしまった。美人の奥さんを残して。早過ぎる死だった。丁度今頃の季節だったと思う。

ふと、そんなことを思い出したら歌が出来た。日本語の詩に自信がないので、英語の詩であの時の彼の気持ちを書いてみた。追悼の気持ちを込めて。曲も付けた。詩に比べれば曲の方は少し自信がある。ただ、今のところ曲がいいと言ってくれる人は一人だけ、神童だけなのだが(笑)。

まっ、それでも下手の横好き、丁度50曲目の作曲だから、自分の中では記念碑となる曲なのだ。題名は「俺のラブソング」。只今、Y君による編曲並びにデモテープの作成中だ。乞うご期待。いつか聴いて頂けたら幸せ。

 

.                   俺のラブソング  (My Love Song)

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IN            Wow Wow Woh  Oh Yey Yey Yeh
.              Wow Wow Woh  Oh Yey Yey Yeh

A            The words just like a music of love
.              You whispered,’ I long for you’
.              Just at that moment I felt ten feet tall

A             I’ll swear everlasting love
.               And guard you through my life
.               Cause you made me the happiest man in the world

B             You are beautiful, you are so beautiful
.               You are the only light that shines in my heart
.               You are beautiful, you are so beautiful
.               You are the only light that shines in my life

.                          (間奏)  intro part

A              I wonder if it can be true
.               Now we are walking hand in hand
.               On the path in falling leaves There’s nobody else

A              I’ll swear everlasting love
.               And guard you through my life
.               Cause you made me the happiest man in the world

B             You are beautiful, you are so beautiful
.               You are the only light that shines in my heart
.               You are beautiful, you are so beautiful
.               You are the only light that shines in my life

C             You are beautiful, you are so beautiful
.               I got a reason to live       I love you

EN            Wow Wow Woh  Oh Yey Yey Yeh
.               Wow Wow Woh  Oh Yey Yey Yeh

 

.                                          【和約】

     君は愛の調べのような言葉をささやいた
     「ずっと貴方が好きでした」と
     その瞬間、俺は10フィートも大きくなったのを感じたんだ

     永遠の愛を誓うよ
     そして死ぬまで君を守ってみせる
     君は俺を世界で一番幸せな男にしてくれたのだから

     君は美しい  君はとても綺麗だ
     君は俺の心を明るくしてくれる一条の光
     君は美しい  君はとても綺麗だ
     君は俺の人生を輝かせてくれるただ一つの灯り

                         (間奏)

      これは本当のことなんだろうか
     俺達は今こうして手と手を取り合って歩いてる
     枯葉舞い散る小径(こみち) 俺達だけの世界

     永遠の愛を誓うよ
     そして死ぬまで君を守ってみせる
     君は俺を世界で一番幸せな男にしてくれたのだから

     君は美しい  君はとても綺麗だ
     君は俺の心を明るくしてくれる一条の光
     君は美しい  君はとても綺麗だ
     君は俺の人生を輝かせてくれるただ一つの灯り

     君は美しい  君はとても綺麗だ
     俺は生きる意味を初めて知った  I love you 

 

10月 16, 2014   No Comments

華麗なる転身

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  現役時代、僕の所属したシステム部門では損保初のオンライン化に取り組んだ。その時、自前構築か専門会社に委託するかで、経営陣は喧々諤々の議論を連日行ったようだが、結局、巨大な費用が掛かるオンライン化は、未経験のシステム部門に任せるにはリスクが大き過ぎるとの判断から、オンライン経験豊富な野村総研と我がシステム部門との共同開発で行くと決まった。昭和48年のことだ。

  当時の会社名は野村総研ではなく、(株)野村コンピュータ・システム(通称NCCと呼ばれた)だったが、彼らは、金融機関で日本初のオンライン・システムを成功させた野村証券のシステム部門だったが、それを別会社に分社し、野村証券のシステム開発をメインにしながらも、他社のシステムも手掛ける新しい会社に生まれ変わったばかりの時だった。彼らはオンライン・システムについて絶対的自信に溢れていた。

  但し、証券業には通じていても保険業は全くの素人だったから、そこは我がシステム部門がカバーして2年後の昭和50年、損保業界初の全国オンラインを成功させた歴史を有している。この共同開発を通じて我がシステム部門もオンラインに関する知識・技術を吸収出来たことは、その後の当社システムの発展に大きく貢献することになった。

  さて、NCC側で当社の担当となった大勢のSE軍団の中にSさんがいた。彼は入社したばかりの新人だった。僕の仕事の分野の担当だったから毎日接触をした仲だったが、勤勉で真面目で、その誠実な人柄は、自信満々のNCC社員の多い中で大変際立った存在だった。

  数年後彼はNCCの別のセクションに移ってしまったが、当社の整備工場向けシステムの開発・販売の仕事だったという。それ以来、風の噂でNCCの仙台支店勤務になったことや、再び東京勤務になったことなど伝え聞いてはいたが。

  そのSさんが、60才過ぎて歌のレッスンを受け始め、何と昨年リサイタルを行なったと言うから、俄かには信じられなかった。ご本人には失礼ながら歌手Sを想像することが全く出来なかったからである。あの誠実で控えめ、超の付くくらい真面目な人が演歌歌手になるとは。

  そのSさんが一昨日、2回目のリサイタルを行なったのだ。オンライン開設後、長い間NCC側の責任者を務められたAさんに誘われ、先輩のMさんと一緒に参加した。台風前日にも関わらず南青山の「マンダラ」は満員だった。「マンダラ」はかなり名の知れたライブハウスで、随分前に僕らがバックバンドを務めていたデュオ(プロ)が出演したことがある。

  いよいよ開演だ。ピアニストとギタリストがスタンバイ。そこにSさんが白いタキシード姿で現れた。約40年振りに見るSさんの雄姿だ。オープニング曲は吉幾三の「津軽平野」だった。最初の1フレーズを聞いただけで彼のバリトンの声の良さと声量の豊かさに驚いた。音程も節回しもしっかりしている。

  Aさんは、彼が長いこと詩吟をやっていたことを教えてくれた。プロはだしのあの小節は、成るほどである。Mさんも、あの当時Sさんの話す声が低音ながらとても良い声だと思っていたそうだ。

  昨年は北島三郎の曲が圧倒的に多かったというが、今回は演歌(有楽町で逢いましょう、天城越え、契り、など)の他、様々なジャンルに挑戦し、民謡・詩吟を初め、カンツォーネ(プジレコの漁師、他)、映画音楽(ムーンリバー、他)、歌劇(愛の妙薬)などを聞かせてくれた。元々演歌大好きSさんが、このような挑戦をしたことに大拍手を送りたい。

  途中、彼の通うボーカル教室の先生(と言ってもSさんよりずっと年下)が1曲ゲストとして歌ったが、生徒のSさんがあそこ迄レベル高く歌ったからだろうか、先生の気合の入り方も半端でなかった。先生を本気にさせたSさん、素晴らしい。おめでとう。アンコール曲「マイ・ウェイ」で終演となった。

  「マンダラ」の近くで行われた打上げにも顔を出したが、そこで、これまた懐かしいHさんにお会い出来た。HさんもNCCの責任者として、一時、僕の相手役として仕事をした間柄だ。彼に会えたのも、Sさんのリサイタルのお蔭である。ありがとう。

  

10月 15, 2014   No Comments