プレミアムエイジ ジョインブログ
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華麗なる転身

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  現役時代、僕の所属したシステム部門では損保初のオンライン化に取り組んだ。その時、自前構築か専門会社に委託するかで、経営陣は喧々諤々の議論を連日行ったようだが、結局、巨大な費用が掛かるオンライン化は、未経験のシステム部門に任せるにはリスクが大き過ぎるとの判断から、オンライン経験豊富な野村総研と我がシステム部門との共同開発で行くと決まった。昭和48年のことだ。

  当時の会社名は野村総研ではなく、(株)野村コンピュータ・システム(通称NCCと呼ばれた)だったが、彼らは、金融機関で日本初のオンライン・システムを成功させた野村証券のシステム部門だったが、それを別会社に分社し、野村証券のシステム開発をメインにしながらも、他社のシステムも手掛ける新しい会社に生まれ変わったばかりの時だった。彼らはオンライン・システムについて絶対的自信に溢れていた。

  但し、証券業には通じていても保険業は全くの素人だったから、そこは我がシステム部門がカバーして2年後の昭和50年、損保業界初の全国オンラインを成功させた歴史を有している。この共同開発を通じて我がシステム部門もオンラインに関する知識・技術を吸収出来たことは、その後の当社システムの発展に大きく貢献することになった。

  さて、NCC側で当社の担当となった大勢のSE軍団の中にSさんがいた。彼は入社したばかりの新人だった。僕の仕事の分野の担当だったから毎日接触をした仲だったが、勤勉で真面目で、その誠実な人柄は、自信満々のNCC社員の多い中で大変際立った存在だった。

  数年後彼はNCCの別のセクションに移ってしまったが、当社の整備工場向けシステムの開発・販売の仕事だったという。それ以来、風の噂でNCCの仙台支店勤務になったことや、再び東京勤務になったことなど伝え聞いてはいたが。

  そのSさんが、60才過ぎて歌のレッスンを受け始め、何と昨年リサイタルを行なったと言うから、俄かには信じられなかった。ご本人には失礼ながら歌手Sを想像することが全く出来なかったからである。あの誠実で控えめ、超の付くくらい真面目な人が演歌歌手になるとは。

  そのSさんが一昨日、2回目のリサイタルを行なったのだ。オンライン開設後、長い間NCC側の責任者を務められたAさんに誘われ、先輩のMさんと一緒に参加した。台風前日にも関わらず南青山の「マンダラ」は満員だった。「マンダラ」はかなり名の知れたライブハウスで、随分前に僕らがバックバンドを務めていたデュオ(プロ)が出演したことがある。

  いよいよ開演だ。ピアニストとギタリストがスタンバイ。そこにSさんが白いタキシード姿で現れた。約40年振りに見るSさんの雄姿だ。オープニング曲は吉幾三の「津軽平野」だった。最初の1フレーズを聞いただけで彼のバリトンの声の良さと声量の豊かさに驚いた。音程も節回しもしっかりしている。

  Aさんは、彼が長いこと詩吟をやっていたことを教えてくれた。プロはだしのあの小節は、成るほどである。Mさんも、あの当時Sさんの話す声が低音ながらとても良い声だと思っていたそうだ。

  昨年は北島三郎の曲が圧倒的に多かったというが、今回は演歌(有楽町で逢いましょう、天城越え、契り、など)の他、様々なジャンルに挑戦し、民謡・詩吟を初め、カンツォーネ(プジレコの漁師、他)、映画音楽(ムーンリバー、他)、歌劇(愛の妙薬)などを聞かせてくれた。元々演歌大好きSさんが、このような挑戦をしたことに大拍手を送りたい。

  途中、彼の通うボーカル教室の先生(と言ってもSさんよりずっと年下)が1曲ゲストとして歌ったが、生徒のSさんがあそこ迄レベル高く歌ったからだろうか、先生の気合の入り方も半端でなかった。先生を本気にさせたSさん、素晴らしい。おめでとう。アンコール曲「マイ・ウェイ」で終演となった。

  「マンダラ」の近くで行われた打上げにも顔を出したが、そこで、これまた懐かしいHさんにお会い出来た。HさんもNCCの責任者として、一時、僕の相手役として仕事をした間柄だ。彼に会えたのも、Sさんのリサイタルのお蔭である。ありがとう。

  

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