プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 12月 2014

クリスマス・ライブ

 

2014.12.20 グレコ ライブ チラシ  先日、「のどごし生バンド」は今年最後のライブを新子安グレコで行った。X’mas Liveだったので、クリスマス・ソングを3~4曲交えて、いつもと違う曲達を中心に演奏する予定だった。

ところが、当日は朝から小雨が降っていて、何とか夕方までには上がってくれと祈ったが、ライブの時間が近付く程、雨は激しくなり、これでは、今日は殆どお客様は来ないだろうと口々に囁き合った。この日の土砂降りでお客様が本当に少なかったら、所謂セッション・デーのような感じで、新曲の練習をさせて貰うのもいいかなと思うしかなかった。

以前は僕も、毎回友人知人に電話やメールして会場に足を運んで貰うようお願いをして来たが、今は、皆さんにライブのお知らせはするが、観客動員のようなことは自粛している。「のどごし生バンド」の10周年記念ライブが終った今、友人達に毎回毎回付き合わせるのは、いかな僕といえども申し訳ない気持ちが強くなったからだ。

.   リハ中の バンジョー・大木  Photo by Akichin

.        リハ中の バンジョー・大木  Photo by Akichin

僕らは「グレコ」(横浜新子安のライブ会場)に午後4時からリハーサルを1時間行って5時の開場時間を迎えた。ところが5時前に、この5月迄僕の出身会社のOB会の会長さんだったSさんが早々とお見えになった。彼は、千葉県から遥々雨の中を来てくれたのである。

最近は毎回欠かさずに「グレコ」にご来場頂いていて、殆ど「のどごし生バンド」の応援団長のような存在だ。6月の銀座タクトにもご夫婦でお見えになったし、今度の2月8日のブルース・アレイにも来て頂けるとのことだ。誠に感謝に堪えない。

しかしその後が続かない。今日はSさん一人かも知れない。僕は気になって仕方ないから、店の外で、お客さんが来るのを待った。待つこと15分。「あっ、来た!」。Kさんとそのお仲間達。「ニューズ・ウィークを読む会」のメンバーさん4人がやって来た。「この土砂降りの中ありがとうございます」と僕。「皆お酒が好きだからね。雨関係ないよ」とKさん。

.   ライブが始まった   Photo by Akichin

.              ライブが始まった   Photo by Akichin

本当に、お酒好きの面々で、毎回、かなり飲まれて店への貢献度ナンバー1のグループだと思う。余談ながら、この日、ワインのボトルを何本か明けて、次の1本を頼んだらワインはもうないと言われたとのことで、後で「神童さん、もっと在庫用意しておくように店に言っておいてよ」と言われてしまった。

その後、続々と集まってくれて、6時前には「行くよ」と言ってくれていた予定の人達はお一人を除き全員が着席してくれていた。その一人も、ステージの合間でウクレレのソロを演奏してくれたH君の奥様で、急な腰痛で出掛けられなくなったとのことだ。

.  飛び入り出演のHさん   Photo by Maemae

.  飛び入り出演のHさん  Photo by Maemae

更に、6時からの演奏の直前、先月のライブに始めて来てくれたご夫婦が現れた。会社の後輩のご夫婦なのだが、彼等を含めて予定外の観客はこの日全部で4名が来てくれたのだった。

.  浜ちゃん 「ホワイト・クリスマス」  Photo by Maemae

.  「ホワイト・クリスマス」  Photo by Maemae

僕は、半端でない土砂降りの中を、こんなにも沢山の人々が「のどごし生バンド」を楽しみにして集まってくれたことに、心から感謝すると共に、ある危惧が心に広がった。それは、これ程の悪条件にも拘わらず大勢の皆さんが集まってくれたのに、もし、僕が何らかの理由で来られなかったら、ドラムなしのライブになってしまう。それでは3ステージはとても持たない、というものだった。

.   「サウンド・オブ・サイレンス」  Photo by Maemae

.     「サウンド・オブ・サイレンス」      Photo by Maemae

バンド仲間の中で最年長というリスクを抱える僕は、いざという時お願い出来る、ピンチ・ヒッターがいないことの拙さを初めて自覚したのだった。お誂え向きというか、偶然というか、この日の観客の中に、Oさんという、「グレコ」のハウス・バンドのドラマーが来店していた。僕は、天祐と見て素直に彼に相談した。

Oさんは「大木先生から連絡貰えれば、喜んで駆け付けますよ」と快く応じてくれた。このことが僕の気持ちを楽にさせてくれたからだろうか、僕自身は久し振りに気持ちの乗ったライブとすることが出来た。このところ、大木さんのピアノをバックに歌う4人のコーラス・チーム(38F佐藤さん、アンディー、アキちん、マエマエ)が評判を呼んでいるが、この日の彼らのクリスマス・ソング3曲が一気にクリスマス・ムードを盛り上げた。

.   人気の 「おもて寒いよね」  Photo by  Maemae

.    人気の 「おもて寒いよね」  Photo by Maemae

このライブの中で、僕は2月8日の目黒「ブルース・アレイ」でのライブのことも報告させて貰った。この日のお客様の中で10人もの方々が、飲み放題・食べ放題付きながら6千円もするライブに参加を表明してくれたのも、この大イベントの一人興行主の神童にとっては、正に鳥肌の立つような喜びを感じたのだった。皆さんありがとうございました。

.   アンディーと次男坊   Photo by Maemae 

.   アンディーと次男坊   Photo by Maemae

12月 31, 2014   No Comments

気の病(3)

  他にも数件部下に対応して貰ったケースもあり、企業内には、結構鬱病が多いなというのが僕の感想だ。ほぼ共通するのは、元々優秀で真面目な社員、それ故自尊心も人より高い人が成り易いのだという印象を持っていた。

  彼らと話すと、僕に心を開くまでは、「神童さんのような人には決して分かりませんよ」とか「神童さんはどうして、そんなに明るくしていられるんですかねぇ?」とか、兎に角、「貴方は神経が一本足りないから、鬱病になんかになり様のない人種です」みたいな言い方をされることが多かった。

  確かに、彼らがどのような経過を辿って、どれだけの不本意が重なって発病したのかは分かりようがないのだが、仕事を通じて本来の「出来る自分」と、「現実の自分」とのギャップに苦しんだり、上司からの叱責や様々なストレスが高じて精神のバランスを崩したのだろうことは想像に難くない。

  彼等から見れば、僕のようないい加減な人間は、ストレスを感じる回路が無いのだから幸せですね、となる。「悩むことなんて無いんじゃないですか?」と反抗的に僕を挑発する者もいた。

  余計なお世話だよ、と思いながらも、僕が責任者を務める部門で起きていることだから、彼らの発病は僕の責任だと感じながらも、彼らの治癒に協力することしか出来なかった。再発防止策と言っても、専門家でないので難しく、精神科の医師に初期の内に気楽に相談出来るようにすることくらいだった。

  確かに、僕は40年に亘る会社生活現役時代、自身をノイローゼだとか鬱だとかを一度も感じないで済んだことは事実だ。幸運にも、生涯の師と仰げるような上司や、新機軸の仕事に恵まれたということだろうと思う。

  ところがである、ここ何ヵ月か人生で初めて、もしかしたら鬱かなと思うくらい、気分がすぐれず、無理やり自分を奮い立たせなければ何をする気力も湧かないという重苦しさや息苦しさを感じていたのだ。元はと言えば、僕の大切な人達への、思い遣りや気遣い、想像力の欠如が引き起こした悪い出来事の連続に始まるのだが・・・

  人の鬱症状は分かる僕が、単なる落ち込みか鬱なのかが自分では判断が付かないのだった。正直自分のことは一番分らない。

  多分に季節的なもの(老人性鬱は秋が多い)もあると思うが、12月初めの定期検診の時に、その医者は精神科の先生でもあると言うから、冗談半分に聞いてみた。「食欲はありますか?」「はい」「何か幻覚や幻聴などは?」「ないです」「下痢気味とかそういうことは?」「快調です」。

  「怒りっぽくなったとか、涙を流すことが多くなったとか」「ある大ピンチを仲間に救われた時は涙が出ました」「旅行とかは?」「夏には行きましたが、秋以降はありません」「他に何か変わったことは?」「煙草の本数がべらぼうに増えました」「それは別の意味で良くないですねぇ」。

  医者は言う。「全く鬱病じゃないですね」。そして更に「お話を聞く限り、問題に対して真正面に向き合ってませんね。違うことで気を紛らわそうとしている内に、幾らそうしても問題が解決しないから、それがストレスになっているのだと思いますよ。逃げたらダメなんです」と来た。

  僕が薄々感じてたことを、ズバリこの医者に言われてしまった。現役時代から僕は「ストレスに強い」と言われた方だが、それは気分転換が得意だったからだと思っていた。ところが、今回だけはその気分転換が全く効かなかったのだ。医者の助言に基づいて、僕は勇気を奮って問題と向き合う覚悟を決めた。

  案ずるより産むが易しとは良く言ったもの。向き合ったその日一日でかなり気が楽になったのだ。別の日にはバンド仲間と2人で飲みながら大笑いの会話をし、その2日後には近くに住む友達が僕を居酒屋に誘ってくれて会話が弾むと、何ヵ月も心を覆っていた深い霧は、一体何処へ行ってしまったのかと思うほど、晴れ晴れとした気分になった。気持ちに重さがあるって本当だなと思った。

  今は自分自身が分かる、「もう大丈夫だ」と。友よ、ありがとう! そして友よ、お待たせしました!

.                        気の病   ― 完 ―

12月 26, 2014   No Comments

気の病(2)

  「Xが何をやったのでしょうか?」。僕の質問に秘書室長が答えた。「今朝、Xから社長宛ての手紙が送られて来て、1億円用意しろと書いている。これがその現物だ!」と言って怒りに満ちた表情で僕にその手紙を突き付けた。「さもないと過去の様々な問題を大蔵省にばらすと言っているんだぞ」。

  僕はさっと目を通した。確かに中国業務部時代・九州業務部時代から現在の東北業務部時代に亘って彼が関わった様々な会計処理上の問題点が克明に述べられている。仙台では10日ほど前まで約1週間、財務局検査が入った直後だった。彼はその検査の対応窓口を務めた後、出社しなくなったのだった。

  人事部長が「神童が東北業務部長になった途端、こんなとんでもないことが起きた。おかしいだろう。君の見解を聞きたい」と仰る。「1億円の恐喝なんて信じられません。見解と言われましても・・・」と言い淀んだが、私が理由だみたいなことを言われたのでは黙ってはいられない。

  「確かに私の部下が引き起こしたことではありますが、彼は病気なのです」と、僕が赴任前から休んでいて、都合4か月半休んで出て来たのが9月中旬、そこから半年は真面目に仕事したが、またぞろ先週から勝手に休んでいることなどを伝えた。

  「これでは会計課長不在もいいところなので、営業本部長とも話して、次の定期人事では後任の会計課長を頂くことを決めたところです」と僕。「そんな話を聞くために君を呼んだのではない。この恐喝事件に君はどう対応するつもりかを聞いているんだ!」と人事部長。

  「まず、彼の担当医師の見解を聞きます。それを持って、仙台財務局に行きます。彼があることないこと話に来ても事前に彼の病気のことを伝えておけば、真に受けることはないと思いますので」。何となく空気が緩んだ。「月曜日に医師と話し、その日か翌日には財務局や他の役所に行きますので、それまで旨く引き延ばしてください」とお願いした。

  引き延ばすとは、次に彼が何か言って来ても、1億円の支払について準備中とか、もう少し待てとか言って、彼が要求を拒否されたと思って役所にたれ込むのを遅らせてくれという意味だ。

  人事部長は「良し、それでいいだろう。こちらも顧問弁護士と相談しながら進めることとする」という言葉をもってその臨時会議は終了した。いやはや、とんだトバッチリだと思いながらも、何とか解決しなければと覚悟を決めて仙台に戻った。

  まず前回の医師を訪ねた。そしたら「1億円の恐喝ですか。アハハ。彼は重度の鬱病患者、と言うか、統合失調症かも知れませんが、今、一時的に好戦的になっているだけで、時期が来たら何の執着もなく忘れてしまいますよ」と、前回同様何とも能天気なお答え。

  こちらは、会社中大騒ぎの大事件発生の渦中にいるのだ。「先生、これから財務局やら法務局やら労基署に事情説明に行かないといけないので、彼の診断書を作って貰えませんか?」「いいですよ」てな具合で、兎も角書いて貰った診断書を持って僕はその日のうちに、回れるだけ役所を回った。

  人事部に電話して、役所への説明を終えた旨伝えた。人事部長は「今日また督促の手紙が来た。弁護士の指示で、これから本人に、一切の支払は拒否する旨の内容証明付き郵便を送る」とのこと。

  それを見て、Xは本当に役所に向かうのだろうか。医師の言う通りに早く興味を失って欲しいものだが・・・。希望的観測は裏切られた。数日後、財務局・法務局・人権委員会・労基署など7つの役所から1週間に亘って呼び出しを受けた。役所としては、彼から内容証明付き郵便で訴え出られた以上、会社の責任者に事情を聞かないといけないのでと、申し訳なさそうに言ってから、ヒヤリングに入った。

  事前に医師の診断書や、彼の勤務実態を表す資料等を説明していたので、真に受けている係官はいなかったが、僕は通常業務とは全く違うところで大きなロードを強いられた。それから、役所が何か言って来るかと待ち構えていたが、結局は2度目のヒヤリングもなく終息に向かったようだ。

  親しくなった財務局の係官にこっそり聞いたところでは、「貴方はこんなこと(1億円恐喝)しているよりご病気を早く治して社会復帰することが先決ではないですか」と諭したら、素直に「はい。ご迷惑をお掛けしました」と言って静かに去って行ったということだった。あの医師、名医だったんだ。

  暫くして、彼の奥様が会社に現れて、「この度は会社に大変ご迷惑をお掛けしました。主人にも良く言って聞かせ、会社を辞めさせて頂くことにしました」と、僕に対して大粒の涙を流しながら深々と頭を下げたのであった。実家の九州に帰って家業を手伝うことにしたそうだ。

12月 25, 2014   No Comments

気の病(1)


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  世に鬱病の人はかなり多いという。確かに僕の現役時代にも何人かいた。システム部門は、コンピューター相手に格闘するのが仕事だ。大勢が席を共にしているとは言え、机上のPC画面と睨めっこが多いから、人との会話が必須な業務と異なり、何かで精神的ダメージを受けると、どんどん孤独な世界に入り込んで行ってしまう。

  様子が可笑しい20代の社員がいた。僕は部長として彼を無理やり病院に連れて行ったことがあった。先生は典型的な鬱病だと診断を下した上で、暫く仕事を離れて、実家にでも帰してのんびりさせたらどうでしょうかと仰る。

  医者の言うことだからと、僕の裁量で休暇扱いでなく在宅勤務の形を取って、静岡の実家に帰した。一応決めた期間の1ヶ月が迫った時、ご両親に連絡して静岡駅の近くの喫茶店で、ご両親と一緒に本人に会った。

  僕は彼もすっかり元気になっているものと思っていたが、医者に連れて行った時より症状は悪化しているように感じた。当時鬱病は今ほど一般に知られていない病で、ご両親もどうして良いか戸惑いを隠せないようだった。戸惑いの一部は、親戚にも知られたくない病と思ったこともあるようだった。

  実家でもあまり出歩かないようだったから、地元の病院の行き帰りにジョギングでも散歩でも良いし、海が近いらしいから、海に遊ぶのも良いと彼に伝えて僕は東京に戻ったが、結局彼は、職場に復帰することなくそのまま退職してしまった。

  しかし今は、鬱病なのだからと会社を暫く休めという対処は良くないらしい。皆に迷惑掛ける、皆に後れを取る、自分は職場で役に立たない人間だ、などなど様々な思いをさせ、却って病を悪化させることが多いという。

  仙台に業務部長として単身赴任した時、会計課長が3日経っても1週間経っても姿を見せない。聞けば、僕の赴任前2か月間ずっと鬱病で休んでいるのだという。会計課長は業務部長の直属の部下であり重要なセクションの長である。

  彼の自宅にお邪魔して本人と話をする。それにしても不思議なものだ。赴任先の片腕となるべき会計課長と1週間も過ぎて彼の自宅で挨拶するということが。彼とは初対面だが以前の九州業務部や中国業務部時代の彼の優秀性は聞えていた。

  兎に角、午後帰っても良いから、朝会社に来て欲しいと伝えた。翌朝僕は首を長くして待っていたが遂に現れることはなかった。部下の次長に様子を見て来るよう指示した。次長の報告によれば、本人もそのつもりで昨夜床に就いたが、全く眠れず、明け方になるとウトウトしながら身体が濡れ雑巾のようにだるく動かないのだという。

  彼の症状を知る必要があり、通院先の先生に会いに行った。先生は、「春とか秋になる変り目に症状が悪化することが多い。今は7月に入っているから、もう少し経てばケロっとして通勤し始めますよ」とかなり楽観的なご意見だった。

  案の上、その楽観的見立ては外れ、彼がひょっこり顔を出したのは9月の中旬だった。復帰初日から、溜まった仕事を半徹夜でテキパキ片付け、上期会計見通しや下期の経費振り分け案などの資料も提出してくれた。僕がビックリしたのは言うまでもない。見違えるような優秀会計マン振りを発揮してくれたのだ。

  いやー、良かった。僕はこれでやっと万全な体制なったから、下期はどんどん行くとの思いに溢れた。赴任先の仕事に慣れ、単身者で毎晩のように夕食を共にし、時に飲み会、時にカラオケと単身生活を謳歌していた翌春、彼はまた目付きが険しくなり、僕や同僚に当たり散らすようになって行った。

  「暫く会社休みます」とのメモを自席に残して、翌日から出社しなくなった。またぞろ鬱病の悪化が始まったのだ。彼の家にも数回訪ねたが奥様としか会えなかった。

  月に一度、本社(東京)で全国の業務部長が集まる「業務部長会議」というのがある。なので、僕は月一度、官費で自宅に帰省出来るのが助かっていた。その「業務部長会議」の真最中に人事部から僕に呼び出しがあった。

  行ってみると広い会議室に7~8人が集まっていた。人事担当役員始め人事部の主だった人達、並びに、秘書室長やら広報室長やらが全員僕を注視している。何事だろう?

  僕が指示された席に着くのを見計らって、人事担当役員が口を開いた。「神童君、君のところの会計課長がとんでもないことをしてくれたよ!」。少しばかり怒気を感じる言い方だった。

12月 25, 2014   No Comments

お祝いの会

.  飛び石連休の中日に、先月の陛下主催園遊会に招かれた友人の I を祝って3人が集まった。前にも書いたが、僕の出身会社であるA損保の元社長のSさんがセットしてくれたお祝いの会だ。

  I もSさんもW大出身で、10年ほど前、SさんがA損保の会長になると同時に、W大のOB会の会長になられ、そして、大学の理事(会社の取締役に当る)にも就任された。一方、その頃 I も大学の事務方のトップとして理事に昇格していたので、2人は大学運営の意思決定機関の謂わば同僚となったのである。

  Sさんは、会社時代から相手が誰であれズケズケ物を言うことで有名だったが、それは大学の理事会でも同じだったという。総長であれ名声の高い教授であれ、遠慮のない彼の物言いは変わるところが無かったらしい。

  I はいつも心の中で拍手喝采していたとのことだ。その Iも、大学運営に於いては総長に盾突くことが何度かあったらしいから、Sさんとはウマがあった。

  奇縁と言えば奇縁だ。 I は高校時代(長野)の友達でついこの前まで高校同期バンド・タペストリーのボーカリストだったし、Sさんはこんな僕を役員に引き上げてくれたその人だ。全く無縁に見えた2つの縁が三角形で繋がったのだった。その後、お2人はW大を離れ、I は女子大の理事長として、Sさんは現在、医大の理事として活躍されている。

  僕が園遊会の件をSさんに伝えたところ、物凄く喜んでくれて、I を是非お祝いをしたいとこの日の宴席となったのである。

  それにしても、高級そうなお店だった。丸ノ内ホテル内の懐石料理のお店。現役の頃は接待などで経験しているが、退職後はなかなか縁遠くならざるを得ない類の和風レストランだ。

  たまたま一週間前に、A損保のOB会の常任幹事会が開かれた時、Sさんと親しい先輩に、Sさん主催のこの会のことを伝え、高そうなお店であることを伝えたところ、「そりゃぁ、神童よ、Sさんの性格分ってるだろう? 主賓の分はSさんが持つだろうけど、神童はお祝いの対象じゃないから割り勘な、くらいは言われるよ」との答え。う~ん。だったらもう一寸リーズナブルな所でやってよ、Sさん(つぶやき)。

  仕方なく僕は2万円程度の支払は覚悟して出掛けたのであった。そこは窓から直ぐ下に東京駅が見え周囲の高層ビルが光輝いて見える素晴らしい眺望の部屋だった。

  再会を祝して乾杯の後、I は持参した園遊会の写真集を基に当日の模様を説明してくれた。Sさんが I に「陛下とは言葉を交わせたの?」と質問。「いえ、残念ながら。でも以前別の機会に一度だけ」と I 。ヘー、大したものだ。W大の常務理事だった頃、天皇皇后がW大の乗馬部を訪問された時に責任者として対応したのだと言う。

  お酒と共に、話があちこちに飛ぶようになり、Sさんが社長になった時何を思ったかを語り始めた。既に損保自由化は始まっていたが「これは損保の明治維新だと思った。それ迄是とされて来たやり方や考え方を全部捨てて、180度違う世界を創るのが自分の使命だと思った」と。

  Sさんは当時、会社を変えるための最も有効な方法は、システム化してしまうことだと良く言っていた。その言葉通り、彼はシステムを使って様々な政策を推進したものだ。神童には苦労掛けたが、みたいな発言があったので、僕は「いえ、歴代の社長の中でS社長の時が一番楽しく仕事させて貰いました」と応じた。

  これはオベンチャラでも何でもない。事実、業界初と称される施策が数多く打ち出され、そのためのシステム構築が必須だったから、そのシステムも必然的に業界初となったのだ。

  他にも、とてもブログでは紹介出来ないような、一流の人物(僕を除く)達の会話とは絶対思えないような話題でも盛り上がり、2時間半はあっという間に過ぎた。さて、会計の時だ。

  「Sさん、私はお祝いされる側の人間ではないので、応分に負担させて下さい」と危険な発言を敢えてした。「うん、いいよ」と返って来る筈と思ったら、以外にも「今日はいいよ。俺もまだ収入があるからサ」。同じ「いいよ」でも意味は真逆だった。

  それにホッとした訳でもないが、僕と I はSさんと東京駅で別れて新宿駅に向かった。当然のように2人で「稲田屋」に入って、2次会と相成った。「稲田屋」は I  が仕事上良く使っている居酒屋で、タペストリーの打ち上げでも何度か来ている店だ。

  I が「Sさんの切れ味は、今も全く変ってないねぇ」としみじみと言ったのが印象に残った。

12月 24, 2014   No Comments

ジョー・コッカー死去

.                     ウィキペディア より

.       ウィキペディア より

ジョー・コッカーが亡くなった。70歳だった。早過ぎる死。イギリス北部の工業都市、シェフィールド出身のコッカーは、68年にビートルズのカバー曲で全英チャート1位になり、一躍脚光を浴び、翌年、ニューヨーク郊外で行なわれた今や伝説のロック・フェスティバル「ウッドストック」で、人々に強烈な印象を与え世界的スターとなった人だ。

僕は、バンドで1曲だけ他のメンバーから歌うことを許されている曲がある。それが、何を隠そう、ジョー・コッカー・バージョンの「アンチェイン・マイ・ハート」なのだ。

学生時代にバンドをやっていた時も、この歌を歌っていたのだが、その時はまだ彼はデビューしておらず、レイチャ‐ルス版かアストロノーツ版を手本にしていた。「のどごし生バンド」で昔を思い出して1曲だけ歌いたいと思った時、前から良いなぁと思っていたジョー・コッカーの「アンチェイン・マイ・ハート」が直ぐに頭に浮かんだ。

以来、どのバンドでも、どのライブでも正真正銘のバカの一つ覚えでジョー・コッカーの「アンチェイン・マイ・ハート」を歌っている。尤も彼の様な迫力あるだみ声は出せないので自分流なのだが、曲の構成やテンポはそっくりそのまま使わせて貰っている。

という訳で、彼の死は僕にとって大ショックである。それも70歳というから僕もあと2年強で到達する年齢だ。改めて残り時間に思いを致す。浮かれず惑わず淡々と、やれることは全てやって行こう。悔いのないように。

ありがとう、ジョー・コッカー。  さよなら、ジョーコッカー!

12月 23, 2014   2 Comments

Hamora Night

 

.   Nご夫妻の初ライブ     Photo by Andee   

.    Nご夫妻の初ライブ     Photo by Andee

.  僕の地元にNさんというご夫妻が住んでおられる。このご夫妻はK大学時代、同じコーラス・グループに所属され一緒に音楽活動をされた仲間だったそうだ。過去何回か僕らのライブに来てくれて、ご夫妻で息の合ったハーモニーをご披露頂いたこともある。昨夜は、ご夫妻の初めてのライブが、調布の「GINZ」というライブハウスで行なわれた。題して「Hamora Night」。

  僕はアンディーと2人で訪れた。二人とも寝不足・二日酔いながらも時間通りにお店に到着することが出来た。何故寝不足・二日酔いかと言うと、前日が僕ら「のどごし生バンド」の今年最後のライブで、それが終わった後、新子安から地元に戻って打上げ兼忘年会を行ったからだった。

  それも、盛り上がり過ぎて時間を忘れ、気が付いた時は朝5時だった。アキちんから事前にウコン錠を貰って飲んだからか、珍しく、幾ら飲んでも酔っぱらわず眠気も全く催さずあっという間に5~6時間が過ぎたようだった。

  家に戻ったのが朝5時半。家のドアを開けたらカミサンが起きて来て、「何時だと思っているのよ。歳を考えなさいよ」と叱られてしまった。遅くなることは伝えてあったが、朝帰りになるのは僕も想定外だった。「いやー、皆大盛り上がりでサ」と言ったが、「他の人は10歳以上も若いんでしょう?」「いや、30くらい違う人もいて盛り上がったなぁ」「バッカじゃないの、爺は、若い人に任せて早々に帰るもんよ」「・・・」。

  6時過ぎに寝ようとしても、体内時計が違うせいかなかなか寝付かれない。ウトウトはしたけど結局10時過ぎには起きてしまったが、起きた瞬間頭がガンガンと痛い。やはり飲み過ぎだった。昔テレビCMでやってたが「酒、もう、やめた!」状態。

  それでも夕方になるとかなり状態は好転したので、調布に向かった。アンディーと合流して、「昨日は、電車乗り過ごさなかった?」と聞いたら、「しっかり山手線1周しましたよ。いや、2周だったかな」「そりゃ睡眠充分だね」なんて言いながら会場へ。

  まだ、リハ中だったが、歌いながらミノルNさんがこちらにお辞儀し、僕らの席を指示してくれた。「酒、もう、やめた!」なのに、早速ビールを注文して2人で乾杯。アセトアルデヒドが水分を吸収してしまっていたから、このビールが旨かったの何のって。

  とっ、アキチャンさんが現れた。彼はTSUBASAというコーラス隊のリーダーの旦那様だ。たまに僕らのバンドをエレキギターで支えてくれた人だ。再会を祝してまた乾杯。

  ステージは2部構成で、1部は途中ゲストも入ったが、主にミノルNさんのギター1本でミノルNと奥様のヨーコNの美しいハーモニー曲をたっぷり聞かせてくれた。2人とも歌の音程がしっかりしているから聞いていてとても気持ちが良い。

 

.      ヨーコ N のサックス演奏  Photo by andee

.       ヨーコ N のサックス演奏  Photo by andee

 

  第2部は、若手プロバンドをバックに、いつもと違うアップ・テンポの曲を披露してくれた。2人がはち切れんばかりのパフォーマンスを見せてくれたので、僕もアンディーも自然と手拍子。アンディーに「この曲、ツイスト向きだよ」と水を向けたが「いやー、ご勘弁を。昨日のツイストで腰が・・・」。

  途中、ヨーコNが最近習い始めたというサックスで「スマイル」を披露してくれたり、ゲストとして、ノリコさんという「GINZ」専属のシンガーが、黒人顔負けのR&Bを歌ってくれたり、なかなかの趣向だった。

.     ノリコさんのR&B     Photo by Andee

.     ノリコさんのR&B     Photo by Andee

  知らない所に凄いシンガーがいるものだと感心していたら、ラストナンバーはミノルNがチェッカーズとサザンを歌い、アンコールでは奥様と一緒にモンキーズの「デイドリーム・ビリーバー」でノリノリのステージを締め括った。MCも歌も初めてのライブとは思えない堂々たるものだった。それにしても、ご夫婦で作ったこの素晴らしいステージ、これを感動と言わずして何を感動というのか。

  Nご夫妻にお祝いを言い、「GINZ」を後にした時は、すっかり二日酔いが消えていた。どちらともなく「明日は会社だから、小一時間、時間限定で、行く?」となって、調布駅前の「塚田牧場」に寄りコラーゲンたっぷりの炊き餃子を食べながらまた2人で乾杯。2時間後に解散したのだった。久し振りに大笑いの会話が出来た。アンディーありがとうね。

  Nご夫妻には、2月8日の僕らの「ブルース・アレイ」ライブにお越し頂けることになった。これほど音楽を愛する人に来て貰えるのはとても嬉しい。Nさん、ライブ共々ありがとうございました。負けないように、僕等も頑張ります。

12月 22, 2014   2 Comments

ブルース・アレイ出演決定!


.  お知らせです。「のどごし生バンド」は、来年2月8日(日)の昼ですが、目黒の「ブルース・アレイ・ジャパン」に出演が決まりました。

  この「ブルース・アレイ」は、米国ワシントンD・Cにある老舗のジャズ・クラブの日本支店です。青山の「ブルーノート」が本場ニューヨークの日本支店であるのと同様のコンセプトのライブハウスです。

  店の雰囲気も黒をベースとした本場同様の高級感があり音響の良さは有名で、毎晩有名ミュージシャンが出演しているお店です。

  普通、アマチュアが立てるようなステージではないのですが、縁あって、僕らのライブをやらせて頂くことになりました。

  このような所で「のどごし生バンド」主催のライブを行えるのは最初で最後の機会ですし、僕らの本拠地、横浜新子安は遠いという方々には、是非とも目黒にお越し頂きたく、お願い申し上げます。

  なお、今週の土曜日(20日、5時開場。6時開演)は、新子安グレコにて、X’mas Live を行いますので、そちらの方にもお運び頂ければ幸甚に存じます。
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.                    記
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日時  2月8日(日) AM11:40開場、12:20開演、14:40終演

場所  目黒「ブルース・アレイ・ジャパン」 JR目黒駅徒歩2分

出演  のどごし生バンド & ダンディー・クイーン

分野  ポップス、ジャズ、フォーク、R&B,Jポップ

料金  6千円  カフェテリア方式の食事付き・飲み放題付き
.          (昼間は結婚披露宴なども行う場所なので料理は評判)

詳細は下記チラシをご覧ください。

2015.02.08 ブルースアレイ チラシ(v1)

12月 17, 2014   No Comments

懇話会という名の同好会


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  出身会社のOB会の中には幾つもの同好会がある。その一つに「懇話会」というのがあって、隔月に1回、OBの中から誰か一人に講師をお願いして、その人の現在の活動内容を発表して貰う会がある。

  OB達は実に様々な活動をしているものだ。趣味の世界で師匠なっている者、資格を取得して観光地の案内ボランティアをしている者、退職後英語の特訓をして友人2人ヨーロッパ中を何か月か旅行した者、退職後に俳優に転じてテレビ・ドラマにCMにと出演している者など。

  いやはや、皆さん元気元気。そして、現役時代よりも(失礼)生き生き活動されている。そういう人達の話を聞くと、僕も心から頑張らねばと思う。落ち込んだり悩んだり迷ったりしている場合か、と叱咤されているように感じる。

  そんな中で、今回の例会では、僕の2年先輩のMさんが壇上に立った。僕の入社以来彼が退職するまでずっと同じ部門の良き先輩であった。テーマは彼が60歳で立ち上げた「Tネット」という会社についてだった。

  実は、「懇話会」の世話人のS氏(5月までOB会の会長、常任幹事だった僕の上司に当る)から、「神童、I-PADでもスマホでも何でもいいので、最近のIT事情をOB達に易しく話してくれないか」と頼まれたのだが、現役時代ITに関しては嫌というくらい携わったので、退職後はもうその辺りから解放されたくて、今は殆ど関心がない。

  Sさんには、「折角のお話だが」と事情を話してお断りした。そしたら、「君の音楽活動についてでもいいから頼むよ」と来た。音楽活動については、音楽を聞いて貰わないと話にならない。口だけで伝えるのは、丁度美味しい食べ物を口頭で伝えるのと同じで聞いている方にはチッとも心に刺さらない。

  Sさんが何故音楽のことを言うかといえば、いつも千葉の奥地から遥々横浜新子安のライブに来て頂いているからなのだが。その意味では、大変僕らのバンドを応援してくれている人だから、同じ断るにも、僕の代わりにどなたか「懇話会」の講師になる人を推薦しないといけない。

  そこで、直ぐに思い付いたのが、先輩のMさんという訳だ。このMさん、彼もOB会の常任幹事だったが、彼が自分の会社で多忙を極め幹事を退任する時、僕を勝手に推薦して常任幹事会に引き摺り込んだ経緯がある。謂わばMさんには貸しがあるのだ。

  Mさんが立ち上げた「Tネット」という会社、これがとってもユニークな会社なのだ。今年10周年を迎えたのだが、普通、同じ会社のOB同士が会社を立ち上げたケースは星の数ほど(にはないが)ある。だがこの会社、出身会社の枠を超えて損保業界各社のOB達が集まって始めた会社なのだ。

  世の中広しと雖も、元ライバル会社のOB、それも損保業界の全ての会社のシステム部門OBを網羅しているのだから奇跡に近い。多分、こういう会社は日本初だと思う。

  その業務も多方面に亘るが、メインは各損保企業のシステム構築に携わるコンピューター・メーカーやソフトハウス、或いは、損保子会社のシステム子会社のSE達を対象とした「損保講座」であり、それら教材の出版であり、彼らの損保企業へのシステム提案のための討論を通じたコンサルなどが柱である。

  損保企業に入社した社員は導入研修やフォローアップ研修で、損保研修を体系的に学ぶが、彼らと一緒にシステム構築に関わる上記の人々はOJTのみで、体系的に損保講座を受けるそのチャンスがないことに目を付けた。これが功を奏してあちこちから引っ張りだこの状況だ。現在は「損保講座」の他に「生保講座」も手掛けている。

  もう一つ、ユニークなのは、専従の役員・社員は2~3人しかおらず、「講座」の先生やコンサルを務める各社のOB達は、手上げ方式で仕事を行い、相手企業から得た代金を皆で山分けする方式であることだ(代金の一部はTネット)。

  なので、OB達は、自分の様々なスケジュールを優先しながら仕事も出来るという、OB達にとっては実に自由度のある制度なのだ。自分の第二の人生を楽しみながら、40年間に培ったノウハウを若い人達伝えるという自己実現の満足度はかなり高いという。この辺りは設立当時「ガイアの夜明け」に取り上げられた。

  Mさんの説明が終わった時、「懇話会」の常連参加者であるK元社長が、「損保講座」が一般講座の他に特別講座という27の専門分野別講座を持っていることに驚きを隠せず、いたく感激していた。

  「業界のOB達がこれほど立派な専門講座を持っているのに、何故現役組はそれが出来ないのか」とか、「M君の下に業界のOBが集まってこういうことをやっているのは初めて知った」とか、「懇話会の歴史は長いが、今回が一番面白かった、ありがとう」を連発していた。

  S氏に講師としてMさんを紹介した僕も鼻が高かった。これに刺激を受けて、僕も迷いを吹っ切って、もう一度今の活動を頑張ろうと思った。その意味で、Mさんの講演は僕に取っても大変有意義であった。

 

12月 16, 2014   No Comments

オリジナル曲 (続編)

この10年で50曲の駄作を作曲しましたが、これは、僕の秘かなる趣味で、ここはこう変えた方がいいかな、最後の山場にこういうメロディーはどうだ、とか勝手に考えて試行錯誤している時間が好きなのです。

だから、僕等のバンドでやるための作曲では全くないし、人様に聞いて貰うのが目的ではありません。ですが、50曲の中で、自分では気に入った曲が3曲ありまして(しかありませんで)、駄作には違いないのですが自分の中では佳作と思うこの3曲を、皆さんに聞いて貰いたいとの欲望抑え難く、ここに掲載をさせて頂きます。

その中の1曲は、先日掲載させて頂いた「My Love Song」ですので、残り2曲載せさせて頂きます。どうか聞いてやって下さい。

 

【嘘だと言ってくれ】  

中学・高校が一緒だった初恋の女性がいました。ある時から消息が分からなくなっていたのですが、2年前の12月に、高校の友人の猪瀬直樹が都知事選出馬した時、同期による決起集会兼応援ライブを企画しました。僕はどうしてもその初恋の女性に来て欲しいと思い、手を尽くして調査したところ、その2年前に亡くなっていたことが判明したのでした。その時の、何とも言えない衝撃を曲に現したつもりです。

https://dl.dropboxusercontent.com/u/27826613/usodato.mp3
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.           嘘だと言ってくれ

.                      作詞作曲 神童覇道

1. Aメロ    君と目が合うと 僕の心は

.          痛いほど強く脈を打つのさ なのにいつでも

.   Bメロ    校舎のどこかに君の姿を 探し求めていたよ

.          高2でクラスが一緒になって 僕は運命感じた

.   Cメロ    君と共に取り組んだ文化祭の ミュージカル

.          大きな拍手に有頂天 君の頬にくちづけ

.   (間奏)

2. Aメロ    大人になって 初めての再会

.          枯葉散る道を髪をなびかせ 君がやって来る

.   Bメロ    洗練されて輝き過ぎて 君が眩しく見えたよ

.          お洒落なレストラン、ワインとディナー 君の笑顔が素敵だ

.   Cメロ    駅に向かう帰り道君は小声で 告げた

.         「春になったら結婚するの」と 分かっていたよ指輪で

 

.   Cメロ    あれからどうしているのだろう どこに暮らしているのか

.          ある日突然悲しい便り 嘘だと言ってくれ君よ・・・

 

【君に思い出あげれなかった】

「のどごし生バンド」は、以前、クーペ&Shifo というプロのユニットのバックバンドをやっていました。作曲を初めて3~4曲目の曲だったと思いますが、自分なりにまずまずかなと思った曲を、Shifo さんに歌って貰いたくて、無理やり詩を作って持って行きました。彼女は、「こんな詩じゃ歌えない」というので、もう一度修正版を持って行きました。「赤いポルシェを白いレクサスに代えただけじゃない」と言って却下されてしまいました。言葉ではなく詩全体がダメ出しされていたのですね。そこでクーペが見るに見かねて作詞してくれて、やっとShifoがNHKホールや国際フォーラムで歌ってくれたという曰くつきの曲ですがお聞きください。(クーペ&Shifo へ 無断掲載乞許可)

https://dl.dropboxusercontent.com/u/27826613/anataniomoide.mp3

 

【参考 My Love Song

https://dl.dropboxusercontent.com/u/27826613/mylovesong.mp3

12月 4, 2014   No Comments