プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 1月 2015

アゲイン

無題

.  ある買い物のために都心に出た。買い物を済ませてから人と会って、最後は6時からの新年会に出席する予定を組んで。郊外からわざわざ都心に向かうのだから、3つのことを一日でこなすのはとても効率が良い。

  ところが、買い物の後会う予定だった友達が、急遽都合が悪くなったと、行きの電車の中でメールが来た。仕方がない、たまには街をぶらついて時間を潰すかなと思った。

  買い物が終ったのが2時半くらいだったか。その後、何年振りかの銀ブラと決め込んだ。歩行者天国では、ピエロの格好をした若者がパントマイムをやっていて大勢が見ている場面に遭遇した。僕も足を止め暫く眺めていた。

  でも、直ぐに飽きて、またブラブラ。そして急に思い立った。寒い中を3時間もぶらついていられないと思ったのだ。そうだ、有楽町に行ってみよう! 時間潰しに映画でも観ようと思ったのだ。

  映画館を探した。昔はこの界隈、沢山の映画館が集まっていて正に映画街の印象があったのだが、今は幾つかあるにはあるが、映画街の印象はまるでない。映画館もシネマ・コンプレックスに押され、徐々に無くなって行ったのだろう。

  そんな中で、僕の目に止まった映画の看板があった。それは「アゲイン」だ。テレビでこの映画の宣伝を見たので記憶に残っていたのだと思う。高校球児がおっさんになって、もう一度野球を始める、と言った内容だったと思う。

  僕も小中は野球漬けの毎日だったし、社会人になっても会社のソフトボール大会などには積極的に参加した口だから、暇つぶしには丁度良いかも知れないと思って受付カウンターに向かった。

  上映開始時刻を見たらもう10分経過している。係りのお姉様に聞くと「もう直ぐ本編が始まるので急いでください」とのことだ。慌ててチケットを買って中に入った。

  映画は始まったばかりのようだ。元高校球児だった主人公のもとを、既に亡くなった元チームメイトの娘さんが訪ねて来るところから話は展開する。「マスターズ甲子園」の実行委員会のメンバーとして活動している大学生の彼女は、当時のチームで是非参加して欲しいと頼む。

  しかし、乗り気でない主人公は、仕方なく元のチームメートを彼女に紹介することだけ請け負う。それらを通じて、28年前の事件が明らかになって行く。それは甲子園を目指した地方大会の準決勝に勝ち、いよいよ明日は甲子園出場を掛けた大一番と言う前の日に、3年生部員が傷害事件を起こして、学校として決勝戦辞退と相成る。

  その娘は、傷害事件を起こした張本人こそ、自分の父親であることを知る。28年経ってもチームメイトの彼に対する腹立たしい思いは消えていない。そんなことも影響して、娘が幾らお願いしても「マスターズ甲子園」に出場しようとはならない。

  そんな父親だったことに強いショックを覚える娘。それを気遣う主人公。一方で、主人公自身も離婚し、一人娘を手放した過去を抱え、丁度同い年のこの娘と自分の娘の姿がダブる。久し振りに娘に会いに行くが、話が噛み合わないどころか、男と一緒に暮らす娘から「帰ってくれ」と言われてしまう。

  エース・ピッチャーだった男も、リストラされて失業中だとか、様々な事情を抱える者達が、遂に地方予選に出場し、再び甲子園を目指す。そして、誰も知らなかったあの事件の真相が明らかにされて行く。

  暇潰しと思って観たから余計にそうだったのか、僕としては想定外だったが、この映画に引き込まれてしまった。

  原作は重松清の小説「アゲイン」。主人公役は中井貴一。元チームメートの娘役は波瑠。他に柳葉敏郎、和久井映見などが脇を固めている。監督は大森寿美男。

 

1月 29, 2015   No Comments

連載コラムの休刊

.  僕は2年半前に、OB会のホームページ(以下HP)を作る係りだったことから、それ以来HPの責任者に指名され今日まで至っている。実際に私のイメージ通りに作成してくれたのはベンチャーの若き中国人だが、かなり安価で仕事をしてくれました。今の日中関係からは想像も出来ないほど、親日的で、且つ、誠意溢れる優秀な若者達である。

  しかしながら、安価とは雖もOB会のお金を使ってHPを立ち上げているので、僕の最大のミッションは、OB会会員がHPを有効に活用し、大勢の会員がそれを見てくれる状況を作り出すことだ。

  OB会には、ゴルフ・囲碁・釣り・散策・俳句・川柳などの各種同好会があるので、夫々の専用欄を作って、行事予定を載せて貰ったり、活動の模様を写真などで報告して貰ったり、それを見て新たに同好会に入会する人が植えることなどが理想形だ。

  また、写真好きなOBが多いのは分っていたので、HPに個人向けの写真自由投稿欄「写真ギャラリー」を用意して、HPのトップページに最新の投稿写真が大きく掲載されるようにもした。

  だが、HPに自由に投稿するには、一定の手順を覚える必要があり、当初はなかなか投稿がなく、HPを見に行っても、新しい記事がなく、前に見た時と何も変わっていない状況が続き、これでは折角作ったHPも立ち枯れするという危機感から一計を案じて、基本デイリーで更新するコラム欄「万華鏡」をスタートさせた。

  新聞の天声人語などと同じように、毎日コラムをアップするのだ。このことに賛同してくれた3人の筆者が交代で記事を担当する形で開始した。それが始まってから暫くすると、このOB会HPの月間アクセス数は、それまでの1,000~2,000件から5,000~6,000件に一気に上がった。

  HPの宿命みたいなものだが、毎日新しい記事が掲載されなければ、次に見に来る人は稀になるのは自明だが、逆に、毎日新しい記事がアップされればアクセス数は増える。「万華鏡」はそのことをいみじくも証明したのだった。

  それから2年経ち、各同好会とも記事の投稿スキルが上って、結構な頻度で投稿があり、それを見る人のアクセス数もかなり上がって来た。その結果今ではアクセス数は9,000件前後になっている。

  だが、「万華鏡」も2年も経つと、筆者側もネタ切れを起こし、3名いた筆者が1名になってしまった。残った1名のXさんは、これが天性の仕事(ボランティアだが)と思えるくらいピッタリのコラムニストで、それこそ毎日記事を書いて投稿し続けてくれていた。

  ところが、ある時彼の書いた記事が、OB会の幹事会で、会社の現役組に対して好ましくないと問題にされ、アクセス数も多くなっているので、そろそろ「万華鏡」を終了しても良い時期ではないかと意見が大宗を占めた。

  僕としては、確実に一定層、「万華鏡」のファンがいることを知っているので、「万華鏡」の存在価値は大きいことを表明してはみたが、出身会社に対して好ましくない記事が掲載されるリスクは、幹事会として負えないとの意見に押された。

  結論としては、幹事会として、責任者の僕に「万華鏡」をどうするか一任することで論議を終えた。

  僕としては、この1年間1人で毎日コラムを書いてくれたXさんの気持ちを思うと、とても言い難いことだったが、彼もメンバーの一人となっている「HP委員会」に、事情と幹事会論議の内容を伝え、そして提案した。

  「私としては、毎日更新する『万華鏡』が1,000件台だったアクセス数を5,000~6,000件に引き上げた功績は、誰が何と言おうと称賛されるべきもの。特にこの1年、1人で毎日頑張ってくれたXさんには心から感謝したい。しかしながら、今は、それ以外の記事が頻繁に更新される状況になり、もう、個人の努力に依存してアクセス数を維持する段階ではなくなったのではないかと思う」と。

  「今回一つの記事が問題になったけど、それは、悪意があって書いた訳でも何でもなく、知らずに書いたことが、たまたま会社に関係があったというだけのこと。Xさんが責任を感じたり、逆に反発したりする必要は全くない。」とも付け加えた。

  「HP委員会」のメンバーは、HPの定着や活性化のために俺たちがどれだけ苦労しているかも知らないで、との反発を心に秘めていたであろうが、僕の提案に渋々同意をしてくれたので、「万華鏡」休刊の結論を出したのだった。

  部下が日夜を問わず頑張ったプロジェクトを、諸事情で打ち切りせざるを得なかったことも、現役時代の苦い思い出として残っている。現役を離れてもう随分経つが、まさか、同じことをOB会で経験するとは思わなかった。しかし、Xさんの気持ちを思うと、もう一度、彼と飲みながら彼の思いの丈を聞いてやろうと思っている。

1月 27, 2015   No Comments

スイング改造中

.  雨で中止になった12月29日のリベンジ・ゴルフを1月に行った。この日は打って変わって朝から快晴である。気温も決して温かくはないが、それでも日が差しているから1月にしては申し分ないゴルフ日和だ。

  昨年9月の高校同期のゴルフ・コンペで、ゴルフを始めて以来とも言える絶不調に陥り、どうやってもまともな当たりが出なかった。2日連続のコンペだったが、両日ともグロスで最下位争いを演じたのだった。

  その後、大いに反省をして、フォームを一から作り直す決意をした。若かりし頃の身体の柔軟さやバネとまるで違うのに、頭ではあの頃の打ち方のイメージから一歩も離れられない自分を叱ったのだ。

  新打法は「バイキング打法」と言う。僕が名付けたその打法を練習場で固めて行った、つもりだった。だが、11月のゴルフも12月のゴルフも、全く結果が出ない。と言うより9月の酷いゴルフより更に酷くなってしまった。

  「バイキング打法」とは、遊園地にあるあの巨大は船がブランコのように前後に大きく揺れる「バイキング」という乗り物のイメージの打法だ。その打ち方で練習場では何とか確率が上がっても、本番ではなかなかその通りに行かないのだ。

  フォーム改造中は、新打法がまだ自分のものになっていない上に、従来の打ち方と新しい打ち方の入り混じりスイングとなってしまうから、その前よりも酷くなってしまうことは分っている。30代の頃、ゴルフに熱中して練習に励んだ時も、その成果が出るのは直後ではなかった。

  しかし、問題はいつ新打法が成果に結び付くかだ。いや、なかなか結果が出ないと、永遠にヘタクソのままではないかと疑心暗鬼にすらなる。「バイキング打法」も結局、「間違いだらけのゴルフ・スイング」の一つなのかも・・・

  いや、信ずるしかないのだ。絶対にこれで良いのだと。年が明け、孫たちが帰った後、正月休み中に練習場に行って恐る恐る打ってみた。2週間もクラブに触ってないと全くダメになっている。時間は掛かったが最後の方はやっと「バイキング打法」を思い出していた。

  要するに、この「時間が掛かる」ことが問題なのだ。何故なら、ゴルフ場では新打法を思い出す迄にラウンドが終ってしまうからだ。歳を重ねるに連れて記憶力が落ちるのは一般的傾向だが、脳だけでなく身体の記憶力も落ちて行くのだろう。その克服は、忘れる前に身体に思い出させるしかない。つまり、あまり時間を空けずに練習すること以外にないらしい。

  確かに、翌日も練習場に行ってみたが、直ぐに思い出せた。初打ちは4日後だ。覚えていてくれよ、と祈る気持ちで当日を迎えた。

  午前中のハーフは、昨秋と変わらぬ体たらく。自分自身への期待が無残にも打ち砕かれたのだった。やはり身体の記憶力が相当悪いことを自覚した。そのことを同行したKa君に言ったら、「いや、神童さんの場合は、脳も身体も昔のスイングを鮮明に記憶し過ぎているから、新打法の邪魔をしているんですよ。記憶力の良過ぎも考え物ですね」だと。  

  でも、なのだ。散々なゴルフの中にも幾つかは、「バイキング打法」が活きた良い当たりがあった。スイング改造後初めての自覚。トンネルの先に小さい小さい光明が見えて来た気がした。酷いゴルフの割に落ち込んではいない。

  新年だからだろうか、ここ北武蔵カントリー・クラブの昼食は、食べ放題・飲み放題である。食べ物はサラダあり、魚あり、煮物・漬物・茶わん蒸し・おせち・ハム類他沢山の品目が並んでいる。各テーブルにはしゃぶしゃぶの鍋が置いてあり、肉やたれや野菜などもバイキング形式で好きなだけ取って食べられるようになっていた。勿論、ビール・日本酒・焼酎・ウィスキー・ワイン何でもござれだ。

  こりゃ、食事だけでも、安く見て5千円はするだろうと思うが、何とプレー費含めて、この日は全部で6千円だから(優待券使用)、ペイするのか余計な心配をしてしまった。

  したたか飲んで食べた後の後半のゴルフ。2ホール目でこの1年で最高の当りと思えるドライバー・ショットが出た。午前中は30ヤードも置いて行かれたKaのナイスショットを7~8ヤードもオーバーしている。豪華な食事のパワーだろうか。

  いや、違う。「バイキング打法」のイメージ通りに振れたのは勿論だが、バック・スイングで右足裏の親指付け根辺りに地面との強い摩擦を感じたスイングだったのだ。つまり、トップで右足が外にスウェーすることなく、右足の内側に体重が乗ったままバック・トップ・打ち下ろしと正しいスイングが出来たのだ。

  そのホールから、最終ホールまで、自分でも小躍りするくらいに気持ちの良いドライバー・ショットが続いた。ポイントはただ一つ。バック・スイングで右足裏を意識するだけでナイス・ショットすることが分かったのだ。これが所謂コツというやつか。右足がしっかりすれば自ずと「バイキング打法」も安定するということだ。午前と午後では飛距離が30ヤードは違うし、打球の力強さが全く違う。ドライバーだけではない。フェアウェイ・ウッドも見違えるようなった。

  ただ、アイアンは同じように打っても改善していない。アプローチもダメ。課題は幾つも残ったが、全部ダメだった昨年とは大違いだ。初打ちで、今年のゴルフに希望の火が灯った。

  何故、このブログを書いているかと言うと、薄れる記憶を書き留めておきたいのだ。迷った時、自分でこれを読むために書いている。上級者からは、当たり前だろうとか、今頃気が付いたのかとか呆れられそうだが、自分にとってはどん底からの脱出への大きな一歩なのであります、ハイ。

 

初詣  僕の行先  ゴルフ場

1月 23, 2015   No Comments

ブルース・アレイに向けて(後編)

.  そうと決まったら早速動き出そう。実は前回まで舞台裏の準備や作業等は全部K君に任せきりだったから、今回は僕が一人でやらないといけない。まずは観客動員。いつも新子安に僕らのライブを聞きに来てくれている人達を中心に、片っぱしから電話とメール入れからスタートした。

  メールを入れるには案内リーフレットを作成して添付するとか、会場の「ブルース・アレイ」はどんなに魅力的なところかなど、PRにこれ務めた。何せ、入場料6千円もするのだから、こちらも、そう簡単に来てくれるなんて思っていない。

  ところが思いの外、「行くよ」と言ってくれる人が多くて、12月20日頃には、参加予定者が70名を超えたのだ。自分でも驚きだった。いつものライブは入場料無料(料理・飲み物別料金)で30人規模だし、食べ放題・飲み放題付きとは言え素人のライブにしてはバカ高だからだ(前回迄の「みずすまし」ファンならキャンセル待ち当り前なのだが)。

  その後も希望者が増え続け、バンド・メンバーの協力もあって、100名定員満席のライブになりそうである。「ブルース・アレイ」との契約では最低保証人数というのがあって、それが80人なので充分クリアした。次は、参加予定者から入場料を事前に銀行振込みをして貰うことだ。

  年明けから、全参加希望者にお願い状を出した。皆さん真面目な方が多く、最初の2日間で50%の方々からの振込みがあった。ところが、後の半数の方からの振込みは2週間が経った今も完了していないのだ。督促の電話やメールを発信する時は、借金取りの気分にさせられる(笑)。

  今日現在、あと5名の方が未入金というところまで辿り着いた。一方で、その日に入金してくれた方への感謝メールは毎日欠かせない。通帳記帳と感謝メール発信はここ2週間の日課になっている。

  この事前集金が大事なのは、当日キャッシュを扱いたくないということもあるが、振込みは出席の最終意志表示となり、来場者数が確定するからだ。現実に、僕からの振込み依頼の後、キャンセルが6人発生し、キャンセル待ちだった7人のうち6人がOKになった。

  次のステップは、参加予定者が最終確定したら、座席を決めなければいけない。原則、受け付けた順に前から後ろへとなるのだが、1人参加・2人参加・3人参加・6人参加などあり、なるべく同じテーブルにと思うと原則通りに行かなかったりして結構苦労するが、空席のない贅沢な悩みなのかな。

  後は、当日配布のチラシや名札作りなど諸々あり、今更ながら、前回までのK君の苦労が分かる。だが、そういう作業のことよりも、僕が最も気にしていることがある。それは、昨年の2月8日は都内大雪で交通機関が全面ストップした日だったことだ。その同じ日に今年ライブをやるのだから、その心配が頭を過る。

  もしも、昨年と同じ大雪になれば、出演者さえも来れない事態になるから、ライブは中止せざるを得ないだろう。中止なら事前に振込んで貰った入場料を返さないといけない。けれども、店との契約上は喩え中止するにしても最低観客数分の保証金の支払義務は残る。

  ここは保険の出番だろう。保険会社出身者としては当然の発想が湧く。まず、代理店に聞いてみる。分からないらしい。営業店に聞いてみる。分からないらしい。そして、電話を回されたところが、「なんとかサービス」という部署だった。

  「天候によってイベントが中止になった時の損害をカバーしてくれる保険ないですか?」「弊社の自動車保険とか火災保険には加入されていらっしゃいますか?」「両方に」「いつ頃から加入なさっていますか」「オイオイ、何でそんなこと聞くの?」「スミマセン。一応決まりなものですから」「私はA損保出身者ですよ」「誠に失礼しました。早速お調べ致しますが、イベント中止の時の損害額は幾らくらいでしょうか?」「約50万円だけど」。その他イベントの内容について幾つか聞かれた。

  「少しお待ち下さい」と言われてから随分待たされた。「50万ですと、概算ですが保険料は10万円ほどになります」「ちょっと待ってよ。天気が悪くて中止するって言ったって、屋外じゃないんだよ。普通の雨や雪じゃ中止しないの。首都圏の交通網が全面停止の様な時だけなの。リスクが全然違うでしょうが」「申し訳ありません。今はそれしかお答えしようがないのですが」「何ていう保険会社だよ、リスクの算定も出来ないのか!」。出身会社なのにかなり腹が立った。

  保険はやめた。昔、僕は雨男と言われた時期があったが、雪男とは一度も言われていない。当日大雪にならないことを必死に祈ることにする。

1月 22, 2015   No Comments

ブルース・アレイに向けて(前編)

  僕たち、「のどごし生バンド」と「ダンディー・クイーン」は2月8日に目黒でライブを予定している。場所は「ブルース・アレイ・ジャパン」という高級ジャズ・クラブだ。過去2回、会社の後輩のKと共に主催者として、この「ブルース・アレイ」で会社(A損保)の「音楽祭」を実施して来た。

  昨年の秋に僕ら2人は、Kと宮原氏(プロ)がリード・ボーカルを務める「みずすまし」(4人組フォーク・バンド。うち3人は京都在住)のコンサートを企画した。「みずすまし」は、過去5回の会社の音楽会フル出場で、社員の中に大勢のファンが出来ているから、100名の客席など直ぐ埋まってしまうので、観客動員に苦労することは全くない。

  そこで、いろんなバンドが主演する「音楽祭」ではなく、「みずすまし」単独コンサートをやってみたかったのだ。ただ、Kから、僕が参加している「ダンディー・クイーン」にゲスト・バンドとして出演するよう要請があった。「音楽祭」では「みずすまし」と「ダンディー・クイーン」が中心となって4~5バンドのステージを作って来た経緯があるからだと思う。

  何故「ブルース・アレイ」の様な高級ジャズ・クラブでアマチュアが演奏出来るかと言えば、今の職場(ベンチャー損保)の代表取締役の一人であるR君が、前職のイベントで頻繁に「ブルース・アレイ」を使ったらしく、「ブルース・アレイ」の社長と懇意だったから、彼の口添えでリーズナブルな料金でライブをやらせて貰うことが出来た経緯がある。

  過去2回は、景気も最悪期だったからか2つ返事でOKみたいな感じだったが、今回は7月~8月と2ヶ月一杯掛かって漸くOKが出たのだった。個人的には実感がないが景気が良くなっているせいか、以前より客が入るようになって来ているらしく、「ブルース・アレイ」の社長もかなり強気に変っていたようだ。

  ところが、11月中旬、K君の奥様が体調を崩されて長期入院を余儀なくされてしまった。K君は僕に電話をして来て「そんな訳で、ブルース・アレイに向けてとても練習どころではなくなってしまったので、神童さん、『みずすまし』の代わりに何とか『のどごし生バンド』のライブとしてやって貰えませんか?」と言った。

  僕は、その何か月も前にKと飲んだ時に、Kから「来年のブルース・アレイは、『みずすまし』と『のどごし生バンド』のジョイント・ライブにしたいですね」なんて話をしてくれたのだが、僕らのバンド・メンバーは「みずすまし」を知らないし、どうかなぁと思ってそのままにしていたことがあった。

  でも、その時とは事情が違う。Kの依頼を何とかしないといけないのと、折角R君に尽力して貰って確保した「ブルース・アレイ」をキャンセルするのは、R君の面子を潰すことになるから、僕は「のどごし」のメンバー全員に事情を伝え、協力をお願いしたのだった。

  メンバーは8人だが、その日都合の悪い人がいても不思議ではない。また、そういう派手な舞台が嫌いな人もいるかも知れない。全員は無理でも何とか格好が付けばライブをやりたい。しかし、「のどごし生バンド」が成立する最低条件というものがある。それは、バンドのインフラみたいなものだが、ピアノ・ベース・ドラムのトリオが揃わないことにはとても無理だ。

  僕は大木先生(ピアノ)と佐藤さん(ベース)の都合を伺った。2人共快く引き受けてくれた。良し、トリオは揃った。その上で、他のメンバーにお願いメールを打った。即日全員から出演するとの返信が来たのだった。

  中には、帰省の予定だったのを変更してくれた人もいたし、地域の活動の日だったのを欠席にしてくれた奴もいて、「のどごし生バンド」全員で、僕とKのピンチを救ってくれたのだった。僕もまさか全員OKをくれるとは思っていなかったので、正直、ジーンときてしまった。「持つべきは仲間」、その時の実感だった。

1月 22, 2015   No Comments

後輩

.  前の会社の後輩のSが、今私が籍を置くベンチャー損保に表敬訪問したいと言ってきた。彼が新入社員として僕のチームに配属された時からの関係だ。僕は昭和44年入社組、Sは60年入社だからかれこれ15~16歳年下である。

  そんな彼がわざわざ会いに来てくれるのだから、嬉しくない訳がない。僕が新入社員の時の課長さんが勤める第2の職場を訪問したいなんて、一度として思ったことは無かったから、Sは大した奴だと思う。

  僕から見れば、Sは未だに若手の優秀な社員の印象のままなのだが、もう彼も50歳を優に超えている。そして、今はグループ企業の専務さんなのだ。それも嬉しい限りだ。 

  現在のベンチャー損保では、前の会社の時から通算45年も一緒に仕事しているFと、これまた当時プログラマーだったWさん(女性)の3人で、職場にSを迎えた。SはWさんと同期入社だから、今回のSの訪問の話はWさんから僕に伝えられたのだった。

  ひょっとしたら、Sは美人のWさんに会うのが一番の目的でやって来たのかも知れないが(笑)。

  Sには職場を隈なく見て貰い、社員達にSを紹介して回った。事情を知らない社員も皆暖かく彼を迎えてくれた。Sは、まさか社員全員に紹介されるとは思っていなかったから戸惑いながらも友好的に振る舞ってくれた。ただ、この日、若き社長のW君(32歳)が不在だったのは少し残念だったが。

  社員にもSを紹介したのには、それなりの僕の作戦があったのは告白しないといけない。  

  それは、このベンチャー損保のシステム・チームは僕とFとWさんの3人で、ここまでは何とかやって来られたが、僕もFも(Fは僕の1歳年下)もういつまでもシステム開発をやって行ける年齢ではない。特に昨年の7月からは僕は監査役になってしまったから、現実には2人でシステムを賄って貰っている。

  システム・チームの若返りが、実は今この会社の焦眉の急なのだ。従って、Sにはこの会社を良く見て貰って、S自身も含め、第2の職場として誰かを送り込んで貰いたいとの隠れた思惑があった。

  その後、4人で焼肉屋に行って再会を祝い、合併に次ぐ合併で僕がいた時と様変わりになっている会社の現状などをSから聞いて、若い世代が僕には想像も付かない苦労をしていることを改めて思った。

  僕は、「何だかんだ言っても、保険会社の将来ビジョンは、そのインフラとしてのシステムが出来て初めて現実のものとなるのだから一番大事。頑張れ」と励ました。Sも「神童さんから、懐かしい叱咤激励を久し振りに聞けて、今日はとても良かったです」と言ってくれた。大した奴だよ、君は!

  昔の部下が、超多忙な中をわざわざ訪ねてくれた。こういうことは、この歳になって、こういう場面を経験した者でないと、その本当の嬉しさは分らないのかも知れない。

  そして、「神童さんは、音楽の方でも大活躍なんですよね。Kさん(フッ君)からお聞きしています。機会があったら是非聞きに行きたいです」と嬉しいことを言ってくれる。社交辞令であることは分かった上で、「2月に目黒でライブやるんだよ。若し良かったらどうぞ」と言ってみた。

  「いつですか、絶対行きます」と来た。本当なの? と思いながら詳細を伝えた。彼は奥様の分と合わせてチケットを2枚買ってくれたのだった。一人6千円もするのにね。普通6千円も出して素人のコンサートに行きたいと思う?

  奥様も当時僕の部下だったから、部下同士が結ばれた時は、何だか、彼らから僕の職場が合格点を貰ったように思えて嬉しかったのを覚えている。ライブ会場(ブルース・アレイ)で何十年振りかで奥様にもお目に掛かれる楽しみが出来た。

1月 16, 2015   No Comments

酷い正月(後編)

.  警備会社の人を寒空で待ったが来ない。その内、消防自動車のサイレンが聞こえて来た。それがマンションの前に止まると一斉に5~6人の消防士が臨戦態勢の物々しい格好で降りて来た。「火事は12階ですね?」「そうなんですが、火事じゃなく警報の誤作動です」「ご主人ですか? 兎に角12階に上がりますので一緒に来て下さい」。

  彼らは全員部屋の中に入って行く。まず火災かどうかの確認をし、そうではないことを知ると、今度は熱感知器や煙感知器を隈なく調査して、それが作動した理由を突き止めようした。時間を掛けて全室調べたが異常はなかった。そうこうしている内に警報が鳴り止んだ。

  やっと警備会社が到着して、警報を止めたようだ。僕はもう一度1階に下りて管理人室へ。「到着が遅れて申し訳ありません。取り敢えず警報を止めましたが、誤動作を起こしたセンサーをリセットしない限り10分経つとまた鳴り始めてしまいますので、12階に上がります」。消防士と同じで彼も原因が分からない。

  そうこうしている内に、また、けたたましい警報が鳴りだした。ALSOKの係員は、また、エレベーターで1階に下りて、警報を止めに行った。彼はこんなことを2~3回繰り返したがラチがあかない。僕もその都度一緒に1階の管理人室と12階の我が家を往復した。「この警報システムに詳しい業者がいるでしょう。その会社に連絡して誰か来て貰ってよ!」と僕も些か腹が立ち厳しい口調になった。

  何せ、正月2日目の早朝だ。連絡が付くのか付かないのか、非常に拙い状況を意識しつつ彼に言った。早速携帯で連絡を取り始めたが、なかなか繋がらない模様だった。僕が焦ってみても何の問題解決にもならないことを悟り、部屋に戻った。

  家人には、一応、警報は管理人室で鳴らないように警備会社の人が張り付いてくれているので、夫々の部屋に戻るように指示し、僕はリビングで自分自身を落ち着かせるためテレビを付けた。時計は6時を回っていた。

  玄関に消防士が現れて、「一応、警報装置の業者と連絡が付いたので、1時間くらいで来てくれるそうです。我々は一応、引き上げますので、これにサインして頂けますか?」と用紙を出した。住所氏名を書き、生年月日を記入して、押印欄には手書きのサインをした。「何かあったらまたご連絡下さい」「正月早々折角出動してくれたのに空振りで誠に申し訳ありません」。消防士達は帰って行った。

  再び、玄関にALSOKの係員と、業者らしい人が現れた。部屋の中のインターフォン装置を確認した後、階段近くの電気系統や水道・ガス菅のある扉を開けて調べ始めた。係員が「寒いですから、中に入っていて下さい。原因や対処が終りましたら説明致しますので」と言うので戻った。

  彼らの説明では、マンションの共用部の各部屋への水道菅の、スプリンクラー用の水圧(アウト)と、給水側(イン)の水圧を感知していて、部屋の中のスプリンクラーが作動するとその水圧が下がり、給水側圧力との差が生ずる。その差が生じたら警報が鳴る仕組みになっているのだが、今回は、メータ上その差はないのに何らかの不具合で、警報が作動してしまったらしい。

  どうして、間違った感知をしたのか不明だが、「ホーチキ」という名の装置も電子部品の塊なので、10年以上経っていることを考えると、それを交換した方が良いかも知れない、と業者が言う。今度、マンション管理会社を通じて、マンション自治会に提案しますとのことだった。そんな説明では安心も何もあったものではない。それまでに同じことが起きない保証がないではないか。

  それにしても、えらい迷惑だった。正月とはいえ、管理会社にはとうとう連絡が付かないわ、警備会社が来るのに30分以上も掛かるわ、近所の住民は避難するわ、マンションの住人には我が家の不始末のように思われるわ・・・。何より、寝こみを襲われた僕の機嫌の悪さは半端ではない!

  正月早々酷い目に会ったものだ。「良き一年を迎えられますように」と沢山年賀状を貰った翌朝、最悪の正月になってしまったのだから。でも、「始め悪ければ全て良し」と言うではないか。え? 言わない? 言わないよねぇ。この1年、先が思いやられるぅ~

1月 15, 2015   No Comments

酷い正月(中編)

.  元旦の午後、僕も起き出して、一人で高幡不動尊に詣でようと電車で行ってみた。これが大失敗だった。駅を出たところで長蛇の列が出来ている。神社までは結構距離があるから、まさかこれが初詣客の列だとは思いも寄らなかった。だが、警官が何人もいて、「高幡不動尊参拝の方はこの列にお並び下さい」と拡声器で叫んでいる。

  その列がまた、全く前に進む気配がないのだ。オイオイ、いつになったら辿り着くのだ。僕は業を煮やして、別の道から神社の入り口まで行ってみた。つまり、どこかから神社に入り込めないかと思ったのだ。しかし、入り口付近にはより多くの警察官が目を光らせていて、ショート・カットはとても無理だった。

  僕は諦めて、駅に戻り空いていそうな店を探して遅い昼食を取って、家に戻ることにした。帰りに思い出して、孫娘が欲しがっていた「キティーのおうち」(ママゴト遊び用おもちゃ)を買って帰宅。

  初詣に行って初詣しないお出掛けではあったが、歩いたせいで二日酔いは収まったのが有難い。家に帰ると全員既に帰宅していた。孫娘のももが、おもちゃに大喜びしてくれたのは良いが、そのママゴトを付き合わされたのは計算違いだったが。

  その日、僕は夜遅くまでライブ準備などの作業をしてから深夜2時ごろに布団に入った。事件はその3時間後に起きた。

  明け方5時前、夢うつつの中、けたたましい音が鳴り始めた。最初何だろうと、その音の正体を見極めようと布団の中で耳を凝らした。いち早くカミサンが部屋を飛び出す。何だ? うちの中か! 僕も飛び起きた。

  警報だけだったのが、今度は「火事です! 火事です! 至急非難して下さい!」と大きな男性の声(機械音声)が叫ぶ。台所横に設置されているインターフォン装置がわめいている。息子夫婦も部屋から出て来て、何が起きたのかと驚愕の表情だ。孫娘は大きな声で泣き出すし、飛んでもないない騒ぎになった。

  僕はサッと室内を確認して、火は全く起きていないことを確認し、カミサンに、マンションの管理会社に電話するように指示して、1階の管理人室に直行。正月だし、普段でも夜は管理人は常駐していないのだが、緊急時の連絡先(ALSOK)を知るためだ。

  館内は「火事です! 火事です!」と大音量の放送が続いている。メモ用紙を持って来なかったこと気付いたが仕方ない。電話番号を暗記して部屋に戻った。

  カミサンは電話中なので嫁さんに僕が暗記して来た電話番号を控えて貰って、カミサンが電話を終えるのを待った。「今、消防署に電話した。管理会社、誰も電話に出ないから」とのこと。「了解」。僕はALSOKに電話を入れた。相手は直ぐに出た。「はい、こちらでも異常事態を確認して、係員がそちらに向かっています」との返事だ。「到着まで、何分くらい掛かりますか?」「八王子から行きますから30分程見て頂けますか?」と来た。

  本当に火事なら、何の役にも立たないではないか。「兎に角急いでよ。けたたましい警報が周囲にも迷惑だから」と言って電話を切った。その突端、玄関のドアを開けて階下の住人が「大丈夫ですか?」と大きな声で声を掛けて来る。「スミマセン。警報の誤作動ですから」「え? そうなんですか? 警備会社には連絡しましたか?」「はい。到着まで30分掛かるとか言ってます」。

  僕は再び1階に下りた。既に住民が何人か避難して集まっていた。僕は平身低頭しながら誤作動を説明して、引き取って貰ったが、煩い警報と音声は相変わらず鳴り響いている。マンション以外の住人も外に集まって来た。彼等にも説明してお引き取り願ったが、この音を止める方法はないものかと思っても分らないし、勝手に止めることが出来るなら、イザと言う時警報の役に立たないものだし。

1月 13, 2015   No Comments

酷い正月(前編)

普段夫婦2人で暮らしている3LDKのマンションも、息子夫婦が帰省し、娘も来ているから、狭い3部屋に大人5人子供1人が寝るとかなり狭い。数日間のことだから仕方ないと全員が割り切っているのだが。

新年を迎え、元旦には一家揃って初詣、という訳には行かなかった。夫々自由な元旦の送り方をするのも神童流なのだ。昔から我が家に、元旦はこうすべしという決まりはないのだ。最初に息子夫婦が、近くの小野神社にお参りに行って、その序でにデパートで福袋を買いたいと出掛けて行った。

昼前にはカミサンと娘が府中の大国魂神社に初詣に出掛けた。僕は、元旦早々二日酔い気味で、留守番を兼ねて寝正月と決めた。そうなったのには訳がある。

大晦日の夜遅く除夜の鐘が始まる前に、家の直ぐ近くの飲み屋の亭主から年越しを一緒にしませんかとの電話があったので、家人が寝静まったこともあって、出掛けることにした。昨年もそうだったから2年連続である。

店に着いた時、店のテレビが紅白歌合戦で白組の勝利を伝えていたところだった。既に常連さんが4人いて、同じくここで年越しするようだ。勿論、彼等とは顔見知りだ。と言うより、結構話が合う人達である。聞けば、皆マスターから呼び出された口らしい。マスターの好みで集めた人々なのかな?

実はこの店のマスターには2人の娘さんがいるのだが、下の娘さんと僕の娘が中学の時、同じテニス部で親友だったということを、遂2~3ヶ月前にお互いの娘から知らされて分かったのだった。僕はもうこの店に通い始めて2年になろうというのにだ。それはマスターも一緒だけれど、お互いそれが分かった時は、そりゃぁ驚いのなんのって。

我が家の大晦日の夕食は、正月前なのにカミサンの作った正月料理やら、焼肉、又は、しゃぶしゃぶ、又は、すき焼きと決まっている。それらをしたたか食べ、お酒もかなり頂いた後の、飲み屋さんだから、再びビールから飲み直しと相成った。そして、深夜1時を大きく過ぎて、店もそろそろ終いかなと思った時、マスターが「神童さん、カラオケ行きましょうよ」と言い出した。

昨年も全く同じパターンではあったので、実は、半分覚悟していた(いや、それもいいなと思っていた)。それから、常連客3人とマスターの4人でカラオケ三昧となったのであった。

カラオケ店はこの日は特別に24時間営業とかで、若い店員がテキパキ働いていた。なんだか正月なのに申し訳ないような気がして、2時間ほどで切り上げた。しかし、それでも家に帰ったのは4時前だったから、元気で元旦を迎えるのは無理だったという次第だ。

翌朝、カミサンから「子供達がみんな帰って来ているのに、夜中に飲みに行くかねぇ」と飽きれられたのは言うまでもない。

 

1月 12, 2015   No Comments

穏やかな年末

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  年末に大阪から息子の家族がやって来た。息子の嫁さんは5ヶ月の身重ながら、安定期だそうで至って元気。孫娘は4歳でおしゃまな盛りだ。会うのはGW以来(当時3歳)だから人見知りするのではないかと予想したが、チャイムが鳴ってドアを開けた瞬間、真っ先に入って来たのは彼女だった。「お爺ちゃん」と言いながら僕の胸に飛び込んで来た。

  カワユイ。「もも、お爺ちゃんに会いたかったよ~」。親の指しがねかも知れないが、凄い殺し文句だねぇ。先々が心配。「お爺ちゃんも会いたかったよ~」、思わず抱き上げていた。「新幹線から富士山が見えたの。真っ白だったよ」。「そうか、新幹線で来たのか。ももは新幹線と飛行機はどっちが好きなの?」「新幹線。飛行機はお耳が痛くなるからキライ」「そうかそうか」。

  その間、両親を玄関に立たせたままだった。「あっ、ごめんごめん。さっ、どうぞ中へ」てな具合で、いきなりジジバカ振りを発揮して我が家の年末年始が始まったのである。

  カミサンは正月料理作りの真っ最中で、挨拶もそこそこに台所に戻るから、僕がお茶を出したり、用意しておいたお菓子やケーキを出してお嫁さんの長旅を労った。何せ、6月には第2子を生んでくれる大事な身体だからね。可愛いことに、その間ずっと孫娘は僕の傍を離れない。

  一段落ついたら、孫娘のももが「お爺ちゃん遊ぼ」と言って、ボール遊びやらピアノ(キーボード)やら、キティーちゃんままごとやら、お絵描きやら、次から次と付き合わされた。2時間もするとこちらの集中力も切れる。でも、なかなか許してくれない。

  「じゃぁ、お爺ちゃんと一緒に本屋さんに行こうか?」「うん、行く行く」と彼女とデートすることにした。お嫁さんに「どんな本がいいんだろう?」と聞いた。「プリンセス・プリキュアが好きなんです。スイマセン」「それって、全然分らないけど、店員聞けば分かるかな?」「いえ、ももが知っていますから」「なるほど」。

  近くにアートマンという商業ビルがあり、その7Fに本屋がある。僕も良く立ち寄る店だが、この日は異常に混んでいた。良く見れば僕と同じような祖父母と孫の組み合わせが何組かいた。年末恒例の光景なのだろうな。

  僕らも書店の中へ。彼女早速お目当てを見付けたらしい。一目散にそちらに走って行く。見失ったら大変だ。迷子にでもしようものならカミサンや息子に何言われるか分かったものではない。一生懸命に着いて行くと、そこは幼児コーナーだった。

  ももは、喜色満面に本を1冊を胸に抱えて「これにする」。そしてもう一つ、10cm四方大の紙が束になったものを差し出した。所謂シールだ。いろいろな絵が描かれていて、夫々の形に剥がれるようになっているのだろう。それを別の紙に貼って遊ぶものだと分かった。「そんなのでいいの?」「うん」。次に別のフロアーで沢山菓子類を買ってビルを出た。

  家に帰ったら帰ったで、そのシール遊びに彼女自身が飽きるまでずっと付き合わされた。夕食後も、僕の部屋に来て、僕の仕掛り中のWord 文書が開かれているのも構わず、キーボードを滅茶苦茶に叩き始めた。「こらこら、お爺ちゃんの作業が台無しになっちゃうでしょ」と言いながら、僕は彼女を抱き上げ膝に乗せてやった。仕方ない、こういう時は、Youtube でディズニ―でも見せておくしかないかと、動画を選択した。

  彼女はそれを喜ぶかと思ったが違った。「ディズニーじゃなくて、プリンセス・プリキュアがいい」とのご託宣。やっとのことで探し出して見せてやると、Youtube 画面の右に沢山メニューが出るものだから、「次はこれ」「次はこれがいい」と、30分経っても終わらない。動画を6~7本観終わったところで「はい、今日はここまで」と僕が宣言した。「じゃぁ、最後にもう一つだけ」と言うから、「本当にこれが最後だからね」と言って見せてやった。

  「次は、これ」とまた言う。「もうダメ。さっき最後って約束したでしょ?」「お願い!」「ダメ」と言い合っていたら、彼女が手を伸ばして自分で操作しようとするから、椅子の後ろに身体を引いて手が届かないようにした。それでも這い上がってキーボードに触ろうとする。また後ろに引く。

  そのうち、動画よりもそのことが面白いらしく、前に行っては手を伸ばしてキーボード叩く。その手に力が入る。滅茶苦茶叩くから、一気にモニターは初期画面に戻ってしまった。しかし、良く見ると、アイコンが全部綺麗に消えている。オッと、PCが遂に壊れたかな。

  孫娘に「パソコンが壊れたでしょ。はい、本当におしまい」と言ったら、「ごめんなさい」と実に殊勝な言葉が返って来た。そこからPCの修復に入った。アイコンはデスクトップ・ファイルに残っていたのでそれを「表示する」にしたら元に戻った。

  しかし、キーボードで入力しようとすると、ローマ字入力もカナ入力も特定のキーが幾つか正しい文字にならない。僕は「これは完全にキーボードがいかれたな」と思った。1年ほど前から時々不調になるPCだからそろそろ買い替え時かなと思っていたところだから、正月明けにでも買おうと思って、それから丸1日間放置した。

  大晦日、娘が帰って来た。マイナーな雑誌の編集長をやっている。勿論独身で全く結婚する気がないのが親として悩みの一つなのだが・・・

  娘にPCが壊れたらしいと伝えたら、「どれどれ」と調べ始めた。「ホントだ。キーボードがなんか変。でも、チョッと待って。会社でもオジサンたちがたまにこんな現象起こすから」とか言いながら、「Num Lock」(ニューメリック・ロック)を解除した。

  「やってみて」と言うからWord に文章を打ってみた。あ~ら不思議。正しい文字が出るではないか。「娘よ、やるな~」と僕。「お父さん、何十年もシステムやってたって本当なの?」「・・・」。

  その日からは、孫娘の相手は完全に娘に移り、僕は解放されたのだった。娘よ、二重の意味でありがとう。

1月 7, 2015   No Comments