プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 10月 2015

復活の日

復活と言っても、キリストのことではない。まして、僕らのバンドのことでもない。友人のKのことだ。彼は、今年2月、心臓に直結する冠動脈3本の内2本に、カテーテルによるステント埋め込み手術を行ったのだ。

1月、持病を抱えるKは、いつものように定期検査でいつもの病院(日本女子医大)に通い、いつもの先生の検診を受けた。その時、冠動脈が老廃物で狭められていたのが分かった。完全に詰まってしまう前だったから、ある意味幸運だった。手術は1ヵ月以上時間を空けて1本ずつ行うとのことだった。

早期の手術を勧められ、2月初旬に1回目の手術となった。余談だが、彼には2月8日のブルースアレイの僕らのライブの総合司会をお願いしていたのだが、その日が丁度手術日となり、急遽僕が総合司会を行うことになったのだった。

手術は通常は小1時間程度と言われていたが、彼の場合、老廃物がかなり柔らかく(通常は硬い)、下手するとカテーテルやステントが、目的地を前にその柔らかい老廃物を剥がして血流に載せてしまう恐れがあったらしい。

それが脳まで飛んで血管を詰まらせれば脳梗塞を起こす。その危険性が高かったようで、医師団が何度も途中で手術を中断して、作戦会議をしながら慎重に事を運んだ結果、3~4時間の大手術になった。時間は掛かったが手術は無事成功して、2本目の手術も4月に行われそれも成功した。

1回目の手術から退院したあと、アルコールはダメなので、僕はKと地元の喫茶店で話をした。流石に弱々しかった。ステント手術は術後比較的早く退院できるらしいが、彼の場合、持病への悪影響の心配もあり、厳重監視のため1週間長く入院させられたのだ。

手術前も含めると2週間以上入院してベッドに寝かされたら、足腰がふらついて満足に立てなくなっていたと言う。体力も一気に落ちていて、退院後は階段も途中休み休みでないと息切れして昇れない。歩く速度も皆の半分。

そして、何よりゴルフ好きのKが残念がっていたのは、素振りでフルショットするのが怖いと言う。ステント周辺の老廃物がフルショットの時、脳に飛ぶんじゃないかと思ってしまうのだそうだ。

そんな彼とは、2回目の手術の後も何度か会ってお茶しているので、少しずつリハビリ効果も出て来て、次第に元気を取り戻して行く過程を僕は見ている。ゴルフ場に行く勇気も出たらしく、9月には会社同期のゴルフ旅行に参加するまでになった。その旅行は北海道に4泊して3ラウンド回るというかなりハードなものだ。

僕は、まさか彼がその全ラウンドを付き合うとは思っていないから、一緒に行った別の同期に会った時、Kは大丈夫だったかと尋ねたら、「元気でしたよ。良く頑張って3日連続全ホール回り切りましたから」との答え。良かった。

そして、昨日は新橋の洒落た小料理屋で、Kは手術以来初めての会食に挑戦した。その会食は、Kと彼の昔からの知り合い、それに僕の3人で美味しいものを食べようというものだ。その知り合いというのは、CMやテレビ・ドラマの配役陣を手配する会社の今をときめく女社長である。

彼女は若い時、僕等と同じ会社の社員ながら、モデルもしていて、結構多くのテレビCMなどに出ていたのを僕も見ている。後に退職して本格的にモデル業に乗り出した人だ。Kはその頃、土日には良く彼女のアッシー君を買って出ていたそうな。

そんな関係から、Kが彼女に僕らのバンドを紹介してくれて、以来、何回もグレコに友達を連れて来てくれたり、2月のブルースアレイ・ライブにも6人で来てくれた人だから、この日、Kからの誘いに僕は一も二もなく、そのお礼のために同席させて貰ったのだ。

美味しい和食と楽しい昔話をつまみに、彼は生ビール1杯、焼酎の水割り1杯を飲んだ。都合2杯を限度に決めていると言う。僕は少し心配したが、大丈夫だ。この日のKは、弱々しかった手術後とは別人のように見えた。

完全復活とまでは言えないが良く快復してくれた。良し快気祝いだ。Kには悪いが僕は更に女社長と僕の分のお酒を追加注文したのだった。

 

10月 31, 2015   No Comments

覚悟

 

サドンデスって、本当に不幸なのだろうか? 確かに死期を悟って残された時間を思い残すことのないように、すべきことを終えて召されることは、一生を悔いなく全うしたことになるのだから理想かも知れない。

  しかし、己の死を受け入れるまでには、恐怖と闘い、生への執着と闘い、己の不幸を嘆き、場合によっては痛みや苦しみに七転八倒する長い葛藤の時間経過が避けられないだろう。それを超えて漸く、残された時間が一生の中で最も大事なことに気付くのだと、ある体験談で読んだ。

  前途ある若い人のサドンデスは、夢に向かって生きる権利を突然奪われてしまうのだから、その無念さは察して余りある。長く生きた者との対比で、神様の成すひどい不公平・理不尽・不条理を感じざるを得ない。神戸の震災でも東日本大震災でも多くの若い命が奪われた。

  冒頭で問うたのは、僕の属する高齢者と言われる65歳過ぎの人々にとってサドンデスはどうかということである。好むと好まざるとに拘らず、死ぬ時期はそれほど遠くないのだから、人によって強弱はあっても、常に終わりを意識しながら生きているのが普通だと思う。

  であれば、事故死や突然死のような終わり方も、死期を悟ってから一定の時間が有ることと大して違いはないのではないかと思えるのだ。寧ろサドンデスの方が長い苦しみを味わわずに済むし、家族にも迷惑を掛けないで済む。その証拠に、巣鴨のとげぬき地蔵を訪れて、ピンピンコロリを願う高齢者の何と多いことか。

  死を意識して生きること、言い換えれば、死ぬために生きることとはつまり、死ぬことだけでなく、何事についても終わりが来ることに、寛容乃至覚悟のようなものを己の内に作り上げて行く過程のような気がする。

  僕自身、どんなに楽しくても、頭のどこかにいつまでゴルフや音楽が出来るだろうか? ここまで続いた仲間の会はいつまで続くだろうか? 或いは、来年もまた同じメンバーで会えるだろうか? がある。勿論、楽しい集いは未来永劫に続いて欲しい。だが、自分が先にいなくなるか、集いの終焉の方が先に来るかは誰にも分らないのだ。

  いつか終わりが来ることへの覚悟があると、いざその時が来ても狼狽えないで済む。それは、続く努力をしないと言うのではない。淡白にあっさり諦めるというのとも違う。自然体で終わりを受け入れられるということだ。さればこそこの今を、正真正銘、心からかけがえのない時と思えるのだ、と・・・

  僕も人並みに、そんな心境の入り口に早く立ちたいものよ。

 

10月 29, 2015   No Comments

ミュージシャン達のカラオケ

やや旧聞に属するが、今年の8月、高校同期のバンド「ザ・タペストリー」は、昨年の秋のライブを最後に暫く休会となっていた。元々4年間という期限を区切って活動を始め、昨年秋のライブがその締め括りだった。だが、折角、ここまでやれたのだから完全に解散してしまうのは淋しいという声もあり、暫く休んで、皆の気運が盛り上がったら再開するというのが申し合わせ事項だった。

そのメンバー達が、暑気払いでもやろうと、10ヵ月振りの飲み会が企画された。一次会で終わる訳もなく、2次会のカラオケまで予定されていた。事前アンケートではカラオケの時、楽器を持ち込んで生演奏するのも、生演奏をバックに歌うのも是となっていた。

今回の暑気払いの提案者は、女性ボーカル2人のうちの1人、原ちゃんだったが、それを受けて幹事役を買って出てくれたのは、昨年のバンド最後の打合せで、バンド・マネージャーに選出されたトオルちゃん(I)だ。最近の拙ブログに度々登場する大学の理事長さんだ。

彼は学生時代、フォーク・グループを結成して活動していたそうで、「ザ・タペストリー」の結成を知って駆け付けてくれたのだった。久し振りにバンド・メンバーが集まるのも、彼の人柄の成せる業だと思う。

一次会の方は、元バンマスのTAKA(ギター&ボーカル)と、元コンマスのマッキー(サックス)が仕事の関係で二次会からの参加となっていたので、2人を除く7人だった。女性陣はAYA(ベース&ボーカル)、原ちゃん(ボーカル)、HIROKO(ボーカル)の3名。それにヨッシー(MC&バンジョー)、ナッケン(トランペット)、トオルちゃん(ボーカル)、それに僕QP神童の7名だ。

メンバーは他に、タカオちゃん(トランペット)、シロー(フルート)、タケちゃん(ブルース・ハープ)、松ちゃん(ボーカル)の4人がいるが、この日は都合が付かず、欠席になったのは残念であった。

一次会は、久し振りの再会に話も弾み、お酒も食べ物もどんどん進み、宴もたけなわとなったところでトオルちゃんが本日の唯一の議題を切り出した。

「タペストリーとして暫くお休みしたけど、今後どうするか皆さんの意見を」と提案した。それに対して「またやりたいね」とか、「休みの間も個人練習は続けて来たけど、定期的にスタジオ練習とかないと身が入らないんだよね」とかの意見が出た。

更に、「毎月じゃなく2~3ヶ月置きくらいにして、あんまり真面目にやり過ぎないで、お楽しみ会みたいな方がいい」とか、「再開賛成だけど、人様の前で演奏するライブは自信ない」とか様々な意見が出たが、基本的には再開待望論が占めた。

トオルちゃんが最後に締めた。「俺達、とても下手で歳も歳なんだからサ、今更、上手くなることを目指すのではなくて、2ヶ月に1度くらいのスタジオ練習にして、それを我々のお楽しみ会とする。但し、目標はあった方がいいので、年1回のライブは実施し、観客は家族・親戚・親友など、下手なライブでも来て貰える人に限る。これでどうですか?」と。全員が「賛成!」との掛け声を上げた。

第2部はカラオケ。僕らが店に到着した時、既に、TAKAとマッキーが待っていた。トオルちゃんが先程決まった今後の方針を2人に伝え、彼等も了解してくれたので、この方針が決まった。

TAKAはギター、マッキーはサックス、原ちゃんは何とマンドリンを持参している。カラオケの前に、TAKAと原ちゃんが夫々生演奏をしてくれた。TAKAは意外にも山口百恵の「プレイバック」をギター弾き語りで、原ちゃんはイタリア民謡をマンドリンで演奏した。

実は、高校時代、原ちゃんはマンドリン・クラブでマンドリン奏者の1人だった。僕と猪瀬直樹はそのギター伴奏班だったし、TAKAはマンドリン・クラブの編曲者兼コンマスだった。マンドリンの生音を聞いたのは高校以来だからとても懐かしかった。バンド再開後はバンドにマンドリンを是非加えたいと思った。

その後、カラオケに載ってマッキーが「雪の華」を情感たっぷりに演奏してくれた。カラオケルームでこれだけ生演奏を聴けるのは初めてのこと。なかなかいいものだ。流石、アマチュア・ミュージシャンのカラオケ大会。僕も負けずにドラム代わりにタンバリンでリズムを刻む。

その後は、普通のカラオケ・タイムとなり、2時間はあっと言う間に過ぎて行ったのであった。

 

10月 28, 2015   No Comments

面白小噺3

とても高尚なプレミアムエイジに、あまり上品とは言えないジョークを含んだ記事を投稿すること、どうかお許しあれ。何せこのジョーク、誓って作り話などでなく全て実際の会話であり、若き女性の発言がその意図に反してトンデモ発言となってしまった事件なのであります。

 

【病院名】

会社の昼休み、同僚3人の雑談
.

B男 「この前、痔で入院している友達の見舞いに行ったんだけどサ、駅から
.           タクシーに乗って行先告げたら、運転手が大笑いしっちゃって」

C男 「なんで?」

B男 「その病院、タマコウモンカっていう名前なんだよ」

C男 「肛門科って、そりゃまた、えらくストレートな名前だねぇ、ハハハ」

A子 「タマって、どういう字ですか?」

B男 「多摩川の多摩だけど・・・? えっ! チョッとぉ! そっちは肛門科
.           じゃなくて泌尿科でしょ」

A子 「あっ!!! そんな意味で聞いたんじゃ・・・(赤面)」

全員  大笑い。

 

【串揚げ屋】

男2人・女1人の飲み会

最初に頼んだ串揚げをあらかた平らげた時
.

A子 「次は何にする?」

B男 「きす(魚)がいい」

A子 「Cは?」

C男 「僕も同じものを」

A子 「キスだけでいいの?」

C男 「えっ!?」

A子 「あっ!!!」

C男 「ビックリしたな、もう。ドキドキしちゃったよ」

 

【嫌いなもの】

喫茶店での恋人同士の会話
.

B男 「A子の一番嫌いなものって何?」

A子 「うーん、蛇は絶対ダメ。だから亀もダメなの」

B男 「???」

A子 「亀の頭が嫌いなの! だって似てるんですもん」

B男 「シ-! そんな大きな声で言うなよ!」

A子 「??? えっ! やだぁ! ・・・。
.           そういう意味じゃなくてーぇ、嫌いなのは本物の亀の方だから」

B男 「あぁ、良かった」(笑)

10月 25, 2015   No Comments

のどごし生バンド ライブのお知らせ

 

11月28日(土)に、「のどごし生バンド」のライブを行います。

今回は「グレコ」での19回目のライブとなります。

皆様のお越しをお待ちしております。

.                                                    記

日時   11月28日(土) 午後6時開場、7時開演

場所   新子安「グレコ」 JR新子安駅徒歩4分   「子安小北」信号の角

出演   のどごし生バンド、ミノル&ヨーコ

入場   無料

2015.11.28 グレコ ライブ チラシ

10月 24, 2015   No Comments

再会(後編)

Iが「そこ行くとうちのカミサンなんか、人生は死ぬまでの暇潰しよね、とか言うんだよ。俺と一緒だったのは暇潰しだったってことだろ? 言って良いことと悪い事ってあるよね。その時ばかりはムカッとした」と言う。

それに対して猪瀬は「それはIが奥さんに幸せな人生を送らせているということだよ」となだめる。「だってサ、貧乏させてたら暇潰しどころじゃないんだから。貧乏暇なしって言うじゃないか」。流石作家は違う。返し方が常人とは違う。説得力がある。

その後話は高校時代に移り、マンドリン・クラブで僕と猪瀬が4人しかいないギター班で一緒にやっていた時の話に及んだ。「前からオレ、高校の音楽祭でギターソロやったんだって、あちこちで言ってたんだけど、神童から数年前に送られた当時の録音テープ聞いたらソロはたった2小節だったんだよな」「猪瀬がギターソロやったなんて記憶ないから、一生懸命そのテープ聞いた。確かに短いけどソロやってたな(笑)」とい言い返したり、懐かしい話題に花が咲いた。

丁度その時マスターが料理を出しに僕らのテーブルに来て、「猪瀬、って呼び捨てにする人、この店で初めてですよ」と笑いながら仰る。「いや、みんな高校の同級生だからサ」と猪瀬。マスターは「猪瀬さんがソロをやった曲はなんですか?」と聞く。「ラ・クンパルシータ」と猪瀬が答える。

いや違うな。「それじゃなくて、スペインのフラメンコ風の曲だよ。え~と???」と僕。題名が出てこない。最近の良くある症状だ。そこ行くと著作活動やオリンピック招致で八面六臂の活躍をしてきた奴は違う。彼の話の中で沢山の外国の地名や多くの人の名前が挙がるがスラスラ出て来る。「調べて題名をメールするよ」と言うしかなかった。後で調べた結果、それは「エスパニア・カーニ」だったのだが。

「マスターはギター演奏の名手なんだよね。『禁じられた遊び』を弾いてよ」と猪瀬。マスターは、久し振りの曲だから上手く弾けるかどうか、とか言いながら僕らの近くで間奏を含めて丸々1曲演奏してくれた。懐かしい。ナルシソ・イエペスのバージョンだった。

僕が高校時代ギターをやったのも、中3の時この曲を弾きたくてギターを始めたのだ。中学卒業の謝恩会で僕がこの曲を演奏したのを鮮明に覚えている。マスターの演奏を聴きながら、当時のことが走馬灯のように思い浮かぶのだった。

猪瀬もこの「禁じられた遊び」を目標にギターを始めたことは全く同じだった。そして、僕ら2人とも部室で良く弾いていたから、「オレも当時はこの曲上手く弾けたんだよ」と声が合って大笑い。そうなんだよ、あの頃ギターに憧れた人は、大体この曲がキッカケだった。僕らより何年か後の後輩のギタリストはベンチャーズに憧れて始めた人が多いのだが。

当時のマドンナ達の話や、部室でコッソリお酒や煙草吸った話、合宿で夜一緒にコッソリ抜け出した話などで大いに盛り上がった。宴もそろそろお開きかなと思った時、先客の女性2人が帰るらしく、こちらに近付いて来てそのお一方が、「猪瀬さん、お元気そうで何よりです。今日はとっても楽しそうですね」と話し掛けて来た。

彼は、「どうも」とか言いながら、自分は知らないけど相手は自分を知っているという、有名人にありがちな、戸惑いの表情を見せた。声を掛けて来た人があか抜けている女性だったからか、彼女達が出て行った後、猪瀬は「今の人誰?」とマスターに聞いた。「え!? 猪瀬さんてっきりご存じだと思ってたんですがねぇ。何度かこの店で会ってる筈ですよ。渡辺真知子です」とマスター。「ふーん」「歌手ですよ」「知らない」。

ここからは僕のジャンルだ。「カモメが飛んだ~♪、って歌知ってるだろ? それで大ヒットした歌手だよ。百恵ちゃんの最後の頃だったかなぁ」と僕が補足する。「じゃぁ、一世を風靡した歌手?」と猪瀬。「そうだよ。俺たちの年代でこの歌知らない方が珍しいよ。ねぇ、I?」「悪りー、オレも知らねー」「話しが進まないねー、この人達」僕は呆れた。

猪瀬は早速スマホを操作して、「あった。この曲か?」。YOUTUBEから渡辺真知子の「カモメが飛んだ日」が流れた。「そうそう、これだよ」「うん、これなら聞いたことある。マスター、彼女の事務所の番号教えて、あとで謝っとくから」と猪瀬。あれ? 猪瀬ってこんな気遣いする人だったっけ(笑)? これを潮にこの夜のミニ同級会はお開きとなった。

奥さんを亡くした喪失感を除けば、彼はすっかり元気になっていた。そして、今また、テレビ・雑誌に引っ張りだこになって来たし、精力的に作家活動を行なっている。ただ、僕が感じた勝手な印象だけど、僕らに対する彼の態度は、都知事の時の鎧を脱いで、その時とは別人のように打ち解け、僕らと酒を酌み交わすことを楽しんでいるように見えた。これこそ昔の猪瀬だ。

.                                                                            再会  ― 完 ―

 

10月 24, 2015   No Comments

再会(前編)

大学理事長のIが、猪瀬から昨夜突然、明日猪瀬の事務所に来て欲しいと連絡を受けたと言う。猪瀬というのは前都知事の猪瀬直樹である。猪瀬もIも僕も高校の同期だ。

今日の昼ごろ、Iから僕に、「1人で行くのも何だから、神童、今日一緒に付き合って貰えないか?」とメールが入った。丁度その時僕は、昨日判明したシステム・トラブルの回復作業の真最中で、夕方6時現地集合と言われても、それまでに復旧作業が収束するのかどうか全然見通せない状況だった。

Iには、状況を説明して、行けるかどうか5時ごろ連絡することにして、午後は必死にトラブル対応に当った。トラブル回復は一応5時前には終わったが、システム責任者でもある僕には、今回のトラブルの経緯書やらその原因と再発防止策やらを纏める仕事が残っていたが、明日に回すことにして会社を出た。

Iには6時ギリギリになる旨メールして現地に向かった。Iが言うには、猪瀬の要件は、Iに大学経営の現状を聞きたいということのようだった。僕には直接関係のない話ではあるが、2年ほど猪瀬に会っていないこともありIに同行することにしたのだ。

と言うのも、史上最高の得票数で都知事になったかと思うと、オリンピック招致活動に奔走し、半年後には奥様を亡くされ、その2か月後にはオリンピック招致に成功、そのまた2ヶ月後、マスコミや社会から非難の的になって辞任。都知事就任から丁度1年だった。ジェット・コースターもなだらかに見える程の起伏の激しい1年を猪瀬はどう思っているのか、精神的に復活したのか、その辺りが知りたかった。

Iと2人で麻布にある猪瀬の事務所(OFFICE INOSE)を尋ねる。まず秘書が玄関に現れ中に招き入れてくれた。通されたのは地下の広い応接室だった。この応接室でテレビ取材や彼のテレビ番組(9チャンネル TOKYO MX)が収録されるので、テレビ画面では何度か見ている部屋だ。

僕はこれが2回目の訪問なので、勝手は分っていたが、前回の訪問時と違うのは部屋の片隅に、奥様の遺影と共に祭壇があることだった。Iと僕は、猪瀬が現れるまで、線香をあげて冥福を祈った。それが終ったところで猪瀬が現れた。

最初1時間ほどは猪瀬の事務所で、彼がIに大学の一般的形態や現状をレクチャーして貰う形で話が進んだ。僕は勝手に、彼の次のテーマのために大学の仕組みや実態について知りたがっているのだろうと思って専ら聞いていただけだったが。

それも終わり、事務所から出て徒歩で直ぐ近くの洒落たお店に入った。小振りのイタリアン・レストラン風の店だが、人気メニューは何とお好み焼きだそうだ。マスターがこれまた、僕らの高校の先輩と来ている。猪瀬が良く使うお店だそうだ。店には女性客2人がいた。僕らは彼女達から一番遠いテーブルに陣取った。

ビールで乾杯後、ワイン・日本酒と杯を重ね、酔いと共に話の内容もあちこちに飛んで、猪瀬も都知事時代とは打って変ってリラックスしているようで、話好きのおじさんになっていた。久し振りに3人は完全に高校同期の同級生に戻った感じで会話がとても楽しかった。

猪瀬も都知事辞任の経緯を包み隠さず語ったし、オリンピック招致成功までの道のりや舞台裏など、他では聞けないことも僕らには話してくれた。とても正直なのだ。政治家としてはアマチュアだったと言ったり、既存の政治家を甘く見ていたとか、都知事就任と同時にオリンピック招致レースが始まったから遮二無二突っ走ったので、時間を掛けて都知事として足場を固める時間もなかった。新国立競技場の迷走やエンブレム問題の対応ぶりを見るにつけ残念でならないと言っていた。

その中でも彼にとって一番ショックだったのは奥様の死だったことは良く分る。「神童さぁ、女房がいなくなるって、想像以上に辛いことだよ。当たり前のように傍にいて、当たり前のように身の回りの面倒を見てくれていた人が突然いなくなるって、想像したこともなかったからなぁ」とつぶやいた。

「今でも彼女の死を受け入れられないんだ。もっと優しい言葉を掛けておけば良かったとか思うんだ」とも言っていた。彼の作家復帰第一弾の「さよならを言ってなかった」を読まれた方も多いと思うが、猪瀬がしんみり語るその言葉の端々から、22歳の彼と21歳の彼女との長野から東京への駆け落ちに始まる2人の愛情物語は、全く脚色のない彼の本音が書かれていたのだと思った。

 

10月 23, 2015   No Comments

久し振りのライブ

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.                   Photo by Hara

2月の目黒ブルースアレイでのライブ以降、お休みしていた我が「のどごし生バンド」は8ヵ月振りに新子安グレコでライブを強行した。強行と言うのは、その間、全くバンド練習もしていなかったのと、仲間の女性シンガー2人が事情によりバンドを継続出来なくなってしまったため、残りのメンバーだけではレパートリーが限られてしまう状況を押して開催したことを指す。

何せ久し振りだったから、ライブ当日は少なくても2時間ほど事前のリハを行いたかったが、大木先生が土曜日の午後は大学の講座を受け持っておられるので、早く店に行けないという時間的問題もあり、結局1時間だけリハーサルを行って本番を迎えることになった。

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こんな事情もあり、当方としてはあまり自信のあるライブではないので、ライブの告知をメールで行なうものの、僕が個別に頼み込んで来て貰うような動員は一切しなかった。しかし蓋を開けてみると、来場者は満員(30名)ではないが20人を超え、盛況にはなった。その分、妙なプレッシャーを感じるという、嬉しいのか嬉しくないのか自分でもよく分らない状況となった。

以前より1時間ずらして、午後6時開場、7時開演としたが、肝心のアンディーのお客様(PTA女子会の4名の皆さん)がなかなか現れず、7時近くになってアンディーがヤキモキしていて可笑しかったが、彼女達も7時丁度に表れたので、ライブをスタートした。

冒頭、僕からマイクを通して言い訳とお断りをした。「本日は遠いところを新子安までお越し頂き、誠にありがとうございます。折角遠くからお越し頂いたのに、『のどごし生バンド』は、2月以来8ヵ月も休んでいまして、先程1時間リハーサルをやったのですが、正直、ボロボロでした。という訳で、皆さん今日は沢山飲んで頂いて、気持ちを大らかにして聞いて頂けると助かります。お酒は売る程ありますから」。

「えー」という表情と共に笑いが起きた。「大丈夫、飲みに来たんだから!」という声も聞こえた。いいお客様だ。早速浜ちゃんの「鈴懸の径」から演奏開始した。僕らの10年の前半の5~6年間に良く演奏した曲ばかり7曲を演奏した。良い緊張感の中で演奏してみるとチャンと思い出すもので、目立ったミスはなかったと思う。

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そして第一部の最後8曲目に、僕が「アンチェイン・マイ・ハート」を歌った。「ブルースアレイで、この曲は歌い納めにしますと宣言したのですが、我が儘な先輩が来てくれていまして、私がこの曲を歌うのが出席の条件だったので、スミマセン、歌わせて頂きます」とか言い訳をして歌い出した。本当は今演奏出来るレパートリーの少なさが理由だったのだが・・・

バックコーラス無しで歌ったのも初めてだったが、歌詞を思い出しながら歌う緊張感の方が占めていたので、気にする暇もなかった。その後休憩に入ったが、嬉しいことに、グレコ常連の岡田さんが「アンチェイン・マイ・ハートはずっと続けて下さい。止めちゃダメですよ」と言ってくれた。そうだな、そう言ってくれる人が一人でもいる内は続けようかと勇気を貰った思いだった。

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その休み時間中に、僕らのライブに良く来てくれる「ニューズウィークを読む会」(今回は4名様)の主宰者のKさんに掴まった。

「今日は何故女性陣が出ないの? おじさんばかりじゃ華がないよ」「スミマセン、家庭の主婦ですからいろいろ事情があって。今日は無理だったんです」「男女の問題でも起きたんじゃないかと思ったよ(笑)」と、からかわれてしまった。

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女性シンガー2人は人気者だったから、彼女達がいない「のどごしライブ」はいま一つだなぁ、と思う人達も多いだろうな。何となく、次回もおじさんだけだったら、「ニューズウィークを読む会」はもう来なくなるなと感じた。

さて、第2部、「マイアミ・ビーチ・ルンバ」に始まり、7曲目「ダイアナ」で終わった。それこそ「ダイアナ」は4年振りくらいになる。ぶっつけ本番だったが本日一番の出来。佐藤さんとアンディーのハーモニーが綺麗だった。

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アンコールが来て、2曲。まずは大木先生の見せ場「エル・クンバンチェロ」。先生、いきなりトップ・スピードで演奏を始めた。普通は徐々にスピードを上げて行くのに。僕は必死でついて行こうとしたが、いきなりの超高速リズムには追付けない。誤魔化しながらやろうとしたが、却ってリズムが合わないので、途中ドラムを休んだり四苦八苦。これはリハーサルでやっておくべきだった。ただ、お客さんも2時間半飲んで、最初の狙い通りに気持ちが大きくなっていてくれたので助かった(苦笑)。

そして、最後の最後は定番の「ジョニー・B・グッド」。アンディーの派手なツイストにPTAの女子会の皆さんが大喜び、大騒ぎだ。いいよ、いいよ、アンディー。どういう訳かその女子会に唯一男性のアンディーがメンバーとして入っているのだそうだ。残念ながら全員既婚者なので(PTAだから普通はそうだ)、アンディーの将来のお嫁さん候補ではない。

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このライブで、半年以上のブランクがあったが自信回復出来た、という訳では全くないが、大木先生の要請もあって、11月28日(土)のライブが決まった。グレコでの通算19回目のライブになる。但し、その翌日、僕は例の「銀座タクト・ライブ」があるので大変だ。でも「のどごし生バンド」は再び走り始めたのだから、どんどん行くべきだ。僕も、きっと何とかなるさと覚悟を決めた。

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10月 17, 2015   No Comments

プロ達との音合わせ

  11月29日の銀座タクト・ライブに向けた、ただ一回の音合わせが9月下旬に銀座の貸しスタジオで行われた。午後1時~5時までのハードなリハだった。この日に向けて僕は8月から、週一の練習を重ねて来た。何しろ、僕以外は全員プロだから練習日当日に、初見で譜面を見て演奏すれば即本番OKとなるが僕はそうは行かない。

  初見の譜面を見ながらドラムを叩くなどという芸当は出来ないから、このただ一度のリハに向けて完成度を高めて置かなくてはいけないからだ。Keiさんの「アメリカン・ポップス」ライブでは、昨年6月に同じ銀座タクトでドラムを叩かせて貰ったが、その時の曲(多分15~16曲)に、今回は10曲の新曲が加わっている。

  その新曲を何とかマスターしてこの練習日に間に合わせる必要があったから、家の近くのスタジオを借りて個人練習を6~7回重ねたのだった。

  「懐かしのアメリカン・ポップス」というタイトルのライブだが、すこし拡げて「洋楽ポップス」と解釈しても、新曲でそれに当てはまるのは、「大人になりたい」「アンチェンド・メロディー」「サンライト・ツイスト」「ラ・バンバ」くらいで、後は洋楽ポップスとは言い難い曲だ。

  「哀愁のヨーロッパ」「メリー・ジェン」「ファンキー・モンキー・ベイビイ」「勝手にしやがれ」「時の過ぎゆくままに」、そして「ベサメムーチョ」。Keiさんや他のプロ達の選曲にトーシローが意見を差し挟める状況にないから、言われた曲をただひたすらマスターすることに集中した。

  唯一のアマチュア・ミュージシャンは、スタジオに一番乗りして、プロの皆さんをお出迎えすることにした。全員僕より年下だけど、この世界は年齢ではなく腕前の順に偉い訳だから、一応礼儀と思って20分早めに行ったのだ。

  直ぐにKeiさんが現れた。今回のライブ責任者だから早く来たのだろう。僕が既に来ているのを見て驚いていた。続いてベースの竹原さん、キーボードの「すけきょん」さん(助川恭子)、そして、ギターの保山さんがやって来た。全員、時間前に集合とは素晴らしい。流石、連日あちこちのステージに招かれ演奏している人達だ。時間をキッチリ守り、ステージに穴を開けないという日頃の心掛けが伺える。

  さて、練習開始だ。最初に前回のオープニングのインスト2曲をウォーミングアップ兼ねて演奏した。ベンチャーズの「ブルドック」と「朝日のあたる家」だが、1年数か月振りにしては、問題なく演奏し終えた。続いて、Keiさんの指示でやはりインストの「哀愁のヨーロッパ」となった。

  実はこの曲、僕が昔から大好きな曲で、保山さんのギター演奏を聞きたかったので僕がリクエストした曲である。この曲の僕の課題は、スロー8ビートが途中から倍のテンポに変る瞬間である。練習でも成功率はまだ5分5分だったから、少し不安を感じていた。だが、良い緊張感で演奏すると、そこも無難にクリアー出来ることを知った。

  これで僕はホッとしたらしく、少し心の余裕を持ってその後の練習曲を消化出来たのだった。保山さんと竹原さんとは前回一緒にステージに立ったし、当ブログでも、昔「シャープ5」というバンドで活躍し、今もギタリストとベーシストとしてあちこちに呼ばれる現役プロミュージシャンであることは書いているので、キーボードの「すけきょん」さんについて、聞いたことを書き留めて置きたい。

今回初対面の「すけきょん」さんは、30代半ばの女性だ・・・と思う。彼女はキーボードで参加したが、本職はピアニストであり、シンガー・ソング・ライターである。10代半ばの頃、実家の名古屋から上京して音楽の道に入ったそうで、今年、音楽活動20周年を迎えるとのこと。今も、ケントスやビルボードと言った東京の有名ライブハウスに頻繁に出演している。

  面白いのは、彼女がメイン司会者となって、毎回違うミュージシャン仲間を招いてトーク番組を手作りしてインターネットで放映していることだ。僕も見てみたが結構面白い。「すけきょんTV」という名前の番組だ。興味ある人は是非覗いてみて欲しい。

  メンバー皆が聞きたいことをKeiさんがいとも簡単に聞いてくれた。「とても可愛い! 結婚されてるの?」「いいえ」「すけきょん、って面白い名前ねぇ。どうしてそういう名前にしたの?」「本名が助川恭子なので。昔からの皆にそう呼ばれていましたから」。Keiさんも初対面だった。どうやら、竹原さんの紹介のようだ。

  4時間の練習が終わり、Keiさんはこの後会場(銀座タクト)との打合せがあり、保山さんはその夜小田原で仕事(演奏)が入っているとのことで、竹原さん、すけきょん、神童の3人でスタジオ近くの居酒屋に入った。銀座で飲むのは久し振りだ。

  実は、竹原さんと飲むのもこれが初めて。竹原さんは札幌出身で今年還暦を迎えるとのこと。事実上、今回のバンドのコンサート・マスターだ。僕のドラムについて、今日の練習の限りでは合格点ですと言ってくれた。ただ、高速8ビートの時、右腕が固まっているから、そうではなくて、腕のリズムは4ビートで(半分のスピードで)、腕の振り1回に付きスティックを2回打つようにしたら楽な筈、とアドバイスしてくれた。確かにそうだ。確か学生時代はそうしていたなと納得。本番までにマスターしよう。

  「すけきょん」は、お父様がフルバンドのドラマーだったらしく、小さい時から音楽が直ぐ近くにあったので、ピアノ・ギター・管楽器・ドラム何でも勝手にやって育ったそうだ。そのお父様も僕より3つほど年下らしい。そして、14~15歳の頃、ピアニスト・キーボード奏者としてプロミュージシャンを目指そうと上京したのだと言う。

  先日は、ライブのカウンター・バンドのドラマーが急に来られなくなり、彼女が急遽代役をやったのだそうだ。どんな曲をやったのか聞くと、何と、ベンチャーズの「ブルドック」や「10番街の殺人」とか、80年代ポップスだったと言う。参ったなぁ。今回「10番街の殺人」も当初候補曲に挙がっていたのを、僕が苦手で外して貰った経緯がある。これは思わぬプレッシャーだ(笑)。

  軽く1時間と言って飲み始めたのに、結局は3時間ほど居座ったのであった。いつものことだが・・・

 

10月 15, 2015   No Comments

皇居東御苑

.            東御苑の外側のお堀

.            東御苑の外側のお堀

「日比谷公園内の森」を訪れた数日後、今度は「皇居東御苑」に行ってみた。元の江戸城の跡が公開されて誰でも入れる公園になっている。外堀に掛かる橋を渡ると交番があり、警察官が立っていた。そう言えば、スマホの記事には敷地内に「皇宮警察」があると書いてあった。少しものものしいが、これも皇居の一部だからか。

入り口に受付らしい窓口があるので、ここで入場料を払うのかと思ったら、入場無料の掲示板が見えた。だが、受付の係員に小さなプラスティックのカードを渡された。帰る時提出するようにとのことだ。閉園時に中に残っている客がいないかどうかを確認するためだろうか。良く分からないシステムだが、了解。

立派な門(平川門)をくぐると、いよいよ旧江戸城である。門から道なりに歩くと内堀があり、途中に25度はあろうかと言うほどに落差がある傾斜の橋が掛かっている。それを登ると江戸城本丸跡らしい。

この日は朝から雨が降っていたが、僕が家を出る時は雨は上がり曇り空だった。それが、一気に晴れて、今は真っ青な空、太陽も眩しいくらいだ。前線が居座ってここのところ日照時間は殆どゼロの日が続いていたのに。但し雨上がりなので、水蒸気が物凄くて、自分のズボンが濡れて絡み付くような感触だ。

晴れ間に誘われたかのように、結構大勢の人がここ東御苑を訪れている。半数は白人、もう半分は中国系の観光客のようだ。日本人は僕だけか? 中に入ると、広い芝生の一帯が現れた。そこが江戸城の本丸跡地だった。北の方向に高台が見えた。案内図によると天守台のようだ。そこに向かう。

.                   天守台

.                   天守台

天守台そのものはそれ程の広さではない。天守台の隅に上部が平らに切られた大きな石がある。そこには方位を示す十文字の矢印が刻まれ、1つだけ矢印の先に「北」と彫られている。

外国人父子(2人とも金髪。30代の父親と5~6歳の男の子)が来て、それを指しながら父親が息子に方位を教えていた。「北」の文字を指して「North」、その反対を指して「South」、そして西を指して「こっちは何て言う?」と息子に聞く。息子がすかさず「East」と答えると、「ノー、ノー、West」と訂正していた。微笑ましい。

天守台を降りて、東御苑の西側の境界に沿って散歩道になっているので、ぶらついてみた。木々が大きく育っているので、日差しが遮られて2~3度は涼しく感じられる。途中「富士見多門(ふじみたもん)」という名の土蔵の様な建物があった。江戸時代、ここから富士山が良く見えたのだろう。

説明の立札には、「多聞」について書かれていた。「多聞」とは、防御をかねて石垣の上に設けられた長屋造りの倉庫のことで、多聞長屋とも呼ばれていた。鉄砲や弓矢が納められ、戦時には格子窓を開けて狙い撃つことが出来た。本丸の周囲は、櫓(やぐら)と多聞で囲まれて万が一に備えられていたとのこと。

.              松の廊下跡

.              松の廊下跡

更に進むと、「松の大廊下跡」という立札と小さな石碑があった。言うまでもなく、ここは忠臣蔵の物語の始め、浅野内匠頭が吉良上野介を切り付けた廊下のあった場所だ。説明書きによると、廊下に面した部屋には松と鶴の襖絵があったことからそう呼ばれたと書いてある。ふーんである。鶴はどうした?「鶴の大廊下」でも良かったのではないか、とかどうでも良いことをぶつくさ言って先に進む。

.               松の廊下 石碑

.               松の廊下 石碑

数日前の日比谷公園の中の森の泉は、誰もいなくて、深山にでも入り込んでいるような、何ともしっとりとした静かな時間を独り占めした贅沢を経験したが、この日は人が多い。今歩いている緑に囲まれた散歩道も、雨の中だったら、多分、誰もいないだろうになと思ってしまう。中国からの観光客達の声が大きくて騒がしかったからだろう。

.               森林浴も出来そうな散歩道

.               森林浴も出来そうな散歩道

でも、そういう人達の爆買いによって、日本経済が支えられているのも事実だから仕方ないか、とか思いながらやり過ごす。どうやら、木々に囲まれた散歩道は終わり、視界が開けて広々とした芝生が現れた。天守台から見えただだっ広い本丸跡の芝生の反対側に出たらしい。

時間もなくなって来たので、もう半周して元来た傾斜の橋を降りて平川門に向かった。本当は傾斜橋の反対側には二の丸跡があり、そこは植物公園のようになっているらしいので寄ってみたかったが、それは、またいつかの機会に譲ろう。それにしても、東京のど真ん中にこんな広い公園があり、且つ、それが入場料無料というのは素晴らしい。

実は、告白しなければいけないことがある。生まれてこの方70年弱、僕は皇居が江戸城跡だとずっと思い込んでいた。勿論、江戸城の敷地内であることに変わりないが、皇居は江戸城の本丸跡だと勝手に思い込んでいたのだ。でも、この日歩いてみて、本丸も二の丸も天守閣も、実はここ東御苑にあったのだということを初めて知った。

そして新たな疑問が幾つか浮かんだ。1つは、今は広い芝生となっている本丸は、いつ焼失したのかである。明治直前の戊辰戦争で焼失? いや違うな。勝海舟は西郷隆盛と掛け合って、江戸を官軍の攻撃による大火から守り、西郷は江戸城に無血入城している筈だ。では、太平洋戦争の末期の米軍による空襲で焼失か? これも違う。アメリカは空襲の時も日本の歴史的建造物は守ったのだから。関東大震災で壊れたかと言えば、そんな話は今まで聞いたことがない。

後でネットで調べたところ、本丸は、明治になる5年前に焼失して以来、再建されることはなかったとのことである。

2つ目の疑問点は、江戸城が現在の東御苑だとすると、現在の皇居の場所は江戸城とどんな関係なのかである。これもネットによれば、東御苑は太田道灌が15世紀中頃に築城した江戸城の跡である。その後、家康が入城して、江戸城の拡張を行った。道灌が建てた江戸城は比較的質素であったことから、本丸・二の丸に加え、家康は、西の丸・三の丸・吹上・北の丸を増築した。

今は一般公開され公園となっている東御苑は、江戸城の本丸・二の丸・三の丸の後であり、西の丸は現在、主に宮殿と宮内庁庁舎として使われている。そして、吹上御苑には天皇皇后の住まいである御所がある。

江戸城の城郭としては、本丸、二の丸、三の丸および西の丸部分までを言い、道灌堀の西側にある吹上御苑は江戸城の外だと言う。つまり、御所は厳密には江戸城ではないということになる。知らなかった。吹上は江戸時代の初期までは武家屋敷町だったが、その後の江戸大火を経験して以降、城への延焼防止のために吹上一帯は建物禁止の広い庭園となっていた。

そして、明治以降吹上御苑全体が天皇家の居住空間となり御所が建立されたのだった。一般に皇居と言う場合は、北の丸公園を除き、吹上御苑+西の丸跡+皇居東御苑 を指すということも今回初めて知った。

歴史好きや、都心で自然を味わいたい人には、この「皇居東御苑」をお勧めしたい。

.                本丸と二の丸の間にあるお堀

.                本丸と二の丸の間にあるお堀

 

 

 

10月 13, 2015   No Comments