プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 11月 2015

音合わせ (後編)

しかし、「バケーション」と「天使の誘惑」のエンディングは、音合わせをやって貰って良かった。僕が間違えて覚えていた。それを修正出来たことが今回の音合わせの成果だった。

原曲にはエンディングがフェード・アウトしている曲も多く(この2曲もそうだった)、それらをライブで演奏する時はエンディングをどうするか決める必要がある。決めた通りに全員がピタリと決めると、終わり良ければ全て良しとなるが、そうでないと全てをぶち壊すことになる。

エンディングだけは、僕もセットリストにメモするなどして本番でもそれを見ながら演奏するようにしている。同じ曲でもバンドによってエンディングの決め方は変わるので、変に他のエンディングを覚えていると間違うからだ。「バケーション」の間違いは正にそれだった。事前に分かって良かった。

ゲスト・シンガーというのは「錦糸町のジュリー」と呼ばれている人だ。50歳前後と思うが、長いことジュリーだけをステージで歌って来ただけあって上手い。今回の音合わせは、彼とのリハが第一の目的だった。「勝手にしやがれ」と「時の過ぎ行くままに」の2曲だ。

Jポップは何故こうも凝っているのかといつも思う。歌を聞きながら、心を無にしてその時の気分や雰囲気に合わせてドラムを叩く、ということが出来ない。至る所にブレークや決まり事が沢山あり、最初から最後まで同じ叩き方の曲というのはまず無い。

「勝手にしやがれ」もご多聞に漏れず、このフレーズのバスドラムはこう、他はこう、このブレークの仕方はこう、こっちのブレークは違う止め方、という具合になっていて、忠実に再現しようとすると気の休まるところがない。普通の譜面にはドラム譜がないから覚え込むしかないのだ。覚えるには何度も原曲を聞くしかない。

今年の3月にガラ系からスマホに変えたが、それが今は大助かりだ。「ミュージック・ボックス」というソフトがあって、YOUTUBEの好きな曲を選んでアルバムのように保持出来、連続再生やリピート再生が出来る。通勤の往復時毎日聴くことで、何とか覚えられた。

僕としては、今回の2回目の音合わせをさせて貰って大いに助かった。僕らアマチュアバンドが大きなライブをやろうとすれば、事前のバンド練習は最低でも4~5回はやるが、プロは1回だけ(今回は特別に2回だったが)。それも会場の都合でライブ当日のリハが出来ないから事前にやることになっただけで、今回のプロ達(元シャープ5、当時テレビ出演も多かったGSバンド)は当日のリハだけの場合が多いらしい。

それもその筈で、今回のメンバー達は、個別出演も含めて週2回くらいのペースで演奏活動をしているし、今回初めて呼ばれた「すけきょん」(助川恭子)さんは若いだけあって、昨年は、夫々別々のミュージシャン達と240回を超えるライブをこなしたというから、事前の音合わせなんて言ってられない訳だ。

成る程である。体力的にも・技術的にも、僕には到底無理な世界であることを改めて認識したのだった。

音合わせが終って別れ際、Keiさんが僕に囁いた。「神童さん、今回は他のプロ達と同じギャラを出しますからね」。これには本当に驚いた。一体幾らなのだろう? ギャラなんていいですよ、と言いそうになったが、待て待て、もう2度とないことだろうから記念に預かって飾っておくのも良いかと思い直した(笑)。

「ありがとうございます。但し、当日ドラムが成功したらということで」と返答したが、フリードリンク・つまみ付きとは言え、観客は7千円も払って来てくれるので、こんなことには無関係に一生懸命やらなければいけない。さてさてどうなりますやら?

 

11月 23, 2015   No Comments

音合わせ (前編)

11月28日(土)は新子安グレコで「のどごし生バンド」のライブ、翌29日(日)は銀座タクトでKeiさん(女性歌手)のライブ、と2日連続のライブとなる。

「のどごし生バンド」の方は、謂わば自分の家の庭の様なものだから安心してやれるのだが、おじさん達だけに戻ったら、レパートリー不足に陥り、何年か前にやった曲などを思い出しながら演奏しなければいけない。「ダイアナ」「ラバーズ・コンチェルト」「アイ・ソー・ザ・ライト」などだ。それにアンディーが初めてソロで歌う「テイク・ファイブ」も。

グレコでのライブは19回目となるが、いつも来てくれる僕の知人友人は翌日の銀座タクトに呼んでいるので、今回は学校のPTA会長をしているアンディーにお願いして、何とかPTAの皆さんで会場を埋めて貰うことにしている。今のところ10名~20名は来てくれるらしい。今回はアンディーをフィーチャーしたライブになる。

一方、銀座タクトのライブは、プロのミュージシャンの中に一人素人が混じって23曲も演奏しないといけないから、只今、個人練習中なのだが、「のどごし生バンド」の古い曲も思い出さないといけない。どちらもそれまであと1週間あまり。何となく落ち着かない時期にある。

銀座タクトのライブに関しては、9月下旬のプロ達との初音合わせで得た課題の克服のため、先月から貸しスタジオで個人練習を続けて来た。

しかし、何せ全てがプロ仕様だから、事前の音合わせは9月の1回だけと決まっていた。あとは本番当日となる訳だから、課題部分の解消具合も確認出来ないまま本番というのは、素人には少々キツイのである。

ところが、ゲスト・シンガーが1人増えたとのことで、Keiさんが、急遽、もう1回音合わせの機会を設けてくれた。

僕の課題と言うのは、「メリー・ジェーン」の途中に入る「おかず」と、「哀愁のヨーロッパ」の後半、倍テンポに切り替えるところ、それと「ラ・バンバ」のサンバのリズムの3つだ。その他にも、前回その場で決めたエンディングの理解が合っているかも確認したかったので、2回目の音合わせは大歓迎だった。

「メリー・ジェーン」はスローの3連の曲(6/8拍子)だが、3か所、3連を更に細かい3連で「おかず」を刻むユニークなドラムなのだ。これがこの曲のアクセントになっているので、僕も出来る限り原曲通りにしようと特訓をして来た。練習での成功率80%というところだったが、音合わせでは何とか100%近い形が出来た。

だが、本番で出来るかどうかはやってみないと分からない。なので、3か所ある「おかず」の最初の出来次第で、次の2回はパスすることも対策にしている。この「おかず」がなくても歌う側には何ら問題はないからだ。しかし、音合わせで成功したので、今は俄然やる気になっている。

なかなか自信が持てなかった「哀愁のヨーロッパ」と「ラ・バンバ」は問題なく出来た。

 

11月 22, 2015   No Comments

TOKYO DOME

準決勝で、韓国に日本が負けた時、同じ東京ドームで行われた8月の「巨人・DeNA戦」が蘇った。どちらも、僕が応援したチームが全く同じような負け方をしたからだ。

今年僕は、最初から最後まで観た試合は、今回の「日本・韓国戦」(テレビ観戦)と「巨人・DeNA戦」(球場観戦)の2試合だけだったのに・・・

 

前の会社のOB会の友人に誘われて「巨人・DeNA戦」を観に行って来た。東京ドームは久し振りである。一昨年の11月に娘に誘われてポール・マッカートニーの公演を見に行って以来だ。巨人戦となると、一体いつ以来か思い出せないくらい大昔となる。

最近のチケットは決して安くない。昔の後楽園時代は内野席でも2千円ほどだったような記憶だが、今は、外野に近い内野席でもその倍はするらしい。今回は友人がチケットをプレゼントしてくれた。

超満員の球場だから、さぞやチケットを獲るのも大変だったのではないかと、友人に感謝しながら席に着いた。友人は巨人ファンなのに席はDeNA側の内野席だった。僕も、今は日本のプロ野球に、特にセ・リーグに興味を亡くしているが、川上・千葉の時代からON、松井の頃まではバリバリの巨人ファンだった。

何故セ・リーグに興味を亡くしたかと言えば、見ていて、ランナーが埋まった場面で、期待に応えてくれそうな、ここで打ってくれそうなオーラを発する選手が見当たらないからだ。盛り上がる期待に応えてくれた時の喜びや興奮の確率が、ON時代や松井時代に比べれば1桁落ちたのではないかと思う程なのだ。

逆に言えばガッカリさせられる場面が圧倒的に増え、期待するだけアホらしいとなり、期待しないからテレビ中継も見なくなる。たまにテレビ中継を見ても、他のスポーツに比べると動きかあまりなく何と間の抜けた映像かと思う。とても放送の最初から最後まで見続ける辛抱強さはなくなっている。

そんなだから、バックスクリーンの選手名を見ても知っている名前はかなり少ない。更に、DeNAの方は3割打者が沢山いるのに、巨人は良くて2割8分、主軸は2割4分台かい。あの時代とは様変わりだ。とは言え、今回は折角無料ご招待を受けたので、久し振りのドーム球場の野球の試合を楽しもうと思った。

試合は、巨人菅野・DeNA石田の両投手の好投で両軍4回まで無得点。5回裏に巨人高橋由のソロホームランが出た。「やった!」と思ったが、周囲はDeNAのユニホームを着たファンばかり。友人と静かにハイタッチ。その後もヒット2本で2・3塁になるも決定打が出ずチェンジ。

6回裏も1死1・2塁から再び高橋由の2塁打で2点目。だが、1死2・3塁なのに後続が倒れて1点止まり。5回と言い6回と言い、ここで打てば試合が決まるというところで誰も打たない、打てない。高橋由以外は。

巨人ファンは誰しもが、リードしながらも重苦しい気分になっていたのではないかと思う。ピッチャーの菅野はたまに四球を出しながらも8回まで2安打を許しただけで、好投していた。

8回のDeNAの攻撃が終ったところで、僕たちの周りのDeNAファンは大勢帰って行った。「今日は完全に菅野にやられたな」とか言いながら。でも、僕と友人は何か嫌な予感がしていた。

このまま試合終了じゃ、クライマックスの全くないつまらない試合だから、もう一寸何か起きないと面白くない。そして、何かあるとすればDeNAの方だろうと感じる。だってあれだけチャンスを潰した巨人なんだから、そのツケが最後に回って来そうな気がするのだ。

本当に悪い予感は当たる。9回表、1死から2番3番の連続2塁打で1点が入った。巨人のリードは僅か1点となった。続く4番筒香。彼は今年ブレークしたスラッガーだ。何となく打たれそうな感じがする。「ここでホームラン打たれたら逆転だよ」僕は友人に言わでもがなのことを言った。「だよね」と友人も相槌を打つ。

多分、ここでピッチャー交代だろうと思った。が、ベンチは動かない。友人も「交代させないの?」とポツリ。じゃぁ、勝負を避けて敬遠かなと思ったが、逆転のランナーになるからそれも出来ずにやはり勝負するのかなぁ。でもホームラン打たれたら同じだろう、とか思いながら見守った。

菅野が投げた。カッキーン。バットの芯を食った鋭い音が聞こえたと思ったら、打球は一瞬で満員のライト・スタンドに飛び込んだ。あ~ぁ、2:3、逆転だ。だからピッチャー交代だって言ったんだよ~。それでも菅野は9回を投げ切ったけど、こういう晩は眠れないほど悔しいんだろうな。

最終回の巨人。先頭バッター(外人)がセンター前のヒットで出塁した。ここで取って置きの代打阿部が登場した。球場全体が彼への期待を込めて割れんばかりの大声援。だが、こういう場面で凡打するのが巨人。期待はしない方がいい、と自分に言い聞かせながら見ていたら案の上、1塁ゴロの併殺。さっきまでと打って変って、球場はため息に包まれる。

後続も倒れて試合終了となった。何だかなぁ。誘ってくれた友人には悪いが、気分転換になるどころか、却ってストレスが溜ってしまった。その後は、当然友人を誘って飲み屋に直行とならざるを得ない。今度は僕の奢りでストレス発散の飲み会と相成ったのであった。

 

11月 21, 2015   No Comments

小さな小さな保険会社

  5年前に産声を上げた小さな保険会社「FIS」。僕が今籍を置く会社のことである。専ら扱う保険は賃貸の住宅・店舗の入居者用の火災保険(家財・什器・備品の損害や借家人賠責などをカバー)である。

  僕の友人と言うか、戦友K(共に命懸けで仕事した仲間)が立ち上げた会社だ。しかしながら、今の会社はKが立ち上げた2社目の保険会社である。1社目の保険会社は医療保険専門の会社だった。 

  僕は前の会社を卒業して、悠々自適を決め込んでいた時、彼に誘われて後輩のFと一緒に、彼の最初の医療保険の会社のシステムを作るために参加したという経緯がある。それが11月だったから、今から丁度7年前のことになる。

  これにより、僕の悠々自適は4~5ヶ月だけとなってしまったが、その間、100%自分の時間になった解放感は、何ものにも代えがたい人生で最も素晴らしい時だった。カミサンと海外旅行や国内旅行にいそしみ、都内の名所旧跡なども頻繁に訪れ東京再発見などを楽しんでいたのだった。

  しかし、長いサラリーマン生活を送った者の悲しい性なのか、こんなにも素晴らしいと思われた自由人の生活も、3ヶ月もすると当たり前になり、自分で計画したり求めたりしないと何の刺激も心の張りも得られないことに気付き、遂には自由人に飽き、時間を持て余しぎみになって行った。

  話しは逸れるが、退職後、地域社会や全く別の世界に踏み込んで現役時代よりも充実した人生を送っておられる先輩や友人・後輩を見るに付け、いつも僕は尊敬の眼差しを送る。

  丁度そんな時、Kが僕に声を掛けてくれたのだった。僕に全く断る理由はなく、一も二もなく医療保険の小さな保険会社の立ち上げに参加したという訳である。Kは2年間で、その会社の骨格を固め、会社を主要株主の出資会社に譲って、自らは2社目の賃貸の保険専門の「FIS」を立ち上げた。それが5年前なのである。

  その後、Kは悪戦苦闘しながらも必死にこの生まれたばかりの保険会社を軌道に乗せようと努力したが、なかなかそうはならなかった。そこで彼が打った手は、思い切って若い力に会社を委ねることだった。

  Kが新社長に呼んだのが、大手損保(Kや僕の出身会社ではない)のピカピカの30歳だった。名をWという。彼は、大損保会社の営業コンペで2年連続1位に輝いた超優秀な男だ。そのコンペというのは、新入社員から55歳までの全営業マンで増収額(1年間の上乗せ業績)を競う壮大なものだ。27歳・28歳の優勝は勿論会社始まって以来だというから、その傑出振りが分かろうというもの。

Wが社長就任してから3年、当時たった5千万円だった収入保険料は毎年倍増を続け、今年度、当初の12倍・6億円の達成が確実な状況である。来年度は、彼が一里塚と言っていた10億円達成もかなり高い確率で行けそうと感じる。

  序でに言えば、総勢30人弱の会社だが、僕やFらロートル組3人を除けば、平均年齢28歳の若き会社である。33歳になったW社長の目標は勿論10億ではない。彼の夢は、業界ナンバー1の社員、ナンバー1の経営内容、ナンバー1の信頼度の達成なのである。業績を伸ばすことに最大限努力するのは社長として当然だが、社員教育に重点投資しているのが、またいい。

  3年前、僕がWに「どんな会社にしたいのか?」と聞いた時彼の答は「社員の子供や親戚の子たちが就職する時、社員に、この会社が良い、と勧めて貰えるような会社にしたい」だった。30歳の若さで言える言葉でないと、感心を超えある種の感動を覚えた記憶がある。

  彼も社員もみんな、この小さな小さな会社の未来を信じて頑張っているのが良い。毎日彼らと席を並べて仕事していることで、僕もかなり若さを貰っているのだと思う。60代70代だけの職場とは、この点で大きく違うのだろうと思う(同時に両方に籍を置けないから想像でしかないが)。

  この先が大変楽しみである。ただ、残念ながら1年半後僕も古希を迎えるので、その辺りが勤務の潮時と思っている。今はシステムをFに任せて、常勤監査役として会社の運営に関する諸問題のチェックとアドバイスを主務としているが、これは僕でなくても出来る仕事なので、1年半後は任期途中になるが退任しようと思う。

  この「FIS」、本当は、その後の10年の化け方が凄く楽しみなのだが、10歳若かったらリアルタイムでその過程をつぶさに見られるのにな、と思わないではない。いよいよそんな会社になって来た。

 

11月 18, 2015   No Comments

蓼科の別荘(完)

  さて、午後のラウンドが始まった。ビールが入っても午前中の調子(8番ホールを除く)をキープして、ティー・ショット、セカンド・ショットともナイス・ショットだ。とても気分が良い。午後1番の長いロング・ホール、3打目も良くてグリーン・エッジまで行った。

  そこからカップまでは30ヤード近いが、2パットで行けばパー、3パットでもボギーだと心の中で計算する。その通りに行かないのがゴルフだ。上がってみると7のダボ。なんで? 芝は八ヶ岳からの純目と結構な傾斜が重なって、エッジからのパットが大きく左に流れ、8ヤードも左に止まった。

  今度は逆目の上りだ。さっきの流れ方は半端じゃなかったから、かなり強く打たないと届かないと思って強めに打った。これがまた強過ぎて2mもオーバーした。下りの純目。僕の尤も苦手とするパットだ。案の上、弱すぎて手前30cmで止まってしまった。喩え30cmでも油断出来ない、と思ったら「OK」の声が掛かった。

  僕は、皆の気が変らぬ内にさっさとボールを拾い挙げた。4オン3パットの7。今日はいいんだか悪いんだか良く分らぬゴルフだ。後半も半ばまではこんな調子で、ショットはまずまず、アプローチとパットに苦しみスコア的には午前中より悪い。残り4ホールくらいになると、2日連チャンの疲れからかスタミナ切れを起こした。

  ショットが曲がり出し、OBも出始めた。池にもちゃんとボールを寄付したりして、いよいよ最終ホールだ。実は秘かにこの日のスコアは何としても100を切りたいと思いながらやっていたのだが、最後のミドルをパーにしないと100を切れないのだ。 

  大きく左にドッグレックしたホールだ。第1打がまともに飛ばないと、2打目がコーナーの林で邪魔され狙えないようになっている。僕のドラーバー・ショットは芯を食わなかったので距離が足りず、2打目でピンを狙えない。これではパーは無理か。距離も随分残してしまったので、得意の5番ウッドを手にした。

  ここで僕は大勝負に出た。左ドッグレックのコーナーの林を避けてグリーンを狙うには、右方向からフック・ボールでグリーンを狙うしかない。所謂インテンショナル・フックの打ち方だ。100を切るとか切らないとか言っている人間にそんな芸当が出来るのかと思うでしょ? 

  ところが、これが案外得意なのです。プロがやるインテンショナル・フックはクローズ・スタンスで打つのだが、僕はそれでは右に真っ直ぐ飛んでしまい曲がらないので、僕流のインテンショナル・フックの打ち方がある。

  ここまで書いたら公開するしかないね。構えは普通で両足も肩も目標に向けてスクエア。目標はボールの打ちだし方向(つまり右方向)に構える。左手でクラブを握るのもいつもの通り。唯一の違いはそこに添える右手だ。即ち右手甲を下に向ける(ストロング・グリップをもっとストロングに)。後は普通に打つだけ。

  一か八だ。えいや! いい当たり! 狙い通りの方向に飛んで行き、途中から左にどんどん曲がって行った。ここからグリーンは見えないが、いい線行ったのではないかと思った。「ナイス・ショット!」。同伴者の声が聞こえる。

  結果が知りたくて、急ぎ足でグリーンに向かう。ボールが見えた。乗ってはいなかったが、グリーンエッジの手前にある。ピンはグリーン奥だから、スプーンで同じ当たりだったら近くまで行ってたかなと思いながらも本人は大満足だ。

  さて、アプローチ。パーを取るにはここから40ヤードはあろうかという距離をピタリ付けなければいけない。気が付けばアプローチ用のクラブを持っていない。カートは既にグリーンの先に行っている。「誰か寄せ用のクラブ貸してくれない?」(試合じゃないから他人に借りよう)。O氏が「SWとAW持ってるよ」と言ってくれたので、AWを借りてランニング・アプローチを試みた。

  結果は大成功。20cmに寄った。最終ホールに付きOKなしで最終パット(パットもO氏から拝借)。見事パー。ハーフ51で、ラウンド・トータル99で上がった。

  O氏が嘆く。「このAW、オレの言うことはさっぱり聞かないのに、何で神童の言うことは聞くのよ?」。僕は言ってあげた。「これはオレに譲って、言うこと聞くのを買い直した方がいいよ。どう?」。全員大笑いで2日間のゴルフを終えたのであった。

                                             蓼科の別荘  ― 完 ―

11月 17, 2015   No Comments

蓼科の別荘(6)

  この日は、第1組がO氏・S・Kに僕の4人、第2組は若手3人という組み合わせだ。O氏とKとは昨年の春に僕のホームコースで一緒にゴルフをやっているが、Sとはこの日が初めてだった。

  大体に於いて、学究肌というか理屈屋というか、とてもスポーツをやるタイプには見えないSがゴルフをやるというのが驚きだったが、昨日の彼のスイングを見ていると、誰よりもヘッド・スピードが速いように感じて二度驚いたのだった。当ると良く飛ぶ。だが、バック・スイングがややオーバー気味なので、芯を食う確率が低くスコアとしては纏まり難いようだった。

  Kは、ジム通いして身体をかなり鍛えているようで、足腰がしっかりしている。昨年、驚いたのは、彼のゴルフが本格派のそれだったことだ。ボールは良く飛ぶし、小技も結構いいのだ。これは現役終了後かなりゴルフに打ち込んだ結果だろうと推測した。今日のメンバーを中心にKの別荘でのゴルフ合宿を年何回かやっているようだから、彼の生活はゴルフ中心に回っているのかも知れない。

  さてO氏。彼は肘が痛くて医者に診て貰ったら「テニス・エルボー」だと診断されたと言う。テニスなんかやったことないのに。「きっと、何かのバチが当たったんだね」と僕。「何言ってんだよ。こんな清廉潔白なオジサン掴まえて。バチが当るなら神童の方だと思うよ」とか、例によって舌戦のジャブの応酬で試合開始だ。終始左ひじが痛そうなO氏は少し可哀そうだった。

  この日の午前中のゴルフは、流石に昨日とは違って、僕としてはまともなラウンドになっていると思った。バックスイングで右足親指の付け根に地面との摩擦を大いに感じながらのスイングが出来ている。

  とは言うものの、芯を食ったとてもいい当たりが右に真っ直ぐ出てそのままOBになったりして、前半の半ばまでパーが3つもある割にはスコアは良くなかったが、それでも7ホール終わった時には、6オーバーだった。昨日も一緒に回ったKからは「神童さん、昨日とはまるで別人28号ですね」とか言われ、まんざらでもないのだ。僕だってやれば出来るんだ!

  この調子で行けばヒョッとして43乃至44くらい(残り2ホールがボギーでも)、悪くても(2ホールがダボでも)ハーフ46のスコアにはなるかなと思った瞬間力が入って大ダフリ。400ヤードのミドルホールなのにドライバー・ショットが40ヤードしか飛ばなかった。挽回とばかりに第2打をスプーンで目一杯叩いたら、大トップ。やれやれ。2打でやっと150ヤードか。他のメンバーは1打目で190~220ヤードまでは行っているというのに。

  昨日のゴルフが蘇る。でもここで切り替えようと思った。このホール、ダボでいい。ここから残り250ヤードを4打で上がれば良いと考え心の余裕を取り戻した。つもりだった。ドライバー、スプーンと失敗したので、第3打は得意の5番ウッドで打つことにした。

  気を取り直して、右足親指の付け根を意識して・・・。えい! あらー?! 酷いフック・ボール。あっと言う間にボールは左前方の藪の中に消えた。OB打ち直し。今度は5番アイアンで打った。このホール初めてのナイスショットだ。残りは多分100ヤード辺りまで行ったと思う。

  歩きながら、幾つ打ったのか数え直した。今のが6打目だった。仕方ない、何とか50を切ろう。残りは110ヤードの上りだったがこれも上手く打てた。高く上がった球がピンに向かって行く。同伴者からナイスオンの掛け声が掛かった。

  ピンの2m真横に付いた。しかし、右への傾斜がきつくて難しいラインだ。これを入れれば何とか8で上がれる。そう思うとロクなことがない。かなり左から流し込む作戦でパットした。読み通りにかなりスライスしたが、僅かにカップの向こう側を通過してしまった。悪いことに傾斜のためにボールの勢いが増して、2m以上も右に(下に)落ちてしまった。このホール、3パットでスコアは10だった。あ~ぁ。

  午前の最後のホールは、頑張って寄せワンのパーを取り、前半のスコアは48だ。8ホール目に大きな落とし穴はあったが、ナイス・ショットも多かったし、ロングパットも2発入り、パーも4ホールあったからゴルフらしくなって僕個人としてはとても楽しかった。

  昨日はビールも飲まなかったが、この日の昼食では、大ジョッキで喉を潤した。スコアは兎も角、内容的にやっていて楽しいゴルフだったのでビールも美味い。うん、蓼科はすこぶる良い所。

 

11月 17, 2015   No Comments

蓼科の別荘(5)

  ゴルフ終了後入浴を済ませて、まずは明日のコースである「三井の森蓼科ゴルフ倶楽部」に行き、全員のゴルフバックを預け、次に蓼科一美味しいと言う肉屋さんに寄って、今晩のメイン・ディッシュのすき焼き用の肉を仕入れ、JAのスーパーで野菜類・おつまみ系・アルコール類などを大量に仕込んで別荘に戻った。

  夕食は昨日に続けてワイワイガヤガヤの晩餐になった。この日はSuが調理室に立ち、なすやひき肉、玉ねぎなどを具材に中華風の炒め物を作って皆に振る舞ってくれた。家でも良く料理をすると言うSuはなかなかの腕前だ。美味しい。すき焼きも勿論美味いが、皆でゴルフの反省会をしながらの男だけの合宿も捨てたものではない。

  夕食時ともなれば、僕の二日酔いも完全に解消されて、胃袋も絶好調だ。しかし、昨夜のことがあるから、今夜は、ビール小ジョッキ2杯だけで我慢した。後輩達がそれを見て、「神童さん、今日はバカに慎重ですねぇ。思いっ切り飲みましょうよ」とか言いながら、日本酒やウィスキーを勧めるが、固い決意でお断りする。

  だって、あの二日酔いゴルフはもう絶対に嫌だから。蓼科までゴルフに来たのに、ゴルフを楽しむどころか、残り何ホールかを指折り数えながらのラウンドになるなんて。別に明日のゴルフに良いスコアを期待している訳ではないが、たまのスカッとした当たり、たまの狙い通りの結果、たまのロングパットのカップインが欲しいではないか。

  この日の夜長は、Kが以前録画したというテレビの音楽特番を全員で観ながら様々な会話に花が咲いた。ただ、我が儘な人がいて、歌手が男だったり、男ばかりのバンドだと、リモコンで早回しするのだ。「あぁ、今のビリー・ジョエルだったんですよ。見ましょうよ」と若手が言っても、「オレ、知らねぇし、男はダメ。特に英語の曲は飛ばす」とどんどん先に行く。

  その我が儘な人と言うのは勿論O氏のことだ。最年長者の特権で若手の抗議も完全にシャットアウト。英語はダメと言いながら、ホイットニーやビヨンセはOKらしく、少し巻き戻して曲の最初から再生するのが可笑しい。要は女性シンガーだけにしてあとは飛ばして行く方針のようだ。ユーミンや高橋真理子がOKなのは言うまでもない。

  一つの番組録画が終ると、また別のDVDを掛ける。後で分ったことだが、Kも音楽大好きで、録画したDVDは10枚以上あるそうだ。O氏はそれを知っていて、沢山見るために女性歌手だけに絞っているということか。

  僕は、夜11時頃失礼して床に入ったが、僕とI以外はリビングで夜中の1時過ぎまでビデオ鑑賞したという。O氏も結構な音楽ファンだったことが分かって良かった。風貌からはとても想像出来ないので、一種のサプライズだった。だから2月の僕らのライブにも来てくれたのだと得心が行った。

  翌朝は、「三井の森蓼科ゴルフ倶楽部」のレストランで朝食。昨日と違って、今日は朝食がとても美味しい。やはり深酒は良くない。それも記憶を失うほど飲むのはゴルフに良くない。いや、ジジイの身体には非常に良くない。このことに気付いただけでも蓼科は来た甲斐があったというものだ(笑)。

 

11月 16, 2015   No Comments

蓼科の別荘(4)

地元の諏訪の酒が美味しくて、かなり飲んだせいだと思うが、久し振りに記憶を失ってしまったことを改めて知った。一人また一人と起きて来た人に「神童さん、昨夜はよく飲みましたね」とか「酔っ払っていましたねぇ」などと言われてしまった。

失敗。反省。皆さんご迷惑をお掛けし申し訳ありませんでした、と心で詫びた朝だった。朝食はゴルフ場の食堂でとることにして早めにゴルフ場に出発。この日のコースは「蓼科東急ゴルフコース」。車で15分だった。僕はまだアルコールが残っていてふらつくが気持ち悪くはない。何とかゴルフは出来そうかなと思った。

だが、流石に朝食は進まない。洋食セットを頼んだが、トーストには手を付けずサラダとベーコン・エッグだけを食べコーヒーでそそくさと朝食を終えた。こんな調子だから皆には、今日の目標はスコアでなく18ホール回り切ることを宣言したのだった。

1組目はO氏・S・Y・Iの4人。2組はSu・Kに僕の3人だ。朝一番のティー・ショットはミスしたら打ち直しOKという寛大なルールだ。更に、スルー・ザ・グリーン6インチではなく1クラブ・リプレースOKというルール。全てO氏の独断ルールだそうだが、蓼科では過去ずっとこのルールでやって来ているそうなので、郷に入っては郷に従えだ。

いや、多分、今日の僕にはとても有難いルールだ。何せ、素振りでアドレスしても身体が左右前後にふらつくのだから、まともな当たりが出る訳ない。実際に順番が来たので第1打を振り抜いた。空振りの心配をしながらだったが、何とかボールにヘッドが当たった。だが、大天ぷらだ。

誰かが「銀座の天ぷらだ!」と言った。(値段が)高い天ぷらという意味だ。旨いことを言う。それでもフェアウェイだったから打ち直しはしなかった(2打目の方が良い保証もないので)。

午前中は案の上ゴルフにならない。右の壁も左の壁もあったもんじゃない。軸が揺れて踏ん張れないのだから、バックスイングではスウェーしちゃうし、打ち終わると前方に身体か倒れそうになる。まだアルコールが残っている証拠だ。

一緒に回ったSuには、「神童さんに近寄ると酒臭い」とマジで嫌な顔をされる始末だ。兎に角のどが渇いて仕方ない。用意したペットボトルも7ホール目で飲み干してしまった。

それでも、良い当たりは殆どないが確実に前へ前へだけを心掛けて前半を終えた。ハーフ60越えも已む無しと思っていたが、何とか54のダボ・ペースだった。良く回れたよな、というのが正直な気持ち。何の予定もなければ少なくても昼までは寝ていただろうという状態だったのだから。

昼食時も、普通ならビールは欠かしたことはないのに、とてもそんな気が起きない。カレーライスの香辛料で胃袋と身体に刺激を与えて午後のラウンドに向かった。心なし朝よりもふらつきは収まって来たような気がする。幾らなんでも、そろそろアルコールが抜けても良い頃だ。

しかし、スタートしてみると朝と全く変わらない。ヘッドの芯に当ることがないのだ。午後の5ホール終わったところで、ふらつきの自覚症状もなくなったのに何やってんだと自分に怒った。その瞬間、閃いた。バックスイングで、左足親指の付け根で地面を掴むこと。

ティー・ショットが本日一番の当たりとなった。右足に力が入らず、スウェーしながらトップへ、そこからまともに戻すのは難しいからボールに旨く当らない。理屈だな。今日は兎も角、明日のゴルフのために残り4ホールはしっかりしたゴルフにして置きたい。

だが、ゴルフはそう甘いものではない。それまでとは見違えるような当たりも何発か出始めたが、当たり出すと今度は力みが生ずる。違う意味でスコアが纏まらないのだ。でも、それでも、終盤でいつものゴルフに戻れたのは明日に繋がる。酷い二日酔いでも18ホール回れたことと合わせて明日に期待することにする。

 

11月 15, 2015   No Comments

蓼科の別荘(3)

Kの別荘は土地も建物も広い。都内なら何億もするだろうと思う。蓼科だから可能だったのかも知れないが、建物だけでも相当なものだと思った。なにしろ鉄筋コンクリート造りの160㎡はあろうかという豪邸だ。

完成直後、建築雑誌に取り上げられたという。しがないサラリーマンが良くこんな豪華な不動産を所有出来たものだと、僕は感心しきりだった。

他人ごとながら、抑え切れずにKに聞いてしまった。「土地と建物で飛んでもない金額が掛かったんじゃないの?」。Kは「土地は高校まで僕も住んでた土地で、親から相続したものですよ。建物は15年ほど前に建てたんです。神童さんも知ってると思いますけど、僕は昔から都内にローンで賃貸用マンションを買って運用してたんですよ」と言う。

「あぁ、昔そんなことを君から聞いたね」「2部屋持ってたんですけどね、バブルの時、マンションが3~4倍の値段に急騰したので売っ払ったんです。そのお金でこの建物を建てたという次第です」

「バブル崩壊で勝ち組は誰もいなくなったと思ってたけど、一人いたんだ」「運が良かったんです。売った半年後にバブルが崩壊しましたからね」「そりゃ、最高のタイミングで売り抜いたね」「そのまま売らずに持ってたら、ローンの返済にも困ってたでしょうね(笑)」。

才覚のある奴っているもんだな。僕などは全くそういう投資の類は縁がなかったし、会社から沢山買わされた株も、未だ原価割れで売るに売れない状況が続いているのだから。

さて、7人のうち僕とSuは今回が初めての訪問だが、他の人はもう何度も来ているようで、勝手知ったる他人の家のようだった。2階にある小部屋などはSは自分の部屋だと言って憚らない。いつ来てもSはその部屋に寝泊りしていると言う。

他の連中も、自分専用の部屋があるらしい。僕はO氏とSuと共に客間と思しき10畳ほどの和室(多分この部屋は特別室)に通された。荷物を置いて夫々2階のリビングに集合した。時刻は午後4時半を回っていた。さて風呂はどうするのだろうと思っていたら、「じゃぁ、まず温泉に行きましょう」とYが言う。

周囲に何か所か温泉(日帰り施設)があるらしい。全員で車2台に分乗して出掛けた。5分程で一番近い「尖石温泉 縄文の湯」という名前の温泉風呂に到着。入場料300円払って浴室に向かう。途中の長い廊下の片側には和室が幾つかあり、ビールを飲んだり食事したり、寝転んだりしてリラックスしている客が何人もいた。若いカップルもお年寄りも。

地元の人なのか僕らのように他から蓼科にやって来た人達かは分らないが、この温泉、なかなかの人気のようだ。浴室に入ると、内風呂は広くサウナもあり、外には広い露天風呂もある。高級温泉旅館の浴場の風景そのものだ。湯に浸かるとぬるぬるした湯が温泉を実感させてくれる。露天風呂も風情があって気持ち良かった。温泉好きな僕としては、予期せぬ幸運に大満足である。

温泉から再び別荘に戻ったところで、夕飯の買い出しに若手3名が出掛けて行った。この辺りが普通の旅館に泊まるのとは訳が違う。自分達で食事の用意をしないといけないのだ。その日は、サラダ・焼肉・ウナギ(チンするだけで食べられるスーパーの商品)、惣菜などだったが、シェフはYが買って出て全てやってくれた。感謝。

午後6時から始まった食事会と言うか飲み会と言うか、それは深夜まで延々と続いたらしい。ビールに始まりワインに日本酒と飲んでいる内に途中で僕は記憶をなくしたようだ。翌朝貴賓室(1階の和室)で目を覚ました。どうやって2階のリビングから部屋に戻ったのだろうか?

そして、もう一つ。会社の保養所や旅館に泊まるのと違って、シーツ持参を指示されていたことを思い出した。布団を見ると持って来たシーツが敷かれている。僕もしっかりしているではないか。昨夜、かなり酔っていた筈だけど、ちゃんとシーツを敷いてから寝たのだから。

Suは既に起きているのか見当たらない。後で聞いたら、明け方、僕とO氏の鼾が凄くて目が覚めてしまったので散歩に出かけたのだそうだ。酔っ払った時の僕の悪い癖だ。Suよゴメンな。

O氏も僕の直ぐ後に目を覚ました。彼に僕は言った。「酔っ払って、昨晩の終わりの方は全く覚えていないけど、ちゃんとシーツ敷いて寝たんだからオレも偉いよね」。そしたらO氏の思わぬ反撃にあった。「何言ってんのよ。俺が敷いてやったんだよ。階段下りる時だって、オレとSuの2人掛かりだったんだから」と。「あっ、そう。それはそれは大変ありがとうございました!」。

 

11月 14, 2015   No Comments

蓼科の別荘(2)

3台の車で行くことになった。僕は橋本駅で落合いIの車に乗せて貰う。Iは損調部門の男で60歳になったばかり、今回の参加者の中では一番若い。20年ばかり前に損調システム開発で一緒に仕事をした関係があり良く覚えている。とても好感の持てる青年だった。

同乗者はもう1人、商品本部出身のS。O氏の後を継いで商品本部の責任者を務めた男だ。現在63歳。

IもSも15~16年振りだからとても懐かしい。驚いたことに、2人共現役時代はそんな素振りも見せなかったのに、かなりの音楽ファンだった。それも特に70年代~90年代のロック・ポップスのファンで、同時代のJポップも大好きと来ている。

僕がバンドをやっているのを先刻承知していて、ライブのことやジャンルなどを詳しく質問して来る。2人のメール・アドレスを知らなかったから、彼らにライブの案内をしたことはなかったのだが、今度是非行きたいので知らせて欲しいと言ってくれた。

Iの車内では当時の曲が次々と掛かる。何曲も何曲も連続で流れて来るので、どんなソースかを聞いてみた。彼はレンタル店でCDアルバム3枚千円のものを沢山借りて、好きな曲だけをUSBにコピーしてそれを今流しているという。1つのUSBには、多分、6,000~7,000曲入っているのではないかとのことだ。

ドゥービー・ブラザーズ、イーグルス、BBキング、シカゴ、ディープ・パープル、ジャニス・ジョプリン、マイケル・ジャクソン、ドナ・サマー、マドンナ、ビヨンセ、ホイットニー・ヒューストン・・・ 何でもありだ。当然僕等の会社バンドで演奏した曲も数多くある。「そのUSBのコピー欲しい」と言うと、Iは「分かりました。次回までに用意して置きます」と言ってくれた。

途中、談合坂SAで3台の車が待ち合わせることになっていた。僕らが着いた時には既に他の2台が到着しており7人全員を確認した。勿論O氏もいるし別荘の持ち主のKや僕の1年次後輩のSu、若手(と言っても60歳過ぎ)のYも元気な姿を見せた。

小休止の後、今度は3台連ねて一路蓼科へ出発。Iは出発に際して、「今日のために特別に編集したのを掛けますね」と言って違うUSBを掛けてくれた。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、アニマルズ、ビージーズ、レイ・チャールスなど60年代の曲達だ。僕のためにわざわざ編集してくれたようだ。嬉しいねぇ。懐かしいねぇ。ありがとうねI君。

ポールの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」「オール・マイ・ラビング」「サムシング」は僕のフェイバリット・ソングだ。中央高速を走りながら好きな曲を聴けるなんて最高!

ジョン・レノンの「イマジン」、いいね。そしてローリング・ストーンズの「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ」が掛かった。大学の頃の思い出が詰まった曲だ。この曲を聴くとその頃が自然と思い出され胸に滲みる。

しかし、これはローリング・ストーンズの中でもマイナーな曲だと思うが、どうしてIはこの曲を知っているのだろう? 「良くこの曲知ってたねぇ」と聞くと、小学校の時、この曲を学校の音楽会でクラスで歌ったのだとか。小学校かぁ、と少し驚いたが、そうだよな、彼とは入社が9年違うのだから、僕が大学生だった時彼は確かに小学生だよ。

「アンチェイン・マイ・ハート」(レイ・チャールス)が掛かると僕は気分よく一緒に口ずさむ。Sが突然、「神童さん、ドラムだけじゃなくて歌も歌うんですか?」と聞いて来た。「この曲はね、ステージでドラムやりながら歌う唯一の曲なの」「ホントですか。ドラムやりながら歌うって、凄いですね。今度ライブで聞かせて下さい」「いや、これね、前回のライブを最後に封印したのよ。ドラムに専念するためにね」「えー、今度僕らが行った時は特別にお願いしますよ」とか言いながら、あっという間に3時間のドライブが終った。

Kの別荘は諏訪南ICを降りて、北に向かう緩やかな上り坂を進み周囲に民家が立ち並ぶ高台の一角にあった。別荘と言うから、僕は木造の和風の家か山小屋風の家を想像していたが全く違い、コンクリート打ちっぱなし2階建ての近代的な瀟洒な洋館だった。

 

11月 11, 2015   No Comments