プレミアムエイジ ジョインブログ
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エッセイ

僕の高校時代の親友Ⅰのことは、このブログで過去に何度か書いた。彼はW大卒業と同時に同大の職員として採用され、以降、一貫して大学職員の道を進んだ。

今から10年ほど前になると思うが、Ⅰはその道を極め、遂に大学の理事に上り詰めたのである。勿論、理事会(一般企業の取締役会)は教授達が幅を利かせる場であることは言うまでもない。そこに事務方トップの彼が名を連ねたのは、友人として大変嬉しかったことを覚えている。

昔を知る僕は、彼が社会人になっても直言実行の士であったのは想像に難くないのだが、であればこそ、幾つもの壁や摩擦にぶつかり、もがき苦しみながらそれを突破して遂にボードに名を連ねたのだろうと思った。

直言の士と書くと、いかにも尖った奴という印象を持つかもしれないが、170cm台後半の大男の醸し出す優しさと包容力のようなものは、オーバーに言えば西郷隆盛に通ずるものがあると、僕は勝手に思っている。

そんなⅠは、今、ある女子大の理事長を務めている。そして、大学関係の出版社から頼まれて、月刊誌に毎月エッセイを投稿している。彼のエッセイは、自らの経験を通して語る全国の大学職員に向けた応援メッセージである。僕にも原稿を送って来てくれるのでその全てを読んでいる。

ところが、今日送ってくれた原稿には、「この前の貴君の話を全面的にパクって原稿にしました。理解や主旨が違っていたら自由に書き変えて下さい」と添え書きがされていた。その話と言うのはこうである。

僕が係長の頃、師匠(当時課長)に予想外の叱られ方をしたエピソードだ。

僕が係長時代、仕事の師匠から「お前の仕事ぶりは、主観的勤勉、客観的怠惰だ」と叱られたのである。当時僕はシステム部門のSEだった。システム開発の仕事は、他部門からの要請に応えることがどうしても多くなるので、僕はそうした要請に全力で応えていたつもりなのだが、それを見ていた師匠から「お前は他部門相手の御用聞きか」と、どやされたのだった。

僕は、他の先輩や同僚の誰よりも一所懸命に、他部門から要請されたシステム作りをしているという自負があったので、「私の仕事のどこがいけないのですか」と食って掛かった。すると、師匠は「他部門からお前が頼まれていることを全部断ったら、会社は潰れるのか?」と逆質問。

答に窮して黙っているとその師匠は「潰れないよ。いまお前がやるべき仕事は、御用聞きじゃない。システムを使って、会社をどう変えるかを考えることだ。それがお前の仕事だ。御用聞きはもっと若いやつでもできる」と言った。

それからは、師匠の指導で、会社の仕組みや構造を変え、会社全体の効率化や、会社のビジネス・モデルそのものをシステムで変える仕事を徐々に行うようになった。そういうシステムを検討して、経営陣に提案し、そのためのプロジェクトを率いて行った。

僕がその過程で分かったことは、「自分の得意と思うことだけをやっていた時は、確かに時間的には厳しくとも、精神的には悩まず、且つ、他部門から感謝され評価されるのだから、楽しかったし、楽だった。しかし今になって考えれば、何も新しい価値を生み出す仕事にはなっていなかった」ということだった。

それに対して、会社を変える仕組み=システムを考えて作ることは、海図のない航海のようなもので様々な難題に直面し、深刻に悩み、つらいことが多かったが、やり切ったときの達成感と成果の大きさは、桁違いに大きかった。

師匠の言葉「主観的勤勉、客観的怠惰」とは、このことだったのだと気付いた。自分としては(=主観的には)、勤勉のつもりだったが、会社にとっては(=客観的には)、怠惰だったのである。

Ⅰは、このエピソードを紹介しながら、「出来れば視点を一段上げて、この仕事が組織や大学をより発展させるものか、現状の単なる問題解決なのか、といった問いを考えてみることが必要だという教訓でもある」と述べている。

そして、「一所懸命はいかなる理由をもっても否定すべきことではないが、その上で出来得れば、その血と汗との流れる先が、組織の発展・隆盛であれば、その努力はもっともっと報われる。

友人のように仕事の師匠から『お前の仕事ぶりは、主観的勤勉、客観的怠惰だ』と叱ってくれる人が周りにいることを祈る」と結んでいる。

Iは僕の言った趣旨を200%正しく受け止めていてくれた。友達とは有難いものである。僕の極々個人的なエピソードを名文で一般論にまで高めてくれたのだから。ただ、自分的には彼のエッセイ原稿を読みながら、何とも気恥ずかしい限りではあった・・・

 

5 comments

1 エイジ { 02.12.16 at 1:15 am }

損保会社の第一線が営業であるとの大きな誤解が会社をダメにしていきました。営業出身の自分が事務改善こそが損保の生き残る道と考えあえて事務屋を最後に選んだのでしたが…果たして進みすぎたあの事務システムが大合併時代のアキレス腱になったのかも?神童さんの師匠の先見性に敬意を表しつつ、時代の移り変わりを感じています?

2 シンドバッド { 02.15.16 at 11:37 am }

相手社の社員SEの6割、子会社SEの1割という陣容で賄って来た当社側のシステムに、相手社のT自動車対応システムを、合併まで1年という時間で搭載するのは当社は戦力的にとても不可能でした。
ならば、相手社SEが当社に来て同システムを作る、というのも、当社システムが相手社が経験したことのないシステムなので、彼等が理解するだけで簡単に1年は経ってしまう。
逆に、開発戦力の豊富な方(相手社)に当社の既存の必要システムを開発させて相手社システムに寄せる、と考えて途中までやってみても相手社の開発が予想以上に時間が掛かり、旨く行きませんでした。1年しかない時間との闘いの中での試行錯誤でした。
進み過ぎていたことが理由ではなく、要は、当社側システム部門に、短期間で相手社の必要システムを開発搭載するだけの爆発的戦力がなかったことが、単純明快に当社システムに寄せるとならならなかった理由です。
合併後1~2ヶ月間、事務混乱が起きたので、あまり大声では言いませんでしたが、当初方針(相手社システム寄せ)では間に合わないので、方向を大転換して、あの併存型接続システムという最終形を選択し、残り5ヶ月で両社SE部隊が会社の壁を超えて24時間体制で頑張り、遂に合併に間に合わせたことは、「奇跡の5ヶ月」とシステム内部では呼んでいました。

3 匿名 { 02.15.16 at 6:01 pm }

まさに奇跡のコンテンジェンシープランであったと思います。事務混乱という時期には既に現場にいましたが、新会社の新事務と割り切っての考え方で徹底さえすれば単なる新会社での不慣れなだけの当然の事務混乱でしか無かったのですが…システム合併失敗のバッシングが全国から巻き起こりました。
あれから15年、ほぼそのままのシステムもいよいよ終わるのでしょうか?ベストでは無くともベターではあったのか?それとも合併そのものが間違いであったのか?など自分的には未だ解決していない疑問なんですが

4 シンドバッド { 02.17.16 at 3:21 pm }

合併の話が出た時、私本人は、出来れば伝統であった「独立独歩の精神」と「最大より最優を目指す」会社のままであって欲しいと思ったのは確かです。
ですが、護送船団の時代を終え、真に弱肉強食の時代を迎えた時、中堅会社としては大手社と戦えるだけの企業体力を一気に身に着けないと話しにならないというのも事実でした。また、大と一緒になるという選択もあったかも知れませんが、入社以来「独立の精神」で育った者としては、大の軍門に降ることは戦わずして敗れることであり、有り得ない選択でした。
ということで、相手者として他の中堅会社は有り得ても、合併自体は必然だったと今は思っています。

システム統合に関して言えば、銀行を初めとする金融機関同士の大型合併で常にシステム統合が上手く行かず、顧客に迷惑を掛ける事例が多発しました。今では、合併期日までにシステム統合を是が非でも間に合わせるというケースはなくなりました。2000年当時相次いだシステム統合の失敗の教訓が今に生きていると言うことでしょう。私も、1年という限られた時間しかないことが心配の種でしたが、さりとて、初めての経験ですから、1年では無理と主張するだけの材料も持ち合わせておらず、結局のところ、やってみないと分からないと腹を括って進めるしかなかったのが真実です。ただ、いろいろやってダメだった時は、最終選択となった、あの併存型接続システムで行くことは最初から腹案として持っていました。今流に言う「コンティンジェンシー・プラン」ですか。その形なら半年あればと見込んでいましたが実際は5ヶ月しかなかったので、突貫工事のようになりましたが、何とか間に合い会社合併が出来たのでした。その意味で私達の最終選択は、言われる通り、ベストでなくともベターな選択でした。

事務混乱の真因は2つだったと思います。1つは、事務拠点方式(全国に何十か所か設けた事務集中センター)が合併と同時にスタートしましたが、その要員体制も準備も研修も殆どされておらず、もっと言えば事務拠点方式で事務がスムースに回るか、物の流れやエラーの原店への照会や戻しが問題ないかの事前テストもされておらず、ぶっつけ本番になったこと。
2つ目には、システム部門としては、統合作業に手一杯で、とても余裕がないとの主張にも関わらず強行された合併記念商品(新たな自動車保険)の発売。これも、各地の代理店研修や社員研修のないままに合併の日から、夫々の会社の旧商品を売り止め、その新商品一本で営業開始してしまっため、申込書の9割がエラーとなり、各店で月締めをしようにも締まらない状況が起きたことでした。

そこに、統合システムの初期故障(代理店との精算システム)も起きたため、全ての混乱がシステム統合の拙さとされたのでした。

しかし、システム内部では、あの混乱をシステムが招いたものと思った人間は一人もいなかった筈です。一般の人間には事務もシステムも区別がつかず、そのことを言い募っても詮方ないのでシステム側は皆それを飲み込んで、混乱収拾に当りましたが、経営会議などで「今回のシステム混乱は」などと責任ある人が言う時は、私はその都度「お言葉ですが、システム混乱ではなくて事務混乱と言い直して下さい」と訂正を求めたものです。「奇跡の5ヶ月」を成し遂げた者達の名誉を守るためでした。

と、長々と書きましたが、あれからもう15~16年にもなりますね。良くも悪くも、現役時代の強烈な思い出の一つですし、今なら懐かしく真実を語れそうです。

5 エイジ { 02.17.16 at 9:12 pm }

社是ですよね!
自主独立の精神で…
堅実経営を旨として…
公衆と共に
故に、「目標は」最大よりも最優たれ…
その為にはまず、自己を律し、人に親切…最後に仕事に臨んでは創意積極…
唯一の疑問は…それでも(社是の実践で)残れなかったか???

神童さんあの混乱はたとえ、システム統合が出来ていても起こった混乱です。システムの責任ではないし、事務混乱でも無かった…単なる旧古社への郷愁であり、合併に伴う覚悟のなさであったのでは…少なくとも、当時の神奈川には起こらなかった。ただ一言合併の覚悟を理解させるのみ…
「1年以上に及ぶ本社部門の寝ずの苦労を考えろ!」誰も文句は言わなかったのです。言わせなかったのかも…

何にせよ「終焉」を迎える様ですね…???
個人的にはいい経験をさせてもらえました!!!

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