プレミアムエイジ ジョインブログ
Random header image... Refresh for more!

Posts from — 5月 2016

あるシステム統合(43)

  二重構造解消が進むに連れて、僕の言ったことがいい加減なアドバルーンではなく、本気だということが浸透して行ったのだと思う。プロパー社員の士気は頗る上がって行った。但し、初めてのプレーイング・マネージャーの業務に、不慣れよるミスが発生したり、時間的にも精神的にもタイトになって、彼等が思っていた以上に大変だとの声も耳に入った。

  でも、車は急に止まれないの喩え通り、最終の出向解除まで、約1年で強引に完了したのだった。大量の出向解除は、300名近いプロパー社員が持てる力の半分も出ていないと感じ、彼等が思い切り力を発揮出来るようにするのが狙いだったことは述べて来た通りだ。

  僕としてはもう一つ、既にシステム統合と事務二本立て解消が出来た以上、その統合効果の一部ではあるが、システム運営費の削減が必要であり、子会社としては総合職100数十人分の人件費約10億円/年の圧縮を実現したつもりでもあった。

  だが、結果からすると、彼ら出向から本体に戻った社員SEは、全員本社の「システム統括部」所属となり、システム全体の運営費削減には全く繋がらなかった。それは親会社の判断だから、子会社の僕が何事かを言う立場ではない。

  さて、出向解除後のシステム子会社は、当初苦戦していたリーダー層も、自ら行うべき管理業務や部下への適切な指示なども、数ヶ月も経てば普通にこなせるようになって行った。    

  バイ・プレーヤー意識の強かったプロパー社員達に、主役意識が芽生えて行ったことが皮膚感覚で分って僕も嬉しかった。ここまでは僕の狙い通りに推移して行った。そこで、次に、彼等にこの会社で頑張ることに希望が持てるよう、また、社員全員がこの会社を自分の会社と思って貰えるよう様々な手を打った。その1つが、プロパー社員の役員登用だった。

  合併前までは、H社もF社も、子会社の社員を役員に登用することは有り得なかった。明文化された規程はないが、不文律のようなものが存在していたのだと思う。

  親会社の経営からすれば、社員でなくても出来る仕事は、コストセーブの観点から極力子会社に移行した方が有利だ。だが一方で、親会社の意図通りに稼動することを担保するために、子会社の役員は親会社出身者に限られていたというのが実態だった。そもそも、このことが二重構造の本質だったのだが・・・

  この不文律を打ち破るため、僕と役員のAとTとは、子会社政策を司る親会社の経営企画部に何度となく掛け合った。その際、所管部も飲み易いように役員と言っても取締役ではなく、実務遂行上の最高責任者として、「執行役員」制度を設け、2名のプロパー社員を登用するという内容にした。その先は勿論取締役登用を考えている。

  経営企画部も最初は強い拒否反応を示していたが、何度かの交渉で徐々に軟化して行った。それは、多分、事務・システム本部のW本部長にも確認して、二重構造解消に向け出向社員の大量出向解除を終え、プロパーSEが出向社員の仕事を含めて、立派に役割を果たし始めたことが分ったからだろうと思う。

  出向社員からの指示待ちで仕事をして来たのが、今や主役意識に変って来たこと、これを大いなるキッカケとして、損保業界最強のシステム子会社を目指すこと、そうなることが、業界の激しいシステム競争に勝つ上で極めて重要であることなどを強調し、親会社としても是非強力に応援して欲しいと、本件を認めるよう僕は所管部長に迫った。

  そして、数日後、所管部長が僕に電話をして来て、「X社長にも本件報告しました。その結果、神童社長の方針に賛成と言われましたので、2名のプロパー社員の執行役員就任を認めます」とのことだった。

  これで、僕の描いた「子会社大改革の第一章」は完結した。要するに、プロパー社員主役の会社とするための会社構造の革新が完了した瞬間だった。第二章は、力のあるSE集団作りという、最も大事だが時間の掛かる取組みだ。

  単にSEとしての知識レベルを上げるだけでなく、システムを使ってシステム作りをどう変革するか、どう短縮出来るか、システムを使って会社(親会社)をどう変えるか、システムを使ってどういうビジネス・モデルが描けるか、といった発想が出来る人間を何人か誕生させなくてはならない。

  この第二章が出来ないなら、第一章は無駄なことになる。第一章は第二章のための必要条件でしかないのだから。

5月 31, 2016   1 Comment

あるシステム統合(42)

  約2ヶ月掛けた対話集会の後半は、各チームのメンバー全員に参加して貰って行なった。それは、僕がこの対話集会を進めて行くに従い、リーダー層だけでなく、若手社員の力も知りたくなったからだ。前半、若手SEが参加しなかったチームについては、1~2ヶ月後追加して再び対話集会を行うことにしたのだった。

  これらの対話集会の結果、分かったことは3つある。

  まず、全体的に、F社出身SEが殆どを占めるシステム子会社の社員からは、僕は一定の警戒感を持って見られていることが、夫々の対話集会の最初の共通する空気で分かった。僕やH社の人間は、彼等にとって、招かざる人々、乃至、占領軍とまでは言わないまでも、不本意な経営陣と思われていたようだ。

  だが、それまでのシステム子会社の社長には、親会社の役員が退任して就任するケースが殆どだったから、彼等と僕との唯一の共通点はSEだという一点である。そこを切り口に彼等と会話をしていくうちに、徐々に口を開き心を開くようになってくれた。夜の部はそのダメ押しの場として大変に有用であったのだ。

  2つには、プロパー社員の多くは、本当に自分達に任せて貰える状況を作ってくれるなら、是非やりたいと思っていることだ。大勢の出向社員の言う通りにしか行動出来ない窮屈さと、本当の責任を持たされていないことによる、自己実現には程遠い仕事になっている現状を訴えた。

  僕が、公務員のキャリアとノンキャリアのようだと感じたことに間違いはなかったが、但し、彼等が出向社員の指示の下で長いこと仕事をして来たことを思うと、本社部門との折衝やシステム要件の詰めなど、出向社員の役割をプロパー社員が肩代わり出来るようになるには、時間と何らかの算段が必要になる。

  だが、リーダー層のプロパー社員は僕に代わる代わる自分達に任せろと言う。その気概や良しである。やりようで何とかなるかも知れないと思った。

  3つ目は、リーダー層に何人か僕の求める人物が存在することだった。彼等のSEとしてのレベルの高さは、出向社員も認めているところだし、僕が直接いろいろな質問をしてみても、彼の担当分野についての詳細な知識は勿論、最近の技術動向もしっかり把握しているのが分かる。そして何より、彼の部下達から尊敬もされ頼りにされているのが良く分る、彼等は、僕のシステム会社構想に不可欠な人物たちだ。

  システム子会社の経営陣、と言っても僕と専務のA(度々登場するF社出身のA次長。親会社での職位は次長から部長に昇格した)と常務のT(旧F社出身。僕の3年先輩)の3人だが、この会社を強く勢いのあるSE集団に変えるための道筋を議論し合った。

  いろいろな必要条件・必要施策が議論されたが、根本的問題はやはり出向社員(管理者・指示命令者)とプロパー社員(具体開発に当るSE)の二重構造解消が何よりも重要という点で一致した。

  元々出向社員であるA専務もT常務も、出向社員のいない会社にすべきことを積極的に述べるのが面白かった。多分、過去にこのような議論をしたことがなかったのだろうと思う。

  主だったプロパー社員を呼んで、「出向者を親会社に帰すことにしたいが、それが可能かどうかは、出向社員が担当していた役割を、君たちが肩代わり出来るかどうかに懸かっている。君たちの意見を聞かせて欲しい」と切り出した。

  彼等は異口同音に、「任せて下さい。やれますから」と目を輝かしながら言う。「しかし、今度は君たちの中から、管理・指示を行う特化集団を作ろうということではないんだ。グループ長やチーム長は、本社部門との折衝もやるし開発管理もやるし、勿論、開発もやる、プレーイング・マネジャーがやれるかと聞いている」と迫ってみる。

  「本社部門との折衝も、必ず出向社員に同行して打合せして来ましたし、プロジェクト管理にしても、現実は僕らがやっていたんです。それを責任者である出向社員に報告していたのですから、実質はプレーイング・マネージャーでしたよ」と、力強い答が返って来た。

  引き続き、僕は出向社員の主だった者を呼んで意見を聞いた。彼等は「リーダー層の中で、私たちの代わりが務まる者は確実にいます」と言って具体名を挙げてくれた。それは私が見込んだ人間達と大体一致している。

  そして、「3つのグループに分かれますね。今直ぐにでもやれるグループ、鍛えれば充分やれると思われるグループ、今はとても無理というグループですね」と言って、2番目・3番目の具体名を挙げてくれた。

  「なるほど。ただ、君たちの仕事がプロパー社員でも可能と言われたら、複雑な気分じゃないのか?」と僕は聞いた。彼は、「そりゃ、私のやって来た仕事って何だったのかとは思いますが、正直言わせて貰うと、仕事が楽しいとか面白いとか思えないんです。仕事だと割り切ってやっていますが、本当は、本体に戻って新システムの設計とかやりたいです」だった。

  これらのヒヤリングを終えて、AとTと僕は最終結論を出した。1年間掛けて100数十名いる出向社員のうち、まだプロパー社員には代替無理と思われる20名を残して、他の出向社員は全員親会社に戻すことにしたのだった。

5月 30, 2016   No Comments

あるシステム統合(41)

  今思えば、1年という限られた時間の中、システム統合効果200億円/年を獲得したくて、間に合わないリスクのあるのに「条件付F寄せ」に踏み切ったことが、「F寄せ」失敗の最大原因だったと思う。

  システム統合の旗を振った僕自身、F社のシステムは全く知らないのに(半分は知らない土俵なのに)、恰もH・F全体を見通して、こうすれば行ける筈といった思い込み、乃至、自身への過信があったことは認めざるを得ない。

  途中で「併存型システム統合」に切り替えて、何とか合併・新会社発足に間に合わせたのだが、結果からすれば、最初から「併存型システム統合」を打ち出して、互いのシステムをより理解する時間を確保し、万全な現地テストを繰り返した上で、合併の日を迎えるべきだったと思う。

  そして、膨大なコストが掛かっているシステムの大胆な費用圧縮のために、デッド・エンド(合併の日)を超えてから本来のシステム統合を行うべきだった、というのが合併発表から2年間の修羅場から得た僕の教訓だ。

  そうすれば、合併直後の大混乱もなく、且つ、一つの会社になってから本来の指揮命令系統の中で、組織的でスムースなプロジェクト運営が出来た筈なのだ。そのことは、合併後の2本立て事務システム解消プロジェクトが証明した。

  H社・F社の合併の時期に前後して、大銀行初め金融機関の合併が相次いだが、ATMでお金が引き出せないとか、口座振替が出来ない、金額に誤りがあったなど、システム統合の失敗が連日新聞紙上を賑わせたが、やはり、そのどれも会社合併の日に間に合わせるシステム統合の無理が祟ったものだった。

  僕の得たのと同じ教訓は、当社の次の合併でも、銀行等金融機関のその後の合併でも活かされている。即ち、システム統合は全て「併存型統合」で合併を迎え、本来のシステム統合か、または、新システム開発は合併後にスタートさせている。システムだけでなく、店舗統合や組織統合も全て合併後一定の時間を掛けて行うようになった。

  話しを元に戻す。システム子会社のSE全員を集めて、僕からこの会社を業界有数の能力の高いシステム会社にすると宣言した全体会議での質疑応答を巡って、急に社員からのメールが来たのには訳があった。

  それは、A次長(F社出身、システム統合でF側の開発責任者)が、社長の説示に対してメールで感想を送るように社員に促していたのだった。この辺りの文化はHには無いのだが、何はともあれ、F社出身の社員の反応が分かって、僕としては有難かった。

  その日を境に、僕はシステム子会社のグループ長(課長)・チーム長(係長)クラスとの対話集会を始めた。それも大勢を一堂に会した対話集会ではない。グループ単位とか、チームが沢山あるグループでは更に幾つかに分割して、連日行った。

  その目的は、400名程いるSE(親会社からの出向者100数十名含む)の殆どは旧FシステムのSEだったから(旧H社のシステム子会社SEはほんの10名ほど)、まずは、神童とはどんな奴かを知ってもらうためだ。

  神童がこのシステム会社をどんな会社にしたいと思っているかを知って貰うのが2つ目の目的だ。第3は、彼らが日頃何を考え、どんな目的やミッションを持って仕事に向かっているのか、或いは、会社や僕に対する疑問点や不満を聞き出すことだった。

  僕自身は、この会社を強く勢いのある会社にするために資する彼らの要望は、可能な限り聞き入れて、出来るだけのことはするつもりだった。

  そして、目的の最後は、否、これこそが本当の目的だったが、自分で直接話してみて、これはという人物を見出すことだった。就業時間内の対話集会の後は、必ず、同じメンバーで街に繰り出し、もっと彼らを知る努力を連日重ねたのだった。

  2ヶ月にも及んだこの対話集会の連日の夜の部が良く持ったものだと思う。当時、僕も54~55歳だったから、気力も体力も充実していたのだろう。今だったらとても無理だし、間違いなく病気になっている(笑)。

5月 25, 2016   2 Comments

あるシステム統合(40)

  質問者が聞きたいのは、こういう当時の進捗状況ではないことは分かっている。即ち、両社で経営決定された「F寄せ」を、この神童が途中で中止して「併存型」に変えたのは、H側システム部門が不要になるので、或いは、神童以下のH側がシステムの主導権を握れなくなるので反撃に出たということだったのでないか、と質したいのだ。 

  方針変更の直接理由を述べた後、僕は本論に入って行った。「以上は『F寄せ』開発をそのまま進めて行ったのでは合併に間に合わないと判断した直接の理由です。さて、このシステム統合は、正直って、大苦戦、右往左往の連続と言っても過言ではありませんでした。

  その苦戦の理由について述べてみたい。他業界のシステム統合でも、片寄せが最もシンプルな統合の仕方で成功例が幾つもありました。成功例の多くは、無条件で片方のシステム・事務処理方式に乗り換えるものです。そんなことはシステム部門でなくて誰でも分かること。

  ところが私たちのシステム統合ではどうであったか。無条件片寄せではなく、条件付片寄せだったことが大苦戦の理由だったと思っています。FシステムのT自動車向けシステム機能は、合併後も維持したい。一方、個人代理店や整備工場代理店を数多く抱えているH社の代理店システムや分割払い料金システムは不可欠でした。

  これら条件の下『H寄せ』『F寄せ』の両方を検討して、どちらが早く出来るかの尺度で『F寄せ』を選択しました。『F寄せ』に決めた理由は、T自動車向けシステムが、独立した塊を成すシステムならば、Hシステム内に同じものを作成すれば良いが、T自動車向けシステム・機能は、様々なサブシステムの中に散らばって入り込んでおり、短期間にそれら全てをHシステム内で実現するのは不可能に近いことでした。

  それに比べ、代理店システムも分割払い料金システムも、夫々独立のサブ・システムとして存在するので、そのFシステムへの移植を考えれば良いので、可能性は高いと考えました。

  でも、移植すべき夫々のシステムは、相手社は知らない機能だし、経験がないから開発上注意を要する点なども分かりません。だから、Fシステム上にH社のSEが移植開発をすることにしたのですが、今度はFシステムの構造が分かりません。

  それやこれやで、開発中に何度もやり直しや後戻りが発生しました。私はシステム統合の責任者でしたが、長い経験から自社システムでの開発なら、これはどのくらいの期間で出来るだろうと読めます。

  しかし、半分は知らない土俵でどのくらい掛かるかは、正直、やってみないと分からないという結果となってしまいました。甘い見通しと言われればその通りです。これは挙げて私の責任です。

  本来、片寄せは、無条件片寄せであるべきなのに、条件付片寄せになってしまったこと、それを私が是としてしまったところに『F寄せ』失敗の原因があります。では何故条件付きとなってしまったかです。それは、今回の会社合併の基本スタンスが『対等合併』だったからです。

  『吸収合併』であったなら、基本的に無条件片寄せになる筈です。損保会社は、大勢の保険代理店を抱えていますが、もし、吸収される側だったら代理店さんも、相手社の事務に変ることも已む無しとしてくれますが、今回は『対等合併』でした。

  双方の代理店さんは、T自動車も含めてですが、『会社同士の対等合併なのだから、俺達代理店には絶対迷惑は掛けるな』との声があちこちから届いていました。従って、どちらに寄せるにしても、双方の代理店に不可欠なシステムは無理やりにでも、作らなければならなかった。それも1年の猶予しかない合併の日までに。

  システム統合で大苦戦して今感じていることは、もし、次にもう一度合併があったらその時は、吸収する側であれ、吸収される側であれ、『対等合併』でないことを心から祈ります(笑)」と長い答弁を締め括ったのだった。

  皆がこれで納得したかどうかは分らない。しかし、これが、会社生活で、否、わが半生で最もキツイ経験をした本音の感想だった。1年前からシステム子会社の社員には、社長の僕に何でも気軽に社内メールするよう伝えていたが、出し難いのだろう、殆ど無かったのが、この後で20名を超える社員からのメールが入った。

  「システム統合が自分達の想像を超える難工事だったと初めて分かりました」とか「対等合併は、どちらも立てなくてはいけないという重い課題が加わるんだなぁと理解できました」とか「合併が出来なくなるピンチ=システム・エンジニア達の信用失墜 を防ぐための方針変更だったことが良く分りました」とか、僕の話したことに好意的な反応が多かった。

  しかし、中には微妙な質問も幾つかあった。「H代表の神童社長から見て、我々のFシステムはどう評価されますか?」とか「HとFを比べてみて、Fの方が優れているから『F寄せ』になったと信じていたけど、どちらに寄せるのが簡単かでそうなったとお聞きし、チョッとガッカリしました」というのもあった。

  核心を突く質問をしたあの女子社員からのメールは次のような内容だった。「私の質問にあんなに丁寧に答えて下さってありがとうございました。社長の率直なお話しで心の霧が晴れました。そして、社長もやはり、私達と同じSEの大先輩ということが良く分かりましたので嬉しいです」。

 

5月 24, 2016   No Comments

あるシステム統合(39)

  僕は、合併以来1年強、親会社の取締役とシステム子会社の社長を兼務して来たのだが、実のところ、子会社のプロパー社員からはこの「兼任」があまり評判良くはなかった。何故なら、彼等からすれば、社長は親会社の方ばかり見るだろうから、自分達の味方とは思えないということらしい。

  僕は、子会社のプロパー社員SE300人が、本体(親会社)のSEとは異なり、真にFシステムを維持し、内容を周知している技術者集団であることは、合併前のシステム統合の中で良く分っている。

  これだけの戦力を、もっと能力の高い戦闘集団に変えられれば、今後の業界内のあらゆるシステム競争に向けて大きなアドバンテージを得ることが出来ると確信していた。

  だが現実は、100数十人の親会社からの出向社員がおり、プロパー社員は彼らの管理の下、彼等からの指示を受けて動くだけの役割しか与えられていない。これは恰も公務員のキャリアとノンキャリアの二重構造ではないか。

  更に、不思議なのは、親会社にもシステム統括部という部門があって、70名近い社員SEがいるのだ。そして、システム統括部の管轄下にシステム子会社があるので、実際は三重構造なのだ。

  システム統括部は、勿論、経営戦略上求められるシステム構築というミッションや、次期システム構想等を固め経営に提案を行う役割や、現行システムの改変に必要な費用の稟申などを分掌事項としていた。だが、彼らの考えた新システムも結局は子会社で開発するのだから、僕にはどうにも冗長な組織運営のように見えた。

  僕らが育ったH社のシステム部門は、伝統的に、新システム計画を立て、それを開発し、現場テストまで全てを行うのがSEの仕事という考え方だった。もっと言えばシステムを作れないSEは不要と言う価値観だ。

  従って管理集団と開発集団を分けるという発想は無かったし、従って二重構造は存在しなかった。あるとすれば、不足するSE戦力を外部のソフトハウスに依存する時は似た状況があったと言えばあったが。

  僕が役員を首になり、「兼任」を解かれシステム子会社の専任社長となった2002年7月1日、僕は、子会社の出向社員とプロパー社員を一堂に集め、これから損保業界最強のシステム集団を目指すことを宣言し、そのための具体的な進め方など、僕の思うところを語った。

  そして、質疑応答となった。僕が語ったことの意味の確認など幾つかの質問の後、ある女性SEが挙手をした。彼女は出向者ではなく子会社のプロパー社員だ。司会者より指名を受けて彼女がおもむろに語り始めた。

  「合併前のシステム統合の開発について、どうしても納得が行かなかったことがあります。最初『F寄せ』と言うことで、私達もかなり気合を入れてシステム統合のための開発作業に邁進していました。私たち自身の開発作業は順調だったと思っていたのに、突然、『F寄せ』を中止し、併存型システム統合となってしまいました。

  一生懸命にやって来たことを、理由も分らず、中止させられたことにハッキリ言って怒りを覚えました。私たちが聞いているところでは、その方針変更は神童社長が、突然言い出したとのことでした。どういう理由からだったのでしょうか? これからのことを思えば、どうしても聞いて置きたい点なのです」。

  あの方針変更の時に直接関わっていたF社の人やその周辺の人々から、実際の作業を夜遅くまで毎日頑張っていたプロパー社員にまでは、その理由は伝わってはいなかったのだろう。

  そして、彼女が語ったこの疑問点は、システム子会社の多くの人々にとって共通の疑問点なのだろうと思った。その意味では良い質問だし、全員が集まっているこの場面で、答えられるのは又とないチャンスだ。

  僕は、次のように切り出した。「今の質問の直截的な答えは2つあります。1つは、F側に追加開発した分割払い料金システムやH社の代理店システムの接続、それと大量なファイル変換などの、開発の遅れが許容範囲を超えたこと。

  2つ目には、それらがFシステムに移植されたことによる、システム全体の悪影響を洗い出すテスト工数が膨大で、いつ終わるのか全く読めなくなったことです。

  あのまま、方針を変えずに残り5ヶ月を突き進んで行ったら、多分、システムは完成せず、現場テストも出来ず、システムが理由で会社合併を延期するか白紙撤回になっていたでしょう。私達システム当事者にとってそれは最悪の不名誉な事態です。

  皆さんが請け負っていた開発部分は、遅れなく進んでいたのかも知れませんが、システム統合の進捗全体像を把握していた私の危機感は半端ではありませんでした。沢山の新しいシステムが追加されることに対して、Fシステム全体の整合性確保はどう保証するのか、その観点の検討が最初から不足していたように思います」。

5月 23, 2016   No Comments

あるシステム統合(38)

  その後も、何度か僕らの案に対するBの執拗な攻撃は繰り返され、遂にはX社長の前でのBと神童との対決があり、結局、Wと僕で提起した案で決着したのだが、余計な時間を潰す結果となり、正式に、開発に入ったのは8月だった。予定では来年6月カット・オーバーの計画だ。

  昨年11月の初めに凍結した「F寄せ」の残りの開発を再スタートさせることと、Hの営業店事務システムで事務を統一するための開発を行うのがミッションだ。

  この計画は大きく、システム開発というプロジェクトと、事務設計・事務体制再構築といったプロジェクトの2ラインが走る。そのトータル責任者は「事務・システム本部」のW本部長、システム開発のリーダーは僕、事務体制再構築は業務統括部長という体制で「新事務・システム統合計画」が開始されたのだった。  

  今度は、前年の苦しい進捗が嘘のようにスムーズに進んだ。会社が違う中で両社システム部門に張り合うような気持ちを抱え、僕からの正式な指揮権も及ばなかった昨年とは違い、お互い同じ会社になったという意識と、5ヶ月間で「併存型システム統合」を成功させて生まれた互いの信頼感・連帯感がスムースな開発を可能にしたのだと思う。

  それでも、年度末(3月末)時点で、慎重なWは、2度の全国的混乱は絶対に許されないので、現地テストも念には念を入れて長めに実施したい。テスト店も1店ではなく複数の店で実施したいとして、9月1日を新システム・新事務の開始日とする旨を表明した。

  システム側としては、早めるのはリスク上問題だが、遅らせるのは問題がないので、賛成した。だが、役員会に正式に新統合システムの本番スタート先延ばしの件を諮かる前にX社長に事前説明したのだと思う。事務センターにいる僕にX社長が直接電話して来た。

  「W君が来て、新たなシステム統合の本番日を3ヶ月ずらしたいと言って来たが、また、システム開発が遅れたのか?」という質問だった。「いえ、今回はすべて順調です。私の見解を申し上げれば、6月本番は勿論可能と思います。でもWは全国的大混乱を絶対に招かないよう、3ヶ月延ばして念には念を入れたいと思っているのだと思いますが」と答えた。

  またシステムが遅れたのか、とのX社長からの質問は、もうそれ自体システム部門の、いや神童の信用がガタ落ちとなっている証拠かなと思った。システムの開発がほぼ終了して、現場テストに入って行った頃の2002年5月、僕は社長に呼ばれた。

  「神童、お前にとっては大変な2年間だったな。なかなか思うように行かなかったと思うが良く頑張った。暫く、システム子会社に行って身体を休ませたらどうだ?」とX社長が言う。「あの事務混乱が起きたのに、関係役員の減俸だけで済ますのは旨くないと思っていました。分かりました。そうさせて下さい」と僕は答えた。

  ここで言う減俸とは、あの事務混乱が収まった後、社長以下関連役員(当然僕も該当)まで30~10%の減額処分を受けたことを指す。

  「おい神童、誤解するなよ。暫くの間と言った筈だ」と仰る。僕は言った。「いえ。私は合併の時からシステム子会社の社長を兼務させて貰って来ましたが、その経験で言えば、F社のシステム開発を実際に行なっているのは、親会社の社員ではなく子会社のプロパー社員のSE達なのです。

  それが300名以上もいる大集団ですから、彼らの力のレベル如何で当社のシステム競争力が決まると言っても過言ではありません。私が見るところ、本来の彼らのパワーの半分も出ていないように感じているので、システム子会社の立て直しに専念させて頂くことは望むところなのです」。

  これは、恰好付けて言ったのではなく、僕の本音である。親会社のSE(出向者含む)は、子会社プロパーSEの仕事の進捗チェックや開発の仕方、テストの仕方などをチェックする業務に特化してしまっているから、僕がシステムの中身を詳しく聞こうとするとそれに耐える親会社SEはいないのだ。最後に現れ答えてくれるのはいつもプロパー社員だった。

  大勢の親会社社員SEが、これまた大勢のプロパー社員SEの上位管理者集団として存在していることは、例えてみると公務員のキャリアとノンキャリの二重構造が堂々と民間企業に存在するの図である。僕は本能的にこれをブチ壊したいと思っているのだ。

  H社のシステム部門の社員(親会社社員)は、自分達のシステムを直接自分自身でメンテナンスしているから、中身を答えられないなどと言うことは有り得ない。

  だから、僕が思ったのは、F社システム子会社のプローパー社員SEと、H社の社員SEとを合体させたシステム部門構成が出来れば最強の集団となるのではないかということだった。

  そういう将来像に近付くためには、まず、プロパー社員達が自信を付けて、親会社の社員SEがいなくなっても何ら問題ないとなるよう、彼らの自立を促さなくてはならない。そういうことを一つひとつ着実に進めて行くために、僕を子会社の社長として専念させて欲しいと強く思った。

  尤も、本社の政治的判断や交渉は、X社長が言うように「暫く」遠ざかりたかったことも、正直、あった・・・

  こうして、2002年6月末の株主総会・取締役会で、僕は正式に役員を退任し、翌7月1日付けでシステム子会社の専任の社長となったのだった。

5月 20, 2016   1 Comment

あるシステム統合(37)

  Bの案は、「F寄せ」も「H寄せ」もせず、H・Fの両大型コンピュータはそのまま稼働させ、Hの営業店設置の事務システム、H・F夫々の代理店システム、及び、Fの保険申込書計上システムであるOCRの、両社のシステム資源を全てをそのまま稼働させながら、事務はHの営業店事務システムに統一するというものだった。

  Hの営業店事務システムでFの大型コンピュータのデータを扱うには、データ構造から、データ項目、コード体系までが全く違うので、Hデータのフォーマットと同じデータになるよう、F←→H変換機能を開発する。

  逆にFのOCRでH申込書を入力したデータは、Fデータ・フォーマットをHのそれに変換する。他の全てのサブシステムでも、HとFのデータの全体集合の処理の場合は、同じように、F→H か H→F の変換を行ってサブシステムに渡す、という、壮大な変換機能の開発をメインとする案だった。

  Bが説明した最大のメリットは、Fに寄せるにしても、保険の満期の都度HデータをFに渡して計上処理を行なうのでは、最大1年(1年契約の場合)、長期契約は長い期間掛かってしまうが、この案で行けば、システム開発終了&リリース=事務・システム一本化完了となるという点だった。

  経営企画部を担当する副社長(F社出身)にしてみれば、合併新会社の目下の最大課題は、H・F二本立て事務の解消だったから、データ変換の仕組みを幾つか作るだけで、事務の一本化が実現するなら、そんな良いことはないと思ったのだろう。

  副社長から、神童はこの案をどう思うかと問われたので、率直に申し上げた。「皆さんには一見良いと思われる案かも知れませんが、2つの点に於いて大変問題だと思います」と前置きして、僕の見解を説明した。

  その第一は、両社が夫々掛けていた年間システム費200億円(自社人件費込み)、合わせて400億円は、この案では1銭も減らないことだ。現行の全システムが稼働を続けるからだ。昨年苦戦したシステム統合の狙いも、会社合併の最大の効果として年間システム費用200億円削減に置いていた。

  第二は、理屈上、F←→H変換機能さえあれば、わざわざ片方に寄せる必要はないと説明しているが、実際には、HもFも夫々200~300種類のファイルを保有しているので、これら全てについて、文字通り一つの会社としての情報処理を行なおうとすれば、そのファイル種類分だけF←→H変換機能が必要となる。

  それは変換装置のお化けのようなシステムになり、頻繁に発生するシステム・メンテナンスではその変換装置も同時修正しなければならず、そのロードに耐えられない。

  ただ、この二番目の指摘は、システムの素人には分かり難い内容なので、「要は、1で済んでいた作業量が4とか5とかになる」と付言して置いた。

  Bの部下(とは言うが、システム部門所属だから、組織上も実態上も僕の部下なのだが)が第一の指摘に対して、「システム費用の削減は、確かに今回の案から外しましたが、それは次期システムで考えるべきで、今は二本立て事務の解消を最優先すべきではないでしょうか?」と反論した。

  僕は、「次期システムでと言うが、その開発原資は何処から出すのだ? 今回、二本立て事務解消と共に、システム費用を半減させ、その150億~200億/年の2年分を投資原資とさせて貰って次期システムを開発するのだよ。もっと良い開発費工面の仕方でもあるのか?」と逆質問した。相手は「・・・」。

  この言い方は、多分に副社長を意識して言ったものだった。最初からずっと口を挟まず聞いていたWが遂に口を開いた。「副社長、ちょっと宜しいでしょうか?」と切り出した。「先週、役員会に提出した私達の案は、単なる思い付きではありません。1ヶ月以上、喧々諤々様々な案を検討した上で、最善の案を提案したのです」。

  更に続けて、「Bの案が、思い付きとは言いませんが、神童さんが仰ったように、重要なポイントが漏れています。ですから、私たちの案を進めることで宜しいですね?」と副社長に念を押した。

  副社長は、「確かに合併効果を早期に出すことも大切だ。Wさんの言う通りで良い」との言質を得て会議室を出た。Wは僕に吐き出すように言った。「神童さん、今日は頭に来ました! 何なんですかあのBは、失礼千万ですよ。副社長も副社長だ、あんな案にコロッと騙されて!」。

  

5月 20, 2016   No Comments

あるシステム統合(36)

  B一派は、僕やWの知らないところで、僕らの「F寄せ」によるH・F事務の二本立て解消案に、真っ向から対抗する案を考え、静かに潜航して時の副社長(F社出身)に説明し、味方に付け経営企画部を巻き込んで、僕らと対決しようとしていた。

  副社長から呼び出され、僕とWは会議室に向かった。そこには、中央に副社長が座り、その向かいにBと彼の手下の2人が着席していた。僕等は副社長の隣の席を指定された。他には経営企画部の部長以下2名が同席していた。

  副社長の第一声。「システム混乱が何とか収まったので、今後の最大課題は2本立てとなった事務をどう一本化するかということに尽きる。Wさんや神童さんが先日役員会で提起した『F寄せ』再開に対して、私が思うに、より合理的と思われる案をBさんが考えてくれたので、お2人には是非聞いて貰って、今後の解決策に活かして欲しい」だった。

  これは一体何なんだ。関西から本社に戻ったBの所属は経営企画部だが、彼の仕事の分掌事項は何なのだ。専門部門(事務・システム本部)が役員会に提案し、了承を得た案に対して、部外者が個人的に対抗案を考えるのが仕事って、そんな仕事って有り得るのか? その案を取り上げる副社長も副社長だ。この時の僕の瞬間的感想だ。 

  これは、1年前、断腸の思いで打ち出した僕の「F寄せ」方針に真っ向から反対して、最後はX社長の逆鱗に触れ関西への左遷となったBの僕に対するリベンジ・マッチなのだ。

  それにしても、システム統合問題以前からBの僕に対する異常な対抗心は明確だったが、今回のように、経営トップ層を巻き込んでまで神童に対抗しよう、神童を追い落とそうとするまでに復讐心がエスカレートしていたことを改めて感じた。

  余談になるが、この時期、別件でBが僕の追い落としに躍起になっていたことが明らかになった。合併前から、システム統合の検討に於いて、F社の代理店システムの責任者であったNと何度か打合せの機会があった。

  合併後、そのNが僕に、「富士通の営業が神童さんをゴルフに招きたいと言っているので一緒にどうですか?」と誘って来たことがある。しかしその時期は事務混乱がまだ収まっていない時だったので、「今はそれどころじゃないから、何れ、と伝えて欲しい」とNに言った。

  富士通は、H社の営業店事務システムでハードを大量に使って来た会社だから、該社の営業部門は僕も良く知っている。その若い担当者が何かの会の時に、Bの元手下(システム部門)に、「今度、神童さんがうちの部長達とゴルフをやることになりましてねぇ」と漏らしたという。

  Bの元部下は、それは接待かと正し、そうだとの答えを得ると同時に、神童の他にNも招かれることを掴んだ。彼は早速そのことをBにご注進となった。当時、コンプライアンスが盛んに叫ばれ、業者を使う部門が業者から接待を受けることは、厳に慎むべきこととなっていた。

  Bは、その点を突いて、神童の追い落としを図ろうとしたのだった。Bは手下達を使って、僕とNの動向を探った。Nと僕の両方が一緒に会社を休んだ日がXデー、即ち、富士通からのゴルフ接待の日と想定して、その日が来るのを待った。

  5月か6月と思うが、偶然、僕とNが同時に会社を休んだ時があった。僕は、何か家の事情だったと思うが、Nはゴルフだったようだ。Bは、その日Nがゴルフのために休んだ事実を聞き出したその足で、経営企画部長に、「神童とNが今日、富士通からゴルフ接待を受けている。これは、看過出来ないゆゆしき事態である」と訴えた。

  Bの手下も、同じ経営企画部の課長に同じことを伝え、複数のルートから同じ情報が持ち込まれたように装い、「ガセ」でないことの証しとする演出まで行われている。経営企画部長は「明日、Nを呼んで事実確認を行う」とBに約束をした。

  翌朝一番で、Nは経営企画部に呼ばれ、昨日のゴルフについて、「同行者は誰か?」と問われた。Nは何のことか分らないながら、「同期会のコンペです」と答え、幹事他何名かの名前を挙げた。経営企画部長はその場から、名前が挙がった人に電話し裏を取った。

  相手は異口同音に、同期会コンペだったことを証言したので、Bの訴えは「ガセ」となり、一件落着となったのだった。このことは、「事務・システム本部」のF社出身のある次長が、「Bさんがやって来て、神童さんが今日業者から接待ゴルフを受けているのはケシカランと怒っていた」と僕に報告してくれた。

  また後に経営企画部長からも、ことの顛末を直接聞いた。Nも同期から、「本社からあの日のゴルフにNは来ていたか? とか聞かれたけど、お前何かやらかしたのか?」と心配を装った詮索をされて大変参ったと言っていた。そんなことまでして僕に復讐しようとするBの恨みの深さは分かっても、僕には最早手の打ちようは無かった。

  これが打倒神童の裏の作戦だったとすれば、事務の二本立て解消のための僕らの案への対抗案を提案することは表の作戦だったのだろう。神童の案よりBの案の方が優れていることを示すことで、神童不要論を決定的にしようと考えたのだろう。

  Bの事務二本立て解消案は次のような内容だった。

5月 19, 2016   1 Comment

あるシステム統合(35)

  4月末の月締めが予定通り出来た営業店は極く僅かだったので、Wと話して、システムはゴールデン・ウィーク開けまで、4月分の処理を可能とし、その間に全店月締めを完了させる方針とした。そのお蔭でGW期間に全店4月締切処理を漸く終えることが出来た。

  こうしてみると、5月の最初がGWとなっているのも、新年度最初の月(4月)の様々な新しい取組みで問題発生した場合のリカバリー期間として考えられたのではないかと思えて来るから不思議だ。

  しかし、その後も「事務混乱」は続き、5月下旬に入っても事務がスムーズに流れない営業本部が幾つかあった。W(緊急対策本部長)自らが出張して本部長と直談判し、内務センターにベテランの事務員を異動させたり、増員を実現して事務ラインを強化した。

  この頃になると、「事務混乱」が収まった営業本部が多数となっているので、そうでない本部長は、それまでは本社の責任(システムの責任)を言い募っていたが、最早自身の事態収拾能力が問われかねないのを強く意識して、対策本部の言うことも素直に聞き入れるように変わっていたし、現場の自主的対策も加速して、5月の締切は、何とか通常スケージュールで乗り切ったのだった。

  こうして全国的混乱は2ヶ月で収束した。この間、僕は、本社内の会議室に設置された緊急対策本部に殆ど詰めていたので、事務センターの自席には新会社発足の2~3日しか座っていなかった。両社のシステム部門が一緒の組織になり、その長となったのに、殆どそこに現れない異常な状態も同時に終わった。

  Wの自宅は僕の家から比較的近いこともあって、深夜会社を出た後、会社の近くで夜食兼息抜きの一杯を2人で嗜んでから、タクシーで帰ることもしばしばだった。タクシー代は1回交代で夫々が持つことにしていたが、その日、その日の当番が先に相手を自宅に送る決まりだった。

  そんなことで、Wとは以前は仕事上の付き合いがあった程度で、それ程親しい間柄ではなかったが、朝から深夜のタクシーまで丸2ヶ月間、一緒に行動していた関係でかなり親しくなった。

  そんなWが、5月の月締めが終った夜のタクシーの中で、「神童さん、今回の騒動は、最初システム・トラブルによって大混乱が起きたんだと思っていました。でも、対策本部を指揮してみて、そうではないということが良く分かりました。申し訳なかったです」とポツリと僕に言ったのが記憶に残っている。

  事務・システム部会の主要メンバーだった僕には、喩え「事務」の混乱でも責任はあるが、そうでない僕の部下達システム部門の人間達は「システム混乱」と言われることに強い冤罪気分を 味わっていたから、新会社の「事務・システム本部長」のこの一言には、救われる筈だ。翌日僕は事務センターに2ヶ月振りに出社して、朝礼でWの言葉を伝えた。

  緊急対策本部は、念のために6月も継続はしたが、現場の状況も最早4月5月のような未済書類がうず高く積み上がるような店は無くなっていた。現場からの問合せも、6月は内務センターへの応援態勢は組まないつもりだが、それで良いか、という類のものに変って行った。

  Wと僕の中心課題は、H・F2本立ての事務の状況を、どのようにいつ解消させるかに移った。昨年11月に凍結した「F寄せ」を再開するのか、「他の案」を考えるべきか、部下達も入れてWと議論を始めた。「他の案」とは、合併まで1年という制約下で考えて最速のシステム統合と考えて、「F寄せ」と決めた経緯だが、今度はそういうデッド・エンドというものがないのだから、最速より最良を狙うべきではないかといった視点だ。

  「他の案」には、「H寄せ」も、所謂「新幹線作り」も入るのだが、後者はどう考えても不可能だった。新幹線作りには、最低でも数百億円の費用が掛かるが、システム統合でシステム運営費を半減(200億円/年)させないと原資を捻出できないからだ。4月から稼働している「併存型システム統合」では、システム運営費は削減できない。

  従って大きなシナリオとしては、まずは、本来のシステム統合を成し遂げて、大きな統合効果を生み出し、その効果を使わせて貰って新幹線作りを行うというものだ。

  合併前夜までというデッド・ラインがないので、もう一度「H寄せ」も俎上に載せて検討したが、やはり、「F寄せ」の残りの作業量と「H寄せ」全体作業量とを比べれば、圧倒的に「F寄せ」の方が有利であることから、再び「F寄せ」の方針を掲げて1年後を目指すこととした。 

  ところが、この方針に異論を唱え対抗策を宣伝する一派が現れた。1年の左遷を解かれて関西の業務部から本社に戻ったBと、Bのシステム部門の元部下達である。

5月 16, 2016   1 Comment

あるシステム統合(34)

  あの「事務混乱」の直接的原因は書いて来たように、一つは、「内務センター」方式のままH事務が始まってしまったこと。二つ目には、ロケット・スタートに不可欠と言われた合併記念自動車保険のエラー率が9割に上ったことだ。

  その他にも、敢えて三つ目として挙げるなら、物流ルートがスムーズに回らないとか書類在庫が不適切で、それが解消されて月末近くになって一気に様々な事務原票が大量に回り始めた、など、合併に付きものの混乱が「事務混乱」に拍車を掛けたことも挙げられる。

  だが、これらに共通する根本原因が存在する。それは、2001年4月1日という合併新会社がスタートするに必要充分な準備が、会社として果たして出来ていたのかという問題だ。

  全国で一斉に立ち上がった内務センターの大半は、4月1日の合併の日まで、内務センターのメンバーが現場に集まったり、事前研修を受けたり、事務所予定場所を整理したりが行われた形跡がない。

  4月1日、内務センターに出社してみたら、そこは以前の会議室のままだったり、倉庫だったりで、何から手を付けるか唖然としたというようなケースがなんと多かったことか。現場の営業本部長も支店長も、損保事業の根幹を成す保険事務がスムーズに回るように最優先で考えるという伝統は何処へ行ってしまったのか。

  内務センターは、傘下の何店かの事務を請け負う新しいセクションだから、これまでの自店のみの事務ではなくなる難しさを乗り越えなければいけないのに、内務センター要員に内務事務で最も信頼出来る女子社員を当てようとしないのはどうした訳か。

  もう一つの、合併記念自動車保険の発売についても、社員研修も代理店研修も殆ど行われないまま発売したのはどういう訳か。有り得ないことだ。記念商品とは言うものの、両社が販売して来たそれまでの自動車保険は全て売り止めにして、新会社が発売する自動車保険はその記念商品一本にすると言うのにだ。

  合併に向けて会社全体としての準備作業の優先順位が滅茶苦茶だったのではないか。人材を含めて事務体制構築は、本社の中でも現場の責任者の中でも、かなり後順位に置かれたのでないのか。或いは、本社・現場間で、合併に向けたしっかりした意思統一は図れていたのだろうか。

  起きた混乱を会社全体で俯瞰すれば、僕には、起こるべくして起きた混乱だったようにしか見えなかった。

  話を「何故僕が、システム混乱ではなく事務混乱だ」と表明しなかったのか、に戻す。理由は2つと思う。「今思えば」、ということで、当時それ程強く意識していた訳ではないのだが。

  理由の第一は、事務統括部門への配慮だった。僕は、昨秋のシステム統合の方針変更では、事務統括部門が総動員で「F寄せ」事務フローの詳細設計・帳票設計・全国の事務要員配置計画などを精力的に進めてくれていたのに、その全てを白紙撤回に追い込んでしまった。

  そして、残り5ヶ月で、H事務の復活を前提としたH・F二本立て事務体系の設計を強いてしまった。加えて、僕がOKしてしまったばかりに、合併新商品の帳票設計・事務設計までを、同じ期間に昼夜を分かたぬ大変な準備作業を事務統括部門に強いた結果となった。

  仮に「F寄せ」があのまま成功していたら、1年掛けた事務準備は完璧に近かっただろう。それが、充分な準備期間やモデル店実験期間が設けられないまま、合併に突入し「事務混乱」という結果に至ってしまったのだから、「F寄せ」失敗(システム統合方針大転換)というシステムの失敗が招いた結果でもある。

  この混乱は「システム混乱」ではなくて「事務の混乱」だと表明することは、事務統括部門を僕が2度に亘って叩きのめすに等しいから、僕の口から言うことは絶対に出来なかった。

  更に、僕自身も、「F寄せ」検討の中では賛成した「内務センター構想」だったが、「併存型システム統合」に方針を切り替えた時、H事務は「内務センター」方式では旨く行かないことを事務統括部門に伝え忘れたことに一端の責任を感じていことがあったと思う。

  「システム混乱ではなく事務混乱だ」と表明しなかった理由の第二は次の通り。

  エラー率9割にも及んだ前代未聞の自動車保険申込書のエラー保留中のデータが大量に発生して、月締め見通しが全く付かなくなったのだが、合併の4月ロケット・スタートのために、現場に新商品の事前研修を徹底させるべき責任者のW営推部長(後の社長、僕の1年次後輩)が、合併で、「事務・システム本部長」に就任した。

  全国で殆ど新商品研修がなされないまま一斉発売になり、まともな申込書が上がって来ない状況になったと僕が言うのは、Wを公式に僕が責めることになり、組織上内輪揉めのように受け止められプラスは何もないから、というのが第二の理由だ。

  寧ろWには、この全国的大混乱を早急に収めることに全力を挙げて貰い、システム部門もそのために出来ることは可能な限り協力する方針で、混乱と対峙することにしたのだった。

5月 13, 2016   1 Comment