プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 6月 2016

存在証明と不在証明

  40年、システム開発という仕事に携わって来て思うことは、己が組んだプログラムに思わぬバグ(虫=プログラミング・ミス)があり、それが原因でシステム・トラブルを引き起こしたことのないSEは、まずいないということだ。

  新規のプログラムを作成した時は、あらゆるテストを行ってバグを潰すのだが、それでもバグを見付けられずにシステム・トラブルになることは多い。

 テスト・ケースは100%洗出してテストを行ったと思っても、洗出したテスト・ケースは実は100%でなかったり、或いは、折角100%洗い出したのにテスト実施を一つ漏らした、そんなミスが殆どだ。

  更に、システムにある機能追加が必要になり、そのためのプログラム追加や変更を行なった場合、目的の新機能は正しく作動したのに、その時のプログラム追加修正が、思わぬところに悪影響を及ぼして、システム・トラブルとなることもまた多い。

  これは厄介な問題だ。新しい機能を追加して、システム全体を「レベルアップ」させようとしたのに、それが原因で、従来の機能がダメージを受けてしまうのだから、「レベルダウン」となってしまうのだ。そんな機能追加は、大勢が迷惑するから、しない方がマシだったなどと散々な言われ方をされることになる。

  機能追加したプログラム単体だけを、どんなにテストしてもダメだということだ。思わぬところに悪影響を及ぼす可能性があるからだ。そのプログラムが所属するサブシステム単位のテスト実施が不可欠であり、更に、そのサブシステムから他のサブシステムへのデータ接続部のテストが不可欠である。それでもなお心配がある場合は、他のサブシステムの最終アウトプット迄検証しなければならない。

  だがしかし、なのである。その会社で一番の慎重派SE、最も心配性のプログラマーと雖も、そこまで全部テストしたからと言って、「これでバグは絶対に存在しない」と言い切れないのがシステム開発の厄介なところなのだ。

  人間は神ではないからミスをするものだ。だから、バグは存在し得る前提で、2重3重に別のガードをシステムに組込んでアラームを発して、間違ったまま最終アウトプットに繋がらない算段を講じるのが普通だ。だが、それとても、内在するバグがシステム・トラブルに繋がる確率をぐっと低減させるための知恵であり算段であって、確率ゼロには「絶対」にならないのだ。

  テストすることでバグを炙り出すことは出来る。所謂「バグの存在証明」は可能だが、「バグの不在証明」は出来ないということだ(悪魔の証明とも言われる)。バグは全部で幾つあると分かっているなら、その全てが発見されたら他にはもうない、と言えるが、元々幾つのバグがあるか分らないのだから「不在証明」は不可能なのだ。

  何故、こんなしち面倒くさいことを書いたかと言うと、今回(6月20日)、原子力規制委員会が、運転開始から40年を超えた関西電力・高浜原発1、2号機(福井県)の運転を60年迄延長することを認めたというニュースに接して、「バグの不在証明」が僕の頭を駆け巡ったからだ。

  様々な老朽化対策を講じることを条件にしているとは思うが、それとても、システム開発で言えば、テスト・ケースを指示しているようなもので、その対策が「バグの不在証明」になるのか、或いは、全ての老朽化対策を終えた後、どうやって「バグの不在証明」を行うのか、とても心配になったからだ。

  僕が40年間携わって来たシステム開発は、大トラブルと言っても人命には全く影響ない。だが、原発では2度と事故を起こしてはならないのだ。益して、「想定外だった」などという言い方はもう世界が許さない。

  万一に備えて2重3重のフェール・セーフ・ガードは設けられると思うが、本当に万が一の時、そのガードがしっかり機能するかを、どうやって実験(テスト)するのかという単純な疑問がある。実際に高浜原発をメルトダウンさせてガード・システムをテストすることは出来ないからだ。

  数値計算上大丈夫と言われても、実際起きた時、その数値を超えて大事故になるということは有り得ないのか。また「想定外」などと言う事態は絶対起きないのか、という疑問だ。

  川内原発の再稼働のニュースの時も同じことを感じた。だが、それらは、40年という使用年限には至らないもっと若い原発であったが、今回の高浜1、2号機は、本来ならその役割を終えるべき老朽原発なのだ。余計に心配になる。

  原子力規制委員会が決めた安全基準は、以前のものより数段厳しいものという説明がなされるが、「想定外」は絶対に起きないとは言い切れないだろう。「想定外の不在証明」はやはり出来ないのだから。

  原子力規制委員会の委員にしてみれば、己の責任に帰すことになるのだから、本音では老朽原発の運転延長など認めたくはなかったのではないか。しかし、それが出来ない程に国や電力会社から有形無形の圧力が掛かっていたということだろうと推測する。

  稼働後40年を超える高浜原発1、2号機の運転延長が認可されたことで、初めて、運転延長審査の「ひな型」が出来たことになり、「例外」とされてきた運転延長が他原発でも相次ぐ可能性が高まった。「大丈夫」の保証が無いままに・・・

  そして、2度目のフクシマは、日本の世界からの退場を意味する・・・

6月 29, 2016   No Comments

対照的な2人

  6月15日、2つの対照的なニュースが飛び込んで来た。1つは舛添東京都知事の辞任のニュースで、もう1つはイチローの安打数世界記録達成のニュースだ。イチローの方は現地時間の15日だったが。

  舛添都知事は、誰がどう責めようと、誰がどう説得しようと、決して辞めないと突っ張っていて、民進党の岡田党首などは、安倍首相が推薦したのだから首相が引導を渡すべきだ、とまで言い出していた。

  あれだけ追い詰められてもなお、突っ張り続けられる舛添氏の根性に、僕は舌を巻いたものである。あの居座りは、僕ら常人の思いの及ばぬしぶとさだ。一度勝ち取ったトップの座には何が何でもしがみ付く舛添氏の精神構造は、幼い頃の赤貧の生活で培われたとか、マスコミは勝手な分析をしていた。

  沢山ある不適切な流用も夫々の明細は万円単位・10万円単位など、過去の政治家の金の問題と比べて金額があまりに小さ過ぎて、米国の新聞でさえ「SEKOI」と紹介したほどである。一都民としてはそんな小人物を都知事に頂いていることに、どうにもミジメで悲しくやり切れないものがあった。

  彼はヒョッとしたら、不信任案が成立したら、即、議会を解散して、新しい議会で再度不信任され失職するまで都知事を全うし、その間にリオに行くのかなと思っていた。それを思わせる程のしぶとさを見せていたからだが、遂に15日辞任を表明したのだった。

  インターネットで誰かが問題提起していた。舛添氏の問題よりもっと大きな問題だった、石原慎太郎元都知事の行状をマスコミが問題にしなかったのは何故かと。週3回しか登庁せず、それも昼近くで、それ以外の日は石原知事の居所を都の職員が誰も知らない「庁外」は有名な話。

  マスコミは、舛添氏が公用車で毎週末湯河原の別荘に行っていたことを、毎週末東京を離れるのは震災発生等に対する危機管理意識の欠如だと責め立てていたが、少なくても居場所は分かっていた。石原氏の場合は週の半分以上は行方不明だったのに責められなかった。

  飛行機のファーストクラスはけしからんだの、スイートルームは贅沢過ぎるだの、舛添都知事には遠慮なく非難したマスコミも、同じことが当たり前だった石原都知事には何も言えなかった。石原氏が残した新銀行東京。別名赤字垂れ流し銀行に血税1,400億円も注ぎ込んだのに、都知事辞任どころか1円の知事報酬返上も迫られたことがなかった。

  橋下氏もそうだったが、支持率も高く、且つ、気に入らない質問や記事を書く社を記者会見場に入れないなど、強面の知事や政治家に弱く、叩き易い人間は徹底的に叩くマスコミの現状を良く表しているように思う。閉塞感に満ちた都民も国民も、舛添叩きと彼の白旗(辞任)で溜飲を下げた人が大多数だったのではないだろうか。

  少年の頃、将来は政治家になると公言してそうなった舛添氏と、プロ野球選手になると言ってそうなったイチロー。だが、一見この共通項も、そうなった後の目標が全く違った。

  舛添氏は政治家になった後、何を目標にしたのだろうか。政治家として国をどう変えるか、東京都をどう変えるか、そのために日々努力し、自分のビジョン実現をするために大臣を目指し都知事を目指したようには見えない。寧ろ、特別な地位に就いて、選ばれし者だけに許される(と思った)金の使い方をしたかっただけのように見える。

  対して、イチローは、走攻守の全てで超一流の野球選手を目指した。それを国内で達成すると、次なる目標は、メジャーリーグで首位打者を取ることと公言した。それを聞いて周囲は笑ったそうだが、公言通りメジャーリーグで2度首位打者に輝いた。

  2004年には、257本のヒットを放ち84年振りにジョージ・シスラーの年間最多安打記録を破ったり、同年の月間50本以上を2回記録するなどで、全米にイチローの凄さが知れ渡った。それに満足することなく彼は打ち続け、10年連続200本安打という記録も作った。連続ではないが200本安打10回は、あのピートローズに並ぶ。

  そして、今年、日米通算ではあるが遂にイチローは、そのピートローズの超人的大記録4,256本を超えたのだ。それが6月15日だった。今年42歳のイチローは、4番目の外野手として、代打が多くリズム・キープが難しい中たまの先発でも良く打ち、打率は現在3割5分を超えているから恐れ入る。

  彼はどんな大記録を打ち立てようと至ってクールで全て通過点との認識のようだ。過去国民栄誉賞の打診が2回あったが断っている。今回か、メジャー3,000本を放った暁には、3度の国民栄誉賞の話が持ち上がるだろうが、多分断る。まだまだ、それが彼の目指すゴールではないからだ。

  どこまで本気なのか分らないが、50歳を超えても走攻守で超一流の選手でいたい、合算ではなく、メジャーリーグだけでピートローズの4,256本を超えたい、と親しい人に言ったと伝えられているが、イチローが言うと冗談に聞こえない。しかしこれは、走攻守のどれかに衰えを感じたら即引退すると言っているようにも聞こえる。

  超一流選手としての残り時間がどのくらいか、本人を含めて誰にも分らないと思うが、間違いなくイチローは、50歳まで今の状態(超一流の走攻守)をキープすることに目標を置いているのだと思う。

  舛添氏のように高い地位を得て好き勝手をしたいという願望とは、その崇高さに於いて、また、ストイックなまでの、努力する姿勢や準備の姿勢に於いて対極にある目標を示したイチローの6月15日だった。

6月 20, 2016   No Comments

駄洒落

その1  キューバ危機

   1962年10月、キューバ危機発生。米ソ一触即発の全面核戦争
  突入の危機

   社会科の授業中であった。

   先生 「キューバ危機については、皆もテレビ・新聞の報道で
.      
知っていると思う。ケネディー大統領は、昨日キューバ
.      
の海上封鎖に打って出た。
.      何故か。誰か分かる人は?」

  ある生徒がサッと手を挙げた。

  先生 「はい、A君」
  A   「それは、キューバしのぎでしょう」

.

その2  身内

  演奏者の家族か極く親しい者だけで、一般客が一人も来てくれないライブ。

  バンマス 「何だよ。今日は身内だけかよ」
  メンバー 「これがホントのミウチシャン」

.

その3  世界最強

  モハメッ・アリに記者が愚問

  記者 「世界最強は誰と思うか?」
  アリ  「そりゃ、ボクさー」

6月 17, 2016   No Comments

あるシステム統合(52) ― 最終章 ―

  2000年、2001年の会社合併のためのシステム統合という、未経験の大仕事に、己を信じて果敢に挑戦し、見事に失敗したこの経験は、プロ野球の投手が、沢山の勝利よりも、あの一球で負けた試合がいつまでも鮮明な記憶として残る、と言うのに似て、僕の長い会社生活の中で、最も忘れられない痛恨の出来事であった。

  その痛恨の記憶を辿った今、改めて感じていることを記して、長い長いこの物語の締めくくりとしたい。

  合併に間に合わせる、ただその一点で、H社全員を敵に回してまで選択した「F寄せ」。それは、H・Fどちらを選ぼうと、そんなことは小さな問題と思えるほど大きいシステム統合効果(200億円/年)を、何としても合併と同時に確保したかったという強い思いがあったから、「F寄せ」の決断が出来たのだと思う。

  その合併効果を先行投資の資金として、会社発展のバネにすることが出来ると信じて、Kと僕の2人は強引に突進して行った。新しい営業政策実施のための資金、より多くの優秀人材の採用、新しい出店計画も可能になる。他社差別化や競争力強化も大胆に進められるようになる。

  当然ながら、「新幹線システム」(21世紀に相応しい新しい保険システム)の構築も可能になるという夢があった。

  では、この最大の合併効果は一体どうなったか?

  振り返ってみれば、「併存型システム統合」という、システム統合効果を生まない方針への切替えを認めた瞬間に、経営陣からその合併効果獲得の執着が消えてしまったのではないかと思える。

  合併後、再び仕切り直しをした「事務二本立ての解消+F寄せ」計画が終っても、統合効果刈取りの動きが全くなかったからだ。その意味でも半年で「F寄せ」に失敗した責任を改めて感じる。

  システム子会社で出来る統合効果現出として、出向社員130数(10億円/年)を親会社に帰したが、そのまま本体の「システム統括部」の要員が増えただけで、システム要員の削減には繋がらなかった。

  また、「事務二本立ての解消+F寄せ」が終ってもHシステムが残ったままだった。統合効果を生み出すためには、何としても、Hに残る商品システム(長期、積立、新種)を廃止する算段が必要だったが、その動きは止まったままだった。

  もしかしたら、システム統合は大きな統合効果を生むと固く信じて行動したのは、最初からKと僕の2人だけだったのかなと思えないではない。僕らはとんだドン・キホーテだったのかも知れないとも。結果からすると、1年必死に頑張れば毎年200億円の利益が得られる、というのは話が旨過ぎたと言われても仕方ないのだが・・・

  しかし、遠回りはしたものの、会社合併が出来、システム統合も成ったのに、最後まで統合効果が明確にならなかったことは、システム統合に体を張った者としては残念至極であったことは正直に告白しておこう。

  次に、「F寄せ」は何故失敗したか? 

  既に物語の中で書いたつもりだが、2社が合併する時、システム統合を片寄せで行こうと決めたのなら、条件付きではなく無条件片寄せでないと成功が覚束なくなるのに、僕の知らない相手社のシステムに、必要システムを作ろうとしたことがまず間違いの元であった。これは、大いに反省すべきことだが、「オレなら出来る」という自身への過信がそこにはあった。

  第2に、合併まで1年しかない中で、間に合わせるために必死だったのは当然だが、そもそも間に合うという客観的理由なり成算が存在しないのに、その責任者として請け負ってしまったことが挙げられる。

  決して安請け合いではなかったと思うが、会社合併という両社のトップから下々まで非日常的一大事の到来で大騒ぎの中、最大課題とされるシステム統合を何としても成し遂げてみせると誓ったのだった。

  これも僕自身、大きなシステム計画を担い途中で頓挫した経験がなかった(成果が充分出なかったことは勿論あるが)ことから来る自己過信がやはりそこにはあったと思う。

  ただ、会社としてのこの経験は、次の合併では活かされ、合併までにシステム統合を終えるのではなく、「併存型システム」で合併を迎え、その後に、本来の形を目指すようになったことは、隠れた貢献だと思っている。

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おわりに

  あれから15~16年経てみて、あの2年間は、僕の人生の中で最も劇的な日々であり、結果の良し悪しに拘らず、間違いなく自分の人生を彩る重要な一コマであることを実感する。このことを成せるのは自分しかいないとの強い使命感を胸に、夜昼なく正に120%仕事に集中できた最も充実した日々だった。

  そして、元々鈍感力には自信のあった(笑)神童も、あの経験以降、大抵のことには動じない人間になったようにも思える。否、単に年齢を重ねた結果かも分からないが。

  特に、「F寄せ」から「併存型システム統合」への方針変更の説明会では、今の舛添都知事や友人の前都知事のように、大勢から長時間に亘り一人集中砲火を浴びた場面も、誰もが経験できることではないから、貴重な体験だった。

  そして、その渦中にあっても、この合併のピンチを救えるのは、やはり自分だけと信じ自分の方針を貫けたことなど、客観的には最悪の場面も、個人的には全くブレなかったことに今は満足感さえ感じる自分がいることに気付く。

  僕の長い会社生活の中でも、この大仕事の2年間は特別な時間であった。それを、備忘録として残す目的で書いただけである。当初、このシリーズは10~15号で終わるだろうと気楽にスタートしたが、遂に50号を数えるまでに至ってしまった。

  この物語の登場人物は今も様々な世界で活躍している実在の人物なので、実名は伏せさせて貰ったが、喩えそれが誰のことか分かっても、もう15年も前のこととお許し願いたい。

  この長い物語を最後までお読み頂いた方は極く稀で、2~3名ではないかと思いますが、最後までお付き合い賜り心より感謝申し上げます。

 

                  あるシステム統合   ― 完 ―

6月 14, 2016   1 Comment

あるシステム統合(51)

  Mは、僕とLの計画案を腹案ではなく、プロジェクト・チームにそのまま配ってしまったらしい。当然ながら、システムの自動生成だの、SE不要の開発だの、そんな夢物語には乗れないとの反発を招いて紛糾したと言う。

  僕が若い頃の損保初の全国オンラインにしても、その後の分散型事務システム(DOA、中央の大型機ではなく全国の営業店に大量のミニ・コンピューターを設置して実現)にしても、また、パソコンを大量に使って完成させた火新損害調査システムにしても、全て最初から成算があって始めた訳ではなかった。正に「未知への挑戦」だった。

  いや、若い時だけでなく、「未知への挑戦」は、ロードサービスのためのシステムや代理店からの直接計上(ゼロ線入力)など、最近まで(合併の2年前まで)行われていたから、それが、僕らシステム部門の長い伝統となっていた。

  だから、僕らの仕事はいつも「業界初」の付くシステムだったので、ワクワクし寝食を惜しんで邁進したのだが、会社が大きくなると、出来ないリスクを必要以上に意識して安全運転になってしまうのかも知れない。若い彼らには「挑戦」は好ましくない言葉になってしまったのだろうか?

  損保会社はどこも年間数百億のシステム費用を掛けているのだから、「システムの自動生成」が商品システムだけにでも適用されれば、そのコストは劇的にダウンするし、業界他社に大きく先んじることが出来るのに、若いプロジェクト・メンバーは、やる前からリスクが大き過ぎるとか、絶対不可能と思ってしまうらしい。

  それから1か月後、出来上がったという彼等の計画案がMから送られて来た。可笑しいのは、A3判に書かれた説明のビジュアル的な流れや、表現の仕方だけは僕らの案がチャッカリ採用されていたが、中身は最初からの彼等の主張のままだった。

  僕はLと話して、これ以上は僕らが若い彼等を支援出来ることはないから、後はMに任せようと決めた。そして、彼等のシステム計画が承認されたら、子会社でプロパー社員に思い切り頑張って貰ってそのシステムを実現しようと申し合わせた。  

  僕は、子会社の社長として、プロパーSEの自立と能力アップを図って来たが、肝心の大規模開発の機会に恵まれない。SEは技術者と括られてしまうが、実はメンタルの強さがあって初めて大成するのだ。それには大きなシステムを俺が作ったという自信と、その開発中に幾つもの修羅場を経験して遂に遣り遂げるということがないと、腹の座ったSEにはなれない。

  従って僕は、計画がどういう中身だろうと、大きなシステム開発の機会が訪れることを渇望していた。だが、幾ら待っても、Mから新システムの開発にGOサインが降りたという連絡がない。W社長のメガネに叶わなかったのだろうか。Mに聞くと「時期尚早とされた」とのことだった。それ以上はMも言わないので真相は分らないが、却下されてしまったのは間違いない。

  Kと僕との6年越しの「新幹線システム」の夢は遂にここに潰えた。「F寄せ失敗」と「新幹線システム計画の消滅」と、二重の意味で戦友Kの期待を裏切ったことになる。尤も、その時点でKは既にベンチャー企業の代表に転身していたのだが・・・

  次に新システム開発の機会が訪れたのは、僕が退職した後だった。再び会社合併・業界再編の第二波が起き、生保系損保会社と合併が決まったのだ。そしてその合併後、旧来のシステムを捨てるために、新しいシステムを構築して一本化しようとの経営決定が成された。

  僕の知っている旧H社のメンバーも、勿論、プロパーSEもその開発に駆り出されてかなりの金額と、かなりの時間を投じて開発したが、最終的には旧システムを完全に捨てるまでには至らず、益々複雑怪奇なシステムとなったと担当者達から聞いた。

  あの多額を投じた銀行システムよりも、もっと大きなサイズとなっている損保システムを、従来工法で再構築しようと思っても、その遥かなる天文学的開発工数を正確に把握管理し、遅滞なく進めるのは最早不可能、人智を超えているということを証明したと思っている。

  その後、更に、他の大手損保と同一グループとなり、グループ横断で(グループ内の2損保で)、共通の新システムを構築する計画が動き出し、1,000億円を超える費用を掛け何年も掛けて作り上げたという。それでも、その新システムに載り移せないシステムは旧来のまま残るというのだから、効率化を目的にした開発ではなさそうだ。

  多分、古いビルを壊して新しいビルに立て直す感覚なのだろう。それがおかしい。新システムは従来にない新しい価値(コスト効果、新しいビジネスモデルの実現、品質向上、etc.)を生まないなら、意味のない投資、つまり無駄使いなのだから、それは止めて古いシステムのまま使うべきなのだ。

  SEの世界にも、革命児が今ほど待望される時はないと思う。安全第一と称して新技術に消極的となり、従来工法で、マンモスのようなシステムを作り直すのは不可能だし、それに掛かる費用の捻出もそろそろ金融機関と雖も、そのキャパシティーを優に超えるだろう。

  もっと言えば、保険会社は善良な市民から保険料を頂いて、いざという時に支払う保険金に備えている。その貴重な保険料から1,000億円ものお金を、大した価値を生まないシステムに投入するくらいなら、保険の値段を安くして善良な市民に返すべきだ。

  システムの自動生成でなくても何でも良いのだが、従来工法では最早、今の時代にマッチしていないのは明らかだ。「損保業界に、真の革命家SE、いでよ!」である。

6月 14, 2016   No Comments

あるシステム統合(50)

  僕とLとで作った新システム計画の詳細内容は、今となっては定かではないが、「システムで会社を変える」という点では、凡そ次のような世界を作り上げることを目的としたと記憶している。

  21世紀の損保を考えた時、これまでと違い、システム部門が全部用意した仕組みで、全国の社員が仕事をするのではなく、PCやITを使いこなすことが社員たるものの必須スキルになることを前提に、所謂「Do It Yourself」の世界を実現することだったと思う。その具体的イメージは2つ。

  1つは、全国の店舗内のシステムだ。端末画面に沿って操作する保険事務システムや代理店システムは、比較的新しいシステムだし、業界を見回しても先頭集団にいると思うので、寧ろ、営業店内の情報系システムの構築にフォーカスを当てた。

  営業上必要な企画書作りや自店の様々な分析、店の年次計画策定、日々の営業部別・店別・担当者別の売上げ状況の把握、管下全員で共有すべき事項・通達などの登録、稟議決済の電子化など自由に出来るよう、システムはデータ提供(リクエストで必要なデータ群を送信)することに徹し、それを受け取った後はPCで自由に加工出来るようにするものだ。

  但し、個人情報等セキュリティー対策には工夫が必要で、その対策も当時の最新の方式の導入を盛り込んだと思う。また、全国の社員へのIT研修もセットで行うような提案だった。

  もう1つは、保険会社へのコンピューター導入以来、一貫して、本社各部門の要請を受けてシステム部門がシステム対応を行う形でやって来たが、このことが高コスト・システムにしている大きな理由である、との認識に基づく提案である(計画の本論は寧ろこちら)。

  1980年以降、銀行の第3次オンラインは総額1,000億円掛かった、だの、銀行が市井のソフトハウスのSEを金に糸目を付けずに集めて手放さないとか、僕からすれば異常なシステム投資が目に付いた。一般の産業界でそんな膨大な額をシステムに使う企業はなかった。金融機関と言われる業界の尋常でないシステム投資額は桁が2つ違っている。

  銀行業界ほどではないにしろ、損保も保険の自由化以来、企業間競争が激しくなると、システム対応数が累乗で増加して行った。社員SEでは全く足りず、外部戦力(ソフトハウス)を大量に使うことになった。それは全て高い人件費だから、システム費用は右肩上がりである。どの会社も2~3年で倍の年間システム費となったのだった。

  僕とLは、これまでは大量のSEを使ってシステム開発していたのを、ホンの少数のSEで同じことが出来てしまう、そういう新時代を、この新システムで切り拓くと、計画書に明記した。

  即ち、本社側の対システム窓口には、SEに伝える細かい要件を、SEにではなくPC端末に一定の様式に沿って伝えると、システムが自動生成されるという挑戦的・意欲的課題だった。

  「システム部門に依頼する人、そのシステムを作る人」という関係を一新し、「システム部門に依頼する人=作る人」に変えるのだ。これが実現すれば受注生産型のSEは不要となり、SE人件費が大幅にダウンする。

  以上、営業店の情報系「Do It Yourself」システムと、システムの自動生成の2つは表の目的だが、裏の目的、即ち、SEの能力とコンピューター設備能力の向上は下記の如くになる。  

  ここ5~6年、1人で細々とだが、そのシステム自動生成の研究をさせて来た男がいる。僕も頻繁に彼の研究の現状を聞いて来たこともあり、もし、新システム作りのチャンスがあるなら、必要な開発費を確保して、一気に開花させたいと思っていたのだ。

  全てのシステムが自動生成出来るようになるのは、何年も先だろうが、毎月のように依頼をしてくるセクションの依頼に限れば、生成するシステムの対象なり範囲が限定されるので、そういうセクションで、SEを介さないシステム作りをまず実現したいのだ。

  そして、その中心となるのが商品システムだから、それがこの新しい考え方のシステムに切り替わることを意味する。結果として、新システム・プロジェクトが言っていた古いパッチワーク・システムの代表である現行の商品システムは、その役割を終えることになる。

  設備面について言えば、全店で大量データが飛び交うことになるから、全国の営業店とセンター・コンピューター間で結ばれている回線容量を桁違いに大きなものに入れ替えないといけない。

  これが出来れば、それまでFAXで報告していたようなものは全てPCからの伝送で良いようになるし、社内電話もその回線を共用できるかも知れない。全国の営業本部長を集めて行う毎月の営業戦略会議や全国業務部長会議なども、その太い回線を使ってテレビ会議で可能になるし、社長の説示なども、リアルタイムで全国全社員が見ながら聞くことが可能になる。

  そういう様々なことを次々と実現して行けるインフラをシステム部門が手に入れられることは、SEの能力向上の舞台が揃うことを意味する。

  僕はこの計画書(と言っても、A3判1枚に 現状の問題意識から、システム開発の目的、当システムによる会社構造の進化の姿、必要な技術開発、計画実現で解決される不随の問題点、スケジュール、費用概算をコンパクトに纏めたもの)を同期のM常務に提出した。

  彼は、「なるほどね。オレも一応経営の末席にいるからサ、こういうのを見ると凄く良く分るし、懐が許せば是非やって欲しいと思うよ」と、お世辞だろうが僕等を労ってくれた。

  ところが、やがてこの新システム計画案も没になる運命となるのであった・・・

6月 13, 2016   No Comments

あるシステム統合(49)

  何か雲行きがおかしい。システム統括部内のプロジェクト・チームとシステム子会社の対立になっている。行司役にでもなったつもりか、システム統括部の部次長の発言は殆どない。僕らはオブザーバーなのだよ。

  だが、会議室の全員が僕やLの発言を待っている。Lに答えさせると更に彼等を刺激すると思い、気が重いが僕が話すことにした。

  「皆さんのご指摘の問題点は確かにあるが、システム・メンテナンスについては、現在システム子会社で全面的に請負いながら、この4年間の改革でプロパーSEの志気と能力が相当に上がって来ているので、新システムが完成するまで何とかやって行けると思っている」

  「だが、皆さんが、数年の内に新システムで現行システムを置き換えてくれるなら、それは大歓迎である」とソフトに言った。

  子会社のシステム・メンテナンスの大変さを心配しないで、新戦略システムを早く作ってくれと言ったつもりだ。だが、それは、彼等が新システムの目的としていた「現行システムの修繕」は不要ということと同義だった。

  件のプロジェクト・リーダーは更に、「現行システムが会社の期待に応えられなくなっても、神童さんは平気なんですか? 責任は取れますか?」とか、「それは我々システム統括部の責任になるんです」とかの言葉が返って来た。

  そのつまらん責任論には流石の僕も腹が立った。システムの全ての責任を負うのは本隊のシステム統括部に決まっているだろう! もうオブザーバーとかの立場を投げ捨てて、システムの先輩として彼を叱った。

  「システムの責任というのは、そんなチッポケな保身を言うのではない! システムでどれだけ進んだ保険会社にすることが出来るかどうかが本当の使命であり責任なのだ。それが出来れば良し、出来なければ首を覚悟するということだ」。

  更に続けた。「どっちが責任取るかなんていうレベルの発想しか出来ないなら、次期システム構築に命を張るなんて仕事は土台無理だよ。止めて置いた方がいい。責任を問われることもないからな」。

  遂に、システム統括部長のD(F寄せシステム統合を一緒に行った当時のH側次長)が口を開いた。「神童さんなら、どういう組立てにしますか?」と。何だかんだと言っても、彼が組織の長として新システム計画の責任者になるのだから、流石に良い質問をして来た。

  「新システムを会社に提案するには、表裏の2つの明確な目的を持たなければいけない。まずは表の目的。そのシステムで会社がこう変わるという明確なビジョンが必要だ。それには、現在の損保各社の最先端の状況が何で、それを超える世界を目指すこと。それに必要なシステムを考えること。そのメリットが計数化出来るものは数値を明確にして、経営に約束すること」。

  「裏の目的は、その実現のために、新たな技術を試し導入する絶好の機会とすること。先程から話題になっている、長い間使っているとシステムがパッチワークの産物と化す問題は、新システムで置き換えることで解決出来る。それは目的ではなく結果だ」

  「システム部門として、新システム開発をチャンスとして、システム要員及びシステム設備の両方の能力向上を図ることが裏の目的だ」と僕は説いた。

  しかし、その後も1~2回同じ会議に出席したが、思わしい内容にならず、M常務から相談を受けた。「神童がもし今、計画を立案するとしたらどういう議案になるか、こっそりオレに提出してくれないか」と。それを腹案にして、彼等をリードしたいということのようだった。

  同期のMを助けるためにそのことは了解し、話題を変えて僕が聞きたいことを切り出した。「W社長の各部門の中期計画策定命令は是だが、新システム計画のための費用をWは幾らくらい覚悟しているの?」と。Mは、「その点は、計画の中身が確定してからと思っているので、こちらから聞いてはいない」とのことだった。

  僕は彼に、「まず、そのことを確認しないと、幾ら計画を詰めても無駄になるんじゃないか? 百億か2百億か3百億かで計画の中身が全く変わってくるし、数十億のレベルだったら、それこそ、新しいシステム機能のみ追加開発するだけで終わるのだから。非公式で良いから、その点を早急にWと話した方がいい」とアドバイスした。

  彼も、「確かに、ギリギリ計画を詰めさせた上で、金がないから中止では話にならないからね。だけど非公式にしても、こういうことを考えているので、大体このくらい掛かるがどうか、くらい言えないと話にもならない。なので、神童素案を宜しく」と返して来た。

  それから2週間、子会社の業務を放って、計画案作りに邁進した。僕とLとの久し振りのシステム計画作りだった。 

 

6月 10, 2016   No Comments

あるシステム統合(48)

  新システム構築プロジェクトの若いSE達が、1ヶ月掛けて纏めた中期システム計画のレビューを行うという日に、僕の片腕だったLと2人で本社に出向いた。会議室に入る前に僕はLに言った。

  「今日は、飽く迄オブザーバーだから、彼等の計画を聞くだけにして余計な発言は極力控えよう」と。僕やLが計画について何か言うと、若い彼等はそれに引っ張られて主体性を失うと思ったからだ。

  次期システム計画案について、ペーパーを配布した上で彼等の説明が始まった。計画のシナリオは、現行システムの問題点から、その解決策、開発スケジュール、費用見積りと続いていた。

  説明が、終わり、「システム統括部」の部・次長たちヒヤリングする側が質問をして、プロジェクト・メンバーがそれに答えるという形で時間が過ぎて行った。誰か指摘するだろうと思いながら、僕はひたすら黙ってそのやり取りを聞いていたが、肝心なことを誰も言わない。最後にMが、「神童、この計画案について、貴君の感想を聞かせて欲しい」僕に振って来た。

  「オブザーバーが余計なことを言わない方が良いのだが、それでは一言だけ」と断って、この案の最大の問題点を質問の形で投げた。「100億円単位の計画にしては、このシステムが実現すると会社はどう変わるのか、どういうメリットが期待出来るのか分からない。経営陣もそこを知りたいと思うので、教えて貰えるか?」と。

  プロジェクトのリーダー的な役割の男が直ぐに反応した。「神童さんが嘗て、経営者にとって好ましい計画を作って決裁が下りたけれど、その開発に当った我々はいつも大変な状況に追い込まれました。そういうのは二度とゴメンなので、私たちは充分成算のある範囲で計画を立てました」との答えが戻って来た。

  彼は嘗て、僕の天敵Bのチーム・メンバーだったので、僕の質問に反発心を隠さず答えたのが良く分る。僕もここで妙な議論をするつもりは全くなかったので、「老婆心ながら、使う額の大きさに比べて、そのフルーツが経営者に見えない計画では通るものも通らない。その点を更に明確化した方が良いというアドバイスだ」と結んだ。

  会議の後、Mと少し話した。彼は「神童ありがとうな。神童の言う通りあの計画では、W社長以下に『それで、何を経営に返してくれる?』と言われてお終いだよね。システムの素人のオレではなく、貴君の口から言って貰って漸く気付いたと思う」と言った。

  僕は、しかしそれはどうかな? と疑っていた。あのリーダーが僕の指摘に素直に従うとも思えなかったからだ。その懸念は、後日行われた二回目のシステム計画ヒヤリングで当ってしまう。

  プロジェクト・チームからの2回目の説明会でのこと。僕が思った通り、会社にとって何が良いのかは不明のままだった。前回と違うのは、現行システムの問題点が解決されれば、システムは、より迅速に本社各部門のシステム要望に応えることが出来ることが明確に書かれている程度だった。

  そのことについて、「システム統括部」部長や次長たちシステム部門の執行部が何も言わないのは何故なのか? もしかしたら、彼等も(F出身者も)システム計画を経営に提案するという経験はないのかも知れない。筋が良いかどうかも判断が付かないのだろうか。

  しかし、だからと言って今や僕やLは、そういう指摘をする役割ではない。僕らの役割は彼等の戦略システムを,子会社のSE集団で開発し実現する役割なのだ。Mも執行部の彼等に期待しているのかいないのか、再び、僕に振りそうな気配だ。

  Lが、喋っても良いかと僕にサインを送って来た。これでは議論が進まないのでOKサインを出した。「言いたくないけど、これは中期計画でも戦略システムでも何でもない。100億使って今のシステムを修繕させて欲しいと言っているだけではないか」

  「一言で言えば、100億頂いて、もっと楽に仕事を進められるようにしたい、という計画だ。個別の部門が楽出来るように100億を払う経営者がいると思うのか?」。Lは、確信を突いているが、選ばれし者たちの面子を思い切り木端微塵にする指摘を行なった。

  プロジェクト・メンバーが皆苦虫を潰したような顔をしている。流石にM常務が口を挟んだ。「それはそうかも知れないが、プロジェクト・チームも今のシステムの状況を変えないと、新しいことにはとても踏み出せないと思っているんだろ?」と助け船を出した。

  それに力を得たか、件のリーダーが強い口調で発言した。「神童さんやLさんは、メンテナンスも簡単に行かない現行システムの酷い状況がお分かりですか? そこを解決せずに先に進むなんて、僕等には考えられません」と。

  Lが激しい剣幕ですかさず言い返す。「あのな、システム・メンテナンスを行っているのは君たちじゃなくて、我々子会社の方だ。毎日その現場にいて対応しているのは俺達だ。何も苦労していない君に言われる筋合いはない!」と捲し立てた。

6月 8, 2016   No Comments

あるシステム統合(47)

  残念ながら、次世代システム構想のような大規模システム計画が、トップからその枠組みや狙いを提示されたことは、これまで1度も無かったので、構想から具体設計・費用見積り迄全て僕らがゼロから組み立てて、経営者に提案する形だった。長い間そうして来たから、僕も特段不思議とも思っていなかった。

  それは多分、それまでの古い世代の経営者たちには、システムを考えることに無理があったのかも知れない。全てをこちらで自前で考え、経営者に説明し、沢山の質疑応答の中で理解して貰うしかなかった。

  僕の師匠(当時部長)に同行して、初めて僕が取締役会でシステム計画(営業店事務システム=所謂DOA計画)の説明をしたのは課長になり立ての頃だったのだから、今思えば奇妙な図だ。当時の経営者から見れば、30過ぎの若造が、「こういうことをやってやるから何十億円出せ」と迫っているのだから、さぞかし腹立たしかったろうと思う。

  しかし、X社長が専務の時代にシステム部門の担当役員を務められた時、部長だった僕と、「システムを使って会社を変える」というテーマで喧々諤々の議論をした。

  その成果として、当時、どの損保会社も行なっていなかった、ロードサービスや代理店から契約計上を行う(ゼロ線計上と呼ばれた)新代理店システムを世に出したりすることが出来た。X氏の次の社長のWも、既に述べたようにシステム部門を3年間経験して沢山の経験をしている。

  そういう意味で、システムが分かる21世紀型経営陣となったのだから、僕が孤独な使命感の中で、経営者を頼りにせずに、システム計画を纏め上げて来たようなやり方は、今後は変わる期待はある。

  Mに言われて、何百億円も掛かるシステム計画は、本来的に基本枠組み(目的・狙い・実現機能、費用枠など)はトップダウンであるべきだと、改めて気付いた。システム部門はその基本枠組みをどう実現するかの具体化計画・具体設計を担うべきだと。

  さて、その「新幹線システム」を纏めて経営に提案するチャンスが、漸く2006年に巡って来た。ある時突然Mから、システムの中期計画を立てないといけないので、「システム統括部」の中にプロジェクトを立ち上げる。ついては、申し訳ないけど、神童もオブザーバーで出席してくれないかと連絡があったのだ。

  聞けば、W社長から、各部門の中期計画(3か年計画)を纏めよ、との指令が降りたとのことだった。Mは2005年度末(2006年3月)に、彼が担当役員(常務)を兼務している損害調査部門の中期計画を役員会に提出し、経営論議の結果それが通った。そのことがキッカケだったかどうか、W社長はその後直ぐ各部門に中期計画策定の指令を出した模様だ。

  だが残念ながら今回も、システム計画の枠組みや、こういうシステムは出来ないかといった希望のようなものはないと言う。勿論、開発の概要予算も示されてはいない。

  Mが言うには、旧H・旧F出身の精鋭SEをプロジェクト・メンバーに選んだという。時代は移って、旧H出身SEと言っても、僕が部長時代に共に計画作りを行なった信頼していた部下達よりも一気に若返っていたので、彼等が次期システムの計画を作れるのか否か、少々心配な部分がないではなかった。旧Fのメンバーは良く知らない。

  まぁ、それでも、僕が初めて取締役会で計画の説明をしたのとほぼ同じ年齢の彼等だから、寧ろ良いこととMのプロジェクト・メンバーの選抜方針を僕は是としたし、若い彼らが何を主張するのか楽しみでもあり、期待もした。

  もう1つ気掛かりは、合併の年に提出した事務一本化&新システム計画で提案した、システム統合で生まれるシステム費用削減分を使って新システムを開発するというシナリオだったが、それが崩れてしまっている現在、数百億円のシステム開発原資はどうやって確保出来るのかといった疑問である。

  ここまで、システム統合効果は当初描いていたような分かり易い成果とはなっていないのだ。当初描いたシステム統合効果(システム費用削減効果)は大きく3つから成り立っていた。

  その1、人員及び外部戦力半減による費用削減。その2、大型コンピューター他システム装置群のコスト半減、そしてその3、2社分のコンピューター・センター(事務センター)及びバックアップ・センター(関西)の片方(1社分)の廃止によるコスト削減、これら合計で最大年間200億円のコスト・ダウンを見込んでいた。

  だが、今も積立保険は相変わらずHシステムに残ったままで大型コンピューターも付帯設備も削減されていないし、システムの要員も1~2割ほど減少しただけなので、思った程の大きな成果とはなっていない。但し、事務センターの一本化だけは辛うじて完了している。

  しかし、次期システム計画がなかったため、それらの費用削減分はその時点で会社に戻してしまっており、その後はそれを含んで会社全体の費用計画となって常態化しているので、最早それを原資にとは言えない。次期計画の費用は自前でも捻出できない。であれば、今の経営状態の中ではW社長は幾ら出すのか、出せるのかだ。この辺りはMに確認しよう。

6月 7, 2016   No Comments

あるシステム統合(46)

  Wが社長に昇格した時、彼の後任として僕と同期入社のMがシステム担当役員に就任した(損害調査部門の担当役員を兼務)。Mも僕を頼りにしてくれたから、子会社を含めてシステム部門全体の現状を丁寧に説明し、僕の感じている問題点を率直に伝えた。

  問題点はまず、システム統合をしたのにHシステムの大型コンピューター(Hホスト)が残ったままなので、統合効果に繋がっていないこと。残っている理由は少量多品種(新種保険)の「F寄せ変換」作業が膨大なことと、積立商品システム(長期保険)の統合が出来ず、Hホストで稼働させて置くしかないという理由だった。

  だが、前者は1~2年掛けて着実に進めていれば、既に移行が終っていた筈であること。積立商品はHとFでは保険の中身が違うので、Hの積立商品システムをFに再開発すれば移行出来るのだが、それでは積立保険システムのメンテナンス・ラインが2本立てになるだけで本来の統合にならないだけでなく、その再開発そのものが大規模開発になる。

  これをシステムだけで解決しようとしても無理で無駄なこと。解決策としては、生保では当たり前の「新商品への乗り換え」を顧客に強力に勧めて、旧商品を閉鎖することしかない。旧商品を解約して新商品(この場合Fの積立商品)に新規加入して貰うのだ。勿論、乗り換えで顧客に有利になるよう手立てをした上でだ。

  これを実施しない限り、Hシステムに残ったままとなる。Mには、是非とも商品部門に働き掛け、且つ、営業推進部に乗り換えの旗を振って貰うよう交渉をして、会社の経営施策として本件推進して欲しいと伝えた。

  問題点その2。子会社に出向していた100数十名の出向解除を行なったものの、その全員が本体の「システム統括部」に在籍し続けているので、人件費の上では合併しても全く削減効果が出ていないこと、更に、「システム統括部」はH・F両社のシステム部門が一緒になったのだから、半分とは言合わないまでも少なくても総合職の1/3は他部門に移動させられる筈と指摘した。

  IT全盛の時代、システムの素養を有した者が、本社他部門で歓迎されない訳がないし、どの部門もPCを駆使して日常業務をこなす時代だ。SEの活躍出来る異動先を確保するようにMに頼んだ。

  3つ目は、外部戦力(ソフトハウス)の単価やハード(コンピューター等)の単価の調査・見直しの件だ。システム子会社が使っていた外部戦力(全てFシステムの戦力)の単価が、H・Fを比較するとFが2~3割方高かった(同じ損保業界だから、同一のソフトハウスを使っているケースも多かったので比較し易い)。

  そこで、旧H社時代にその点では最も厳しい交渉をして実績のあるL君に陣頭指揮を執らせ各社と個別交渉して貰った結果、同一レベルになり、その削減分年間約2億円は既に親会社にフィードバックしている。

  しかし、外部SEの単価交渉を進める事だけでも、FシステムのプロパーSEにとってはカルチャー・ショックで、その後の仕事がかなりやり難くなるのではないかとの強い懸念の声が数多く上がったほどだから、「システム統括部」の外部戦力は手付かずではないかとMに効率化のヒントを与えた。

  そして、最後に最も重要なことをお願いした。基幹システムは「F寄せ」を行ったが、今後の損保業界の競争力の観点で見た時、「Fシステム」が有望だから「F寄せ」したのではない。競争優位に立てるシステム開発計画を早期に立ち上げる必要があると力説した。

  この頃になると、僕の中では親会社の競争力拡大のための新システム開発ということよりも、もっと切実な理由が生まれていた。即ち、システム子会社はプロパー社員が自立してシステム・メンテナンスや小規模開発は出来るようになって来たが、残念ながら、本格的な大規模システム開発の機会が皆無であった。

  本来、そういう開発から得られる経験やノウハウ、修羅場を抜けた自信などが頗る大事なのだが、そういう機会がなかなか訪れない。僕としては、彼等プロパー社員が自立したSEとなる環境は作ったが、中身を埋める舞台がどうしても欲しかった。

  更に言えば、「システム統括」のメンバー達も、ここ数年は2000年問題とシステム統合だけで、新しい価値を生むシステム開発を行っていない。これは、ある種システム部門としてはSE達の成長を止めてしまっている危機的状況なのだ。

  Mはかなり真剣に僕の話を聞いてくれた。そして、新システムを実現したいので、神童是非協力して欲しいとまで言ってくれた。もしかしたら「新幹線」が相当遅れたけれど遂に出発出来る時が来るかも知れないと、僕も期待した。

  ただMも、数100億円を掛けるようなシステム計画を、システム部門が主体的に考えるということに驚きを隠せないようだった。つまり、他部門が次の計画として経営会議に諮かるのは、通常100万円単位、精々1,000万円の計画だからだ。桁が3つも4つも違う大計画は、経営陣が徹底的に考えた上で、所管部門に指示するものと思っていたようだ。

 

6月 6, 2016   1 Comment