プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 8月 2016

第24回 ライブ イン グレコ

暑気払いのビールが格別な暑い盛りです。例年に比べればこれでも凌ぎ易い8月の気温だそうですが、皆さま如何お過ごしでしょうか?

「のどごし生バンド」は、夏の暑さにもめげず、年齢にも負けず、果敢にグレコ
24回目のライブを開催致します。是非是非、お越しください。

日時  9月17日(土) 6時開場、7時開演

場所  新子安 「グレコ」

出演  のどごし生バンド

    (ジャズ、オールディーズ、Jポップ、ラテンetc. 即ち歌謡曲以外全て)

料金  無料  飲食代は別途(店のメニュー通り)

* このライブの次は、12月17日(土)のクリスマス・ライブ(第25回ライブ
.  @グレコ)となります。

2016.09.17 グレコ ライブ チラシ

8月 26, 2016   No Comments

逆転勝利

  スポーツで最も劇的なことは、終了間際の大逆転劇ではないだろうか。その典型は、野球で言えば、2アウトからの「逆転サヨナラ満塁ホームラン」だろう。

  3点差があり、あと1人抑えれば勝った試合に、その1球でサドンデスになってしまうのだから、やられた方はたまったものではないが、勝った側は応援していた者達も、その瞬間、身体全体に喜びが噴出する。

  とは言え、こんな絵に描いたような逆転劇はそうそう起きないから、起きた時は奇跡に感じるのだ。

  今回のオリンピックで、日本選手は、正に奇跡のような逆転劇を幾つも見せてくれた。メダル獲得数が過去最高とか言うが、僕は、これだけ多くの逆転劇を演じてくれたオリンピックの日本チームに、何度も歓喜を味合わせてくれてありがとうと言いたい。

  その始まりは、錦織の準々決勝だった。相手は格下(世界ランク11位)のガエル・モンフィス (29= フランス)。セットカウント1-1からの第3セット目だった。どちらもブレークを許さず、ゲーム・カウント6-6。タイブレークに入った。

  タイブレークは先に7ポイント取った方が勝ちだ。ところが、好調だったのはモンフィスの方だった。一気に0-4とリードしたのだ。あと3点で錦織は敗退という流れになった。

  そこで持ちこたえたのは流石である。錦織が3ポイント連取してセット・カウント3-4と盛り返した。だが、あとが続かず遂に3-6でモンフィスのマッチポイントとなってしまった。

  僕も中継を見ていたが、錦織は遂に負けてしまうのかと正直思った。だが深夜まで見ていて本当に良かった。ここからが奇跡の大逆転劇だったのだから。

  そこから錦織が3ポイントを連取して6-6(デュース)に追い付き、勢いの出た錦織は更にポイントを得て逆転のマッチポイント7-6。最後は相手のライン・オーバーでゲームセット(8-6)となった。何と何と5ポイント連取の離れ業だった。

  相手のマッチ・ポイント(3-6)からの絵に描いたような大逆転だった。正直、そういう力があるなら、もっと前の段階で勝ってくれよ、とテレビに向かって呟いたような気がする。

  このゲームのリプレーではないかと思って見たのが、バドミントン女子ダブルスの決勝だった。タカマツ・ペアは、長身2人組のスウェーデン・ペアと死闘を演じた。世界ランク1位のタカマツ・ペアだから、苦戦はしても最後は力の差で金メダルだろうと予想しながらのテレビ観戦だった。

  だが、第一セットは接戦の末に敗れ、第二セットは簡単にとって、セット・カウントはイーブン。さてさて、最終セットは大接戦だ。どちらかが抜け出そうと2点差までは先行するが直ぐ追い付かれるシーソーゲームだった。そして終盤、16-16から3ポイント連続でスウェーデン・チームに奪われ、16-19と日本チームは絶体絶命に追い込まれる。

  21点先取でセットを奪えるのだから、タカマツ・ペアはもう後がない上に、最終盤での3点差だ。それも連続で与えた3点。流れはどう見てもスウェーデンだった。ここからあの怒涛のような5ポイント連取で一気に金メダルを奪い取ったのだから凄まじい。

  今までのオリンピックなら、あの16-19から粘りに粘って惜敗し、「良くあそこまで頑張った。立派な銀メダルだ」となっていただろうか。

  勝利後のインタビューで2人は言っていた。「私たちが一番強いんだと自分に言い聞かせた」「前日の伊調選手の最後まで諦めない姿が浮かんだ」と。その女子レスリングの初日は、3人の女子選手全員が全員、決勝で最終盤ギリギリの逆転勝ちで金メダルに輝いた。

  そして、男子体操の内村の個人総合連覇もそう。最後の鉄棒を残して0.9ポイント差だった。僕のような素人にはその大きさがどれ程なのか分かり難かったが、元選手の解説者達には逆転はほぼ不可能という数字だったらしい。それを逆転してしまうのだから、正に「逆転サヨナラ満塁ホームラン」だった。

  卓球の男子団体決勝でも、水谷が過去一度も勝ったことがない中国選手に逆転勝利し一矢を報いた試合も、日本チームの大逆転劇の一つとして挙げない訳には行かない。

  この試合も、錦織、タカマツ・ペアと同じく、やはりマッチポイントを握られてからの5ポイント連取による逆転勝利だったのだから。何か5ポイント連取が逆転のキーワードみたいだった。

  これだけ沢山の逆転劇を演じた日本選手達。僕は、大舞台でギリギリ追い込まれたところで120%の力が出せる、新しい世代、新しい時代を感じるのだ。これまでだと、オリンピックに入れ込むあまり、本番で平常心で戦えず、普段の力が出せずに敗退する有力選手の方が圧倒的に多かった。

  多くの選手が「(力の)全てを出し切ろうと思った」「出し切れて良かった」というコメントを残したのも、今回の若い選手たちの共通語だったように思う。オリンピックの舞台でも臆することのない図太さ、大舞台で大逆転できる心の強さ、飲まれるのではなく相手を飲み込む自信等など、今時の若者は凄じい。

8月 25, 2016   No Comments

イチロー

  3,000本安打にあと9本と迫ってから23日、2本に迫ってかは8試合掛かってやっとというか、遂にメジャーリーグ3,000本安打を達成した。

  あのイチローのことだから、3,000本と言っても淡々と、単なる3,000本目のヒットというくらいの位置付けで、軽々と達成してしまうだろうと思っていたのだが・・・

  それは3塁打だった。味方ベンチからチームメイトが全員3塁上のイチローの下に駆け寄った。もみくちゃになった。会場の観客も総立ちだ。相手選手も拍手して祝福している。それを見ていて、イチローの成した偉業は途轍もないことなのだと改めて思った。

  次打者のヒットでイチローはホームインして、ベンチに戻った時、イチローは監督とハグした。というより監督がイチローを抱き止めたように見えた。特別の時を感じさせた。

  そして、ベンチに座ったイチローはサングラスを掛けたが、その頬を伝う涙をテレビカメラは大きく映し出していた。

  イチローが泣いている。もうそれを見ただけでこちらの目も潤んでしまった。残り9本になってからの23日間の彼の苦悶が、画面を通じてダイレクトに伝わって来たからだ。

  6月には3日(3試合)で11安打(13打数)放ったあのイチローが、9本打つのに約1か月苦しみ抜いた。イチローに取っても、3,000本は単なる通過点でなく、初めて感じた大きな大きな金字塔だったのだろう。

  殆どプレッシャーとは無縁のように見えた、これまでのイチローとは明らかに違っていた。イチローも人の子だったと感じた瞬間だった。本人も試合後のインタビューで、「身体の中は赤い血が流れています。決して緑色じゃないですから」と言っていたっけ。

  僕がプロ野球をテレビなどで見始めたのは、川上哲治が巨人の4番を打っていた時からだから、55~57年も前になるが、プロ野球でこれほど感動したことは過去に一度もなかった。ありがとうイチロー。

 無題

8月 10, 2016   No Comments

箱根(下)

  参加者は社外取締役(弁護士)・アクチャリーを含めて全部で9名だ。ゴルフをする者が4名いたので、初日、4人はゴルフの後旅館に向かうことにし、他の面々は午後旅館到着でのんびり温泉で寛ぐことになっていた。

  ゴルフはW社長と若手役員2人、それに僕の4人だ。僕を除けば平均年齢33歳。僕を入れると42歳に跳ね上がる(全く意味のない平均だが)。僕より年齢が半分以下の連中と一緒に回れるゴルフというスポーツを考えた人は天才だな。

  年齢の話の序でに、このベンチャー企業、アルバイトを含めて30余名が在籍しているが、僕ら数人のシニア・メンバーを除くと平均29歳ととても若い会社なのだ。だから、一端勢いに乗ると手が付けられないと言った現象が起き得るものだが、今が正にそれ。会社は倍々ゲームで急成長中である。

  昨年、ある飲み会で友人の猪瀬が僕を見て、「神童、お前若いままだなぁ」と言ったことがある。僕は「今の職場が若者ばかりだから、その環境ホルモンのお蔭かも」と答えたのだった。

  さて、ゴルフ。場所は「富士屋ホテル仙石ゴルフコース」。確か何十年も前に一度回っている場所の筈だ。最初のホールが打ち下ろしで、広いフェアウェイだった印象が残っている。いよいよスタート。1番ホール。微かな記憶と目の前の景色が一致した。

  例えて言えば、丁度野球場のバックネットの上から広いグラウンドに打ち下ろすような解放感だ。これだけ広いと何のプレッシャーもなく思い切り打てる。センター方向に打ちさえすれば良い。「えいや!」。「あらー」ボールは何とチーピン引っ掛け。左に出たボールは更にフックして林の中に・・・

  まさかのOB。センターに打ったつもりが、3塁側スタンドの更に後ろの場外にファウルが飛んで行ったようなもの。頭の隅にも全くなかったOBを朝一でいきなり打ってしまったのだから、あとは推して知るべし。

  若者達の飛距離に負けまいと、力めば力むほど真芯に当たらず2打で彼らの1打目に追い付くケースの何と多いことか。まっ、それでも40年の経験を活かし、寄せとパターで何とか最下位を免れたゴルフではあった。

  ゴルフを終えて、車で芦ノ湖を一望に見渡せる高級旅館「和心亭 豊月」に到着。その旅館の入り口の門を車ごとくぐって入るのだが、その雰囲気が何とも高級料亭のそれなのだ。W社長が言うには、この日は平日でかなり格安のプランだったが、土日だと一人4万円~8万円するらしい。

  僕らが着く少し前に、ゴルフをしない組は旅館に到着したようだった。女性の取締役が1名いるのだが、彼女は午後早く到着して、しっかりエステをした模様。僕らは旅館の女性に案内されてロビーに。そこでウェルカム・ティーを頂く。ティーと言っても本格的な茶器で抹茶を頂いたのだった。これが旨い。添えられていたお菓子も。

  女性取締役は1人部屋とし、僕ともう1人の60代は2人部屋を与えられた。それ以外の6名は全員一緒の部屋だという。2人部屋に案内されて入ってみるとこれが10畳は優にありそうな広い和室で、窓からは芦ノ湖が正面に見えるなかなかの眺望である。

  荷物を置いて、6人部屋を覗いてみた。ロートルに特別待遇(二人部屋)して貰って他の人達がタコ部屋みたいだと申し訳ないと思って確認したかったのだが、これが何と、中が3部屋もあり出窓などもある広い綺麗な部屋だった。この部屋の窓側間口が広いので、芦ノ湖全体が見渡せて、解放感に満ちたとても良い部屋だ。

  やはりここは高そうだと思いながら大浴場に向かう。

  大浴場と言うから、プールのような風呂場をイメージしたが、洗い場が6人分くらいしかないこじんまりとした浴場だった。ここは観光ホテルのような大人数が宿泊するホテルではなく、隠れ家の趣の高級料亭風旅館であり、部屋数もそれほど多くないから、これが適正サイズなのだろう。

  大浴場の奥のドアを開けると露天風呂もある。どちらもやはり趣は落ち着きある佇まいだ。夕食までには随分時間があるようなので、じっくり温泉に浸かることにする。あぁ、極楽極楽。ゴルフの疲れも染み出て行くようだ。

  温泉はいつ以来だったかなと思い出してみる。遠い記憶だなと思った瞬間、そう言えば先週、蓼科の会社の保養所に泊まってゴルフをやったばかりだったのに気が付いた。その保養所にも、蓼科温泉が引かれていて、ここと同じような大きさの大浴場と露天風呂だった。なんだ、とひとりごちて風呂から上がった。

  午後6時。食事と言うか宴会が始まる。会場はこれまた遠い記憶にある雰囲気の部屋だった。つまり、床の間も正面にある20畳近い広い和室(畳の部屋)に、これまた高そうな大テーブルが置いてあり、その両側の椅子席に4人と5人が並び、会食が始まったのだ。

  遠い記憶と言うのは、テレビドラマや映画で、明治政府の要人が外国人を招く場面に、このような和室にテーブルの図が良く登場する。そう思うと、明治の元勲になったような気分で美味しい料理に舌鼓。

  僕らのテーブルに付いてくれた仲居さんの、気の利いた接遇が気持ち良く、話も盛り上がって、2時間半があっという間に過ぎた。若手6人は、これから芦ノ湖湖畔の店に繰り出すようだ。相部屋のM氏は部屋にマッサージ師を呼んだので、僕は邪魔にならないように、もう一度ゆっくり風呂に浸かることにした。

  この時間、僕以外は誰も入浴していない。一人だとかなり広く感じるから不思議だ。闇夜に向かう風呂場の明かりが近くの木々を照らし、何とも幻想的な世界を醸し出している。それを完全に独り占めだ。誠に贅沢な時間である。

  W社長ありがとうね。命の洗濯をさせて貰ったので、あと8か月のラストランをしっかり走り切り、そのあとは勝手応援団を決め込もうと思えるだけの気力が湧いて来た。

                              箱根  ― 完 ―

8月 4, 2016   1 Comment

箱根(中)

 

  一番のポイントは、保険代理店制度で保険販売するのではなく、保険会社の直販方式にした(但し、チャネル構築は行う)ことだ。そこから全てが発想され、Kのビジネス・モデルが出来上がっている。それは凡そ下記4点に集約される。

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① コールセンターを中心とする直販会社
直販保険会社としてコールセンターを持ち、それを、顧客及びチャネルへの直接コミュニケーション部隊と位置付ける。
コールセンターは、チャネルの新規募集のアウトバウンドと、顧客への商品説明等保険に関する全ての連絡や、顧客からの全ての問合せに対応する。

② 代理店制度でなくBP制度
チャネルは賃貸業者・不動産店となるが、他の保険会社と違い、彼らを保険代理店ではなく、新しいBP(ビジネス・パートナー制度)とする。BPとは、当社の保険パンフレット・申込書などを店頭に置かせて貰い、賃貸契約者の保険加入に資する事業所(賃貸業者・不動産店)のことであり、代理店のように重要事項説明義務もなく保険契約締結権もない、単なる保険取次店(保険知識・資格等一切不要)。

③ 全国一本料率
マーケットは賃貸物件なので取り扱う保険は家財保険(火災保険)が中心となるが、既存の火災保険のような、地域や建物構造などで保険料が細分化された保険ではなく、全国一本料率とする。

④ ゼロ線計上
BPには保険契約無人機(PC)を置き、契約者自らが簡単な操作で保険加入出来るようにする。このことにより、保険会社側での契約計上の事務処理を完全に不要にする。

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  Kは、特に②について、代理店制度でなくBP制度でなければ、この先の賃貸物件の保険運営は成り立たないと僕に強く訴えた。多分Kは長い損保経験から、賃貸業者や町の不動産店で、保険の専門知識を備えコンプラ意識も高く、真に保険代理店としてこの先もやって行けるのは極く一部に限られると見ていたのだろうと思う。

  要は、金融庁・保険業界のコンプラ基準の大幅引き上げの中で、賃貸・不動産業を、当局検査に耐える保険代理店にするにはかなり無理があると見ていた。だから、同じ家財保険を販売するに当って、Kは代理店制度ではなく直販方式・BP制度を考えた。

  僕が面白いと感じたのは、正に、この「日本で初めてのビジネス・モデルへの挑戦」という点だった。

  事業開始に際しては、上記4点全てについて、金融庁(窓口は財務局)と折衝しなければならない。直販制度は保険自由化(1995年)以来既に存在していたが、BP制度や、全国一律保険料率などは、当局としても初めての申請であり慎重になり、気の遠くなるような回数の折衝が行われた。

  更にどこよりも安い保険料体系やユニークな解約返戻金体系など、Kはかなり当局担当者を困らせた筈だが、数か月のマラソン交渉の結果大筋で認められて、開業に漕ぎ着けたのだった。

  この会社は創業から6年半経つが、最初の3年間はなかなか収入保険料(一般企業の売上げに当たる)が伸びず苦戦したが、4年目に入る前、Kが大手損保からスカウトして来た若者を社長に据えてから、急成長し始めた。

  5千万円だった年間収入保険料が倍々ゲームの様相を示して、昨年度は6億5千万円となった。その間僅か3年である。その社長とは若干33歳のWという名前の若者だ。

  今年度の目標は10億円に置いている。この収保(収入保険料)10億円は、Wが社長就任時、5年計画の到達点としていた数字だ。もしこれを今年度達成すれば1年早くマイルストーンに到達することになる。

  現に、今年度最初の4半期(4~6月)で収保2億円となっているから、4倍すれば年間8億円だ。そして、毎年1~3月は他の四半期の倍以上の収保となる(賃貸契約自体がこの時期に集中)ので、10億円に向けた見通しはかなり明るいと言える(2億+2億+2億+4億)。

  その第1四半期の業績が3か月連続で目標を達成し、株主総会も無事終えたことで、W社長は「役員慰労会兼親睦会」をやろうと言い出した。創業以来初めてのことだ。W社長は僕にも声を掛けてくれたので参加することにした。

  厳密に言えば、監査役(僕)は取締役会とは一定距離を保つべきだが(監査役の主任務は取締役の監査なので)、この会社、コンプラ意識が極めて高く、不祥事の全くない現状を是として固いことは言うまい。

8月 2, 2016   1 Comment

箱根(上)

 

  箱根は何年振りだろう、一泊旅行に出掛けた。旅行と言っても、僕が現在の勤務している少額短期保険会社の役員慰労会だ。6~7年前に創業して以来、初めての役員慰労会兼親睦会である。

  僕が前の会社を退職したあと、数か月間、それこそ解放感に満ち満ちたサンデー毎日を謳歌していた時、ある筋から連絡があり、少短業界では大手の「全○○」のシステムの面倒を見て貰えないかと依頼があり、話だけでも聞いてくれというので都内の喫茶店で該社の担当者と会ったことがある。

  その担当者も同じ会社の出身者で4年ほど後輩に当たる。現役時代、仕事上で面倒を見たことがあり、そんな関係で僕に声を掛けて来てくれたのだと思う。聞けば、「全○○」のシステムは、共済時代の古いシステムで少額短期保険の時代に合わないので、新しいシステムに変えないといけないのだそうだ。

  サンデー毎日を送っている者に、再びシステムの仕事をやらないかと言われてもなかなかその気にはなれないものだ。しかし彼は熱心にその後も連絡して来てくれて、社長と話して破格の待遇で迎える内諾まで取ったと言って来た。

  僕も実のところ、サンデー毎日の生活にそろそろ飽きて来ていたこともあり、61歳は隠居を決め込むには若過ぎることも感じていたから、望まれるならやってみるか、という気にもなり始めていたのも事実だ。

  但し、現役時代と違い大きな責任を果たすのは勘弁して貰いたいという気持ちがあり、折角彼が社長に掛け合ってくれた処遇の半分で、気楽にやらせて欲しいと伝えた。

  そんなこんなで、彼からは、システム部長ではなくシステム担当顧問という形を含めて幾つかの形を提案されたのだった。後は僕が提案された勤務形態を選択し、「宜しく」というだけの段階になっていた。

  正に、そんなギリギリのタイミングで、戦友のKから、彼の立ち上げた少額短期保険会社のシステムを面倒見て欲しいと電話が架かって来たのだった。彼には大きな借りがあることと、既存損保とは全く違う21世紀に相応しい保険会社を作りたいというKの挑戦に、大いに心が動かされ、僕の心は決まった。

  40年間一緒に前の会社でシステム作りをして来た1年後輩のFと共に、馳せ参じたのだった。処遇は「全○○」が破格と言ってくれた額の半分の半分だったが、それはゼロから始めるベンチャー企業だから、その面白さの分を足せばツーペイだと思えば良い。

  Kは、僕よりも4年も前に保険会社を辞めて起業し、様々な事業を行っていた。そんな中でKは、金融庁は、無認可共済がそれまで規制も検査もなく野放しになっている状態に強い問題意識を持ち、顧客保護の観点から何とか既存の保険会社に準ずる会社に脱皮させるために動き出していることを察知した。それが所謂「少額短期保険会社構想」だった。

  Kはそれまでの事業を全て閉めて、いち早くこの少額短期保険会社の立ち上げに動いた。共済からの移行組が多い中、Kは都合3つの少額短期保険会社をゼロから立ち上げたのだった。僕が現在所属するのはその中の一つで、賃貸物件の家財を中心とする火災保険を売る「株式会社FIS」という会社だ。

  会社を立ち上げる頃、Kが熱く僕に語ったことを今でも良く覚えている。それが多分、僕を「全○○」に勤めることを思い止まらせ、Kの立ち上げた会社に行くことを決めた理由だったのだろうと思う。

  Kは30有余年の長い損保会社の経験で、既存損保の限界を認識していて、より大胆に次の時代の保険会社のあるべき姿(K流ビジネス・モデル)を明確に描いていた。

8月 1, 2016   No Comments