プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 9月 2016

同窓会(上)

  僕は小学校4年の終わり頃、一度転校している。それまでの松代小学校から長野市の芹田小学校に変わったのだ。松代町は今でこそ長野市に編入されているが、当時は長野県小県郡(ちいさがたぐん)松代町(まつしろまち)と言って、小さな田舎町だった。

  川中島の合戦で有名な八幡原古戦場。南に千曲川、北に犀川の2つの川と川の間の原っぱで武田信玄と上杉謙信が一騎打ちを演じた場所だ。そして、千曲川の更に南が松代で犀川の北が長野市である。

  松代と長野は全く異なる文化・歴史を有している。松代は戦国時代、武田の勢力圏にあり、千曲川近くに武田軍の前線基地として海津城(松代城)があった。徳川幕府になってからは、上田城から移封された真田信之(幸村の兄)が城主を務めて以来、真田藩の城下町として明治維新まで栄えた町だった。

  それに対して犀川の北に位置する長野は、上杉信玄の勢力下にあって、武田との合戦の度に大軍を布陣させた所である。だが、歴史的にこの町は城下町ではなく善光寺を中心に栄えた門前町だ。

  僕が小学校に通っていた頃、すでに地方の大都市(県庁所在地)だった長野に比べて、小さな田舎町に過ぎなかった松代だが、武家の子孫達が大勢住んでいたし、明治維新前には佐久間象山などの先覚者を輩出した歴史があったから、人々のプライドは高く、長野に対する対抗心はかなり強かったと記憶している。

  松代小学校4年生の3学期途中だったと思うが、父親の仕事の関係で僕が長野の小学校に転校になる時、先生と生徒達が教室で送別会を開いてくれた。その時に友達が口々に「神童、長野の生徒に勉強負けるなよ」という意味のことを言って、送り出してくれたことを今でも覚えている。

  それだけに僕も、大変緊張しながら長野市立芹田小学校に転校したのだった。しかし、その学校は、長野市の中心からかなり離れた、田園地帯とも言える地域の小学校だった。そのためか都会の学校に転校したという感じは全くしなかった。生徒達も純朴で、直ぐに僕を彼らの仲間に入れてくれたのだった。

  今回僕が日帰りで行って来たのは、その芹田小学校同学年(4クラス)の同窓会だった。「古希の祝い同窓会」というタイトルの付いた会だった。実は10年前「還暦を祝う同窓会」に初めて参加した。その時は、果たして僕が知っている人はいるか、僕を知ってくれている奴はいるかと、大いなる不安を抱えて参加したものだった。

  幸い、同じクラスの中に、高校まで一緒だった男が2人いてホッとし、会が進むにつれて、徐々に相手を思い出して行くのだった。ただ、残念だったのは、同じクラスでも女性陣は、僕のことを覚えてくれている人はごく少数だったことだ。

  まぁ、これは仕方ないだろう。当時の遊びは野球中心で、女子と遊んだ記憶は僕にもないのだから。その上、他の者達は小学校6年間の記憶だが、僕は精々2年間しか一緒にいなかった。

  今回はそれから10年振りの同窓会だったから、何も不安を感じず参加することが出来た。場所も同じ長野駅近くの東口飯店だ。4クラス合同の同窓会だが、出席者は全部で50人くらいだったと思う。会が始まって、主催者(幹事団)の挨拶の後、今日ご出席の先生2人が紹介された。男性教師と女性教師だ。

  当時、小学校1年生を担任された先生達だが僕らのクラスではない。勿論僕は転校前のことだから知らないのだが、87歳の男の先生も84歳の女性教師も、お2人とも話される言葉がしっかりしている上に、所々機知に富んだユーモアを交えて聞く者を飽きさせないのだ。

  そして、80代なのに肩は丸みを帯びるどころかスッと立たれた姿はとても凛々しく若々しいので、よっぽど先生より年寄りに見える生徒の方が多い。

  「あの時のピカピカの一年生が古希を迎えられたのだから、担任教師として感慨も一塩です。つくづく長生きはするもんだと思いました。皆さん本当におめでとう!」。女性教師の言葉が胸に残った。

9月 30, 2016   No Comments

やっぱり

  先週の土曜日は、「のどごし生バンド」のライブだった。横浜新子安の「グレコ」での24回目のライブだ。リハのため集合時間は夕方5時だった。いつものように家から1時間半掛けて店に到着。既に中保さんが到着していてベースのチューニングをしていた。

  と、料理人の万作さんが厨房から現れて僕に、「神童さん、長い間、大変お世話になりました。年明けから北海道に引っ越してそちらに住むことになり、12月末を持ってグレコを辞めさせて頂きます」と、突然の決別を伝えられてしまった。

  万作さんからは、7月初めに「入籍して正式に夫婦になりました」とメールを貰っていたので、前回のライブの時、ささやか乍ら「のどごし生バンド」と「K&B」からお祝いの品を渡した。だが、そのライブには奥様のミチコさんが現れなかった。

  万作さんは、「カミさんは、今日、北海道なので」と恐縮していた。僕はてっきり彼女のお仕事の関係だろうと解釈していたのだが、今回、改めて聞くと、奥様のミチコさん、は親の介護のために、このところ月の半分は北海道に行っているのだそうだ。

  そういう状況の中で、お2人は札幌転居を決断したのだろうと思った。もしかしたら、その決断はもっと前で、親の介護に向かい合うという2人の気持ちの一致を確認し合えたことで、正式な夫婦として入籍手続きを行なったのではないかと勝手に推察している。

  そのことを聞いて、俄然気忙しくなって来た。それは彼ら2人への結婚祝いのことだ。即ち、2人のために制作中の曲「時空の風に」を早く完成させて、12月のライブで演奏出来るように急がないといけないということ。年内のライブは、次は12月1回だけなのだ。ご本人達に聞いて貰うとすれば、次のライブが最初で最後の機会となってしまった。

  僕達は、月に1度「グレコ」に集まり、ライブか練習日としている。10月、11月は練習日に充てているので、その2日間で新曲を仕上げなければならない。

  ブログの前号でも書いたが、僕が曲を提供したり、提供しようとした相手とは必ずと言ってよい程、その後離れ離れになるという運命だった。だから、今回は僕だけではなく大木先生との共同作曲にして貰い、僕の曲が再び離別の切っ掛けにならないように配慮したつもりだった。

  でも、やっぱり、なのである。どうしてなんだろう?

  僕の担当部分の作曲(メロディー・ライン。イントロと間奏は大木先生の担当)は完成したので、この日僕が書いた楽譜をメンバーに渡した。まっ、兎に角、完成を急いで12月のライブで初披露出来るレベルに仕上げないといけない。

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  さて、24回目のライブである。今回はカメラマンが来なかったので、残念ながら写真はないが、ここ最近では満員の盛況だった。今年に入って皆さんへのライブ告知のチラシの写真は、メンバー1人ひとりをフィーチャーした大きな写真を使っている。

  最初がフッ君、次が浜ちゃん、その次がアンディ―と続き、今回は38F佐藤さんだった。そのキャッチコピーも「38F佐藤さんの歌を聴きに来てください」だ。ところがその佐藤さんが、お母さまのご逝去のため出演出来なかった。またフッ君が仕事超多忙のため欠席。残った5人でライブを行わなければならない。

  それも、満員の客のうち半数以上は「のどごし生バンド」は初めてというお客様だ。友人から「のどごし生バンド」の話を聞いて行ってみたいと思った方々だと言う。

  正直僕も、5人で一晩持つのか、折角来てくれた初めてのお客様をガッカリさせてしまうのではないかという不安が募り、大木先生に今回は中止すべきか否か相談した程だ。でも大木さんは、「やりましょうよ」と迷いなく言うので決行することに決めた経緯がある。

  大木先生は、その後いろいろ考えてくれて、ゲスト・バンドにグレコのハウスバンドの出演を決めてくれた。このバンド、ピアノ:大木、ベース:TAMA児玉、ドラムス:大井川、それと、ジャズ・シンガー:ミユキさん(郵便局長)という4人組だ。

  なかなかのレベルだ。聞いていて心地よい。彼らは、5曲演奏してくれた。初めてのお客様も満足げだったようなので、ホッと胸を撫で下したのだった。お蔭で僕らも何も心配せず思い存分演奏することが出来たと思っている。ただ、僕の歌い込みが足りない「素直になれなくて」を除いて。

  後半の部は、僕らもお客様もノリが良くなって、終了時間を大きく超してしまったが、アンコールの「ジョニー・B・グッド」は、初めてのお客さんの中にプロのギタリストがいて、その人がギターでリードしてくれて、TAMA児玉が急遽ボーカルをやってくれたので、いつものようにアンディーの激しいツイストを披露することが出来た。

  この曲は佐藤さんの歌なので、彼がいないと「のどごし生バンド」では演奏出来ないし、アンディーのツイストも見せられないのだが、この日は助っ人に恵まれて最後の曲とすることが出来た。

  裏話をすれば、前に来たことがある知人から、「アンディーのツイストを見たい」と言われていたので、この曲を演奏出来て良かった。その知人も演奏中の僕にOKサインを送って来た。

  裏話序でにもう一つ。ライブ告知を行った時、別の友人(女性)が「コンガの人のファンなの。久し振りに彼を見に行きます」と返事をくれた。「残念ながら、フッ君は仕事の関係で今度のライブには出られないけど、代わりに神童で我慢して下さい」と答えた。

  「ガッカリ。でも友人4~5名連れて行きます」との答え。いい奴だ。4~5名の友人という人達も、グレコ初めての女性達だった。

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第一部  のどごし生バンド (ポップス)

  1.この胸のときめきを

  2.Love

  3.私は泣いています

  4.小さな花

  5.500マイル

  6.素直になれなくて

  7.アンチェイン・マイ・ハート

  8.ハウンド・ドッグ

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第2部  グレコ・バンド

    ユー・ガッタ・フレンド、セイビング・オール・マイラブ・フォー・ユー、

.   枯葉など5曲

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第3部  のどごし生バンド (ジャズ)

  1.ファイブ・スポット・アフター・ダーク

  2.ララバイ・オブ・バードランド

  3.朝日のようにさわやかに

  4.嘘は罪

  5.ユー・ビー・ソー・ナイス・トゥ~~

  6.テイク・ファイブ

En

  1.鈴懸の径

  2.ジョニー・B・グッド

9月 20, 2016   No Comments

曲作り

  久し振りに作曲に勤しんでいる。曲のタイトルは「時空の風に」。38階佐藤さんの作詞したものを頂いて、僕と大木先生が曲を付けようと奮戦中なのである。

  何の曲かと言うと、7月初めに、僕宛てにあるメールが飛び込んで来たのを切っ掛けに、のどごし生バンドから、その人にプレゼントしようとの話が一気に具体化した一曲なのだ。

  作詞:38階佐藤、作曲:サンシャイン大木・QP神童、歌:アンディ―、サックス・アドリブ:浜ちゃん、ベース・アドリブ:中保さん、コンガソロ:フッ君。バンドメンバー全員参加の作品に仕上げたいと考えている。

  さて、僕にメールをくれたその人とは、僕らの定例ライブをさせて貰っているお店、新子安の「グレコ」の料理人、万作さんのことだ。還暦を迎えた彼からのメールには、「昨日入籍し正式に夫婦となりました」とあった。

  奥様と娘さん、それと万作さんはもう4~5年も前から、一緒に生活していたのはバンド・メンバーだけでなく、「グレコ」の常連客も知っていて、みんな、彼らはとても良い夫婦だと思っていた。だから、「正式に夫婦となりました」と、今、言われることの方が驚きだった。

  そう言えば、「グレコ」が開店した4年前、万作さんが「一緒に暮らしているけど、入籍は、彼女の娘が高校(大学と言ったのかも)を卒業してからって、話し合っています」と僕に伝えてくれたっけ。

  まぁ、いずれにせよ、「万ちゃん、おめでとう!」。

  万作さんと奥様の、まるで小説のような愛情物語は、僕らの間では誰もが知ってる。今から遡ること40年前。万作さん20歳、奥様18歳の頃だ。2人の出会いは札幌。彼と奥様はアルバイト先で知り合ったと言う。

  万作さんは、当時、ある劇団の団員として役者の道を目指していた。その劇団を率いていたのがCという男だ。Cは、こういう劇団の座長をやったり、林家門下の落語家になったり、タクシー・ドライバーをやったりと、その波乱万丈の人生はTVでも取り上げられた。

  この20年ほどは、CはSという国立音大出身の女性ピアニスト兼ボーカリストと2人で、東京郊外でジャズ・バーを営んでいる。実は僕たち「のどごし生バンド」のメンバーは、店の常連客でこの店で知り合った面々なのだ。

  ある時、店のマスターのCに「皆さんで『おじさんバンド』作らない?」とか言われ、うまく乗せられて結成したのだった。そのうち、CとSがマスコミに取り上げられたり、レコード会社からメジャー・デビューするなどし、かなり有名なホールでコンサートを行うようになって行った。

  それに付いて行くように、僕ら「のどごし生バンド」も、彼らのバック演奏を大ホールで行うようになったのである。日比谷野音・読売ホール・NHKホール・オペラシティ―などだ。特に東京国際フォーラムでは3回も演奏し、音響や照明が素晴らしく気持ち良く演奏させて貰った思い出がある。

  さて、その日比谷野音のライブだったか、国際フォーラムだったかの広告記事が朝日新聞・毎日新聞などに載ったのを見た万作さんが、Cを訪ねて店にやって来た。彼はそれまで築地市場で働いていたようだが、その時からCの店のコックとなった。

  更にそれから数年後、Cが別れた奥さんとの間に生まれた娘と、28年ぶりの再会を果たした感動のドキュメンタリー番組(フジテレビ ノンフィクション)が放映されたのを見た万作さんの札幌時代の彼女が、Cさんの店に行けば万作さんがいるかも知れないと、インターネットで調べて店にやって来た。

  多分30年振りくらいだったのではないか。これも感動の再会物語である。僕もたまたまその場に居合わせたのだ。しかし、万作さんはつれない素振り。それは僕らの手前照れ隠ししているのかなと思ったが、実はそうでなかった。

  彼女の方は、何軒かのブティークを持つ会社の一店を任される店長さんである。しかし、万作さんの方は自分の生活費を稼ぐのに精一杯だ。簡単に彼女を受け入れる訳には行かないというところだったのではないかと、今は思う。

  それから彼女は何度もCの店にやって来た。僕も話をしたりして徐々に親しくなった頃、札幌時代のことや、別の人と結婚して一児(娘)をもうけたが離婚して現在に至っていることなど身の上話をしてくれた。万作さんも離婚して今は独身である。

  そして、彼女から折り入っての相談を受けた。「万作さん、なかなか私を相手にしてくれないんです。神童さんから口添えしてくれませんか」と。

  生まれてこの方、恋愛下手の僕が、他人の、それもバツイチ同士の、もとい、大人同士の恋のキューピット役なんてとてもとてもとお断りしながら、「時間を掛けて30年の空白を埋めて行くのが大事だと思う。だから、時間があるときはこの店に通った方がいい」と、無難なアドバイスをしてお茶を濁した。

  でも、彼女はそれを守って良く店に現れた。そのうちに、万作さんの固いバリアも取れて、2人はなかなか良い雰囲気になって行った。そして4~5年前からは娘さんを含めて親子3人の生活が始まったのだった。

  僕らのライブの時は、料理人の万作さんには大変お世話になっているが、奥様も仕事以外の時は必ず会場に来て僕らを応援してくれる。そういう2人といつも接してきたから、バンド・メンバーは全員2人は夫婦だと思い込んでいたが、所謂「事実婚」だった。この度正式に入籍して名実ともに晴れて夫婦となったのである。

  バンド・メンバーとして彼らを祝うのは、ありきたりのプレゼントよりも、2人の時空を超えた愛情物語を曲にしてライブで披露する方が相応しいとの声が上がり、今、曲作りの真っ最中という訳だ。出来れば12月のクリスマス・ライブで初披露出来たらと思っている。

  ただ、心配が1つ。僕が作曲した曲を提供した相手や、提供しようした人達とはその後離れ離れになるケースが続いている。だから、大木先生にも作曲に参加して貰い共同作曲とさせて頂く。今回だけは悪い結果になりませんように(笑)。

9月 16, 2016   No Comments

爺バカ

  孫が2人いる。2人とも女で6歳と1歳。名を「もも」と「ねね」という。どちらも息子の子供だ。下の子「「ねね」は掴まり立ちでがやっと出来るようになったところで、まだ言葉はしゃべれないが、愛想は頗る良い。1週間振りでも、ちゃんと僕の顔は覚えてくれているようで、会えば両えくぼを作ってニッコリ笑ってくれる。

  その笑った顔に癒される。思わず抱き上げてしまう。すると手を伸ばして僕の鼻や耳を触ってくるのだ。「はい、ジージだよ」とか「それは鼻、それは耳だよ」とか教えてやる。また笑う。

  ところが、それを見ていて上の子「もも」がやきもちを焼くのだ。僕の膝をつついて「おじいちゃん、次はももの番」とか「早く遊ぼ」と言ってせがむ。「ちょっと待ってね」と言いながら暫く妹の方を抱き続けると、ももはどこかに消えてしまう。

  しょうがないな、じゃぁ、ももと遊ぼうと、ねねを降ろして「もも、お待たせ、さぁ遊ぼう」と言うのだが、彼女が現れない。「どこだ?」と言っても返事しない。仕方ないから隣の部屋を探すと。物陰に隠れているのが直ぐに分かる。

  でも、「あれ、ももはどこへ行った? いないなぁ」と気付かない振りをする。「もう帰っちゃったかな」と彼女に聞こえるように言う。「ももとデパートに行こうと思ってたんだけどな」とか言ってみる。

  やっと声がした。「ももはここだよ」。でも聞こえない振り。「ももがいないから、おじいちゃん出掛けようっと」。すると、目の前に現れて、「ももはここにいるじゃん」。「おお、いたか。どこかに行っちゃったかと思ったよ」。「ずっと、ここにいたよ」。

  ももを抱き上げてやる。重い。6歳は1歳の子を抱いた後だとズシリと感じる。彼女は抱かれたまま、あっち、こっちと窓の方に行けと指示する。そして、さっき僕が言ったことをしっかり覚えていて、「おじいちゃん、デパート行こう?」と宣う。

  この日は、2人のいつものデート場所である地元のデパートは僕も少し飽きたので、「もも、電車に乗ろうか」と提案。「うん、電車乗りたい。行こ行こ」ともも。電車で15分ほどの八王子に行くことにする。

  「はちおうじ?」。ももは勿論知らない町だ。すいている電車のシートに窓に向かってお座りしながら、初めて行く町がどんなところか期待に胸を膨らませているようだ。「なんか、おじいちゃんと2人で旅行しているみたいだね」なんてニコニコしながら言うのだ。

  「嬉しいか?」と聞くと、「うん、もも、おじいちゃんとお出掛けするの大好き!」。そんなこと言われるともう堪んないね。女の子ってサ、こんな子供の時から人が喜ぶようなことを分かって言ってるのかねぇ。6歳の男の子じゃとても無理な言葉でしょ。

  しかし、これも、彼女なりの計算だったかも知れない。八王子の町中で行われていた子供用のイベントを見たり、いろいろな形の風船を作っては、子供たちにあげるお兄さんからウサギのような形の風船を貰ったりして、初めての町を満喫、さぁ帰ろうという時、「あっ、ミッキーだ!」と、ももが声を上げた。

  「どこに?」と聞くと「あそこ」と指差す。JR八王子駅の正面向いの商業ビル3階辺りに、確かにミッキーマウスの絵と「ディズニ―・ショップ」と書かれた掲示板が掲げられていた。

  目が良いと言うか、目敏いと言うか、良くそういうのを見付けるものだ。「見るだけだから、ちょっと寄ってこ?」。しょうがないなぁ。「もう帰る時間だから、ちょっと見るだけだよ」「うん、分かった」。

  ところが、店に着くなり、お目当てのぬいぐるみの売り場にすっ飛んで行ったかと思うと、一つずる手に取っては抱いてみる。とっかえひっかえである。こちらはミッキーマウスとかミニーマウス、ドナルドダッグくらいしか分からないが、他にも沢山のキャラクターのぬいぐるみ達が彼女に抱かれるのを待っている。

  「もも、さぁ帰るよ!」。何も反応しない。「帰るからね!」と僕が店を出て行く振りをしても動こうとしない。これなのだ。彼女の戦略は。

  「それ、欲しいのか?」「うん。おじいちゃん、お願い」と僕に両手を合わせる。そんなジェスチャーまで知ってるんだ。「じゃ、それだけ買ってやるから帰るんだよ」「はーい」。彼女が欲しがったのは、僕の知らない熊のぬいぐるみだった。3千円何某。ディズニ―は他より高いが仕方ない。

  売り場を出る時、「おじいちゃん、ありがとう」と微笑みながら殊勝なことを言う。さっきは何を言ってもテコでも動かなかったくせに。6歳なのに、女のしたたかさを垣間見る思いだった。

  だが、ディズニ―・ショップを出たところで、トイレに行きたいと言うもものために、近くにいた店員に場所を聞いて連れて行ってやった時のことだ。婦人用のトイレの前で、「一人で大丈夫だよね?」と聞くと、「いやだ」という。「じゃぁ、おじいちゃんと一緒に男子用に行こう」と言っても嫌だという。

  ももは、身障者用のトイレを指差してここがいいと言う。「じゃ、外で待ってるから」と言うと「中は広いから、おじいちゃんも一緒に入って」と、また両手を合わせる。それに従うしかなかった。心細いのだ。こんなところはまだ6歳だ。

  来春は小学一年生になる、幼いのか幼くないのか分からない娘に、やや振り回されながらも、それがとても楽しい八王子デートではあった。

9月 15, 2016   No Comments