プレミアムエイジ ジョインブログ
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Posts from — 1月 2017

レコードの復権

無題

ある雑誌に、若者の間でレコードがブームになっているという記事があった。30年以上も前にレコードはCDに駆逐され、現在はネット経由で曲をダウンロードする時代だ。ウォークマンの登場以来、携帯型の音楽再生機を使う人は増える一方で、今や専用の再生装置でもなく、スマホで気楽に聴く時代である。

一方で、我が世代には、針の音と共に聴いたレコード時代の音に愛着のある人達は、今も存在し、中古レコードの流通マーケットがしっかり存在している。

レコードがCDに駆逐された時、レコード針のメーカーは苦境に立たされたが、彼等レコード・マニアの存在に支えられて、細々ながら生産を続けて来たということも知っている。序でに、ディスク・ジョッキーがレコード盤を操作して新感覚の曲に変え、会場を盛り上げたことも知っている。

しかし、今回読んだ記事は、そういう類のことではなかった。10代、20代の若者がレコードに魅かれているということなのだ。これには正直驚いた。スマホで何処でも何時でも気楽に聞けるデジタル録音の音楽でなく、持ち運びも出来ず、今より音の悪いアナログ録音のレコードを、何故わざわざ若者達が聴くのかと。

レコード大好きな若者が言う。「家の外ではスマホなどで音楽を聴くけど、家ではやはりレコードが良いです。何故かって? スマホで聞くのは手軽過ぎて心して聴くということは無いですが、レコードを家で聴く時は、コンサートと同じように自然と姿勢が改まる」のだそうだ。

スマホなどで聴くのがBGM感覚だとすれば、レコードはチケットを買ってコンサートで聴く音楽のような特別感があると言うことか。また、「レコード針のチリチリとした音が入るのが何とも心地良い」と言う若者もいた。

レコード文化が、突然、我々の世代から50歳も若い世代に引き継がれた驚き。記事には渋谷の中古レコード店で、大勢の若者達がレコード・ジャケットを捲りながら欲しいレコードを探している写真が載っていた。店の主が言うには、この1年、レコード人気が上昇していて、中古レコードの値段も前より上がっているとのことだった。

それで、僕はあることを思った。実は1年半前、大阪勤務から会社を辞めて東京に戻り再就職した息子が家族のために、僕達夫婦が以前住んでいた古い家を取り壊して家を新築することになった。

古い家は息子が生まれる前から住んでいた家だ。子供達が巣立った後は僕達夫婦だけとなったが、あちこちガタが来たので、リフォームや大規模修繕が必要になった。だが、そんな金を掛けるより、娘が以前住んでいた近くのマンションに引っ越した方が出費もなく駅に近くて便利。と言うことで、以来8年間、マンション住まいをしている。

建て替えに際して、当然古い家を取り壊さなくてはいけないが、マンションに収納したもの以外は古い家に置きっぱなしだった。それらを片付けるのに結構労力を費やした。リサイクル・ショップや古本屋に来て貰って買って貰える物は引き取って貰ったが、家具や電化製品の類は、型が古いと言って持って行かない。

捨てるにも金が掛かるからだとか言われてしまった。だが、大量の書籍とCD・レコード・子供の使っていたゲーム機などは、殆ど買い取って持って行ってくれた。下取り業者は軽トラック満載で2往復した程だから相当な量だった。金額の合計は、確か9万7千円だったと記憶している。チリも積もれば何とやらである。

残った物は粗大ゴミで出したり、大型の家具や冷蔵庫・洗濯機・空調機の類は業者に頼んで有料で引き取って貰った。その額が、これまた9万円程で、トータル費用ゼロで片付けが終わったのだった。

雑誌記事を読んでいて、その時のレコード(LP)引取り価格が、内容の如何を問わず1枚5円だったのを思い出した。20~30枚はあった。どれも繰り返し聴いた愛着のあるレコードだ。その頃に中古レコードが若者のブームになっていたら、如何な何でも5円ということはなかったろうに、と。

でも、そんなレコード達が中古店で買われて、若者の家に行って大事にされているなら、それはそれで、僕から若い世代に引き継がれたことになるのだから、とても素晴らしいことなのだ。そのことを想像したら頬が緩んで来た。世の中、旨く出来ちょる。

1月 23, 2017   No Comments

偲ぶ会

2~3年前まで、高校同期の連中でバンドを作り4年ほど活動をした。最初、TAKA(Gt&Vo)、マッキー(Sax)、AYA(Bs)、ヨッシー(Bj)、QP(Dr)でスタートしたが、直ぐにシロー(Fl)が参加した。その後、シローの勧誘でナッケン(Tp)、タカオちゃん(Tp)と管楽器が加わり、トオルちゃん(Vo)、Hirokoさん(Vo)、原ちゃん(Vo)のボーカル陣が参加してくれた。

更に更に、ハーモニカの武ちゃんや、今も海外公演などコーラスで活躍する松ちゃんも一時参加してくれたから、最盛期には13人のメンバーに膨れ上がった。バンドの名前は「ザ・タペストリー」と言う。

元々は、5年毎に東京で行われている高校の同期会(それ以外は毎年長野で開催)の会場で、バンドを作って次回東京で同期会が開催される時に演奏しよと意気投合したのが始まりだった。

それから4年間、様々な場所で演奏活動を行った。長野で行われた同期会に出前演奏したり、新宿のインド料理レストランや経堂のライブハウスでも行った。また、同期の猪瀬が都知事に立候補した時は、同期会として決起集会を開催した六本木のライブハウスで演奏を行うなどもして来た。

結成から4年経ったところで、いよいよ翌年の同期会は東京開催の番だから、当初の目的の通り、そこで有終の美を飾ろうとみんなで話していたのだが、何んと、その年は高校卒業50周年という大きな節目なので、東京ではなく、地元開催と相成ってしまった。

次の東京開催は6年後ということだ。このことで目標を失ったタペストリーは、新宿のレストランで最後のライブを行って解散したのだった。

それから2年半が経った。メンバーは夫々別個の音楽活動をしていたが、昨年11月初めにナッケン(Tp)から電話が来た。「シローが、シローが先月27日に急逝した。メールが君に届いていないようなので電話した」と。僕のPCもご臨終で10日前から動かない。

詳しく聞くと、シロー(Fl)は、地元(相模原)の野鳥の会に入っていて、その日は介護施設訪問の日で、野鳥のこと以外にもシローと仲間で演奏を披露することになっていた。

まさに、その一曲目が始まろうとする時、彼はフルートを吹く格好のまま床に倒れたそうだ。葬式の時、彼の顔を見たら右下の唇に怪我の痕があったとのことだ。死因は、動脈瘤破裂だった。

介護施設だから看護師さんもいて、直ぐに心臓マッサージやAEDの措置を行ってくれたらしいが、何の反応も示さず、救急車で運ばれた病院で死亡が確認されたと言うことだった。

正にサドンデス。家族も、多分本人も動脈瘤が出来ていたことなど、全く知らないことだったようだ。ナッケンからの電話報告を受けて、「年内にシローを偲ぶ会をやろう」と彼に伝えるのが精一杯であった。

だが、年末に向けて、全13人の、否、12人(シローがいない)の都合の合う日は皆無だった。已む無く、年明けに開催することにして、やっと先週実施に漕ぎ着けた次第だ。

厳かに献杯し、シローの思い出話を口々に語った。特に、タペストリー解散後、シローと一緒に地元の公民館や、老人ホーム、介護施設などで慰問演奏をして来たタカオちゃんとナッケンが、シローの旅立ちに至る経緯や最近の3人の活動などを大いに語って彼を偲んだ。

彼の突然の死は同級生だった僕らには大きなショックではある。しかし、曲がりなりにも音楽に勤しんだ者として、楽器を持ったまま逝く姿は、一度しかない死に方としては、誠に幸せな死に様ではないか。

高校2~3年の時、僕は彼と席が近かったこともあって、クラスに2人しかいない女子にどちらが先に声掛けるかジャンケンしたり、宿題を教え合ったり仲が良かった。そして吹奏楽部の指揮者だったシローの姿は、教室内より何倍もカッコ良かった。

古希を迎えたら、いつ何時自分がそうなっても不思議はないということをシローは教えてくれた。そして、その時の覚悟と準備をしっかりして置けよ、と言うシローの声が聞こえる。僕はまだ何も考えていなかった。

無題

1月 18, 2017   No Comments

原点回帰

僕と同じ町に住む友人のKに誘われて、近くの有名ゴルフ場の練習場で、レッスン・プロからの指導を受けた。これは、成人の日を含む三連休にのみ行われる新春イベントとして開催されるもののようだ。

生徒は8人限定、1時間半の予定でプロが順番に指導してくれる。僕は28歳の時にゴルフを始めたので、もう40年以上のゴルフ歴となる。だが、これまで一度もプロから教わったことはなかった。

初心者の頃は、それこそゴルフ雑誌を愛読書にして、テレビでプロの試合を見ては、練習場で真似る練習を一生懸命やった。まだ20代だった僕は、身体も柔らかくバネがあったから、少しずつだが目標にした選手のスウィングに近付いて行ったように思う。

少年時代野球を長くやっていたことも幸いして、フルショットでボールを捉えることはかなり自信があった。コンペでも度々ドラコンを獲得した。猛練習の成果もあって、始めて1~2年経つと会社の大勢の先輩達を含めて、上の下くらいにはなったと自負していた。

今じゃ100を切るのに四苦八苦の僕だから誰も信じないが、これは40年も前の自慢話なので、どうかお許しを。兎も角、当時、プロからレッスンを受けたいなどと思ったことは一度も無かった。

それが、40代、50代、60代と10年毎に飛距離が落ちて行き、距離が出ないから、打ち方をああだこうだといろいろ変える。距離を出そうと力むからフォームも崩れてまともに当たらない。そんな悩める神童君の窮状を見て、Kは僕にプロのクリニックを受けることを勧めてくれたのだと思う。

さて、プロのレッスンが始まった。彼は8人の生徒を順番に指導して行く。僕の番が来た。彼は僕のスイングを2~3球じっと見た後、こう言った。「右手は添えるだけ、左手一本で打ちましょう」。

初心者だった頃、まだ野球打ちの癖が治らず、弩スライスを連発していた。それを直すのに左手一本で打つ感覚で練習して弩スライスを克服した経験がある。今はスライスに悩んでいる訳でなく、球が上がらなかったり、引っ掛けたり、トップしたりが多いのだが、プロの「左手一本で打ちましょう」の一言にハッとした。

飛距離が出ず打ち方をいろいろ変えている内に、利き腕(右手)の力で打つようになってしまっていたのだと悟ったからだ。

彼は更に、「アドレスの時から右腕の力は完全に抜きましょう。バック・スウィングは右手でグリップを引き上げるのではなく、左肩と左腕で右に押すイメージです。トップから戻す時、特に右手右腕に力が入っていますね。それは絶対にタブーです」。

「何故右手で打っちゃいけないかと言うと、インパクトよりかなり前にフェースをスクエアにしてボールに当てようとするから、実際のインパクトでは、フェースが閉じたり、かぶったりして、引っ掛けや低い球しか出ません」。

「或いは、手前でスクエアにしたヘッドをインパクトまで維持しようとするから、ヘッド・スピードが落ちて距離も出ません。右手で打つのは左手の良いスイングを邪魔するだけです。右手以外は両足含めて全てに力が入っていても構いませんからね」。

言われたことを守って打ってみる。とても違和感があって(正しいスウィングに違和感って???)直ぐには左手打ちが出来ない。それでも6~7球目に惚れ惚れするような打球が真っ直ぐに飛んで行った。プロは「そうです、そうです。身体の回転と左腕一本で打つことだけを意識して練習してみて下さい」と言って、次の生徒に移って行った。

この日のレッスンは90分間だ。彼は順番に都合3回ずつ生徒の指導に当たってくれた。その3回目の時に僕はある疑問をプロに投げ掛けてみた。「ゴルフ雑誌など読むと、右手の使い方とか、パワーは右手とか書いてあるけど、それって邪道なんですか?」。

プロが答えた。「いや、プロ・ゴルファーやシングル・プレーヤー達は、しっかり身体を鍛えて左腕もしっかりしていますから、右手のパワーを使っても、左サイドの形が崩れません。パワーの足し算になるんです」。

「しかし、アマチュアの殆どは、左サイドの強靭さは持ち合わせていないので、右手で打とうとすると、必ず左手のシンプルなスウィングを壊してしまいます。引き算なのです」。

成程、である。40年前に必死に練習した「左手一本のスウィングよ、もう一度」だ。これぞ本当の原点回帰だ。トンネルの先に微かに明かりが見えた。この打ち方で常時違和感なく打てるようになるには時間が掛かるが、練習でマスターすべき課題が明確になった。Kよ、ありがとうね、貴重な機会を与えてくれて。10年前にこのプロに習って置けば今頃は・・・、なんてね。

1月 16, 2017   3 Comments