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偲ぶ会

2~3年前まで、高校同期の連中でバンドを作り4年ほど活動をした。最初、TAKA(Gt&Vo)、マッキー(Sax)、AYA(Bs)、ヨッシー(Bj)、QP(Dr)でスタートしたが、直ぐにシロー(Fl)が参加した。その後、シローの勧誘でナッケン(Tp)、タカオちゃん(Tp)と管楽器が加わり、トオルちゃん(Vo)、Hirokoさん(Vo)、原ちゃん(Vo)のボーカル陣が参加してくれた。

更に更に、ハーモニカの武ちゃんや、今も海外公演などコーラスで活躍する松ちゃんも一時参加してくれたから、最盛期には13人のメンバーに膨れ上がった。バンドの名前は「ザ・タペストリー」と言う。

元々は、5年毎に東京で行われている高校の同期会(それ以外は毎年長野で開催)の会場で、バンドを作って次回東京で同期会が開催される時に演奏しよと意気投合したのが始まりだった。

それから4年間、様々な場所で演奏活動を行った。長野で行われた同期会に出前演奏したり、新宿のインド料理レストランや経堂のライブハウスでも行った。また、同期の猪瀬が都知事に立候補した時は、同期会として決起集会を開催した六本木のライブハウスで演奏を行うなどもして来た。

結成から4年経ったところで、いよいよ翌年の同期会は東京開催の番だから、当初の目的の通り、そこで有終の美を飾ろうとみんなで話していたのだが、何んと、その年は高校卒業50周年という大きな節目なので、東京ではなく、地元開催と相成ってしまった。

次の東京開催は6年後ということだ。このことで目標を失ったタペストリーは、新宿のレストランで最後のライブを行って解散したのだった。

それから2年半が経った。メンバーは夫々別個の音楽活動をしていたが、昨年11月初めにナッケン(Tp)から電話が来た。「シローが、シローが先月27日に急逝した。メールが君に届いていないようなので電話した」と。僕のPCもご臨終で10日前から動かない。

詳しく聞くと、シロー(Fl)は、地元(相模原)の野鳥の会に入っていて、その日は介護施設訪問の日で、野鳥のこと以外にもシローと仲間で演奏を披露することになっていた。

まさに、その一曲目が始まろうとする時、彼はフルートを吹く格好のまま床に倒れたそうだ。葬式の時、彼の顔を見たら右下の唇に怪我の痕があったとのことだ。死因は、動脈瘤破裂だった。

介護施設だから看護師さんもいて、直ぐに心臓マッサージやAEDの措置を行ってくれたらしいが、何の反応も示さず、救急車で運ばれた病院で死亡が確認されたと言うことだった。

正にサドンデス。家族も、多分本人も動脈瘤が出来ていたことなど、全く知らないことだったようだ。ナッケンからの電話報告を受けて、「年内にシローを偲ぶ会をやろう」と彼に伝えるのが精一杯であった。

だが、年末に向けて、全13人の、否、12人(シローがいない)の都合の合う日は皆無だった。已む無く、年明けに開催することにして、やっと先週実施に漕ぎ着けた次第だ。

厳かに献杯し、シローの思い出話を口々に語った。特に、タペストリー解散後、シローと一緒に地元の公民館や、老人ホーム、介護施設などで慰問演奏をして来たタカオちゃんとナッケンが、シローの旅立ちに至る経緯や最近の3人の活動などを大いに語って彼を偲んだ。

彼の突然の死は同級生だった僕らには大きなショックではある。しかし、曲がりなりにも音楽に勤しんだ者として、楽器を持ったまま逝く姿は、一度しかない死に方としては、誠に幸せな死に様ではないか。

高校2~3年の時、僕は彼と席が近かったこともあって、クラスに2人しかいない女子にどちらが先に声掛けるかジャンケンしたり、宿題を教え合ったり仲が良かった。そして吹奏楽部の指揮者だったシローの姿は、教室内より何倍もカッコ良かった。

古希を迎えたら、いつ何時自分がそうなっても不思議はないということをシローは教えてくれた。そして、その時の覚悟と準備をしっかりして置けよ、と言うシローの声が聞こえる。僕はまだ何も考えていなかった。

無題

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