プレミアムエイジ ジョインブログ
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心配

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昨日一枚のハガキが舞い込んだ。僕の学生時代に、ストレンジャーズという学生バンドで一緒に活動したAからだ。こんなことが書いてあった。

「・・・ 現在私は、特発性間質性肺炎という進行性の難病を発症し、2年経過した今、肺活量が半分になり日常生活でも息切れすることが多くなりました。その様な訳でリタイア後アルトサックスで6回、ギターで1回、7年間続けた Jazz Live を断念することにしました」

「ここまで続けて来られたのは、皆様の応援の賜物と心より感謝しております。これからは音楽をはじめ読書、映画鑑賞等まだまだ人生を楽しみたいと思います ・・・」

そして、多分PCで作成したものと思う、彼の演奏風景の写真入りハガキの余白には直筆で、「ドラムでの出演ありがとうございました。ゴルフも卒業としました」と書かれている。言うまでもなくAと僕は同い年だ。ややオーバーに言えば、退職後はジャズとゴルフに情熱の限りを注いだ人生だったから、彼の気持ちが痛い程分かるので辛い。

学生時代は、Aが奏でるロック・サックスが素晴らしく、他のバンドからも一目置かれる存在だったし、僕らのバンドの中でも、彼のスキルは抜きん出ていた。

彼に触発されるように僕も他のメンバーも一生懸命練習して、大学3年の時には、仙台の学生バンドとしては3本指に数えられるまでになり、レコード大賞受賞直後のあのブルーコメッツの仙台公演で、前座を務めてバンド活動の最後を飾ったのだった。

その後、メンバーは全員別々の企業に就職し、音楽から遠ざかって行ったのは皆んな似たような状況だった。僕も、仙台単身赴任をしなかったら音楽再開のキッカケは全くなかったと思う。

仙台単身赴任は1996年~97年だったが、赴任した時、仙台に住むストレンジャーズ・メンバーだったOが僕の歓迎会をやってくれた。その時の2次会で同じく学生ハワイアン・バンドのメンバーだったSの案内で、3人で押し掛けた店があった。

そこが、昨年末他のプロ達と一緒に仙台公演を行った時の主催者のKeiさんの店だったのだ。その店は、ピアノ・ドラム・ギターなどが置いてあり、勿論プロの演奏もあるが、客も自由にセッション出来る店だった。Sは神童が仙台に来るなら是非連れて行きたい店だったと言う。

27年振りにドラムを叩かせて貰った。しかし、ブランクは大きかった。頭では分かっているのに、手足が付いて行かない。動かない。それが悔しくて、単身で何も予定のない週末は良くその店に通った。

半年も経つと、細かいテクニックは無理だが、何とか目立ったリズムの崩れなく演奏することが出来るようになり、店のプロもママのKeiさんも僕のドラムをバックに演奏してくれるようになって行ったのだった。

それが音楽再開のキッカケとなって、その後、C&Sと知り合い、のどごし生バンドのメンバー達(全員C&Sの店の客)と知り合い、本格的にバンド活動をするようになって行った。

そして、C&Sのバックバンドとして、最初に立った有名な会場が「日比谷野音」だった。その時に、僕はAに声を掛けてチケットを買って貰ったのだった。それがAの音楽再開の触媒になったのかどうか分からないが、彼からジャズ・サックスに取り組んでいるという年賀ハガキを貰ったりしたのもその頃だった。

Aは大手食品会社の執行役員だったが、その後、何年か四日市にある関連会社の社長を務めて、東京に戻り退職。そして、退職の挨拶状代わりに届いたのが、Aの第一回ジャズ・ライブの案内だった。

会場は、このブログでも何度か触れているが、東中野の「DRUM」というライブハウスだ。僕も彼のサックスのバックで2曲ほどドラムを叩かせて貰った。

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この店は、Aが定期的に練習に訪れる場所なので、僕も何度か同行し、一緒に演奏させて貰った。店のマスターは皇室のイベントなどで演奏を依頼されるドラマーの三戸部氏である。僕は毎回、三戸部氏に鋭い指摘と指導を受けたものである。

以来、毎年1回、Aはジャズ・ライブと言うか、自分のリサイタルを開催して6回を数えたのだが、2年半前のライブの後、特発性間質性肺炎を発症して、もうサックスは吹けないと連絡して来た。それでも、サックスをギターに持ち替えて、ジャズを続けるので「DRUM」に来てくれと言うから駆け付けた。

Aは自分のサックス・レパートリーをギターで演奏しようとあれこれ試みていたが、これがなかなか良いのだ。ギターの音がまず綺麗で、リズム感やアドリブ感はサックスで鍛えたものをそのままギターで表現するので、完成度が高くて驚いた。

昔からとても器用な奴だったが、だからと言って、普通、サックスがダメになったからギターでという訳には行かないものだ。大したものだとつくづく感心させられてしまった。ギターのライブを是非聞きたいと思った。

そして、7回目のライブは、ジャズ・ギターの夕べだった。場所は巣鴨「ムーングロウ」。Aのジャズの師匠であるプロ・ピアニストの坂口さんのお店だった。

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正直、Aのギターで奏でるジャズは素晴らしかった。こう言っては彼に失礼だが、同じ曲もサックスよりギターの方が遥かに心に響く。サックスが吹けなくなっても、これからは、ギターでジャズ・ライブをずっと続けて行けばいいよ。肺炎なんてぶっ飛ばせ。流石、NAOYA・Aだ、と思っていた。

そこに、今回の「ライブ中止のお知らせ」だ。心配にならない訳がない。歩くのも息苦しいと言うことだろうか。肺活量が半分でも、急激な運動とかしなければ大丈夫だよね。ギターを弾くのに問題ないよね。自宅に音楽室もあるのだから、是非、ジャズ・ギターは続けてよ。そして、体調にも自信が持てるようになったら、是非8回目のライブをお願いします。

勿論、場所はライブハウスとかじゃなくても、自宅の音楽室でも良いから。2時間掛けても絶対に伺うので。

これ以上悪化しませんように。そして少しでも改善して、また、あのジャズマンAの雄姿が見られますように。

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2 comments

1 大屋地 爵士 { 03.16.17 at 2:18 pm }

私のところへもハガキが来ました。卒業後は離れ離れになってしまいましたが、「音楽的な同志」という意識は今でもあります。快復を願うばかりです。

2 シンドバッド { 03.16.17 at 4:55 pm }

彼は東中野の「DRUM」でも、巣鴨の「ムーングロウ」でも、共演者は全員プロのジャズメンだから凄いよね。彼らからAが好かれていて、プロの皆がAにもっと上手くなって貰おうと一生懸命に教える姿が印象に残っています。

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