プレミアムエイジ ジョインブログ
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卒業

先月初めに古稀(満70歳)を迎え、本日3月末をもって長い会社生活に終止符を打った。思えば、22歳で大学を卒業し損害保険会社に就職して以来39年、今のベンチャー損保(株フレックス)に移って9年、通算48年の長きに亘って、元気に会社生活を送れたことは無上の喜びであり、関係者には心より感謝申し上げたい。

しかし48年と聞いて、あと2年で会社生活50周年なんだから、そこまで頑張ればいいじゃないかとか、古希になったからって辞める必要はないではないかと言う人もいたが、僕の勝手な価値観というのがあって、随分前から70歳誕生日を迎える年度末には完全リタイアすることを固く決意していた。

その価値観というのは、70過ぎても会社勤務すべき人は、辞めることが社会や会社の損失となる人のことで、常人の場合は老害を撒き散らすか、アイデア・キラーとなって、若い力を殺ぐ側の人間になり易いという事実なのだ。いろんな経験や事例から思うところ大である。

そうなる前に、或いは、もうそうなり始めているかも知れないので、僕の我が儘として、若き経営陣から卒業の許しを頂いた次第である。

それにしても、まさか僕が70歳を迎えるまで会社勤めをするなどという図は、若い頃の神童には全く想像出来なかったことである。こんなに長く生きられると思っていなかったから。

入社数年後に患った酷い十二指腸潰瘍は、ストレスによるものとされたが、その痛さは半端でなく、僕は、50歳までは生きられないだろうと勝手に決め付けていた。痛さもさることながら、社会人になって間もない若者が、これほどストレス耐性に欠けるのでは、普通の社会生活に向いておらず、このストレス社会で長生き出来る訳がないと思っていた。

何度となく胃カメラを飲んで診察を受けた。薬を飲んでも、一向に潰瘍が治癒せず、酷い時は、内視鏡が出血中の十二指腸潰瘍を捉えたりした程だ。その時医者に「1か月後、もう一度内視鏡検査を行い、同じ状況だったら手術を考えましょう」と言われる迄に追い込まれたのだった。入院期間は凡そ3週間とのこと。若干25歳の頃である。

運良く、1ヶ月後の検査で出血は見付からなかったので、辛うじて手術は回避されたが、毎食後与えられた薬を飲むことは当然の義務であり習慣となっていた。生活も、お酒を飲むことなど以ての外だった。直ぐ出血するからだ。尤も、学生時代もそうだったが社会人になってもあまりお酒が飲める方ではなかったから、禁酒は僕にとって辛いことでも何でもなかった。今とはエライ違いだが(笑)・・・

その後の結婚を挟んで10年間、医者の薬を飲み続け、何とかそれ以上の悪化を防ぎながら、十二指腸潰瘍を騙し騙し生活をしていた。勿論、カミサンにもプロポーズの時、潰瘍のことを伝え、50歳まで生きられるかどうかだと思うと伝えた。プロポーズの言葉は忘れたが、短命を理由に断られても仕方ないと覚悟を決めて話したことは覚えている。(今カミサンはそのことを短命詐欺とか言うけれど 笑)

定期検査を行なったある日、主治医から近年ピロリ博士の見付けた胃の中に存在するある菌の説明を受けた。その菌が悪戯をして、胃潰瘍や十二指腸潰瘍を引き起こすことが多いとの説明だった。

もしかしたら僕の十二指腸潰瘍もそのピロリ菌が原因かも知れない。いや、そうでないかも知れないが、兎に角、この苦境から脱出出来る可能性があるならどんな検査も受けてみたかった。

早速、胃に内視鏡を入れ細胞を採取して検査に掛けられた。意外と簡単な検査らしく、1時間もしない内に医者が、5本の試験管が立ち並んだ入れ物を持って僕の前に現れた。その5本の試験管の中には液体が入っていて、左から完全な透明、右に行くに連れて赤さが増して行き、一番右は一番濃い紅色だった。

「これはピロリ菌の濃度です」と説明した。そして徐にもう1本別の試験管を取り出して、「これが神童さんの胃から取った繊維を培養したもの」だと言う。真っ赤である。「レベル4(最高位)ですねぇ。十二指腸潰瘍の原因はピロリ菌の可能性が極めて高いです。ピロリ菌駆除をやってみますか?」と医者が言うので、「是非お願いします」。

その日から1週間掛けて駆除の薬を飲み続けた、その間毎日酷い下痢に襲われたが、何とか終了。もう一度、内視鏡で胃の繊維を抽出し前回と同じ培養がおこなわれ、医者が試験管を僕に示した。完全なる透明な液体がそこにあった。「ピロリ菌駆除は成功したようですね」と嬉しいご託宣。

これで、後は潰瘍治療薬が効いて十二指腸の痛みが消えたら完治だそうだ。空腹になると痛みが走り、特に夜、横になると耐え切れないほどの痛みが走り、立ち上がらざるを得ないことも多かったが、そのような痛みが出ることはこの日以降二度と無かった。

2ヶ月後の検査で、医者から、十二指腸潰瘍の痕は残るものの、潰瘍自体は完治とのお墨付きを貰ったのだった。34~35歳の頃だ。あの痛みと投薬から解放されたことは、僕にとって大きな転機となったことは間違いない。

どこか沈みがちになる気分が遠くに押しやられ、仕事でも家庭でも、行動や思考が前向き・積極的に変わって行ったように思う。ピロリ博士様々である。そして、仕事でも、立場上部下とのコミュニケーションやら接待やらを含め、丁度その頃から飲む機会が増えて行った。十二指腸潰瘍のままだったらとてもそんな付き合いは出来なかっただろうから、世の中なかなか旨く出来ている。

話は大きく逸れてしまったが、50歳ではなく70歳まで48年間もの長きに渡って会社生活を送れたのは、ピロリ博士の新たな細菌発見の賜物ではあるものの、本当は会社の皆さんの暖かい叱咤激励があってこそとつくづく思う。

特に、今のベンチャー損保・フレックスでは、4年間で20倍の売上げ(5千万 → 10億)を実現した若い力が生み出す「熱気と勢い」の真只中に身を置き、沢山の元気と若さを頂いた。お蔭様で、「同世代の中で最も若い」と仲間達から言って貰える神童である。

半生を振り返れば、仕事自体は苦しいことが、それはそれは多かったけれども、決して嫌ではなかった。苦しかったことも、今では鮮烈な思い出、生きた証だし、楽しいことも同じくらい沢山あって、48年があっという間であったようにも感じる。そう思えるのは大変幸せなことではないかと今改めて感じている。

 

関係者の皆様には、長いことお世話になり、重ねて感謝申し上げます。今後は非常勤の顧問として、フレックスが真に「日本一の少額短期保険会社」になる日を楽しみに、少し離れたところから、愛を込めて声援を送り続けたいと思います。

3 comments

1 エイジ { 03.31.17 at 7:10 pm }

お疲れ様でした。そして本当にありがとうございました。2度にわたってご迷惑をかけたのかもしれませんね…
何れにせよ計画通りに人生を歩んでいけるというのは、やはり日頃の努力の賜物だと思います。
さて、おそらく考えていたような衰えが感じられないままのリタイアでは無いか…と勝手推察しています。人其々の価値観ですがやはり最後まで何らかの社会貢献を…と考えるのでは無いでしょうか?
最近の社会状況を観ているとせめて想いを呟くだけでも多少とも役立つことになるのでは…と思って呟き強化を考えております。立場や心情は違うでしょうが、邪魔にならずに選択肢を示すことこそが我々の役割では無いかと思うのです。

愛子さまの「平和は勝手にやって来ない、その為に何が出来るか…」というお言葉にこの歳をして大きく心動くものを感じました。

引き続きプレミアムエイジの編集長だけはお願いしたく、先に甘えさせて頂きました。。。

2 シンドバッド { 04.01.17 at 1:28 pm }

エイジさん、長い間ありがとうございました。システム統合とベンチャー損保の立ち上げと、2回に亘ってご一緒させて貰いました。何故か、エイジさんと一緒にする仕事は大仕事・難事業になりますね。私の生涯の大仕事ベスト5に2つとも入っています(笑)。鮮烈な記憶という意味では、最後の15年間に行った上記2つの仕事が1位・2位です。
今後は、月1度程度出社して、若い経営陣や社員を励まして行きたいと思います。

3 エイジ { 04.03.17 at 12:59 pm }

新年度に入りました。今年も日々やりたい事でやれる事をしっかりウオッチしながら進むつもりです。明日か、あと一年か、ひょっとしてあと10年かも…どこまで、何ができるか…呟くだけなら4-5年は大丈夫??還暦迄なら大丈夫…と考えたのが13年前の退職でした。そしてまだ古希ですから???

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