プレミアムエイジ ジョインブログ
Random header image... Refresh for more!

我が師匠を囲む会

.           Fさん(前列中央)とのゴルフ   photo by  MORIKAWA

.    Fさん(前列中央)とのゴルフ   photo by Morikawa

毎年、5月には師匠のFさんを囲む会が行われる。もうかれこれ20年は続いている恒例行事なのだ。今年も先月、Fさんと当時彼から薫陶を受けた部下たち全9名が集い日光一泊の温泉旅行を楽しんだ。

Fさんは、僕が入社3年目の時、新任の課長として僕等の直属の上司になられ、それ以来、常務取締役を退任されるまで約30年間、僕や他のメンバーは仕事でも人生でも沢山の教えを受けた。僕はFさんに仲人をお願いした関係もあり、僕にとってもう一人の厳父といった存在であった。

当時、損保業界13位の会社が、業界初の全国オンライン・システムを稼働させて話題となり、リーディング・カンパニーのT海上を大いに慌てさせた。彼らが何度となく当社のシステムを見学に来たのは昭和50年のことだった。

野村総研の技術力(野村総研=当時はNCC は日本で最初の商用オンライン・システムとなった野村証券オンライン・システムを成功させた)を最大限活用したが、勿論、総指揮を執ったのはFさんだった。

次に、金融機関で第二次オンラインが言われ始めた頃、Fさんは次のオンライン・システムも前回と同じように、中央にバカ高い大型コンピューター(メイン・フレーム)を追加配備して全国の端末と結ぶことが本当に正しい方法なのかと僕らに疑問を投げ掛けたのだった。

端的に言えば、1台何十億円もする大型コンピューターの追加導入で、果たして採算がとれるのかということだ。採算を度外視して第二次オンラインを進めることは、当社の利益を犠牲にして、コンピューター・メーカーを潤すことになるだけではないか、という提起だった。

Fさんは早速ハードウェア調査チームに命じて、必要となるコンピューターの処理能力を、大型機で賄うのではなく、より小型のコンピューターを沢山使って満たすことにした場合、コスト差はどのくらいあるかの調査をさせた。

当時まだパソコンなどという言葉すらなく、小型のコンピューターと言えば、製造業のライン制御用のミニ・コンピューターくらいしかなかった。そのミニ・コンピューターと大型機の比較をした。

結果は、ミニ・ピューターを必要台数購入した方が、大型機を1台購入する費用の1/10で済むので遥に有利との答えが出た。つまり、ミニ・コンピューターの単位能力当りのコストは大型機のそれの1/10ということだった。

だったら、ミニ・コンピューターを沢山繋いで第二次オンライをやろうではないかと、僕らも大賛成の声を上げた。その頃僕は32歳。右腕のFuも31歳と若かった。為せば成るとの根拠のない自信が、二人を向こう見ずなこの計画にのめり込ませた。

計画は、全国300店舗にミニ・コンピューターを設置して中央の大型コンピューターと回線で結んで営業事務を端末画面の操作で完結させようというものだ。少なくても日本に前例のないシステム形態だった。

営業店舗にコンピューターの分かる人員などいる筈もなく、朝の立ち上げから退社時の電源OFFまで、全て中央から遠隔操作を出来るようにしなければならないが、そんな機能がミニ・コンピューターに用意されている訳もない。

また、何らかの理由でミニ・コンピューターが停止してしまうようなトラブル発生時は、やはり、中央から遠隔操作で原因究明とリカバリーを行える機能も必須である。2例を挙げただけだが、実際には次から次に問題に直面し、その数100を優に超えたのだった。そしてそれらの課題は、メーカー側も初めてのことで頼りにならず、全て自前で開発し解決しなければならなかった。

大型機の代わりに沢山のミニ・コンピューターで代替するという分かり方針とは裏腹に、システム開発の大変さは10倍では足りない程の難工事となった。全国展開まで3年という目安が結局5年を要したのだった。この世にも珍しい「分散型オンライン・システム」は完成後保険業界にかなり波紋を広げたようで他社や業界紙の訪問をかなり受けた。

それから数年後、IBMが「ダウンサイジング」という概念を打ち出すが、僕らは既にそれを自前で作り上げたと秘かに自負もし、大変な5年間を何とか成功裏に終えたことが自信となり、その後のシステム開発でも常に先端を行く強い意識を貫けたと思っている。

これらのことは、全てFさんの当り前でない発想と指導力、並びに、リスク・テイキング(野村総研でもなくIBM・日立・富士通といった専門家でもなく、僕やFuに前代未聞のシステム作りを任せたこと)があって初めて出来たことである。

だから、今回も「Fさんを囲む会」に集まった弟子たち8人は、今自分があるのはFさんのお蔭と心から思う連中である。御年85歳になられるFさん、初日はゴルフにもいつものように参加された。シルバー・ティー(30~50ヤード前にある)から打つのだが、レギュラー・ティーから打つ僕らは何度もオーバー・ドライブされるので、負けないように必死だった。

日光のホテルでの会食の時も、話される内容は面白いし頭の回転数が当時と全く変わらないのが凄い。固有名詞もすらすら出て来る。また風貌も、当時から老け顔(失礼)だったから、今もそんなに違いを感じない。とても85歳とは思えないというのが皆の一致した感想だ。

そして、車が大好きなFさんが、今も3年で5万キロは乗っていると言うから全員腰を抜かしそうになった。その日も町田から日光まで車を運転して来られたのだった。自分が古稀になった今、Fさんの若々しさは本当に素晴らしいと思う。あやかりたいものである。

.        翌朝ホテルの前で   photo  by  Morikawa   

.   翌朝ホテルの前で   photo by Morikawa

翌朝、奥様の通院の送り迎えのために戻られるFさんを皆でお見送りして、残ったメンバーは、改装された東照宮の陽明門や三猿・眠り猫などを見て帰途についた。

.   日光東照宮陽明門     photo  by  Morikawa

.   日光東照宮陽明門     photo by Morikawa

.      三猿          photo  by  Morikawa

.      三猿          photo by Morikawa

.      眠り猫        photo  by  Morikawa

.      眠り猫        photo by Morikawa

 

.      おまけ        photo  by  Morikawa

.      おまけ        photo by Morikawa

 

 

0 comments

コメンはありません。

下記のフォームへの入力が必要となります。

コメント欄