プレミアムエイジ ジョインブログ
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Category — 日記

準優勝

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  下手の横好きとは正に僕のためにある言葉だと思う。ゴルフのことだ。僕がゴルフを始めたのは26~27歳の頃だった。友人達に比べても、始めた時期は決して遅い方ではなかったと思う。

  最初の1年は、ハーフ(9ホール)で60を切るのが難しかった。それでも2年目はハーフ50前後で回っていた。そこから全く上達しないのだ。ただドライバーの良い当たりの時の快感だけでゴルフをやっていたような気がする。

  正直、当時は、体格の割りに飛ばし屋の部類入れて貰っていた。だが、どういう訳かアイアンが全くダメで(ロング・アイアンは言うに及ばず、8番アイアンを含むミドル・アイアンが苦手、要は9番・PW・SWしか打てない)、その後40年間抱え続ける問題となった。

  コースに出てはアイアンが当らず、惨めなゴルフを味わい、時には、一大決心をしてアイアンをマスターしようと、ゴルフ雑誌を読み、アイアンの安定感を求めて練習場にも通った。

  練習場でやっとマスターしたと思って、自分に期待をしてコースに出ると、またまたアイアンにしてやられガッカリするということを繰り返していたような40年間だった気がする。

  それでも30代・40代の頃はまだ、身体が柔らかく足腰もしっかりしていたから、練習に打ち込んだ時は、ほんのたまに、偶然80台のスコアが出ることもあり、そんなことがあるからゴルフを止められずに、今日まで来たのだろうと思う。

  アイアン苦手の致命傷を持つ僕だから、様々なコンペに出ても、優勝とか準優勝とかは殆んど無縁の人だった。

  ところがだ。この5月に入って、優勝2回、準優勝1回だから自分でも驚く。年10数回のゴルフなのに、どうした訳か5月は5回もコンペに出るスケジュールになってしまったのだが、そのうちの4回の成績がこれなのだ。

  あの問題のアイアン恐怖症が克服されたのかと思うでしょう? 残念でした、不正解です。優勝の2回はくじ引きに当った(新ぺリア方式)だけのこと。スコアは言うも恥ずかしい、98と99。やっと100を切ったスコアだから、「何で?」が先に来て嬉しい筈もない。但し、優勝商品を頂けたので、カミサンへの面子は立った。

  さて、昨日の準優勝のこと。これは、過去データに基づいて、正しく参加者のハンディキャップが計算された上でのハンデ戦だから、コンペとしては誰にも優勝のチャンスがある誠に公平な試合なのだ。おまけに参加者は30人に及ぶ。

  僕は近頃にない良いスコアで回った。グロス91(これでも僕にとっては、何年か振りで夢の80台の入り口を覗いた良いスコアなのだ)。ハンディキャップ18だから、ネット73の1オーバー・パーだった。もう1人1オーバーの人がいて年齢順で僕は準優勝となったのだった。

  何が良かったか。パッティングが別人だったのだ。朝の練習グリーンで、何年もやって来た形、即ち、右手人差し指を伸ばして、パター・グリップに縦に添える構えで打つと、何故か引っ掛けが多いので、人差し指を丸くして第2関節でパターの重さを感じて打つようにしたら、真っ直ぐ行くようになった。今日は急遽それで一日やってみることにした。

  これが大正解だった。2~3mが面白いように入った。いつもハーフで20を超えるようなパット数が前半13、後半15で3パット無し。こんなことは40年間で初めてだ。他のショットは以前と何も変わらない。ドライバーでOB2発、アイアンもシャンクが3回も出る始末だった。正にパットに救われたゴルフだ。

  パットがこれだけ入るとゴルフが楽しい。しかし、開眼しても直ぐに閉眼するのがゴルフ。来週のゴルフまで持続する保証は全くないが、90を切るという新たな目標を立てさせてくれた準優勝ではあった。

5 月 24, 2012   No Comments

2012 Fさんを囲む会

ゴルフ

  年1回の「Fさんを囲む会」が今年も開かれた。Fさんが常務取締役を退任されて、自ら設立された関連会社の社長に出られてからずっと続く会だから、かれこれ20年近く続けて来たことになる。

  毎年、Fさんの薫陶を受けた弟子達が10数名が集まって、大いに飲み、大いに語りこうしてお互いに元気な姿で再会することを何よりの喜びとしているのだ。

  当時のFさんは、「瞬間湯沸かし器」との別名を持つほど短気な人で、弟子達の中で、大声で罵倒されなかった奴はいないのではないかと思われる。僕もその例に漏れず、どやされたのは一度や二度ではない。

  僕の場合、あることに取り組んでいて、いろいろやってみたが解決法が見付からず、心の中で「これは無理筋かもな」と諦めに似た気分の時に限ってFさんにドヤされた。どうして人の心が分るんだろうと、不思議な気持ちで怒られていたのを思い出す。

  きっと、顔付きや目付きに「諦め」が出てしまうのだろうな。それを目聡く見付けては気合を入れてくれたのだと思う。まっ、それだけ、僕にやらせているテーマを、奴はどう進めて行くのかと、大いなる興味と期待を持って見詰めておられたということなのだろう。

  Fさんだって、答えを持っている訳ではないことが分っていたから、僕はFさんへの反発心がムラムラと湧き上がるのを抑えられず、「そうまで言われて止めたんじゃ、格好が付かない。やってやろうじゃないの!」と腹立ち紛れに思うのだった。

  そんな経緯を経てゴール出来た時などは、あの鬼瓦のよう異相が満面の笑みに変わり、心から僕らを祝福してくれたから、嬉しさも何倍にも感じられたのだろうと思う。間違いなく若い僕らの家長像がそこにあった。

  「Fさんを囲む会」は、昔から温泉に一泊して、初日はゴルフというのが決まった形だ。この会が始まった頃、60歳を超えたばかりだったFさんも、今年の5月1日で80歳になられた。

  僕は、Fさんと一緒の組で回らせて貰う光栄に浴したが、驚いたことにFさんは、殆んどカートを使わずに歩いて18ホールをプレーされたことだ。キャディーさんもグリーン上をFさんに寄り添うようしてくれているので、どうしてもカートを動かすのは他の者になる。中でも僕が一番多くカートを運転したように思う。

  山岳コースで結構アップダウンのあるコースなのに80歳の人が徒歩でラウンドとは。凄いことだ。

  昔と違い、この日はFさん、無言で僕らに「ゴルフはカートに乗ってやるものじゃない」と気合を入れてくれたのだろうか? Fさんを励ますつもりが、逆にFさんから元気を頂く日となってしまった。

5 月 22, 2012   No Comments

5月は忙しい

         OB会のホームページ

   OB会のホームページ

 

  4月までは、会社生活と音楽生活をバランス良く過ごして来たつもりだったのが、5月になったら、やたらと忙しくなり、当ブログをかなりサボらざるを得なくなってしまった。

   何が原因かと言うと、4月までどうということもなかった2つのことが、ピークを迎えたからだ。

   1つは、様々な関係のゴルフコンペがこの5月に集中したことが挙げられる。今年になってまだ3回しかゴルフに行っていなかったのが、この5月だけで5回もある。それも、個人的に友人と行くゴルフではなくて、全て大コンペなのだ。

   2つ目は、これが「何とも変」なのだが、僕が主導して制作に当って来た出身会社OB会のホームページの本番カットーバーが5月18日だった。本番を迎えるに当っては、最終テストで不都合な箇所を見付け、それらを全て修正し再確認するという忙しさがあった。それが、この10日間ほど続いた。

  翌日の19日(土)はOB会の年1回の総会の日で、その日に、本番稼働したホームページのお披露目をすることになっていたから、結構緊張感を持って最終テストフェーズを進めたのだった。現役当時の大きなシステム・リリースを思い出していた。

  「何とも変」、と言ったのは、このOB会、僕はずっと入会もせずそのつもりもなく、平穏に過ごしていたのに、2人の先輩の策略に引っ掛かりまんまと引きずり込まれたこの僕が、ホームページ作りを一生懸命やっている図のことだ。(ホームページ作りをやったと言っても、業者を使ってのことなので自慢出来ることは何もない)

  ある時、先輩のIさんから電話が掛かって来た。「神童君、OB会の会報に、君の音楽活動のこと書いて欲しいんだ」という内容だった。僕はすかさず「OB会の会員じゃないから」と言って断ろうとしたら、「会報は、会社のOBだったら誰が書いても良いので頼むよ」と諦めない。昔世話になった恩義もあり、引き受けることになった。

  原稿を彼に送って暫く経ったとき、「神童君、折角書いて貰ったのに、やっぱり会員じゃなきゃだめなんだってサ。入会金3千円と年会費2千円払えば君の記事を載せられるので、何とか頼むよ」と言って来た。なぁ~んだ。乗りかけた船だ。仕方ない。結局、マイナス5千円の原稿料で会報に記事を載せるハメになった。

  更に、もう1人の先輩が、それまで常任幹事の1人としてやって来ていたが、後任に僕を指名してご本人はさっさと一般会員に戻ってしまった。OB会の会長さんからも何度も電話を頂き、「ホームページを君に作って貰いたいので、是非、常任幹事を引き受けて欲しい」と言われてしまう。乗りかけた船だ。仕方ない。

  それにしても、この乗り掛かった船、次々に行き場所を変えるなぁ。ホームページが出来た。これを1年運営したら任期の2年が経つので、次の改選期には常任幹事を降ろして貰う。もう充分乗った船だから。

  どうか皆さんその作品を見てやって下さい。http://www.ioikai.com/

5 月 21, 2012   No Comments

孫が来た

  GWに大阪から孫娘がやって来た。只今、1歳10ヶ月。前回我が家に来たのは昨年の8月だったから、その時は1歳と1ヶ月。まだハイハイしか出来ず、言葉もしゃべれなかったが、今回はどれだけ成長しているのだろう。

  前回は、人見知りが激しい子で、慣れるまでエライ時間が掛かった。会って直ぐ抱き上げたら、火が着いたように泣き喚いたっけ。カミサンが抱いてもそれは同じだった。さて今回は?

  玄関のチャイムがなった。インターフォンは息子だった。ドアを開けたら息子夫婦とちっちゃい女の子が立っていた。

「やぁ、いらっしゃい」と僕。
「お邪魔します」とお嫁さん。
「ももちゃん、大きくなったね。憶えてるかな、おじいちゃんですよ」
「・・・」
「もも、こんにちわ、でしょ?」とお母さん。
「○▽×▲☆」と、もも。

  家に上がって貰って一段落してから、再び、「ももちゃん、おじいちゃんですよ」と話し掛けてみた。「・・・」。ももの表情が硬い。神経質そうな顔。とてもダッコどころではないな。「じゃ、握手しようか」と手を出した時だった。ももは、何も言わずに両手で自分の両眼を隠した。

  「もも、おじいちゃんが握手しよう、って」お母さんがそう言うと、遂に泣き出してしまった。「スミマセン」とお嫁さんが僕に謝る。「先月実家に帰った時も、父には最後まで懐きませんでしたネ」って慰めてくれた。慰めになってないけど。

  一計を案じた。この日のために、キーボードを部屋に運び入れておいたのだ。音を出してみた。「あら? なんだ? いい音がする」と、今度は息子がももをけし掛ける。暫くじっと動かなかったももが、少しずつこちらに近付いて来た。

  「ももちゃん、触っていいよ」と言うと、ももは最初恐る恐る鍵盤を押した。音が出た。ニコっと笑った。兎に角笑ったのだ、僕の顔を見て。僕が低音部で音を出すと、彼女は高音部で音を鳴らす。

  彼女の両手を取ってもっと強く叩かせた。僕の手を振り払って、自分で滅茶苦茶に鍵盤を叩き始めた。大喜びしているのが分る。僕が傍で見ていると、僕にも同じようにやれと催促する。2人による、即席の超前衛音楽会と相成った。

  楽器が楽しいのか、音が出るのが面白いのか、「キャッキャ」と興奮気味なのだ。作戦大成功。キーボードに飽きたところで、ももを抱えあげた。泣くどころか「あっち」「あっち」と行き先を僕に指示する。ダッコしながら部屋中を歩き回らされた。もう大丈夫だ。

  「ももちゃんいいねぇ、おじいちゃんにダッコされて」とか「この人誰? おじいちゃん」とかお嫁さんも息子もカミサンも口々に言うからだろう、ももが遂に「ジイチャン」と言ったのだ。頭に「オ」が着くともっと良かったが、そんなのどうでも良い。

  「ジイチャン、って前から言ってた言葉?」とお嫁さんに聞いたら、「いえ、今初めてです」と言う。大感激の瞬間だった。

5 月 10, 2012   6 Comments

第1回ライブ 於グレコ 

のどごし生バンド1 

  3月末に校長先生を退職して、4月からご自身のライブハウスをオープンした僕らの大木先生。只今60歳。東京都の教員としては65歳までは勤めることが出来、それを選べば安定した生活が保証されるのに、それをスパッと辞めて、迷いなく自分のやりたい方を選ぶのが大木流。その生き方、凄くカッコ良い。メンバー全員が感じていること。

   僕等「のどごし生バンド」が主催した4月14日のオープニング・パーティーは、今後ライブ出演等で協力・支援して貰えそうな10バンドのミュージシャンに集まって貰い、お蔭で、大木さんへの祝賀ムード一杯の大盛り上がりのイベントになった。

  店の名前は「ミュージック・スペース グレコ」。最大40人収容の落ち着いたお洒落な空間だ。JR新子安駅(横浜からも川崎からも各駅2駅目)から徒歩3~4分で、広い道路に面した1階の店だ。

  中に入ると入り口正面に大きなウッド・ベースとコンガが置いてあり、部屋に向かって右がステージ、左が客席となっている。

  ステージは、入り口手前にドラムセットが置いてあり、その奥(と言っても部屋の中央)に立派な真新しいグランドピアノがある。客席側のほぼ中央に年代もののデューク・ボックスが置かれていて、懐かしさも演出されている。40年程前のものと思われるが、これが今もちゃんと鳴るのだから驚きだ。

  入り口から見て、ステージの一番奥がカウンター・バーになっている。内装も床も椅子もテーブルも、またカウンターも真新しい。実は、ピアノもウッド・ベースもコンガも新品だから、眩しいほどだ。

  こんな店で、毎晩大木さんのラウンジ・ピアノを聞きながらウィスキーでも傾けられたらもう最高だな。京浜地区にお住まいの方は是非お立ち寄り頂きたい。必ずお気に入りの店に加えて頂ける筈だ。

  さて、その大木先生と共に8年間バンド活動をして来た我等「のどごし生バンド」が、ここ「グレコ」で第1回マンスリー・ライブを開催することになった。

  5月26日(土)夜の予定なので、皆様、是非お越しください。今からスケジュールに入れておいて頂ければ幸せです。

               記

のどごし生バンド 第1回マンスリー・ライブ

日時    5月26日(土) 18時開店、19時開演

場所    ミュージック・スペース 「グレコ」
       横浜市神奈川区新子安1-30-1
       JR新子安駅 徒歩3~4分

道順    京浜東北線JR新子安駅下車
       改札(1つしかない)出ると直ぐ右に階段あり
       それを登ると跨線橋となるので、左折して線路
       を渡り切り、跨線橋が歩道橋に繋がっているので
       歩道橋の一番先まで進んでから降りる
       最初に見える信号の角が「グレコ」

出演    のどごし生バンド

曲目    イッツァ・スィン・トゥ・テル・ア・ライ
       ララバイ・オブ・バードランド
       サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート
       鈴懸の径
       酒とバラの日々
       さよならはダンスの後に
       さよならルンバ
       愛とも知らないで
       サニー    他

料金    入場料1,000円+飲み物代(酒類500円、その他300円~)
       美味しい軽食あり

                                  神童覇道

4 月 25, 2012   No Comments

トルコの旅(16) ― 完 ―

   ブルーモスク  

         我が心は 飛んでイスタンブール 

 

  今回のトルコ旅行は、2月下旬から3月初めの6泊8日の日程だった。まぁ、2月という寒い季節だから、どこの会社も格安ツアーと謳っている。トップシーズンともなれば1人30万円近くするから半額近いのが相場のようだ。

  だが、カミサンが「これってどうなんだろうね?」と言いながら、僕に旅行のパンフレットを見せた。正直驚いた。JTB主催のツアーが、1人8万8千円なのだ(サーチャージは別だが)。国内でも6泊の旅行に出掛けたら、交通費含めて10万円を下回ることは難しいだろう。

  14~15万する他社のパンフと見比べたが、どちらも、観光する場所は同じようなもので、食事が朝昼晩全部つくのも同じ。ただ、他社は日本航空の往復直行便で、JTBはトルコ航空の直行便という違いだけのようなのだ。

  カミサンの懸念は、ヒョッとしてホテルが酷いところだったり、バスがオンボロだったりして危ない目に合ったりしないかということだ。

  そんなに安くて商売が成り立つ理由を、思い切ってJTBに聞いてみた。問合せに対して係りは、「実は、観光のオフシーズンも日本から観光客を沢山呼ぼうと、トルコ政府・トルコの観光振興庁・トルコ民間観光協会・トルコ航空、それとJTBが協力して、観光客1人当り厚い補助を行なっているからです」と答えた。

  ホテルや食事も、「この季節ならではの一流どころを指定出来たので、どうぞご安心を」、との答えだった。

  それでも半信半疑で出掛けたのだが、ヒルトン・シェラトン・高級リゾートなど、確かにホテルはどこも一流と思えた。バスも三菱自動車製の比較的新しい車だったから、長時間座っていてもお尻が痛くならない快適なバスだった。

  その上、安全のため運転手が2人付くわ、初日から同じガイドがずっと最後まで丁寧に説明してくれたわで、大変印象の良いツアーだった。

  僕等のツアーは43人という大所帯だったが、初日に無線のトランシーバー型のイヤホン受信機を渡されたので、ガイドの話は少々離れていても充分聞き取れた。そんな点も満足度は高かった。

  これまでに訪れた国は、一度行けばいいかなと思った国が多かったが、このトルコだけは、もう一度来ても良いと思えた、そんな旅行だった。

   43人の内訳は、卒業記念と称して幾つかのグループでやって来ている学生さんが15人(男子3人組以外は女子大生)、あとは僕らのような60歳過ぎの夫婦が14組28人。

  まぁ、比率の違いはあっても、海外旅行のツアーは大体、年齢構成は20歳半ば~50歳代前半が殆んどいなくて、学生とリタイア組みの妙な組み合わせになることが多いみたいだ。

  ここ2~3年、我が家はいつも、2月3月頃に海外旅行をしているので、女子大生の卒業旅行のグループと一緒になるのだが、今回は、伊藤美咲似の人とか、安藤美姫・武井咲に似ている美人達がいて、それもこのツアーの印象を頗る良くしていた。

  彼女達と話をしてみたかったが、残念ながらカミサンと一緒だったから、ただただ遠くから眺めていただけだったが・・・

  その代わり、3名の男子学生とは、ある日の夕食の時に一緒のテーブルになったので話をした。大学名を聞いたら信州大だと言う。僕も長野出身だから結構話が弾んだ。

  ものは序でと、友人の「猪瀬東京都副知事と同じ大学だね」と言ったら、「え? そうなんですか?」って。猪瀬君、もっと母校で講演しないと忘れられちゃうよ。

                         トルコの旅  ― 完 ―

4 月 24, 2012   4 Comments

エイジ氏、日経新聞「交遊抄」に載る   編集部より

少し古い情報になりましたが、先月、エイジこと河田孝彌氏が日経新聞の「交遊抄」に取り上げられました。これは大学時代同じサークルの1年後輩だったご友人の中越パルプ工業社長原田正文氏の書いた文章の中で大々的に取り上げられたものです。

東証一部上場企業の社長ともなれば、その交友関係もかなり広い筈ですが、そんな中から原田社長がただ1人、我らがエイジ氏を取り上げられたことに、お二人の絆の深さを改めて感じます。そして、それこそがエイジ氏の人柄を現す象徴的な出来事と思います。

以下は、その時の記事の切抜きです。お読み頂ければ幸甚です。  (編集長より)

交遊抄

4 月 23, 2012   No Comments

トルコの旅(15) ― イスタンブール⑤ -

      アヤソフィア内部  ドームを見上げる

      アヤソフィア内部  ドームを見上げる

  トルコ最終日の午後は、どちらも世界遺産のブルーモスクとアヤソフィア見学がメインだが、その他にも、イスタンブール市内を散策したり、また、市電乗車なども体験するようなプログラムになっている。

  最初はブルーモスク。1616年に7年の歳月を費やして完成したモスクである。この建物はオスマン帝国(イスラム教の世界)の第14代君主アフメト1世が、東ローマ帝国時代(キリスト教の世界)に建造されたアヤソフィア(聖ソフィア。537年完成のキリスト教の巨大教会)に対抗してそれを超える立派なモスクを作りたいとの強い思いを抱いて建造したものだという。

  ブルーモスクは、公園のような広場を挟んでアヤソフィアの丁度真向かいに位置する。そこに、アフメト1世のアヤソフィアに対する並々ならぬ対抗心を感じる。

  世界で唯一優美な6本の塔(ミナレットと言う)と建物中央の大ドームから成り、モスク内部の壁は何万枚ものイズニック製の青い装飾タイルが使われ、ステンドグラスの彩りも加わって、青を基調とした美しさからブルーモスクと呼ばれる。

  このモスクは、今も普通に使われている。僕らが中に入った時は、たまたまお祈りの時間ではなかったから入れたようだ。確かに広くタイルが美しい。

  ガイド(日本語が上手なトルコ人男性。イスラム信者)が言うには、アフメト1世の野心、即ち、アヤソフィアよりドームも大きく、高さでも勝つ立派なモスクにするという強い願いは、どちらも遂に成らなかった。

  それでも、美しさでは遂にアヤソフィアを凌駕したと、アフメト1世は溜飲を下げたと言われる。

  さあ次はアヤソフィア見学だ。ブルーモスクの外に出たら身も凍るほどの寒さだ。朝6℃と言っていたが、今は寧ろもっと低いのではないかと思う。早く、アヤソフィアの中に入ってしまいたい。

  入った。ブルーモスクも大きいと思ったが、アヤソフィアはそんなものではなかった。柱のない広いスペースの遥か上、40mを越す高さに巨大なドームが被っている。だが、度重なる地震と重さのため、正円だったドームが今は南北に2m長い楕円になってしまっている。石造の建物自体も傾いているため、外側から大きなつっかえ棒代わりのセメントの壁などで支えているので、美しさではとてもブルーモスクに及ばない。

  アヤソフィアは東ローマ帝国の皇帝の戴冠式などを執り行った場所であり、国家統治の上でもキリスト教の拠点としても大事な役割を果たした教会だった。だが、1453年、小アジアのイスラム民族が東ローマ帝国を征服してオスマン帝国を築いてからは、これをモスクに変えてしまったのだ。

  その結果、イスラムの教えである偶像崇拝禁止により、教会内部のキリスト教的壁画は全て塗り潰され、銅像は破壊されたのだった。それが、近年、薬品などを使って塗り潰す前のモザイク画などが壁面から再び姿を現し、キリスト教聖堂時代の聖母像などが見られるようになった。

  今も新たな発見がされると、世界にテレビ・ニュースや特集が組まれるほど世界の関心は強いらしい。

  僕は今度の旅で、初めてイスラム圏に足を踏み入れた訳だが、来て見て分ったことがある。それは、イスラム信者らによる偶像破壊行為についてである。2001年にアフガニスタンのバーミヤン石窟の石仏をタリバンが破壊した衝撃的映像をご記憶だろう。

  この像は仏教の石仏だった。昨年中欧に旅行した時は教会の全てのキリスト像の顔が壊されていたり、絵画が全て塗りたくられたりしているのを目の当たりにした。これらを見て僕は、イスラムによる文化破壊に憤りを禁じえなかった。

  だが、しかし、なのである。キリスト教世界で描かれた宗教画は、キリストにせよマリアにせよ人物画が中心だ。更に神までもが人の姿として描かれる。イスラム教から見れば、神を人間の如き姿に描くことそのものが、絶対存在である神への冒涜と映る。

  神を擬人化することは、即ち、人間が神に近い存在であると思うこと。これは人間の驕り、自惚れ、恥知らずな行為・・・、となる。イスラムの教えに一理あるのを知った。

  その後、新都心部の通りを散策したり、テュネルという坂を登る地下鉄に乗車体験して、全てのトルコ観光を終えた。

   再び姿を現した聖人の図  アヤソフィア内部の壁面

 再び姿を現した聖人の図  アヤソフィア内部の壁面

4 月 23, 2012   No Comments

トルコの旅(14) ― イスタンブール④ ―

  ボスポラス海峡     ホットホリディーより転載

  ボスポラス海峡     ホットホリディーより転載

   

 海峡を監視する砲台        同

海峡を監視する砲台 同

  トルコ最終日の朝を迎えた。午前中は、ホテルやその周辺でゆっくり過ごすグループと、オプショナル・ツアーに参加する組に分かれて別行動となる。

  僕らはオプショナル・ツアーを選択していたので、8時半ホテル・ロビーに集合して、バスで出発した。43名のツアーで、オプショナル・ツアー参加者は6組12人だった。

  このオプション・ツアーは、貸切チャーター船でボスポラス海峡をクルージングすると言うものだ。

  イスタンブールの平日の朝は、東京以上に車のラッシュが酷い。ホテルから船乗り場までは、海峡を対岸に渡らなければならず、数少ない橋は酷い渋滞だった。渋滞がなければ15分と言う距離を50分程掛かって到着した。

  ガイドや添乗員を含めても14人のグループだから、船も小さいんだろうと想像していたが、なんと、普通に70~80乗りの観光船だったから、まあ贅沢な広さだった。ただ、気温が6度と低い上に風もある曇り空だったので、船室の外は震える寒さだった。

  クルージングは1時間半の予定だ。初日からの同じガイドが船の中でも船内放送で次々に見えるスポットの説明をしてくれた。

  ここボスポラス海峡は、イスタンブールの真ん中を通り、東(アジア大陸)と西(ヨーロッパ大陸)に二分し、北の黒海と、南のマルマラ海とを結んでいるので、この海峡は海上交通上、大変重要な役割を果たしている。地図で見るとあたかも運河のように見えるが、そうではなく自然が作った海峡なのだ。

  その両岸には、歴史的建物が幾つもあり、また、昨日行ったトプカプ宮殿が遠望出来たり、今日の午後見学するブルー・モスクやアヤソフィアなどが見える。海峡の一番細くなった両岸に砲台の跡などが見え、それが、ここを通る船舶に通行税を掛けていた昔、払わないで通ろうとする船舶に攻撃を加えたという。

  船は一旦北に向かいそれから折り返して南に方向を変えた。その時だった。「皆さん、この中に、本日、誕生日を向かえられた方がいらっしゃいます」とスピーカーから添乗員(女性)の声が流れた。

  皆さんが「オー」と声を上げた。「それは神童さんです」。神童さんと言われてもそれが誰のことか分らなそう。当然だ。こういうツアーって、直ぐ親しくなって話しなどするが名前を憶えている訳ではない。どうせバレルのだからと、僕はオズオズと手を上げた。

  「只今からホット・ワインをお持ち致しますので、皆さんでお祝いをしましょう」と言って、添乗員が直ぐに現れた。僕の所に来て、「おめでとうございます」とグラスにホット・ワインを注いでくれた。ガイドも含めて14人全員にワインが行き渡ったところで、全員で「乾杯!」をしてくれた。

  そう、今日は3月1日。紛れもなく僕の誕生日だ。朝食の時、カミサンに「誕生日おめでとう」と言われたから「ありがとう」と淡々と答えたが、気分は「前期高齢者入り初日」なので、嬉しくも何ともない。寧ろ、誕生日を意識しないようにしたいくらいだった。

  だが、この全く予期せぬ船上でのサプライズには、さすがに感激しない訳には行かなかった。

4 月 20, 2012   No Comments

トルコの旅(13) ― イスタンブール③ ―

         イスタンブール  アヤソフィア

         イスタンブール  アヤソフィア

  グランド・バザールでは、もう1軒スカーフの店に立ち寄った。カミサンが友達と嫁さんと娘のお土産に買うという。スカーフの店はあちこちで見掛けるほど多い。どこに入るか決めかねていたが、ある店の前に見るからに若いほっそりした体格の男が立っていた。店員のようだ。

  カミサンは迷わずそこに決めて、店に入っていった。中では初老の男が外国人旅行者らしいご夫人に様々なスカーフを勧めていた。この男が店主かな。

  若い店員は、たどたどしい日本語で、「奥様、これどう?」と言って青を基調とするスカーフを肩に掛けた。カミサンは指さして「悪くないけど、あの方が良さそう」。店員は素早くそれを取ってカミサンの反対側の肩に掛ける。全体的に臙脂の一品だ。

  カミサンは自分で選んだのを示しながら「幾ら?」と聞く。店員、「???」。意味が分らないらしい。僕が割り込む。

「Euro or Yen ok?」
「Yes Yes.」
「Yen ok?」
「Yen ok.」
「How much?」
「3ゼンエン」

  変な会話の後、突然日本語に戻った。「3千円は高いわよ」と言ったカミサンが、今度は値段交渉する番だ。僕にはスカーフの品質やデザインや値段は全く分らないから傍観者に徹する。

「千円でどう?」
「No No.二つ、5千円」。2つ買えば5千円にまけると言う意味だろう。
「4千円」とカミサン。
「No No.三つ、6千円」と若い店員。カミサンもここらで手を打つだろうと思った。
「じゃぁ、四つ、6千円でどう?」。オイオイ、買うのは3つじゃないのか?
「I am a student of university.オネガイデス」と店員は泣き落としに出た。

  カミサンは店内を見渡して、「あれは幾ら?」と尋ねる。店員は僕の顔を見る。「How much?」と通訳してやる。

「Oh I see.5千円」
「これ3枚と、あれ1枚だと幾ら」

  これと言うのは定価3千円という品物。あれは5千円の品物のことだ。

「チョード、1万円ネ」
「4枚も買うのよ。9千円」。若い店員は店主と相談して戻って来た。
「Ok 9千円。アリガト」

  「あの定価5千円のは誰用?」とカミサンに聞いたら、「自分用」とのお言葉。道理で気合が入っていた訳だ。

  この日の夕食は、ベリーダンス・ディナーショーだった。昔、我々のバンドをバックに日本人のベリーダンサーが踊ったことがあるが、ホンマもんを見るのは初めてであった。イスタンブールの夜は更けて行く・・・

     イスタンブール  ベリーダンス・ディナーショー

     イスタンブール  ベリーダンス・ディナーショー

4 月 19, 2012   No Comments