プレミアムエイジ ジョインブログ
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Category — 日記

第29回グレコ・ライブ

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先週末、横浜新子安のグレコにて、のどごし生バンドの29回目のライブを行いました。台風が近づいていいる影響で、ライブの始まる前に本格的な雨が降り出し、「今日はこの雨だから、お客さん誰も来ないんじゃない?」なんて話していたら、ちらほら集まり始めてくれて、開演前には7~8割方客席が埋まり、バンド・メンバー全員、駆け付けてくれた皆さんに感謝の念で一杯になったのだった。

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さて、この日は、前回に引き続き、プロのシンガーやプロを目指すシンガーをゲストに招いて歌って頂く第2弾の日である。今回は、「結城知」(ゆうきとも)さんと言って、ソウルやR&Bを得意とする若いシンガーだが、おじさん・おばさんを前に歌うということで、それに合わせてスタンダード・ナンバーを歌ってくれた。

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曲は、「キリング・ミー・ソフトリー」「イマジン」「スマイル」である。流石の歌いっぷりである。ただ、「イマジン」は原曲がCコードだが、女性が歌うには声が低過ぎる。彼女はEがいいらしいのだが、その譜面を持ってくるのを忘れたそうで、店の譜面(C)で歌って貰った。

これだけは少し可哀そうなくらい低音のイマジンとなってしまった。これだけがチョッと残念だったかな。ライブ後解散する時、彼女にはいつかまたグレコで歌って貰うかも知れないので、次は譜面を必ず持って来てと伝えて別れた。

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この日のお客様の中に、僕の高校時代の同期が3人来てくれていたが、その一人が孫娘かと思ってしまうほど若い女性と若い男を連れて来た(自分の子供にしてどうにも若過ぎる)。聞けば、女性の方は昨年4月に、九州から上京して証券会社に総合職として就職した23歳(多分)の美人なのだ。出身は九州大学。

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男性の方は、やはり九州大学の大学院の学生で25歳(多分)。2人は恋人同士なのだそうだ。只今遠距離恋愛を強いられている。実は彼女の方は、1年前にも僕の高校同期に連れられてグレコで僕達のライブを聞きに来てくれている。

今回、彼氏の方が彼女に会いに東京に出て来たのだが、彼女から聞いた、のどごし生バンドを是非見てみたいと、こうして2人で一緒に現れてくれたという訳だ。高校同期の奴と彼女は、資産運用の客と営業係という関係らしい。

ライブの合間に、僕が2人を観客に紹介した。

「今日は、九州は博多からわざわざ僕らのライブに駆け付けてくれた人がいます。凄いでしょう? 九州でものどごし生バンドは有名なんです、はい。但し、知ってくれているのは一人だけですけどね」(笑)。

ここで、彼を紹介しステージ上がって貰った。

「実は彼、只今遠距離恋愛中で、今日、東京の彼女に会いに来たのです。でも間違わないでください。のどごし生バンドを聞きたくて上京したのが第1の目的なんですから。ねえ」。彼氏頷く。

「第2の目的が彼女に会うことです。ねえ」彼氏頷く。

そして彼女にも前に出て貰って、夫々に短い挨拶をして貰った。今の若い人達ってしっかりしているね。突然の指名にも拘わらず、人前でちゃんと話せるんだから。彼氏なんか、

「ご紹介の通り、のどごし生バンドのライブに初めて来れて、上京の第1の目的が達成致しました」なんて、しっかり返すものね。

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それにしても、好感が持てるこの若いカップルを、会場のお客さんがおじさん・おばさん目線で温かく見守るこの雰囲気は初体験ながら、なかなかいいもんだ。

そして、会場の平均年齢を下げるという、のどごし生バンドの永遠の課題は、この日に限っては達成された。2人に感謝である。

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9月 20, 2017   No Comments

平尾昌晃逝く

  (ネットより拝借)

(ネットより拝借)

  小学校から中学に変わる頃、「星はなんでも知っている」「ミヨちゃん」とか言う歌がよくラジオに流れていた。女の子達にはかなり人気だったが、運動部(野球部)の僕等にはナヨナヨとした印象で、男らしさから程遠いという理由で、好きな奴は稀だった。ロッカビリーとかいう訳分かんない、遠い世界の存在だった。

  その印象が変わったのは、アメリカのテレビ・ドラマ「幌馬車隊」が始まった時だった。アメリカ西部開拓時代のそのドラマの最初と最後に日本語の主題歌が流れるのだ。僕は一発でその曲が好きになった。歌っているのは何とあの平尾昌晃だったから、えらく驚いたのを覚えている。

  僕はテレビで流れるその主題歌の歌詞を書き取って、直ぐに空で歌えるようになった。学校の休み時間にチョッと歌ったりすると女子が「歌詞を教えて」とか言うので、その場でノートに書いてページを破って渡したりして、少し鼻が高かった。

  それから時代は移って大学1年生の終わりの頃。我が大学の軽音楽部にベンチャーズ・バンドがあって、彼等が小樽商大のバンドを招待して大学の記念講堂でジョイント・コンサートを開催したことがある。僕も入場券を買って聞きに行った。

  我が大学のベンチャーズ・バンドは、それこそベンチャーズのレコードのまま忠実に再現した演奏だった。曲の最後のフェードアウトまでレコードと同じなのだ。それに引変え小樽商大のそれは、同じベンチャーズでもライブ・バージョンだから、様々なショー・アップが施されていて、躍動感が違った。残念乍らどう贔屓目に見ても小樽商大の方が何枚も上手だった。

   そして、更に憎いのが、ラスト・ナンバーの1曲前と断わりながら、ドラマーが「今、北海道だけで流行ってる曲を歌わせて頂きます。曲は僕が大好きな平尾昌晃が作曲し布施明が歌っている『おもいで』」と言ってドラムを叩きながら歌ったのだ。

  正直しびれた。それまで僕はドラマーが歌う場面など見たことがなかったし、歌が上手かった。後のグループ・サウンズでは歌うドラマーも珍しくなくなったが、ベンチャーズ全盛期では有り得なかった。「おもいで」という曲も青春時代の僕等には凄くピッタリ来るロマンティックなメロディーで、僕も仲間も直ぐに覚えたのだった。

  平尾昌晃に感心した2回目の瞬間だった。その直後に出した「霧の摩周湖」はミリオンセラーとなったが、確かに「おもいで」はマイナー・ヒットの部類だったようだ。

  因みに、小樽商大のバンドのラスト・ナンバーは「キャラバン」である。それも、ベンチャーズのライブ・バージョンだ。そう、ドラマーがドラムソロを終え、シンバルを叩きながら前に移動して、エレキベースの弦をスティックで細かく叩くあれである。そこに自分たちのアレンジを加えて迫力満点に演奏したのだった。

   そして3度目。社会人になってカラオケというものが流行り始めた頃、僕が初めて歌った曲が「よこはま たそがれ」だった。実は当時、この曲の作曲家が平尾昌晃とは知らずに歌っていたのだが、後で何かのテレビ番組で知った次第。

   若い頃の何度かの「おもいで」のある平尾昌晃が79歳で逝った。黙祷・・・

7月 24, 2017   2 Comments

朝帰り

  仲間と飲んだ。2年振りの人もいて、大層盛り上がった。夕方から飲み始めて3軒目で飲んでいた時、店の外が少し明るみ始めた。おっとぅ! もう明け方じゃん。時計を見たら4:30だった。10時間は飲んでいる。

  直ぐに飲み会を解散して家に帰った。静かにドアの鍵を開け、静かにドアを開け、静かにドアを閉めた。靴を脱いで上がり框を上がった。

  何と、そこにカミサンが両腕を腰に当てて、立ちはだかっていた。

  僕はてっきり、「何時だと思っているのよ!!!」と言われるのかと思った。が、違った。

  「何歳だと思っているのよ!!!」だった。

  朝まで飲むなんて、50代の頃が最後じゃなかったかな。確かに、古稀過ぎてそんなバカをやる人はまずいないだろう。カミサンに言われなくても、それは分かっている。

  だが、それだけ楽しい飲み会だったということだ。3年前にある問題が発生し、以来ずっと引きずっていた気持ちに、大きな一区切りをもたらしてくれた飲み会だった。だから、そりゃぁもう僕の気持ちは一点の曇りもない全開の酒席となるでしょ。

  そんな訳で10時間が2~3時間くらいにしか感じられない楽しく嬉しい飲み会だったのだ。皆んな遅くまで付き合わせてしまって申し訳なかったね。しかし、ちゃんとツケは来るもので、その朝の寝起き時から悪酔い症状が2日続いて、やっと3日目に正常に戻った(三日酔いなんて初めて、やはり歳だね)。

  その間、体調は頗る付きの悪さだったが、不思議と気持ちの方はこの上ない軽やかさだった。「始めがあれば必ず終わりがある」とは昔の人は良く言ったものだ。忘れる以外、終わりなんて有り得ないと思っていた僕の問題も、3年で終わりを迎えたのだった。

  皆んな本当にありがとうね。一区切り付いたことで、気持ちは100%前に向いて進んで行けそうだ。やりたいこと、やり残したこと、兎に角一歩ずつ前に進もう。残り時間のある限り。

7月 10, 2017   1 Comment

常勤監査役を辞任

Flex 少短の人々 写真最前列左(横になっている)が若き社長W、その真後ろがもう一人の代取K、その斜め左後ろが創業者K

Flex 少短の人々 写真最前列左(横になっている)が若き社長W、その真後ろがもう一人の代取K、その斜め左後ろが創業者K

  一昨日まで僕が監査役を務めたベンチャー損保「Flex少額短期保険」は、開業から年半程になる。開業の前から僕とFuと、それに、現役時代に僕のシステム・チームで開発に加わってくれた女子プログラマー3人の、OB・OG5人のチームでこの会社のシステムを作って来た。ただ、3人の元女子プログラマーはこの5年の内に一人もいなくなってしまったのだが。

  このベンチャー企業、ご多聞に洩れず、最初の3年間はなかなか計画通りに事が運ばず、大赤字が続いて、もういつ潰れても可笑しくないところまで追い込まれたのだが、4年前、経営陣が大幅に若返ってから漸く拡大基調に入り、以降はそれが急加速して4年で20倍の収入保険料(売上げ)を記録したのだ。

  会社は、大苦戦も急成長も味わった創業からの第一ラウンドが終り、今年度から新たな中期計画(3年計画)が始まった。第二ラウンドの開始だ。今の2倍の収入保険料の会社にする目標に向かって走り始めた。

  僕はこの3月に古稀を迎えた。元々勤務は最大でも70歳までと決めていた。その同じ3月末が創業からの第一ラウンドの終わりとも重なり、僕が辞めるにはまたとないタイミングであった。それも今後は更に飛躍して大きな夢と明るい未来が開け行く筈のフレックスを、頷きながら見送れる幸せな引退となる筈であった。創業者のKもきっとご苦労さんと言ってくれるだろうと。

  ところが、監査役の退任は勝手な時期に出来ないことが分かり、3月末退任とはならなかった。即ち、株主総会で後任の監査役を選出するまで僕が務めないと、監査役の定員(現在3名)を割り込むことになってしまうからだ。

  という訳で、3月末ではなくて6月の定時株主総会(6月30日)に於いて、後任も選出されやっと正式に監査役辞任が認められたという次第である。

  義務教育で小学校に入った6歳の時以来、全ての義務から解放されたのであった。63年振りの完全自由人となった瞬間だった。7月からは顧問(非常勤)の肩書を頂いたので、月一度くらい会社に出向いて、若き経営陣や社員を励まして行こうと思っている。

  フレックス少額短期保険の皆さん、宜しくね。日本一の少短めざして頑張れ!!!

 

7月 2, 2017   1 Comment

飛び入り出演

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僕の出身会社のシステム子会社に僕は7年間務めた。その時、会社に軽音楽部があることを知り、職権でドラムをやらせろと言って、本当に久し振りに、バンド活動を再開した経緯がある。途中、仙台単身赴任の時、Keiさんのお店でドラムで遊ばせて貰ったことがあるにはあるが、バンド活動は学生時代から数えて35年振りだった。

頭で記憶していても、手足が自由に動いてくれない。チョッと練習すると直ぐに足や手が攣る。そんな不自由なドラム再開だったが、特訓の成果も出始めて少しずつ慣れて行き、会社のイベントなどで演奏を披露するまでになって行った。

社員によるバンドと言っても、その道、30年だの20年だのという音楽ベテランが多いのだ。会社での序列とバンド内の序列はサカサマになる。それが面白がられた。メンバーは僕のことを「釣りバカ日誌」のスーさんみたいだとからかう。そんな時は、じゃぁお前は浜ちゃんだな、とか言い返したりの楽しい時間だった。

バンド名は当時「OG sounds」と言った。日本語読みだと「オジサンズ」。毎年恒例の、社員とその家族を招いて行う会社主催のクリスマス・パーティーでは、この「OG sounds」が結構人気で出し物のメインを務めたものだ。

僕が会社を辞めてからは、たまに、出身会社グループ全体の音楽祭(於、目黒ブルースアレイなど)に出演したりして来たが、そのうち「OG sounds」は、システム子会社の社員バンドから企業グループ全体のバンドに昇格するなど発展的解消を遂げて、最後は「ダンディー・クイーン」として今日に至っている(と言ってもこの2年間休止状態だが)。

ある日、「OG sounds」のバンマスだったOから連絡が来た。「地元のライブハウスで昔の仲間で演奏したいので付き合ってくれますか?」との内容だった。僕も自由の身、予定がかち合わない限りOKだ。曲目を質問すると「ドゥービー・ブラザーズ」を3曲指定された。

なぜ3曲だけなのかを聞くと、その日は「フリー・ライブの日」とかで、演奏を希望するバンドが3曲自由に演奏できる日なのだそうだ。それは2週間後の土曜の夜だ。「準備して置いて下さい」とOは言うが、1週間後はグレコで初めてプロのシンガーの伴奏をするので、その準備で一杯だ。

それが終わって1週間あるか。ならば何とかなるかと、その要請を受け入れた。3曲のうち1曲だけは以前も演奏している曲(Long train running)なので何とかなる。他の2曲をyoutubeで聞いてみる。ブレーク・ポイントが幾つかあったり、途中途中にイントロと同じ独特のリズムが入ったり、気楽にドラムを叩ける曲ではない。

更に、終わりがフェード・アウトしていて、本番に向かない。自分達でどう終わらせるか考えなければいけない。いきなり人様の前で演奏するのは無理だ。Oに「ライブの日の夕方、会場入り前にスタジオ練習しよう」と提案し、実際当日の17時~19時の2時間、スタジオで曲の構成やエンディングを決め、2~3度通しのリハを行って会場に入った。

最近僕がお気に入りの鉄板焼きの店「ぼんのてい」の常連客のハーさんとKoさんの2人が、既にカウンターに座っていた。一応、この日のことはハーさんに伝えておいたのだが、本当に来てくれたんだね。ありがとう。もう一人、親友のKが来てくれた。

店の名は「ルーズボックス」。数人の観客以外は全部出演者。それでもう満席という小さな店だ。ライブ・ハウスではなく、ライブ・バーと書いてあった。

さて、その晩の「フリー・ライブ」応募者は5組だった。ギターの弾き語り(ソロ)3組、バンドが2組だった。アミダで出演順が決まり、ぼくら「OG sounds」は3番目の出演となった。メンバーの一人Yは、「OG sounds」ギター弾き語りにもエントリーし4番目となった。

僕らの番が来た。「OG sounds」はエレキバンド、乃至、ビートルズ風4人編成のバンドでドービー・ブラザーズを演奏した。ボーカルは全てOが務める、ギターのNとベースのYは全曲コーラスを担当する。勿論僕はドラムだけに集中する。

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曲順は最初に「Listen to the music」、次に「Dark eyes Cajun woman」、そして最後は「Long train running」だ。直前にスタジオで音合わせしたこともあって、3曲ともノリが凄く良かった。このメンバーだけで演奏したのは、かれこれ6~7年振りだが、過去一番の出来かも知れない。気持ち良かった。スッキリした。

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次のYのギター弾き語りは、さだまさしやオフコースなど3曲を歌いながらギター演奏してくれた。彼は定期的にここ「ルーズボックス」で歌っているようで、以前より高い声が良く出ているし、ギター・テクニックも目を見張るものがあった。

Yの演奏が終ったところで、もう1組のバンド演奏を残して僕とK、それにハーさんとKoさんは「ぼんのてい」に向かった。Kが夕飯を食ってなくてかなり腹を空かせていたからだ。それにしても、ハーさんとKoさんが僕らのバンドを頗る気に入ってくれて、「とてもカッコ良かった」とやや興奮気味に言ってくれたのが何より嬉しかった。

写真は全てハーさんが撮ってくれたものだ。高級カメラだけのことはあって、あの薄暗いライブ・バーでかなり良く撮れている。バンドのあの迫力をそのまま絵に出来ないのがもどかしいとか言ってたが、どうしてどうして。ハーさんありがとうね。

彼は僕の人生で最も新しい友達である。2ヶ月前に知り合った50歳。自動車・バイクの修理・改造(改造と言っても違法改造ではない)ではかなり名の知れた人物で、全国から注文が来る。例えば、「もう動かせない1960年型のムスタングだが動かせるか?」と言った注文だという。彼の話がとても面白いのだ。鉄板焼き屋「ぼんのてい」。だから週1回は通う破目になる。

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6月 29, 2017   No Comments

第28回 ライブ イン グレコ

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― 2週間遅れのご報告 ―

  今回から、特別ゲストとして毎回異なる女性シンガーにご登場頂き、のどごし生バンドがその演奏を担当する。その最初のライブだった。彼女達の経歴は様々だが、全員プロとして活動をしていて、メジャー・デビューを目指しているシンガー達なのだ。

  昔、NHKテレビなどで活躍していた「スクール・メイツ」のマネージャーを長く務められた安達さん(シニア世代の女性)が、今は完全に退職されて、全くの無償ボランティアで、若き才能達が世に出るための支援をされていることに共感して、我がのどごし生バンドも協力させて貰うことにした次第である。

       僕等は、いろんな業種の人間が偶然集まって、偶然バンドを作って13年目に入ったが、これまで人助けのために演奏活動をしたことは一度もなかった。観客よりも何よりも、自分達がまず先に楽しんじゃう、それが我が「のどごし生バンド」のモットーだったからだ。

  安達さんは10数人の若い女性歌手の面倒を見ているとのことだ。彼女の話では、長いキャリアで培った様々な伝手や人脈を頼って、時には銀座や六本木のライブ・ハウスに彼女達を出演させているが、その時は会場を埋めるノルマがついて回るので、そう度々は出来ない。

  ノルマなく頻繁に人前で歌う機会を何とか作りたいと思っていたところに、2ヶ月に1回ライブを行っている「のどごし生バンド」のことを聞いて、是非そこで彼女達に歌わせて貰えないだろうかと思い、人を通じてお願いしたという経緯だった。

  今回機会を得て、自分達のバンドやライブが若いシンガー達への支援になるのであれば、喜んで協力させて頂こうと相成った次第である。しかしながら、僕等のようなバンドで、本当にプロ歌手のキャリア・アップの手助けになるのかという根本的疑問が解消されないまま当日を迎えた。

  10数人いる女性シンガーが、2カ月に1度の僕らのライブに一人ずつ出演するとして、一巡するのに2年余の期間が掛かるプロジェクトのスタートである。先頭バッターは「スミエさん」だ。

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  彼女は歌う前に自己紹介をした。それによれば、長崎出身40代で、結婚して3人の子供がいる。若い頃シンガーとして活躍していたが、一度辞めて普通の主婦をしていた。だが、若き日の夢諦めきれず、一大決心をして長崎空港で涙一杯浮べた子供達に見送られて上京した。それが3年前だった、という自己紹介があった。

  彼女がそう話している時は、僕も「えっ! マジかよ」と、その覚悟の程を感じてジーンと来てしまったが、「スミエさん」は最後に、「こうお話しすると、皆様に、これは絶対に応援しようと思って貰えるのではないかなと、お話しさせて頂きました(笑)」と言った。

  何だよ、と思ったが、100%作り話でもないようだ。後で安達さんから「あれは、誇張や脚色もありますが、まんざら嘘ではないんです。神童さん、どうか宜しくお願いします」と言われたのだった。

  さて、ライブの状況だが、事前のプロの女性シンガーの登場告知が効いたのか、34席が満員になる大盛況だった。のどごし生バンドが1部と3部、K&Bが第2部という構成はいつも通りを踏襲した。

  違うのは、1部の最後の2曲、3部で途中1曲の計3曲を「スミエ」さんに歌って貰ったことだ。彼女は「You’ve got a friend」「黄昏のビギン」「Smile / What a wonderful world」の3曲を歌ってくれた。

  さすがプロ。メジャー・デビューを目指す人の歌は違う。一瞬で人の気持ちを掴む。「オー!」というような観客の表情で分かる。プロだから音程がしっかりしているのは言うに及ばず、感情の入れ方がオーバーでなく極く自然なのに、心に深く響く、そんな歌い方なのだ。

  終了後、フッ君が言ってた。「スミエさん、上手いっすねぇ。コンガ叩いていて凄く気持ち良かった」。それが全てを語っていると思う。但し、「スミエさん」がのどごし生バンドをバックに歌って気持ち良かったかどうかは別問題だが。

  1部終了後の休憩時間、観客として来てくれた別々の友人2人が、会社のイベントとかで歌って貰えるか、などと「スミエさん」に問い掛けていた。その横から僕が「メジャー・デビューしてからじゃ、ギャラが大変だよ。今のうち、今のうち」とかチャチャを入れた。

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  次回ライブはまた違う女性シンガーが来てくれる。しかし、今回のように3曲とも新曲だとおじさん達、一寸大変。なるべく僕らのレパートリーから選んで貰うように交渉しよう。

  いつも偶数月第3土曜日をライブの日と決めているが、8月ライブはお休みにして9月に順延し、10月からはまた偶数月に戻すことにする。

 

6月のライブ セットリスト

第一部

1.  サウンド・オブ・サイレンス
2.  ミセス・ロビンソン
3.  待つわ(K&B)
4.  イマジン
5.  オール・マイ・ラビング
6.  シェルブールの雨傘
.     ユー・ガッタ・フレンド(スミエ)
8.  黄昏のビギン(スミエ)

第二部

           K&B                 3曲

第三部 

1.  アンチェイン・マイ・ハート
2.  ファイブ・スポット・アフター・ダーク
3.  ユービーソーナイス・トゥ・カムホーム・トゥ
4.  スマイル/ホワッタ・ワンダフル・ワールド(スミエ)
5.  オール・オブ・ミー
6.  ルート66
7.  時空の風に
.     ダイアナ

e.  ハウンド・ドッグ
e.  ジョニー・B・グッド

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6月 28, 2017   No Comments

Shifo

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  何年振りだろうか? 今日は大変珍しい人に会った。2010年まで、僕等おじさんバンド(のどごし生バンド)が応援団として、またバックバンドとして一緒に音楽活動をしていたユニット「クーペ&Shifo 」の Shifo に地元のオーパという商業ビルの1階で、バッタリ遭遇したのだ。

  通路のような所で、反対側から歩いて来る彼女。僕も彼女の方に向かっている。その間には誰もいないから、直ぐにお互い気が付いた。Shifo の大きな目がひときわ大きくなった。

  「社長! 随分若返っちゃって」とShifo。当時、僕が社長と呼ばれてたのは、多分態度が大きかったから。僕はスポーツシャツの襟を立て、コットンパンツにテニス風シューズといういで立ちだ。何せ自由人だから。「Shifo も元気そうで何より」と答えたら、何やら袋からCDを取り出して、「これ出来たばかりのCDです。どうぞ」と渡してくれた。

  今も曲作りを頑張っているんだと分かって嬉しかった。「オキナワのともだち」というタイトルだった。「凄いじゃないか。頑張ってるんだね」と言いながら、お金払わなくちゃと思ったのを察知したのか、「昨日もここオーパで偶然38階佐藤さんにお会いして、このCDを差し上げました」と言う。ありがとう。

  7年前に、我々おじさんバンドが クーペ&Shifo から独立自立して以来の再会だ。それが、2日連続でおじさんバンドメンバーに遭遇したのだから、Shifo も相当に驚いている。僕にしても懐かしさが胸一杯に溢れる。

  そう言えば、のどごし生バンドが結成10周年を迎えた時、Shifo のご両親がグレコ(横浜新子安)での記念ライブに来てくれたことがあった。僕らのバンドは当時、Shifo のお母様に大変お世話になっていたので、わざわざ遠くまで来て頂いたことに大感激して、かなり張切って演奏した記憶がある。その時も、Shifo に来て貰えたらね、などとバンドで話が出たものだった。

  「ところで、クーペは元気でやってるの?」と聞いてみた。「帯状疱疹になっちゃったり、なんやかやで、死に掛けています(笑)。本人は罰が当ったって言ってますけどね(笑)」。この辺りの話し方はクーペ譲りだ。

  Shifo は、昔、日本レコード大賞で新人賞に輝いたミヒマルGTというユニットのデビュー曲「気分上々↑↑」の作曲者なのだ。自分のライブでは自作の曲をピアノで弾き語りする正真正銘のシンガー・ソングライターである。

  家に戻って、早速佐藤さんにメールした。「今日、オーパで偶然 Shifo に会い最新作のCDを貰った。佐藤さんも昨日同じオーパで Shifo に会ってCD貰ったそうだね。2日連続でおじさんバンドに会ったこと、Shifo が相当ビックリしてたみたい」と。

  返信メールが来た。「Shifoとは、昨日オーパの駐車場で会ったのですが、その後、駐車場を出た所でKさんを見掛けたので、『Shifo からCD貰った』と自慢したら、Kさんは『オレも昨日偶然Shifo に会ってそのCD貰ったよ』と返されました」。Kさんは、バンドではないが当時僕等と一緒にクーペ&Shifo を応援していた主要人物の一人だ。

  Shifo は偶然3日連続で昔の応援団に新曲集を配ったことになる。これはヒョッとしてヒョッとする前兆かも知れない。この新しいCDをキッカケにして是非世に出て貰いたいと思う。

6月 26, 2017   4 Comments

最後の車(後編)

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  試乗から戻ってディーラーの営業マンに一応購入見積書を作って貰った。そして、今日乗って来たRX-8を下取りするとしたら、幾らになるかも査定して貰った。まず新車の見積りだが、ナビやオーディオやETCなどを含んだ一般的な構成の見積りだった。

  だが値引欄を見るとたったの5万円。まあいいや、今日契約を結ぶ積りじゃないから、参考情報として頂いて置く。問題は、愛車の下取り価格だ。10万円~11万円だと言う。嘘だろう? という思いが顔に出たのか、営業マンは「これはまだ目安です。新車購入の時、全体の中で考慮しますから」と反応。15万円くらいまでの可能性かな?

  僕は、RX-8がマニアには結構人気のある車種と思い込んでいたし、12年物と言っても、駐車場では必ずカバーを掛けて大事にして来た。走行距離も4万kmだ。減価償却を考えても最低30万円~40万円にはなる筈と踏んでいたのだ。

  ディーラーからの帰り道、息子が言った。「RX-8はスポーツ・カーだから、マニュアル車が人気で、オートマ車は元々そんなに人気ないよ。この車にプラス・ポイントがあるとすれば、奇麗なことと走行距離だね」と。そうか。オートマのスポーツ・カーって考えてみれば変だった。

  次の日、僕は、RX-8の買取価格を知るために、自動車買取店2店とマツダ・ディーラーを訪ねた。それぞれ査定をして貰った結果、マツダは11万円(+残り期間の税金分+自賠責保険料返還)、買取店Aは10万円(同)。そして最後に訪れた買取店Bでは、驚いたことに、他の見積りの3倍以上の価格提示だったのだ。

  何故これ程の差になるのか、半信半疑ながら、買取店Bは僕が見込んでいた金額を少し上回って査定してくれたので、当然僕はそこに愛車を売ることにした。それでも担当者は申し訳なそうに「マニュアル車だったらもっと高く引き取らせて貰えたのですが・・・」と言う。この点は息子の言う通りだった。

  さて、肝心のスズキ・スイフトの購入交渉だ。「いかな何でも、新車購入なのに5万円引きはないでしょ。これで5台目の新車購入だけど、日産でもトヨタでもマツダでも、10%~15%は引いてくれていましたよ」と僕。担当者は「それは下取りの額を含めてじゃないですか?」と聞いて来る。

  「下取り抜きでだよ」と返事はするものの定かではない。ただ、僕として20万円の値引きを何とか引き出したいのだ。すったもんだの挙句、営業マンは上司に相談に行った。「オレ、滅茶苦茶言ってる?」と自問自答しながら、何か知恵がある筈とも期待した。

  彼が戻って来た。「今日までがGWキャンペーン中なので今日購入を決めて貰えれば、キャンペーン価格が適用出来ますので、割引額が更に5万円上乗せ出来て10万円引になります」とのことだ。

  更に続ける。「また、キャンペーンの目玉として、こちらのモデルのナビ&オーディオ・セットなら無料でお付け出来ます」。早く言ってよぉ(笑)。見積書に入っていた別のメーカーのナビ&オーディオ・セット128,000円がそっくり落ちる。都合228,000円の割引が実現した。

  この日がGWキャンペーンの最終日なのは店内外の幟やポスターで確認出来た。営業マンは売買契約書を今日までに締結した客が対象だった(らしい)のを、上司と相談した結果、購入意思表示の書類記入で対象にしてくれたようだ(推測)。

  そんなこんなで、愛車の売却・新車の購入ともに値段交渉は満足出来る決着を経て、5月末にスイフト・ターボが納車になった。僕にとって人生最後の車だ。色はカミサンの指示に従い、派手でないシルバー・メタリックにしたが、何か淋しいので、フロントにある模様を入れて貰った。

  これが、どこから見ても自分の車だと分かる「世界で一つだけの車」(言い過ぎですが)の気分にさせてくれる。予想外だったが、その模様が孫娘には好評で、この車を「とっても可愛い」と言ってくれる。まだ下の道しか走っていないが、今週、ゴルフがあるので初めて高速道路を走る。ゴルフよりそれが楽しみ。

               最後の車  ― 完 ―

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6月 11, 2017   No Comments

最後の車(中編)

  さて、RX-8を諦めたのは良いが、次の車を何にするか決めるのが大変だった。次も3ナンバーの車にするのは難しい事情があったからだ。

  僕等夫婦は、以前の戸建て住宅からマンションに移り住んで9年になる。その間、僕の車は前の家の駐車場に留めていた(徒歩5~6分)。ところが今は、古い家を建て替えて息子夫婦が住むようになり、その駐車場に息子の車と僕の車2台が駐車している。

  決して広くはないが2台が収まる横幅も縦幅も充分あるのだが、駐車場の前の川沿いの道幅が3m強しかなく、車の出し入れは斜めに回り込むしかない。特に駐車場に入れる時、もう一台の車や前方のガードレール、家のクーラー室外機など接触しないよう何度もハンドルの切り替えをしないといけない。

  結構、技術が要るのだ。3ナンバーの中でも車の全長や車幅が小柄な方のRX-8でもこうなのだから、普通のセダンでは無理だろうと思う。もっとコンパクトな車の方が出し入れが簡単になる。

  そんなことで、次の車はコンパクト・カーかなと思ったり、一層のこと、息子の車も下取りして貰って大きな車1台にしようかとも考えて、家族に相談した。

  まずカミサンの意見。「車車って言ったって、そんなに乗らないじゃない(実は12年で4万km)。平日は息子が乗らない(電車通勤)から必要な時は借りればいいでしょ。2台も要らないわよ」と言う。

  「だけど平日、息子の嫁さんが車で買い物や子供を病院に連れて行くことだってあるし、そういう時俺がゴルフに行ってて車がなかったら拙いだろ」と一応反論。「仮令買うにしても、歳も歳なんだから、もうスポーツ・カーとか派手な車は絶対やめてよ! 年相応の大人しい小型車かなんかでいいんじゃない」と、これでも大きな譲歩のご発言。

  息子の意見。「車は1台より2台あった方が何かと便利だし、TPOに合わせて使い分けられるしね」と2台目も自分の物みたいな言い方で、2台保有に賛同した。

  一応、息子の嫁さんにも聞いてみた。「いえいえ、どうぞお義父様がお決めになってください」。ただ、続けて、「M君(息子の名前)が、お父様が新車を買われると聞いて、早速、これがいい、あれがいいってネットで調べていました」と来た。あいつ自分の車を買うんじゃないのに。誰に似たのか息子は大の車好きなのだ。

  大阪に赴任していた時は、営業で1日200km車を運転していたので、社有車を含めて沢山の車種を経験していた。コンパクト・カーに決めて彼と候補を絞り込んだ。トヨタ・アクア、ビッツ、それにスズキ・スイフトの3車種が最終候補となったが、息子はスイフトが良いと言う。

  コンパクト・カーには珍しくターボ車があるからだと言う。息子はネットで調べていて、このスイフト・ターボに勝手に惚れ込んだようだった。早速次の日曜日に彼と一緒に近くのスズキ・ディーラーに行くことにした。息子を連れて行ったのは、新車試乗させて貰って、いろいろな車を乗った経験に照らして、スイフトの感想を聞きたかったからだ。

  試乗してみた。息子と僕で交代で運転した。馬力ではRX-8に及ぶべくもないコンパクト・カーだが、ターボだけあって、上り坂でアクセルを踏み込んだ時の加速は遜色ない。1000㏄の車なのにRX-8(2000㏄相当)並みに感じられたのだ(スズキはこのターボ車は1500㏄のエンジン並みと謳っているが)。

  この加速性能とレスポンスについては、息子と完全同意見だった。ターボはとてもいい。大変気に入ってしまった。そして、ターボ車なのに燃費20km(カタログ・ベース)も素晴らしい。

  但し、信号待ちのあと、青信号で発進する時、ゆっくり過ぎるのだが、これは急発進事故防止のためらしい。息子曰く「今の車はみんなそうだよ」。そうなのか。センターラインをワザと踏んでみる。案内書通りに警告音が鳴った。居眠り防止用の安全装置だな。他にもふらつき警告とかバック・カメラによる車両後方の画像だの12年前の車に比べるとかなり進化していると感じた。

  試乗からディーラーに戻った時、既に心の中でスイフトに決めていた。アクアもビッツも、ターボ車などないからだ。値段的にも、スイフトの方が少し廉価だった。

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6月 10, 2017   No Comments

最後の車(前編)

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  この5月末で乗って丁度満12年を迎えるRX-8を手放し、新車に乗り替えることを決断したのはGWの頃だった。勿論、今でも好きな車だし、ずっと乗り続けたい車であったが、已む無く別の新車に乗り換えることにしたのだ。

  それは、購入して10年経った頃から、あちこちのパーツが経年劣化しその交換が相次いだからだ。例えば、マウントというエンジンの振動を座席にそのまま伝わらないようにする緩衝パーツが劣化して取換えたり、走行中発電装置からバッテリーへ充電する機能も低下したので発電装置も交換した。

  更に更に、冷却装置のサーモスタットが機能しなくなったり、車の底のパイプが錆びてしまったりして交換せざるを得なかった。要は購入から10年たったら申し合わせたように、あちこちのパーツが経年劣化し始めたのだった。

  この3月末までは、会社勤めだったので頻繁に車に乗る方ではなかったが、退職したら、RX-8でのんびり日本海側にでも車の旅に出ようと思っていた。だが、いざそうなってみると、年金生活の身には、このRX-8の維持費と言うかメンテナンス費用がバカにならないことを痛感したのだ。旅行費用がメンテナンス費に化けてしまう。

  そうは言っても、問題発生の個所は全て新品に取り換えたから、これで一段落と言うなら、もう8年(購入から20年くらいまでは)乗りたいものだ。だけど、そんな保証は誰もしてくれない。それに比べれば、今の新車は510年パーツ交換の問題は起きない。さあどうする、と迷った挙句「手放す」という苦渋の決断をした。

  58歳の時に、RX-8を買ったのだが、その当時、口の悪い仲間の多くが、「神童さん、こりゃまた、年齢に似合わない車にしましたねぇ」とか、「車は確かにカッコいいけど、神童さんが乗るべき車かどうかは別問題ですよ」「神童さん、若いんですねぇ」などと言って、盛んにからかってくれたものだ。

  いつかのブログに書いたかも知れないが、僕がRX-8を気に入ったのには、全く別の理由があるのだ。

  当時親会社だったフォード社からロータリー・エンジンの生産や研究を一切禁じられたマツダの技術陣は、それでもロータリー・エンジンを諦められず、秘かに研究を続けていた。

  そして、遂に最新鋭のロータリー・エンジンが開発された。しかし、それを搭載した車を世に出せない。何とか道はないものかと悶々としていたところに、フォードの副社長(技術分野の最高責任者)が広島にやって来るとの情報が入った。

  マツダの技術長は、この機会をものにする以外、ロータリー・エンジンを再び世に出すチャンスはないと腹を括り、フォード社副社長の来日に合わせて一台のスポーツ・カーを作り上げ、到着を待った。

  マツダ社の技術長は、未発表の新車があるので、是非試乗して欲しいと副社長にお願いした。副社長は快く引き受けてくれた。そして、マツダのテスト・サーキット。技術陣が見守る中、副社長が一人で乗車して快音とともに走り去って行く。そして数分後、快調に飛ばして元の場所に戻って来た。

  技術陣は皆んな固唾を飲んで、副社長の言葉を待った。「とても良い車だ。エンジンも静かだが力強い。コーナリングも滑らかで素晴らしい。是非、世に出そう」。皆んな快哉を叫びたいところをぐっと堪える。肝心なことが決着していないからだ。

  技術長は、「お褒めに預かり光栄です。しかしながら、副社長にお伝えしなければならないことがあります。この車のエンジンは実はロータリーです。ここにいる彼らが業務終了後毎日研究を重ねたエンジンです」と伝えた。

  このフォードの副社長こそが、マツダのロータリー・エンジンの生産中止を命じたその人だった。技術長は、その決定に背いて研究を続けて来たことを咎められた時は、その責任を一人で取るつもりで副社長の答えを待った。「OKだ。良くぞこんな素晴らしい車を作り上げてくれた」。それが満面の笑みを浮かべた副社長の答えだった。

  僕は、こんなドラマを、NHKの「プロジェクトX」で観て、1か月後にはRX-8を買っていたのだった。ハードとソフトの違いはあるが、僕も会社合併のためのシステム統合などで悪戦苦闘した技術者の一人だ。マツダの技術チームをリスペクトすると同時に、大いに共感覚えたのだ。

 

6月 8, 2017   No Comments