Category — 日記
トルコ旅行(12) ― イスタンブール② ―

グランドバザール Photo by Yasuo Aki
トルコ旅行の3日目に、革製品の店に案内されるのが予め分っていたので、手頃な革のショルダーバッグでもあったら買おうかと思っていたが、そこはコートやジャンパー・ジャケットなどの店だったから目的が叶わなかった。
何せ、トルコは革製品の国なのだ。グランドバザールには沢山店があるから見付かるかも知れないと期待して、カミサンとあちこち歩き回った。貴金属店やブランドショップからみやげ物店・手芸品店・玩具屋・アクセサリー店・スカーフ店・・・
人通りも多いし、店側の呼び込みの男達も多い。トルコ人は先祖がモンゴル人というからか、モンゴル相撲の選手やレスラーのような体格の男が多い。そんな奴が数人で屯している店はどうしても敬遠してしまう。
その先に、外にバッグがはみ出さんばかりに吊るされている店を発見。ショルダーバッグが、これでもかと言うくらいに沢山あった。気に入った物を3つほど選び、カミサンに、どれが似合うか聞いて、皮の柔らかい薄茶色の一品に決めた。
ここからが値段交渉だ。支払いは日本円で良いと言う。店主が言った値段は25,000円だ。
「25,000円出すなら、東京にもっと良いバッグが沢山あるよ」と僕。
「OK、幾らなら買う?」と店主。
「そうねぇ、15,000円なら買ってもいいかな」
「旦那様、それじゃ、私が大損こいちゃいますよ」
「損じゃなくて儲けが少なくなっちゃう、だろ?」
「殺生な! じゃぁ20,000円でどう?」
「要らない。買うのやめとく」
「そう言わないでよ。これ付けるからサ」と店主が小銭要れを差し出す。
「それは、このバッグよりもっと要らない。じゃ、もう行くから」
「待って、待って。旦那様には負けました。もうこれが最後。18,000円!」
「要らない」
「う~ん」腕組みして暫く沈黙する店主。「ホントに最後の最後だよ。17,000円!」
「買った!」僕は間髪を入れずに答えた。
「やるねぇ、旦那様。これも付けておくよ」と小銭入れをバッグに入れてくれた。
定価が妥当なのかも、17,000円が高いのか安いのかも分らないけど、気分は悪くなかった。グランドバザールは値段交渉を楽しむ場所と心得るべし。それにしてもトルコ人って何であんなに日本語旨いんだろう?
4 月 17, 2012 2 Comments
大木さん、おめでとう
大盛り上がりの「グレコ」開店記念パーティー Photo by TAKA
先週の土曜日の夜、JR新子安駅近くに「ミュージック・スペース・グレコ」という名前のライブハウスがオープンした。この店こそ知る人ぞ知る大木先生のお店である。そのオープニング・パーティーが開催されたのだ。
(当ブログでは、これまで、バンド内で実際に呼び合っている愛称を少し変えて、ブログ・ネームとして記述して来ましたが、本来の呼び名に改めます)
「のどごし生バンド」の主催で、大木さんのファンと、今後「グレコ」を演奏で支援して頂けそうなバンドに声を掛け、盛大に執り行おうと企図して当日を迎えた。
だが、僕がバンドに声を掛け過ぎて、当日までに9組のバンドが参加表明してくれている上に、当日もう1組参加してくれることになり、都合10組の演奏によるパーティーと相成ってしまった。

漢組(おとこぐみ) Photo by MAEMAE
従って、最大40名の座席に50名ほどが来てしまったので、場内は超満員だ。主催者の「のどごし生バンド」は殆んど立ち詰めとなったのは仕方ない。
夕方6時、予定通りに開宴し、主催者挨拶で大木さんの簡単な経歴紹介の次に、乾杯の音頭を当日の最年長者にお願いした。「ASMOブラザーズ」のIさんだ。そしたらIさん、「最年長じゃないよ」とか言って断ろうとするから、「平均年齢で最年長のバンドのバンマスにお願いする」と言い換えたら渋々応じてくれた。「ASMOブラザーズ」は平均年齢68歳。
でもIさん、流石現役時代はやり手の営業マンだったから、乾杯の音頭で一気に盛り上がる。
さあ、そこから10組の祝辞と演奏をどうやって9時半までに終わらせるか? 10組と言っても、バンドメンバーがほぼ揃っているところは4~5バンド。彼らには5~6曲演奏して貰うが、それ以外はバンドを代表して来てくれたので、名刺代わりに2曲ほどソロで演奏をお願いする方針で望んだ。

みずすまし 片岡さん Photo by MAEMAE
しかし、どのバンドも大木さんへのお祝いの気持ちが言葉に表れ、何ともアットホームなパーティーとなった。最後の方で、大木先生(オーナー)と万作さん(マスター)に対して花束贈呈があり、「こういうお店を持って演奏するのが夢でした」という大木先生の言葉に、彼の望んでいたライフ・スタイルが遂に始まるという高揚感を含んだ、心の内側が垣間見られた気がした。
それにしても、大木先生の生き方はカッコいい。3末で校長先生を退職して、直ぐ自分の夢に向かって走り出す。そうそう真似出来ることではない。
最後は、「のどごし生バンド」が6曲演奏したところで、10時になっていた。だが、大木さんのピアノをもっと聴きたいとアンコールがあり、「サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」を、アンディーと38階佐藤さんの歌と大木先生のアドリブを中心に演奏した。が、まだ拍手が鳴り止まない。
じゃぁ、ホントに最後の最後と言って「ジョニー・B・グッド」。全員が立ち上がってツイストにゴーゴーにディスコ・ダンス。終わってみたら10時15分。なかなか計画通りには行かなかったが、大盛り上がりの開店記念パーティーだった。

TAKA Photo by AKI
出演バンドは下記の通りでした。 皆さんありがとうございました。
① 漢組(おとこぐみ) ⑥ K&B
② 大木クインテッド ⑦ アップルビーツ
③ みずすまし(片岡) ⑧ トライム
④ ASMOブラザーズ ⑨ タペストリー(TAKA)
⑤ ダンディークイーン ⑩ のどごし生バンド

中央が大木さん Photo by KOBAYASHI
4 月 16, 2012 10 Comments
トルコの旅(11) ― イスタンブール ① ―
アンカラに向かう途中で、雪のため通行止めになって開通の見込みが立たなかった時、今度は遂に自分達に災いが降って来たと思った。
と言うのも、昨年の中央ヨーロッパの旅行の時は、あの3.11が起き原発の大事故が起きたし、一昨年のイタリア旅行の時は、アイスランドの火山爆発でヨーロッパの全ての空港が火山灰のため閉鎖となり、帰国出来るか否かの瀬戸際だったから、今度は何が起きるのかと、不安な気持ちが正直あったのだ。
それでも、夜11時ごろ、何とかアンカラに辿り着き大事に至らずホッとしたのだった。
翌朝は、山沿いを走る高速道路を使ってイスタンブールまで450kmをバスで行くのだが、雪の積もったこの山沿いの道路を抜けるまでが、やはり冬の難所とされている所だ。
そんな訳で、通常所要時間を5時間のところを、下手したら8~9時間掛かることも覚悟し、予定より1時間早め朝6時半に出発することになった。5時間も眠れない強行軍となったが、これも旅行の醍醐味の一つと考えることにする。
最初の2時間ほどは結構雪が降っていて、また、通行止めにならないと良いがと祈るような気持ちだったが、その後は徐々に天候が回復して青空も覗くようになって来た。それまで高速道路とは言え雪が積もっているので50km程度のスピードだったが、徐々に轍のあとがハッキリと見えて来て、あたかも2本のレールのようにそこだけ雪が融けた状態になって来た。
バスのスピードも徐々に上がり、暫くして長い下り坂になった。ガイドがマイクで言った。「皆様、今、最大の難所を通過シマシタ。もう、通行止めの心配はないと思イマス。皆様は世界で一番ハッピーな人達デスネ!」と。またかよ。世界で一番幸運ならそもそも通行止めの心配なんてしないって。
イスタンブールには午後1時過ぎに着いた。結局6時間弱だった。良かった。ボスポラス海峡に面したレストランでシシカマブの料理を堪能した後、イスタンブール最初の観光スポットのトプカプ宮殿に向かった。
1453年に、蒙古系の民族が、コンスタンチノーブルを征服し、オスマン帝国を築いた。その君主の居住する宮殿として、メフメト二世が造営し18年掛けて完成したものだ。完成は1478年。
オスマン帝国は当時の世界最強の国であったことから、ヨーロッパや中東各地から貢物が続々集まり、財宝が所狭しと収められた宮殿だったそうな。今でも財宝館には80カラットをゆうに超えるようなダイヤモンドや、美しいエメラルド・ルビーなどが数多く展示されている。
僕は、今度の旅行に来る前に、「のどごし生バンド」のKさん(AMSの1人)に、トプカプ宮殿のブルータイルのことを聞いていたから、それを見たいと思っていた。それは「ハレムの主要門」の壁一面にあった。
それはそれは見事なもので、青を貴重とした細かい模様のトルコ絨毯を見ているような錯覚を覚えるほどだった。このブルータイルはイズニック・タイルと呼ばれ、昔、トルコの首都にもなったことがある町イズニックの名産物なのだそうだ。

トプカプ宮殿のブルータイル
4 月 13, 2012 1 Comment
トルコの旅(10) ― 吹雪 ―
食事をしていたら、添乗員が来て申し訳なさそうに言った。「ついさっき、この先アンカラまでは雪のため通行止めになってしまいました。なので、ゆっくり食事をなさってください。情報が入り次第お伝えします」と。
あ~ぁ、遂に、通行止めか。一行からいろんな声が上がった。
「もし、今日中に通行止めが解除にならなかったら、このレストランに朝までいられるのですか?」
「他の道はないんでしょうか?」
「何時間くらい待たされるんでしょうか?」
気持ちは分かるけど、現地ガイドや運転手が盛んに情報収集に当たっているから、彼らの判断に任せるしかないでしょう。添乗員が答えたのは、このレストランは夜10時までという良くない情報だけだった。
こういう場合、最悪の事態への対処を考えてしまうのは習い性か。システム開発の仕事に何十年も携わり、大トラブルを何度も経験しているからか、そういう対処は自然と身に着いているみたいだ。僕の結論は、アンカラ泊の次はイスタンブールに一泊して帰国なので、最悪でも帰りの飛行機に間に合うようにイスタンブールに到着すること。
この地より、北には行けないことがハッキリしたら、南に引き返して、再び温暖な地をエーゲ海沿いに西走、マルマラ海沿岸を北上して、途中車中泊でも良いから、イスタンブールまで何とか辿り着くというものだった。運転手も2人いるし、中1日あるのだから。
夜10時にレストランが閉まるまでに通行止めが解除にならなければ(普通に考えれば、これから深夜に向けてますます雪は降り積もり気温も下がるので解除の可能性は薄くなりこそすれ、高まることは有り得ない)、添乗員とガイドに申し出ようと決めた。
不思議なもので、そう心に決めると、「通行止め解除はまだか」と焦れることもなくなる。かれこれ3時間ほど足止めされただろうか、添乗員が笑顔でやって来て、「皆さん、道路が通れることになりました。直ぐにバスに乗って下さい」と伝えてくれた。大歓声が沸く。時計は夜の9時前を指していた。
僕が考えた最悪は避けられた。外は雪が7~8cmほど積もっていたが、バスはスタッドレス・タイヤだから問題はないようだ。バスの中も、運行再開で皆さんホッとしたようで空気が和やかになった。
ガイドは、「道路は雪のために通行止めになったのではなく、車3台ほどが巻き込まれたスリップ事故のためでした。その片付けに手間取って、3時間も足止めされたようです。雪の方は、アンカラはもう止んでいるとの情報ですから、多分、辿り着けます。ヨカッタデスネ」とVサイン。
「それから、この3時間、レストランで待つことが出来たのも、皆さんラッキーです。バスの中では、食事も出来ない、トイレにも行けない、外は吹雪だから出られない。皆さんは世界一ラッキーな人達です」と続けた。本当に世界一幸運なら足止めなど食わないよ!
雪の中を走ったので、バスは90kmに2時間ほど掛かったが、やっとアンカラに着いた。一面雪景色で静かな古都と言った趣きの町だった。嘗てはトルコの首都だったそうで、古いタイル張りの建物が多かったように思う。ホテルには夜11時過ぎに到着した。
4 月 10, 2012 No Comments
トルコの旅(9) ― ノアの方舟伝説 ―
カッパドキアから幹線道路に出るまでの間に、雪が降るとあっという間に積もって、頻繁に通行止めになる冬の難所があるそうで、積もる前にそこを抜ける必要があったので急いだとガイドが説明した。
確かにその辺りの道路は、轍の跡を除いて白くなっていたが、何とか通過することが出来た。やれやれ。
幹線に出た。これから、300kmを優に超えるトルコ北部の本日の宿泊地アンカラを目指すのだが、どこまでも続く広い平原を行くといった風景の中を北進する。バスの後方南側遥か遠くは空が明るいのに、これから向かう前方はどんよりと暗い空が一面を覆っている。雪が降っているんだろうな。
この辺りは雪も雨も今は上がっている。高速道路でもないのに、信号が全くない真っ直ぐな道だから、バスはかなりのスピードで急いでいるのが分かる。
大平原の中に突然、海と見紛う大きな湖が左手に現れた。ガイドの説明では塩湖だそうだ。その大昔、トルコは海底だったのが隆起して出来た陸なので、全国至るところに塩湖が存在するという。
そう言えば、トルコの最東部にアララット山という、ノアの方舟伝説の険しい山があるが、最近(2003年)、そこで船底の形をした物体が民間の商用画像衛星によって撮影された。今その衛星写真を見ているが、自然のものではなさそうで、僕には人工物に見える。形が船そのものなのだ。
専門家によれば、聖書に描かれるノアの方舟の縦横比率は6:1だそうだが、この写真に写った物体も正しく6:1だと言う。それが海抜1,800mを超える氷河の中にあるらしい。
一度は人間を作った神だったが、その後の人間の振る舞いに怒り、地上から全ての生きものをなくしてしまおうと、大洪水のスイッチを押すのだが、方舟に乗ったノアの家族と7種類の番の動物だけが助かった物語は、キリスト教にもイスラム教にも共通に出てくる話であることが興味深い。どちらもノアが上陸した場所はアララット山辺りだという。
伝説がもし事実だったら、いくら大洪水とは言え、津波の高さ1,800mは有り得ないから、その頃トルコは殆ど海だったのではないか。流れ着いた場所がアララット島だったと考えると、今のトルコの内陸部に塩湖が多いのも頷ける。
途中、対向車線に屋根に雪が積もっている車を何台も見掛けるようになった。それを見て、無事にアンカラに着いてくれよ、と心の中で祈り始めた。
大きな塩湖を過ぎた辺りから、夕暮れになったのと、天候が悪く空が厚い雲に覆われて暗いのとで、一気に夜になってしまったかのようだ。バスの窓に斜めに雨跡が走り始めた。雨というよりみぞれだ。不安が増す。みぞれは遂に雪へと変わった。
アンカラまであと100kmの表示を目撃した。進む前方の道をバスのヘッドライトが照らす。道はもう白くなっている。横風が強いらしく、雪が真横に飛んでいるのが良く見える。さすがにバスのスピードは40~50km/時と言ったところか。
更に10kmほど行った辺りで車は一旦幹線道路から外れて、ドライブインに寄った。どうやらここが本日の夕食会場らしい。一時的な「雪宿り」(雨宿り?)ではなく、ここまでは本日予定の行動だった。
4 月 9, 2012 No Comments
またまた鳩山さん?

Yahoo より拝借
ついこの前、民主党の訪中団と鳩山さんの単独訪中がかち合って、民主党内に一悶着あったばかりだ。それも決着しないまま強行され、胡錦濤国家主席に、同じ日に2回も、日本の政治家達と会見させるハメになり、日本政府の不手際を北京側に晒す結果となった。
その記憶もさめやらぬ内に、鳩山さん、今度はイラン訪問だそうだ。核問題で欧米が制裁圧力を強めている最中である。国連での駆け引きを含めてギリギリの緊張状態にある今、鳩山さんは何しに行くのか?
鳩山氏はイランでアフマディネジャド大統領らと会い、核開発問題について意見交換する予定だそうだ。「意見交換」が聞いて呆れる。欧米がイランに核開発を止めさせようと強力に迫っても全く譲る気のないイランに対して、鳩山さんは「自分なら、止めさせられる」とでも思っているのだろうか?
頼まれもしないのに出掛けて行って、
「核開発を止めるつもりはないですか?」とでもアフマディネジャド大統領に聞くのか?
「止めるつもりは絶対にない」と言われ、
「やはりそうですか?」で帰って来る筈だ。
当然イランは、日本から元首相が来て会談する訳だから、日本との友好をアピールして、欧米の結束に楔を打ち込もうとするだろうし、欧米は、特にアメリカは、普天間の基地移転問題の日米合意を反故にした張本人が、今度はイランの核開発阻止を邪魔するのかとしか見ないだろう。
それは、鳩山一個人に対する見方に留まらず、日本はイランと裏取引をするのではないかと疑いの目を向けること必至だ。世界は誰だって、鳩山さんは野田首相の親書を携えてアフマディネジャド大統領と会うのだと思う筈だ。肝心なところで日本は我々を裏切る気だと思われない保証など何処にもない。
鳩山さんを密使として送ることが日本政府の意思であり、イラン核開発中止のこの膠着状態を打開する目的意識でなされるならまだ分かるが、そうではなく、首相も幹事長も止めてくれと言っているのに、鳩山さんは「議員が外交努力をすることによって国益に資する」と反論しているのだそうだ。
鳩山さん、首相の時から今日まで、日本の国益を損ない続けた第1位は貴方ですよ。普天間問題で「最低でも(移設先は)県外」と理想だけ述べて腹案もなく、結局出来ず、辺野古移設は白紙撤回の如くになり暗礁に乗り上げた。
そのことで日米がギクシャクし、日本の存在感を貶め、中国・韓国にそれを譲り渡した張本人ですよ、貴方は。首相を退任したら議員も辞めると言って、過去最高の支持率を得た後、「辞めるの止めた」と言ったり、民主党内の争いが激化すると必ずしゃしゃり出てつまらないことを言う。国民の願いはただ一つ、「鳩山さんよ、何もしないでじっとしてて」だ。
外務省にも「首相経験者が軽率な言動をすれば日本外交に悪影響を及ぼす」と心配する声が多いという。が、本人は国益と信じて疑わない。野田総理も鳩山さんのイラン行きを止められないのか。野田さんの声が聞こえてきそうだ。「一国の首相でも、宇宙人はコントロール出来ない」。
4 月 6, 2012 3 Comments
トルコの旅(8) ― カッパドキア ―

カッパドキアのキノコ岩
このキノコのような、世にも珍しい岩はどうやって出来たのだろう? キノコの天辺の傘の色が焦げ茶色や黒で、その下の部分が薄茶色で白っぽいのだ。そんな岩が地面から幾つも咲いているようだ。
以前、BSテレビで、ここカッパドキアの特集をやっていたのを少し見たことがあるが、その時は、地球上にはそういう妙な場所もあるんだ、という程度しか感じなかったが、現地に立ってこの奇岩を目の当たりにすると、その不思議さと言うか異様さは、どうしてこうなったのか教えて貰わないではおかなかった。
現地ガイドに、どうやってこういう形が出来たのか聞いてみた。「アナタノ質問ハ、トテモ良イ質問デスネ」と妙なイントネーションで言って、地面に棒切れで絵を書きながらツアー一向にその説明を彼は始めた。
それによるとこうだ。この一帯は火山の噴火口の近くで、大昔、火山の噴火で大量(10m超)の灰が堆積した。その後再び噴火して、今度は溶岩が火山灰の上に流れ出たり飛び散ったりした。そして溶岩が冷えて、火山灰の上に硬い岩が乗った形となった。
その後長い長い時間の中で、溶岩が上を覆わず柔らかい火山灰だけだった場所や、溶岩が薄い所が雨に流され、厚い溶岩のあった場所だけが、傘の役割となって下の火山灰の部分までが残ったという訳だ。
一つ一つのキノコ岩が10m~20mもあるのだから、残った極く僅かな岩以外は全部下方に流されて台地となって行ったのだ。なる程とは思うが、どう見ても、僕らが歩く地面から生えて、天に向かって伸びた巨大な植物のようにしか見えない。
世界遺産であるカッパドキア一帯には、様々な見所が一杯あって、僕たちは「地下都市」と呼ばれるトンネルを掘って生活したと言われる場所(実際は戦の時の避難所、平時は貯蔵施設)や、駱駝の格好をした岩の名所や、3人姉妹が寄り添った岩・遠くにマリア像のように見える岩、幼い子がキスをしている岩など、8箇所の観光スポットを見て回った。

カッパドキア らくだ岩

カッパドキア キスシーン
それまで、穏やかで天気も良かったのが、急に雲が広がり霧が発生した。気温もぐんぐん下がって来た。カッパドキアの見所は全部見終わった途端だから、運がいいと言えば運がいい。風も強くなって来たので、休憩時間を切り上げて全員バスに戻り、その日の宿泊地アンカラに向かうことにした。
カッパドキアはトルコの内陸中央部に位置するが、同じく内陸部のアンカラはその北方約300kmにある。2月末だから、まだまだ、カッパドキアもアンカラも真冬で雪が降り積もってもおかしくない時期だった。これまでは雪もなく穏やかだったのが奇跡だとガイドが言う。
バスの中では、2人いる運転手の非番の方が盛んにトルコ語で電話している。ガイドもまた何処かに電話し始めた。どうもこれから向かうアンカラ方面の気象状況の情報を入手しようとしているようだ。
どうも嫌な予感がする。僕は良い予感というのは殆ど当たらないが、悪い予感は全部当たるんだ。

カッパドキア 北国の爺さん岩の向こうにマリア像が
4 月 5, 2012 No Comments
軽音楽部

軽音楽部主催 「AD音楽祭」の時の一枚
今年1月8日にやった、ブルース・アレイ「AD音楽祭」の出演者と、その時に観客として来ていて、今度軽音楽部に入りたいという人達とで、反省会と称する「ミニ・ライブ&忘年度会」を開催した。軽音楽部とは勿論僕の出身会社のサークルのことだ。現役もOBも一緒にやれるのが良い。
場所は銀座の「フレーズ」という店。何年か前から軽音部の例会などで使って来た店だ。いつもは、平日の6時半位から8時半過ぎの、他の客が来る前の時間帯に飲み食いと共に勝手に演奏していたが、今回はちゃんとミニ・ライブ風にまじめに演奏する会にしようと土曜日の午後、特別に店を開けて貰ったのだ。
この日は、昼頃から暴風雨が激しくなり、あちこちで私鉄などが運転見合わせとなったりしたため、出席予定者全員が集まるのは無理かなと危惧したが、時間を掛けて迂回ルートで辿り着いた者、想定所要時間よりも1時間早く家を出た者など、それぞれが努力した結果だろう、予定時刻には全員が揃ったのだった。
この日は、K君がリーダーを務める京都のフォーク・グループ「みずすまし」のリード・ボーカルの宮原氏(プロ)が、わざわざ京都からやって来ると聞いていたから、果たして新幹線が到着出来るかどうか危うんだが、何のことはない、彼も風雨が酷くなるかなり前に東京に着いていたのだそうだ。
それぞれのバンドが1月8日の再現のような演奏をした後、カラオケによる新入りのオーディション(冗談)と称する歌の披露も行われ、全員採用(これも冗談)となった。
最後に、各バンドのメンバーが入り乱れてのセッション。こういう場合、普通ドラマーは複数人いることは珍しいので、高い確率で全部のバックをやらないといけないことが多いのだが、軽音楽部には僕の他にもう1人T君がいてくれるので助かる。
さて、この日僕がセッションでやりたかったのは、宮原氏が僕らのバンドで歌いたいと事前に知らせて来た「ホテル・カリフォルニア」だ。この曲は、僕がまだ現役の時に会社のクリスマス・パーティーで演奏したことがあったが、もうかなり前のことだ。だから、前の日に何回もYOUTUBEで見聞きした。
ぶっつけ本番でやるのは兎角不安なもの。しかし、始めてみるとそんなことは何処へやら。宮原氏の情感溢れる歌声に感動しながら気持ち良く最後まで出来た気がする。客のいない仲間内のライブの良さなのだが、本当はお客さんがいても、お金を取る以上しっかり準備してとかでなく、このようにその場で打ち合わせて、即興で演奏出来れば音楽はもっと楽しくなるんだろうな。
この会では、3月末で40年以上勤めて退職するKu君をお祝いし送り出すことが出来たのも嬉しかった。この日彼に歌って貰った「ダンシング・オール・ナイト」は特に輝いていたと思う。Ku君も感無量の様子だった。
4 月 4, 2012 No Comments
トルコの旅(7) ― パムッカレ ―

パムッカレの石灰棚 (世界遺産)
トルコ2日目のトロイ、3日目のイズミール・エフェソスは共にエーゲ海沿いの温暖な地域だったが、3日目の宿からは海から離れた内陸部の旅となる。宿泊地はパムッカレと言う有名な温泉地だ。
僕らが泊まったのは、温泉プール付きのリゾート・ホテルだった。本館はレストランやバー・カフェなどのある2階建ての建物で、宿泊棟はその向かいの8つの平屋建てコテージだった。各コテージの中は、8~10組が宿泊出来るように別々の部屋に分かれた、なかなかお洒落な高級リゾート・ホテルのようだ。
夕食後、僕らは早速温泉プールに入った。水泳は子供達をプールに連れて行った時代以来だから、もうあれから20年以上泳いでいないことになる。当然海水パンツも何も持っていなかったので、この旅行に先立って、カミサンの水着と一緒にわざわざ買い求めたのだった。
プールは1階が室内でその屋上が屋外プールとなっていた。この日は2月下旬だったから外は寒い。1階で泳ぐことにした。
大きな岩風呂のようなプールだ。脱衣所で着替えていざ泳がん。が、何人もがプールに漬かっている割には泳ぐ人は少ない。プールに入ってみると、日本の温泉風呂の温度より幾らかぬるめだが、正しく岩風呂温泉であった。温水プールではなく温泉プールという意味が分かった。
水着を着て温泉に漬かるということであって、泳ぐのが目的ではないみたいだ。青い目の外人さん達もジャグジーの場所でじっと漬かりながら談笑している。僕らもそうした。あぁ~、いい湯だな!
さて、翌日4日目は、世界遺産のパムッカレ石灰棚見学がメインだ。但し、この日は、途中コンヤ市内観光を経てカッパドキアのホテルまで、走行距離700kmを走破しなければいけない強行軍だ。
今回の旅行で、最も良かった点の一つは、6日間で3,000km近くを走破するために、運転手が2人同行していることだった。彼らが交代で眠り運転してくれるのは大きな安心感があった。
さて、温泉地パムッカレの一番の売りは何と言っても、丘の上の温泉と一緒に湧き出る石灰が、長い時間掛けて広大な石灰棚を作り上げた景観だろう。遠くからこの丘を見ると丘の上に雪が積もっているようにも見え、また、近くで見ると白い千枚田の様でもあり、満月の夜にはその一つ一つの水溜りに月が映って、とても幻想的だろうなと想像したのだった。
私の生まれ故郷の近くに「姨捨山」という所がある。「姨捨伝説」の地であるが、石灰棚の白を緑に変えると、丁度同じような段々畑、じゃなく、段々の田圃になる。その田圃群に移る月を平安貴族が読んだ短歌があり、僕はそれを思い出したのかも知れない。
その後、コーランが流れる宗教の町コンヤを見学して、バスは走りに走って夜カッパドキアのヒルトン・ホテルに着いた。自分で運転している訳でもないのに、朝7時から夜8時まで、見学や昼食時を除いて乗り詰めだから、かなり疲れた。
でも、ホテルは新しくて綺麗だったし、このホテルの夕食が、バイキングではあったが、初めて美味いと思えたので、今晩は気持ち良く眠れそうだ。

パムッカレ 泊ったリゾート・ホテルの本館
4 月 3, 2012 No Comments
トルコの旅(6) ― ファッション・ショー ―
ステージが暗くなり、乗りの良いヒップホップの曲が掛かった。中央をスポットライトが照らす。男女のペアが皮のコートを着て現れた。説明によると彼らはプロのモデルではなく、従業員だそうだが、なかなかどうして、モデル顔負けの美男美女。歩き方も決めのポーズも堂に入っている。
毎日、観光客相手にショーをやっていると、プロはだしになるということか。モデルは男女3組計6人だった。冬物のコートやジャンパーから、毛皮のショールにジャケット・ベストと様々な作品を見せてくれた。
最後の方では、観客の中から3名の男女をステージに登らせ、彼らにもモデルになって貰おうとの趣向だ。ステージ上からこちらを指差されたので、びっくりしたが、僕の一つ前の席にいた男性だった。僕と同じような年齢だろう。選ばれたもう一人の男は大学生、女性はこれまた60歳前後のご婦人だった。
彼らがステージの奥に消えた後も、ペアによるファッション・ショーが続いていたが、音楽が変わったと思ったら、先程のご婦人が高そうな毛皮のロングコートを着て、モデルの男にエスコートされて現れた。
歩き方が少しぎこちないがそれは仕方ない。だが、ステージを前に進み、その正面にお仲間の婦人達が座っている辺りに投げキッスを送った表情は、俄かモデルを楽しんでいる様でなかなか宜しい。
年配の男性も大学生も、モデル達の真似をしてステージ最先端で決めのポーズをしたりクルッと1回転したり。大いに笑わせてくれたが、革のジャケットやコートがよく似合っていた。
ショーが終わって案内された所は、皮製品売り場だ。店員がさっと飛んで来て、「お客様には、こちらのジャケットがお似合いです」と達者な日本語で1着取り出す。買いたいとか何も言っていないのに。
「革のバッグを見たいんだけど」と僕。「ここには皮のコートとかジャケットしか置いていないんです。だからこれ着てみて」と店員。「着るだけタダよ」とどうしても着てみろと言う。
店員の説明によれば、これはヨーロッパへの出荷前のもので、行き先はイギリス・バーバリー社だそうだ。確かにあの格子模様が裏地についている。「これ、バーバリーから買うと28万円。ここで買うと18万円。ねっ、安いでしょ?」。
安くねーよ。いらないと断っても、「じゃぁ、これはどう?」としつこい。やっとの思いで店員を振り払って店の外に出た。凄いね、トルコ人の商魂は。
だが、彼らの名誉のために触れておくと、トルコは知る人ぞ知る皮製品の輸出国で、ファッションの本場フランスやイタリアなど、ヨーロッパへの輸出量では世界第2位なのである。
私が無理やり着せられたジャケットは、「ペルリア」と呼ばれる、布のように薄くシルキー・タッチの柔らかい羊皮だったが、これは世界でもトルコにしかないと言われる代物だそうだ。
4 月 2, 2012 No Comments

