1本のカセット・テープ

長野市に住むM君が、先日、ある録音テープを送ってくれた。その録音テープというのは、今から47年前、長野市の市民会館で行なわれた、長野高校「音楽祭」の実況録音である。この「音楽祭」は学校の文化祭の中の一大イベントなのだ。
学内の音楽部が全部参加する。我が「マンドリン・クラブ」に吹奏楽部、ハワイアン・バンドに室内楽団に合唱部。2,000名弱の会場が、先生や生徒、父兄、それとなんと言っても、他校の女子高生達が大勢詰め掛けてくれるので、毎年超満員となる。
昭和39年9月のことだった。僕らは高校三年生。丁度東京オリンピックの1ヶ月前だった。
この年の「音楽祭」では、「マンドリン・クラブ」がトップバッターを務めた。その指揮者が僕に録音テープを送ってくれたM君だ。主役はやはりマンドリン班。総勢60余名の大部分はマンドリン班だ。そんな中で僕は、主に伴奏が使命のギター班に属しながら、曲によりリズム・セクション(ボンゴ)も務めた。
10曲近くを演奏したと思う。小一時間のステージを務めたのだが、長い間に記憶も薄れ、演奏した曲目も数曲しか覚えていない。
指揮者や部長の配慮で、いつも伴奏で「マンドリン・クラブ」を下支えして来たギター班に、1曲だけギター・アンサンブルの演奏が許されて、ギター4本で「スパニッシュ・カーニ」という曲を演奏したことだけは鮮明に覚えている。
早速、聞いてみた。雑音が多かったが、あの時のことがいろいろ思い出されて、胸が熱くなった。演奏前の楽屋での緊張を解すためのふざけ合いや、幕が開く前のステージで全員着席して息を止めるような緊張感。懐かしい。
録音テープは、高校校歌の演奏から始まった。忘れている。校歌の練習をしたことなど全く記憶にないが、夏休み返上の厳しい練習の中でやったのは間違いない。何せ一番緊張する最初の曲なのだから。
2曲目は「マンドリン・セレナーデ」。ルンバ風のリズムに乗ってマンドリンの旋律が遊ぶような感じの曲だ。ボンゴの音が響く。赤面。音が大きいよ。緊張で手に力が入っているんだな。でも、リズムは正確だった。何故か47年前の自分にホッとする。
5曲目。いよいよ「エスパニア・カーニ」だ。司会がギター班を一人ひとり名前を紹介している。「向かって左から、セカンドのM君。その隣はサードの神童君。真ん中がフォース、A君。その隣がファーストの猪瀬君。一番右は同じくファーストのS君」。
あれっ!? 4人じゃなくて5人だったのか? 記憶っていい加減なものだ。
猪瀬君というのは、東京都副知事の猪瀬直樹氏のことだ。テレビに映る彼の風貌からは想像も付かないと思うが、間違いなく高校生の彼はギターが上手かった。だから「エスパニア・カーニ」のメイン(ファースト)を演奏しているのだ。このテープをダビングして彼に送ってやろうっと。
そう言えば、マンドリン班との合同練習とは別に、ギター班だけでこの曲を何度も特訓したのを懐かしく思い出した。何箇所か、どうしても上手く行かないところがあって、それを克服するのにかなり梃子摺ったんだよなぁ。
【曲目】
1. 校歌 2. マンドリン・セレナーデ
3. 浜辺の歌 4. ムーンリバー
5. エスパニア・カーニ 6. 童謡集
7. キサス・キサス 8. ルンバ・ドナウ(ドナウ川のさざ波)
9. スパニッシュ・ワイゼン 10.第三の男
2011 年 11 月 4 日 No Comments
宝友会
僕が7月に酔って東京駅のエスカレーターで転倒し、救急車で病院に運ばれたことがあった。全治2週間の怪我だった。
その事故に後日談があって、僕のブログを読んでくれた人から、「東京駅のエスカレーターの両サイドの壁に『飲酒後のエスカレーター危険』とか『酔ってエスカレーターで転倒する事故が増えています』とか、沢山張り紙が出ているけど、あれは神童さんの事故からでしょう?」と何人もから言われた。
僕も実際、それをこの目で確認した。確かにあの沢山の張り紙は、以前は無かったような気がする。僕の転倒を受けて張り出されたのなら、僕の怪我も注意喚起に幾ばくかの貢献をしたということか。怪我そのものは2週間で済んだが、僕としては、カミサンの手前、謹慎の意を表すため1ヶ月の禁酒を決めたのだった。
それもやっと解禁になり、オデコの5本の縦縞も1本減り、首のむち打ち症状もかなり軽くなった時に、4人の仲間が僕の快気祝いをしてくれたのだった。8月20日だった。僕を入れておじさんバンド・メンバーが3人(斉藤さんとヨッ君と僕)、コーラス隊の女性メンバー2人(KさんとMさん)の計5人の飲み会だった。
皆さん、お酒大好き人間達だ。僕自身もお酒は正直かなり好きな方。でも、お酒が原因の怪我だったから、慎重に飲み始めた。・・・のだが、結局3次会まで行くことになり、禁酒1ヶ月のブランクを一気に埋めてお釣りが来る程の完全復帰の飲み会となった。
その時に、快気祝いとして頂戴したのは、オデコの縦縞(漫画のザー!とか、ガーン!とかの時に現れる)を隠すためと思うのだが、カッコいいエンジの帽子だった。その後のマンスリー・ライブなどでは、僕はそれを被って演奏したりした。
この時の会は、正に僕のためにやってくれた会だったので、そのお返しの意味を込めて、次は「For me」の会ではなくて「Fou you 会」を行なう旨をメンバーに伝え、その会を土曜日に地元近くで行なった。
今回は、斉藤さんが別件があるとのことで、途中で合流出来るかどうかという状況だった。彼を除く4人で、コラーゲン豚シャブの店で会を始めた。まず、酔う前に「この会の名前を決めよう」と僕から提案。「Fou you 会」は最終的に日本語の「宝友会」となった。
その後、2次会も終ろうかという時に、斉藤さんから「これから行くので場所を教えて」と連絡が入ったので、必然的に3次会突入と相成った。夜中の12時少し前だった。
という訳で、前回に引き続き3次会を経験したが、それを同世代の友人に話したら、「もう年なんだから、そういうことやってちゃだめだよ。俺なんか、絶対一次会でさっさと帰ることにしている」と言われてしまった。
でも、考えたら、今、僕らの世代は、飲み会にしろゴルフ会にしろ趣味の会にしろ、殆ど同世代が集まってやっている。僕も会社や大学の同期との飲み会は2次会になることがまずない。爺さん達だけの飲み会じゃ、言われなくてもそうなる。
ところが、音楽は国境を越えると言うが、世代も越えるし性別も超える。30代2名、50代2名、60代1名の会ってあまりない。或いは、本当は年齢は越えていないのかも知れないけど、こうして普通に仲間として扱って貰えているのが物凄く嬉しい。
ありがとう宝友会の皆さん! 第3回はいつにしましょうかねぇ?
2011 年 10 月 31 日 6 Comments
音楽祭が決った

来春早々に行なう「音楽祭」の概要が決った。この音楽祭、一昨年まで3年連続行なって来た、僕の出身会社の有志による演奏会だが、昨年は会社合併があり、現役のメンバー達がとても「音楽祭」を行なうような時間的・精神的ゆとりがなく、1回見送った経緯がある。
だからと言って、現役組は今年決して余裕が出来たという訳ではないけれども、どうしても今年はやりたいという気持ちが勝って、実施の運びとなったのである。
この音楽祭、最初は会社の後輩のK君がリーダーとして、学生時代に京都で鳴らしていたフォークソング・グループ(4人組)が再結成し、東京で会社の仲間達の前で演奏会を開いたのが始まりだ。グループ名を「みずすまし」と言う。
その時は、新宿曙橋のライブハウスを使って、ビュッフェ・スタイルの軽食に、飲み放題という大変和やかで、酔いと共に乗りの良くなる観客達と一緒に大いに盛り上がった。個人的には、「みずすまし」の歌う「岬めぐり」や「アリス・ナンバー」が大好きだ。
2回目は六本木のライブハウスだった。1回目は「みずすまし」単独ライブだったが、この回から会社のバンドが3チーム加わったので、ライブの名前も会社名を冠した「あいおい音楽祭」となった。僕も会社のバンドを組んで参加した。
3回目が渋谷。全て100名前後のライブハウス。ビュッフェ・スタイルの軽食に飲み放題という1回目からのスタイルが定番になった。なので、チケット代はいつも6千円くらいになってしまうが、いつも、あっと言う間に売り切れ、お断りせざるを得ない程の人気なのだ。
プロはだしの「みずすまし」(実際、Kと共にリード・ボーカルを務めるもう1人はプロのシンガー・ソング・ライターとして活躍中)人気にも支えられているが、飲み放題が気に入って欠かさず参加してくれる仲間も多い。
さて、今回は、これまでのライブハウスとは違い、東京で1、2を争う高級クラブを借り切って行なう。目黒の「ブルースアレイ・ジャパン」という所だ。青山の「ブルーノート」と同じで、本家はニューヨークの有名なジャズクラブの東京進出店である。
毎夜ジャズメン達が演奏する店だから、素人が立てる場所ではないのだが、たまたま、「ブルースアレイ・ジャパン」の社長と親しい、エイジ氏の息子さんが仲介してくれて、奇跡的に今回の「音楽祭」をそのような場所で実施出来ることとなった。
因みにこのお店、料理が自慢だそうで、ライブハウスと言うよりレストランだと思って貰いたいようだ。そういう料理をこちらの言い値で格安にして貰えたのは大変有難いことだし、参加された方々は必ずや満足されるだろう。
さて、「音楽祭」の名前であるが、今回から新会社名の「MS&AD音楽祭」となった。MS&ADの社員関係者、並びに、OB・OGの皆さん奮ってご参加下さい。
記
名称 MS&AD音楽祭
日時 2012年1月8日(日)昼 12:30開場 13:10開演
(12:30~13:10食事時間)
場所 「ブルースアレイ・ジャパン」 JR目黒駅徒歩2分
目黒区目黒1-3-14 ホテルウィングインターナショナルB1
出演 みずすまし(フォーク)、Mr.NI(カントリー)、
ダンディー・クイーン(ロック)、セブンス・ウエスト(J-POP)
募集 100名様限定
料金 6,000円/1名
以上
2011 年 10 月 26 日 3 Comments
映画「華の乱」

どこまでが事実でどこからがフィクションなのかよく分からないのだが、吉永小百合主演の20数年も前の映画「華の乱」を見た。 (上記画像はAmazon から無断借用)
深作欣二監督の「与謝野晶子」(吉永小百合)と「有島武郎」(松田優作)との秘められた愛を描いた作品だ。当時、見たい映画ではあったが、人生で最も多忙な時期だったため、物理的にも精神的にも、なかなかそんなゆとりがなかった。
この映画をBSで放映するのを知って、テレビの前に陣取った。それを見てカミサンには「いつまでも吉永小百合が好きなんだから」と呆れられたが・・・
反論するとすれば、「僕は決してサユリストではない」と言いたいところだが、それもちょっと面倒で厄介なので、何も答えないことにした。
実のところ、日本の女優の中では断然吉永小百合が好きなのだが、サユリストでないと言うのは、僕の中でのナンバー1は、ナタリー・ウッド、ナンバー2がオードリ・ヘップバーン、3番目が吉永小百合だからだ。これではサユリストに叱られる。
それはさて置き、物語は、落ち目の夫与謝野鉄幹が妻晶子の反対を押し切って選挙に出馬したり、愛人宅へ行った切り家庭を顧みない夫への不満を全て飲み込んで、晶子は歌人として家計を支え、母として子育てに奮闘する。
そんな彼女の心の片隅に入り込むかのように、有島武郎が現れる。片や詩人、方や当世随一の小説家。お互いがお互いに惹かれて行く。だが、夫々の子供達を伴ったピクニックにも、どこからともなく現れる美貌の女性がいた。波多野秋子という婦人公論の敏腕記者だ。
晶子は、二人に作家と雑誌社の記者という以上のものを感じ取るが、それも、晶子が有島に惹かれて行くのを止める材料にはならなかった。ある日、有島から北海道の自分の牧場を小作人達に無償で解放しに行くので、是非晶子にも来て欲しいと、北海道までの列車の切符が郵送されて来る。
矢も盾もたまらず、晶子は1人汽車に飛び乗る。有島は、自分の牧場を明け渡し、大勢の小作人達が歓喜する中、遠くから馬車に揺られる晶子を認め、自らも馬を駆って出迎える。そして二人の愛は最高潮に達する。
しかしその翌日、有島の牧場開放が社会主義的であると当局に追求され、小作人達に真実を言わせようと警察は彼等に暴力の限りを尽くす。釈放された有島は、自分の甘さに激しい自己嫌悪に陥る。晶子にも東京に帰ってくれと頼む。
晶子は、有島の苦しみの幾らかでも分けて貰いたいと言うが、有島は「1週間以内に自分も東京に帰り、必ずあなたに連絡する」と言って晶子を説得する。晶子は帰京する。
有島が東京に帰ったと知った晶子が、有島家を訪ねると、波多野秋子から電報が来て急いで出て行った後、二人の心中が発見されたことを知る。
有島武郎の死を知った晶子の詩。
「書かぬ文字 言わぬ言葉も 相知れど いかがすべきぞ 住む世隔たる」
と、まぁ、こんなあら筋なのだが、事実は、有島武郎と波多野秋子の心中と、有島武郎の死にショックを受けた与謝野晶子の上記の詩しかない。が、この短歌に込められた晶子の有島に対する想いからすれば、有り得ない事とは言い切れない。
しかし、映画を見終わった後疑問が残った。有島武郎は、波多野秋子という心中する程深い仲の女性がいながら、同時に与謝野晶子に真剣な愛を求め達成し得るものなのか。その二つの不倫に必然性がない。不自然さがあるとすればその点だろうか。
個人的には、晶子の有島への想いはプラトニックに留めておいて貰いたかったが、それでは映画にならないか。
いずれにせよ、今も、20年前も吉永小百合は常に美しい。
2011 年 10 月 25 日 12 Comments
超満員の友人ライブ

自分のライブでサックスを吹く友人のA
遂にその日は来た。大苦戦の「群青」を演奏しなくてはいけない日が。今月3回に亘って事前練習したにも拘らず、ドラムの最終形が決らないまま当日を迎え、且つ、自分の都合によりリハーサルにも参加出来ずに、ぶっつけ本番になった。
ジャズ・ドラムの大御所(現在73歳。その道55年かと思ったが実際は15歳でプロになったからプロ生活58年)三戸部氏の指示に従って、自分なりに最終形を考えて本番に臨んだ。
三戸部氏は、「『群青』のような、朗々と歌い上げる曲は、ドラムはそれを盛り上げる効果音の役割と思った方が良い。潮の満ち干と同じように、盛り上がるところでは激しく、その後はグッと静かになる、そういうコントラストが大事。静かさが求められるところは、極端に言えば、ドラムは無音がいい」と僕にアドバイスしてくれていた。
Youtubeなどで聞くと、オリジナルは最初の方こそ、ドラムは無音で進むが、一旦ドラムが入ると、強弱はあるが最後までドラムが入っている。問題は弱の部分のドラム(と言ってもハイハット・シンバルで4/4を刻んでいる)をどうするかだ。
最終練習の時、Aが録音してくれたのを再生して聞いた限りでは、ハイハットの4/4の音が効果的とは言えなかった。いや、寧ろ、折角のAの歌を邪魔していると感じた。ここは三戸部氏が言うように、完全にドラムの音を出さない方が効果的だと思った。
それを基本に、何処でドラムを叩き、何処で引くか、曲全体の中で構成を決め本番に臨んだ。その構成で一度も合わせられないままの本番だったので、本当にそれが良いのかどうかの確認も出来ていないから、不安一杯の本番であった。
これほどの緊張感は、6年前、初めて2千名の前で演奏した日比谷野音か、東京国際フォーラムのステージに初めて立った時以来のことだった。
だが、新構成の始めての演奏だったにも拘らず、ほぼノーミスでやれたし、坂口さんのピアノの最大の聞かせどころの間奏も、自分としては心に描いていた通りのドラムによる盛り上げが出来たかなと思った。
後で、三戸部さんも坂口さんも、そして、ベースマンの中さんも、口を揃えて「群青」のドラムを絶賛してくれた。
その代わり、何の問題意識もなかった「枯葉」(「群青」の1つ前に演奏)の4バース(4小節ごとのドラムと他の掛け合いアドリブ)演奏で、メロディーを口ずさみながらドラムソロをやっていたのに、途中から、それが分からなくなって、最後が決らなかったという初歩的なミスを犯していた。
去年も一昨年もやった曲なのに、この日の緊張感の成せる業だったのだろうな。A君ゴメンね。
第一部の最後の曲「群青」が何とか上手く行ったことで、完全に緊張が解けて、第二部の「素敵なあなた」(ジャズ・シンガーのヨウコさんをサックスとドラムで盛り上げる)は思い切り楽しむことが出来た。
今回で3回目となるAのリサイタル。今回もまた超満員だった。それにしても、1年毎に彼のジャズが大きな進歩を遂げているのを実感する。昨年に引き続き会場を訪れた人は分かると思うが、まず、Aのサックスが凄く綺麗な音色になったことだ。
そして、去年はテーマと同じリズムでアドリブを行なっていたのが、今年は、基本リズムを変則リズムに変えたアドリブ(4拍3小節=12拍を、3小節=8拍に変える)などを披露している。これなどはリズム感が相当養われないと不可能なことだ。
坂口さんの厳しい指導もあるのだろうけど、行けるところまでトコトン行こうと言うAのチャレンジ精神と不断の努力が素晴らしい。僕も彼に遅れないように着いて行こうと思う。
2011 年 10 月 24 日 6 Comments
九州電力
やらせメール問題があれだけ白日の下に晒され、第三者による調査委員会を立ち上げて実態解明を行い、再発防止策を講じた上で責任を取ると言明していた、九州電力の社長が、誰からどう入れ知恵されたのか、早々に社長辞めるのやめたと宣言した。
前言を翻したことを追求されると、「無実の人を悪者にしてしまうから」とのたまったそうな。悪者になりかねない無実の人とは誰か? どうやら佐賀県知事のことのようである。
玄海原発の再会を巡る住民とのシンポジウムに先立ち、佐賀県知事の九州電力へのアドバイス、即ち、反対意見だけでなく賛成意見を述べる人も参加させるべきだという忠告が、大きく影響してやらせメール問題に繋がったとされる問題が報道された。
九州電力の社長が、やらせメール事件の責任をとって辞任してしまうと、佐賀県知事も同根だから責任を取って辞任すべきとの世論が高まるやも知れず、それでは、大変お世話になった知事に申し訳ないから自分も辞めない、と言った論法のように聞こえる。
この感覚が普通の人々の理解を超える。守るべきは九州電力のお客様ではなくて、原発再開に理解を示してくれた知事だとは。福島第一原発の大事故を教訓とした抜本的手立ては何も講じられない原発の再開を許可した知事も知事なら、やらせメールで住民(お客様)を平気で騙して再開の結論を得ようとした九州電力。
両方とも、はなから住民の安全など眼中にないのだろう。知事からも九電からも、玄海原発は絶対にフクシマにはしないというメッセージは全く伝わって来ない。さんざんコケにされた住民の怒りの気持ちが察せられる。

普通の商売だったら、相次いで契約は打ち切られて倒産に追い込まれるところだろうが、電力会社は地域独占で1社しかないから、住民が大挙して解約に押し掛けることなど有り得ない。だから、そんな心配、欠片もない。
九電の社長さん、「喉元過ぎればみんな忘れるから、このままやり過ごせばいい。住民も最後は我々の言うことを聞くしかないんだから」とでも思っているんだろうか。全く度し難い。発送電分離で顧客がどの電力会社から買うかを自由に選択出来る仕組みに変えないと、自分達がどれだけ不遜でトンチンカンか、永久に気付かないのだろうな。
逆に、ヒールに徹するなら徹するで、枝野大臣が何を言おうとそのまま居座って貰ったら面白いし、少しは見直してやるのに、責任の取り方が甘過ぎる、と大臣に言われたら、何やら再び辞任の方向で再検討に入ったという。何なんだこの人。根性も何にもない。
こういう輩が、日本の大会社の社長に収まっていられると言うのが、衰退日本の実情を物語っている。

2011 年 10 月 21 日 No Comments
同窓会バンドの追い込み

同窓会バンド「ザ・タペストリー」の練習も、来月19日の本番に向けて佳境に入って来た。先月まで月1回の練習が、今月からは2回となった。昨日がその2回目の練習日だった。
本番は、長野高校の昭和40年3月卒業組の同期同窓会の中で、50分間のステージを務める予定だ。会場は、駅の近くの「メルパルク長野」。何年か前に僕の出身会社主催のイベントがあり、僕もそこであるデュオのバックバンドでドラム演奏をしたことがある場所だ。
なかなか立派な会場だ。そういう意味では「ザ・タペストリー」のデビューを飾るにまたと無い場所と言えるかも知れない。
いろいろな曲を試して来たが、ここに来て一応、当日の曲が決った。
1.ウェーブ (ボサノバ)
2.オール・オブ・ミー (ジャズ)
3.コットン・フィールズ (カントリー)
4.エ・スウィート (ハワイアン)
5.アンチェイン・マイ・ハート (R&B)
6.パーリー・シェルズ (ライト・ミュージック)
7.ときめきの夜 (オリジナル)
8.テイク・ズィ・A・トレイン (ジャズ)
9.見上げてごらん夜の星を (和製ポップス)
前回の練習で積み残しとなった「A列車」から練習を始めたが、時間が経つと忘れっぽくなっている年齢の人ばかりだから、1回では上手く行かない。2度3度やって行く内に思い出し、演奏も決って来る。
当日会場入り前に、近くの貸しスタジオを予約して良かった。充分にリハをやって思い出す時間に当てられる。
元々がボサノバ音楽で都内でライブを重ねるTAKAや、スティール・ギターでは、アメリカにまで名が知られるAYAなどがいるバンドだから、思い出しさえすれば何とかなる。本番は1回しかやれないのだから、1回目で思い出せるようにする。これが課題だな。
2011 年 10 月 20 日 No Comments
しごかれています
昨夜は、東中野の「DRUM」で、親友Aのリサイタルの最終練習の日だった。勿論、A自身の最終調整が最大の目的なのだが、しごかれたのは僕の方だった。
まだ、僕が完成出来ていない「群青」。この曲の最大のアピール・ポイントはピアノなのだ。実は、この曲を今回のリサイタルの曲目に入れるべきだと主張したのは、他でもない、この僕なのだ。「群青」は、以前何度も、Aが歌い、ピアニストの坂口さんが情感豊かに聞かせてくれたのを覚えていたからだ。
AのリサイタルだからAがメインの曲が多くなるのは当然なので、1曲、坂口さんのピアノをフィーチャーした曲があった方が、聞いてる方も変化があって、コンサートそのものが素晴らしいものになると思ったからだ。
そして、Aは、これ迄のライブではサックス・オカリナ・MCの3役をこなし、その多才振りは定着していたが、そこに歌が加わると、それが新鮮なサプライズとなるから、「群青」は一石二鳥だ。
但し、そう提案した時、この曲のドラムを僕がやるなどとは更々思ってもみなかった。坂口さんのフィーチャー曲は、当然、その道55年のプロ・ドラマー三戸部氏でしょう? どう考えても。
今月最初の練習の時に、いきなり、Aも坂口さんも三戸部氏も3人揃って「群青」は僕にやれと言う。曲の雰囲気は知っていたが、やったこともない曲だし、ドラムはどこで入るのか、どう叩くのか、全く分からなかった。とても人様に聞かせるレベルにない。
そこからが大変だった。毎日、Youtube を聞いては頭に叩き込んで行った。何しろ、ブレークしたり、リズムを刻んだりがやたらに多いのだ。リズムもサビ(3連)とそれ以外(4拍)で変えている。
それでも何とか覚えて、昨日の最終練習で披露した。本人としては、まずまずCDのドラムをコピー出来たなと思って終った。
が・・・、坂口さんにも、三戸部さんにも、納得はして貰えなかった。坂口さんには、ブレークの後の1拍目が微妙にずれるので、そこを意識して、シャープに1拍目を入れるよう注意された。
三戸部さんには、ハイハットを使った4拍のリズムは中途半端だから、一層のこと完全にやめちゃった方がいいと言われてしまった。
Aが先ほどの演奏を録音してくれていたので、再生してみた。確かにブレークなりお休みなりの後のドラムの1拍目がファジーもいいところ。ここがピタリと決らないとピアノ演奏していても気持ちが悪いのだなと思った。さすがプロの耳は確かだ。
三戸部氏の言う、余計な音はさせない方がいいと言うのもその通りだった。ハイハットで静かに(1小節)4つのリズムを入れてはいるが、歌をサポートしていると言うより邪魔になっている。ドラムは無音の方が全体の雰囲気が壊れないと思った。
悔しいけど、大御所達の指摘は正鵠を射ている。だけど、もう練習の機会はないから個人練習しかない。ぶっつけ本番になるけど大丈夫かな?
Aの先生である坂口さんが、前回の練習後、Aにつぶやいたそうだ。「神童さんは、いいもの持ってはいるが、アマチュアのままで終るか、プロを目指せるレベルに行けるか、丁度今その分岐点にいる」と。
「やる気があるなら教えるよ」と坂口さんが言ってくれているのだ。三戸部さんも昨夜別れ際、「少しここに通ってみたらどうですか。この数ヶ月で私の最初の10年分くらいのところに来たんだから、あと少しでものになるよ」と言ってくれた。
う~ん。考えどこだな。第二の人生の中心に音楽活動を据えた以上、ただ楽しむというのでなく、お二人の有難いお言葉に従って、厳しいご指導を仰ぎながら、行けるところまで行ってみようかなと思う自分がいる。
Aが先程メールをくれた。「ドラムは皆さんプロの視線で見ているので辛い部分もあると思いますが、続けていればもっと上のレベルに行けると思います」。一緒に坂口さんの弟子としてやって行こうと言ってくれてる。

演奏旅行で行った沖縄・守礼門
2011 年 10 月 19 日 2 Comments
とてもハードな一週間
昨日を除き、今日からスケジュールがぎっしり埋まった一週間が始まる。但し、昼間の仕事上のスケジュールではない。夜の予定のことである。
まず本日は、親友のAとのジャズの練習がある。一昨年、昨年と、この時期、Aは東中野の「DRUM」というジャズ・クラブで、彼のサックスとオカリナを中心としたジャズ・ライブを開催して来た。今日は、Aの年一リサイタルに向けた最終のリハーサルだ。
Aはライブで20曲ほど演奏するが、昨年まで僕は飛び入りで2曲ドラム参加したが、今回は事前にAと一緒に練習を重ねてから出演しようということになり、今月3回目の「DRUM」での事前練習となる。
3曲とは「枯葉」「素敵なあなた」それと「群青」だ。現時点で僕のドラムは「群青」が完成していない。今日は何としてもピアノの坂口さんにOKを貰わないと、もう後がない。
明日の夜は、小田急線梅が丘駅前のスタジオで同窓会バンド「ザ・タペストリー」の練習。こちらの方は、11月19日に長野市で開催される高校の同期同窓会でデビューする。同窓会の中のメイン・イベントとして、「ザ・タペストリー」が45分間のステージを務めるのだ。
いつもは月1回の練習と練習後のミニ同窓会を楽しんで来たが、今月から仕上げモードに入ったため月2回の練習となり、明日はその第2回目だ。
明後日は大学の友人達との渋谷での飲み会があり、そして金曜日は、Aのリサイタル当日を迎える。
今回は去年までと全く緊張感が違う。多分それは、昨年までAメインの曲のバックでドラムをやったが、今回は、プロのバックを務めるからだと思う。
「群青」は、ピアノの坂口さんが昔から好んで弾いていた名曲で、彼の美しいピアノ演奏が最も際立つ曲なので、ドラムの変なミスは許されない。この曲を歌うAも緊張感は同じらしい。
また、「素敵なあなた」は、店の常連で各地でライブを行なう、ジャズ歌手のヨウコさんが歌う。それをAのサックスと僕のドラムで盛り上げようとの趣旨だから、とても気楽にという訳には行かないのだ。
金曜日が終ればゆっくり出来るかと言うと、土曜日はゴルフが入っている。身体が持つかなぁ。ゴルフは天気も良くなさそうだからキャンセルしようかな。どうしようかな・・・
2011 年 10 月 18 日 No Comments
ライブ満員御礼

ユーミンを歌う「漢組」のダチョウさん
第6回マンスリー・ライブを先週土曜夜に開催した。だが、前日とか当日午前中に、ライブに来てくれることになっていた私の友人達が、急な事情や体調を壊したとかで、相次いでキャンセルの連絡が私に入った。僕のルートでは来てくれても数名という状況に陥った。
ライブやるからには、そりゃぁ大勢を前にやりたいもの。先月も10名程度のお客さんしか入らず、2回連続で観客の少ない中でのライブになるかと、半ば覚悟をしたのだった。
ところがである。蓋を開けてみたら、何と何と、会場は満席に埋まったから分からないものだ。定員のほぼ40名に近い方々が来てくれたのだ。
これは、勿論、当日の人気バンド「漢組」(おとこぐみ)のファンが遠く埼玉や横浜から大勢駆け付けてくれたこともあるが、おじさんバンドの知人や友人達が思わぬ人数が来てくれたこともある。
嬉しかったです。皆さんありがとうございました。お蔭様で、40名定員のところに50名が来てくれた第1回のマンスリー・ライブに次ぐ観客の入りでした。

満員の客席
ライブの方は、最初に「のどごし生バンド」が30分、ステージを務め、そのあと「漢組」(おとこぐみ)にユーミンの曲ばかりを1時間に亘って演奏してくれた。
事前の告知でも、セミプロのバンドと書いたが、正にその通りで、ボーカルのダチョウさん(と言うあだ名)は、元々高い声の持ち主だが、その彼にして限界的な高音域の声も凄く良く出ていて、その迫力は圧倒的だった。ユーミンのコピーかと思っていたが、これは違う。「漢組」(おとこぐみ)のオリジナル・カラーだ。
ギターのノグさんのテクニックは、感動的ですらある。観客を引き付けるアドリブが凄い。セミプロと言ったが、これは完全にプロの領域に入っている。後で本人に聞いたら、中学生の頃から始めて、40代後半の今まで毎日ギターを触っていて、ブランクの時期というものが無いそうだ。道理でね。
彼等の演奏に聞き入ってしまって、僕らの第2ステージがあるのを忘れたくらいだった。気を取り直し、第2ステージへ。「漢組」(おとこぐみ)の素晴らしい演奏を聞いた後だから、こういう時大森先生のピアノは、対抗上物凄くハチ切れるのが予想出来る。
案の定、彼のパフォーマンスは凄まじかった。アドリブの自由奔放な暴れ方が半端じゃない。こんな時、先生の中では何かが弾けて感覚が異次元に飛んでいるのだと思う。
この日の僕には、バンド・メンバーや会場が幾らヒートアップしても、冷静さを保つよう言い聞かせているもう1人の僕がいた。先生は遂にピアノに片足乗せて、又の間から手で鍵盤を叩いていた。久し振りのことである。
こういう時の僕の役割は、冷静にリズムを刻むこと。リズムが崩れると彼は異次元から直ぐ舞い戻って、ピアノでリズムを刻むからだ。妙な話だが、先生のパフォーマンスの真骨頂が出た時は僕のドラムのリズムがしっかりしている証拠なのだ。だからこんな時、とても嬉しい
さて、この日、30過ぎと30前の比較的若い女性2人が「のどごし生バンド」のゲストとしてデビューした。K&Bだ。アコーディオンとピアノの2人組。そこに大森教授のベース(彼はピアノだけでなくベースもやる)、店のマスター中潟氏のドラムの4人で「ブルー・ボッサ」と「リベルタンゴ」の2曲を披露した。
彼女達の演奏は1年前に聴いているがその時は、2人とも初心者のレベルだったのに、それが、今回、この難しい曲を完全にマスターして、聞き入らせるくらいになっていたのには正直驚いた。大森先生の音楽指導が良いのか、彼女達の努力の賜物か。
11月の第3土曜マンスリー・ライブは、僕が同窓会バンド(ザ・タペストリー)のデビュー日と重なってしまったので、1回お休みを頂いて、次は12月17日(第3土曜)に行ないます。どうぞ宜しくお願い致します。

席がないのでカウンター内でマスターの代役?
2011 年 10 月 17 日 No Comments


